今回でゴールデンウィークのインドネシア、スマトラ島アチェ州とシムル島の探鳥は最終回です
最後にこんな記事を書いてみます
シムル島で宿にしたロッジは
サーファー御用達
日本人がいてびっくりした話を記事にもしましたよね
そんな波の名所には
つらい歴史があるんです
2004年12月
マグニチュード9.1という大地震がスマトラ沖で起こりました
皆さんもまだ記憶に残っているのではないでしょうか?
甚大な被害が出ました
その被害は東南アジア、南アジア、インド洋諸島からアフリカ東部沿岸部まで広がったそうです
震源に近い地域では倒壊などの建物の被害や土砂崩れなど交通網寸断などの被害とともに沿岸地域はさらに津波による大きな被害が出ました。20万人もの各国の被害者が出てしまいました。
そンなスマトラ沖地震ですが
震源地がスマトラ島北部アチェ州で
まさに我々が今回訪問したTakengonやシムル島は震源の近くなんです
シムル島は直下とも言える場所です
その2004年の地震からも2007年、2014年にも規模の大きい地震があり
日本と同じくプレートの境界に位置する島なので地震の多い地区です
そんな甚大な被害の出た大地震の震源直下のシムル島の被害はいかほどだったのか?
実はシムル島の人的被害は7人
一方、
隣のニアス島の人的被害は685人
これはシムル島の人たちに100年以上前に起きた1907年の大地震の被害を伝えるために美しいメロディーに乗せた「Smong」という歌が伝承されていたんです
その内容も語り言葉で
歌の盛り上がり部分では、「もしも強い地震が来たならば ...」、「海の水が引いて行ったならば...」、「とにかくまずは高いところを探しましょう」、「自分 達の身を守るために...」という歌詞が何度も繰り返され、最も大事な部分を伝えています。つ まり、繰り返しによっても記憶に残るように工夫されているということです
そんな歌が人々を救ったんです
そんな話をロッジの美人女将に聞きました
一方、隣の島では
そういった伝承もなく
むしろ、引いていった潮を、これ幸いと、魚を取りに沖に出てしまったんだそうです
震源地に近い島ふたつにこれほどの被害の違いが出たんです
次世代につなぐもの(Smongの歌)が多くの命を救ったと言えます
迷信や誤情報の伝承は困りますが
正しくこうして伝わった「言い伝え」はとても大切です
こうしたお気楽鳥見珍道中ですが
こうした各国の文化や言い伝えを見聞きして
人生の肥やしになっています
ロッジの女将さんも
その歌で救われ
そして、壊滅的にやられたロッジも
常連客の有志で再建されたんだとか
厳しい地球の洗礼の中にも
人の心は生きていることも
実感しました
ここにこうしてご紹介するのも
阪神大震災、東日本大地震などなど
悲しい現実から学ぶ多くの教訓を
私たちの世代で風化させてはいけない
そんなことを思いながら
この旅の締めくくりに
シムル島の奇跡
を記事にさせてもらいました
↓のリンクはご参考までに
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<ここからシムル島の写真>
今回は『スマトラ島のAche&シムル島鳥見旅の総集編』
2017年4月29日出発~7日帰国
同行者はTokochan-Zさん&FCさん
ガイドはAgus
シムル島には鳥類研究者の女性も案内役で同行
Ache州の起点はTakengon-Airport
移動は
羽田~関空~クアラルンプール~メダン~Takengon~メダン~シムル島~メダン~クアラルンプール~関空~羽田
よく飛行機に乗った旅です
撮影種は50種ほど
確認は60種くらいかな?
ブラインドに入ってひたすら待つという鳥見Timeが多かったので
鳥を拾うということが出来なかったので
この程度の確認になってしまいました
そんな初スマトラの訪問になりました
そこで出会った鳥たちを
いつものように
どばばばと貼って最終回とします
良い鳥たちと出会えました^^
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本日はお立ち寄りいただきましてありがとうございます。
今日も皆様にとってみずみずしい一日でありますように。