健康を維持するための「See」の視点として行うのは、会社勤務をしている間は健康診断がそれにあたる。
(法令により会社側は雇用者に健康診断を受けさせないといけないことが定められている)

ではアーリーリタイア後はどうだろうか。

会社勤務時代の様に総務部あたりが音頭をとってそうしたことをやってくれることはないし、又法令による強制されているものもない。

住んでいる自治体によるが、自治体がなんらかの補助を出してあるいは無料で行ってくれる健康診断があるが、これとて自分からそうしたものがあることを広報誌などでチェックして申し込む必要がある。

自分で口をあけていたら誰かが何か口にいれてくれるというものではないのだ。

私は、毎年「人間ドック」に入っている。
これは会社勤務時代からずっと続けている。
費用は、施設によるだろうが保険がきかないので一回5万円以上する。
確かに高額ではあるが、健康維持の為のコストと思えば安いものだ。

医療保険(ガン保険を含む)には毎月結構な金をつぎこむ人が多いのに、なぜその分の資金を人間ドックのような予防医療に回さないのだろう?
私にはその理由が全くわからない?


人間ドックの選定基準であるが値段では決してないと考えている。
人間ドックを用いるのは、単にチェックしてもらうだけでなく、その後のことも考えている。
つまり何らかの精密検査が必要な項目があった場合、ただちに精密検査が可能であり、またその際過去のデーターも含めて人間ドックの内容が連動されることを重視している。
又精密検査の結果、要治療となった場合もスムーズに治療に入れること、つまり人間ドック→精密検査→治療という一連の流れがスムーズに流れることを人間ドック選定の際の最大ポイントとしている。
このように考えた場合、候補となる人間ドックはおのずから絞られてくる。


また人間ドックに加えて私は少なくとも年2回は、歯科で歯石除去を含む歯のクリーニングを行っている。
歯というのは保険のきかない部分が多く、又歯を失うのは虫歯ではなく歯肉炎あるいは歯槽膿漏の場合が多い。
自分では歯を磨いているつもりでもほとんどの人が磨けてないということだ。
人間ドックと比較すると安価であるが、そのバリューフォーマネーは高いと認識している。


以上の通り、「健康を維持」することも自分の意思で行わなければならない。

「誰かが何かをやってくれる、自分はそれにのっかていればいい」、「情報を伝えてくれないのは、私ではない誰か、例えば行政が悪い」という考えは捨て去らねば成らない。

こうした点では「健康の維持」も資産形成も同じだ。





アーリーリタイア後、健康の維持には気をつけようと考えた。

会社に通っていると毎日通勤するわけであるから意識しなくてもそれなりに歩くことで運動になる。
また少なくとも年に1度は健康診断を受けるため、自分の健康度合いの変化については認識することができる。

ところがアーリーリタイアすると定期的に外に出る必然性はなくなるので意識しないと運動不足になってしまう。

その為、アーリーリタイア後まずスポーツジムの申し込みと自転車を購入することとした。

スポーツジムについては、幸い自宅の近くに公営のスポーツジムがあったので年間契約を行った。
意思が強い方は、スポーツジムに通わなくても自宅で毎日トレーニングを行ったり、ジョギングを行ったりすればいい。
ただ私も含めてスポーツジムに定期的に通うことを、当初の数ヶ月は続いても、その後断念される方が多いのではないか。
したがって前金で年間契約を行うことで、「払ったからには元をとる」という状況に自分を追い込んだのだ。結果的には週3回程度はスポーツジムに通う習慣ができ、それはアーリーリタイア後現在まで続いている。

もうひとつの自転車については、都内における日常の移動に使うこととした。
また春・秋の季節のいい頃は、サイクリングを行うこととした。
もともとオイルショックの頃サイクリングのブームがあり、私もランドナーに乗ってよく泊りがけであちらこちらにいったものである。又大学時代はお金もなかったので、たいていの所へは自転車を交通手段として出かけていた。
働き始めてからはなかなか自転車に乗るということはなかったが、アーリーリタイアを機にこうした決断をした。
現在の所、山手線内の移動ではほとんど自転車を用いている。また多摩川のサイクリングロードやその周辺の野川などに出かけ、本当に久しぶりにサイクリングを楽しんでいる。


こうした運動が「Do」の視点による健康の維持であるが、健康を維持するためには「See」の視点も必要である。働いている場合は、健康診断がそれにあたるのであるがアーリーリタイア後はどのようにするか。それについては次回のエントリーで記載しようと思う。





今日は不快ととられるかもしれないエントリーです。したがって最初数フレーズ読んでその後読み続けるかどうか判断してください。

最近中国でストライキが頻発しているというニュースをよく耳にする。
これは日本のワーキングプアあるいはデフレの問題と表裏一体の動きだと考えている。

どちらも、コスト(費用) としてのある一定レベルの労働市場価格への収斂の動きだ。

中国での動きは賃金上昇の、日本では賃金下落の。

もはや同一の技能を要するは国際的に同一賃金水準へ収斂するしかない。
従来ドメスティイクと考えられた仕事もインターネットの発達によってインターナショナル化しており、その範囲は拡大している。

日本が長期間デフレから脱出することができないのは、そうした状況下にいるのに、昔はよかったとばかりのノスタルジックに浸って、従来の職業・従来のやり方に固執し続けているからではないのか。

マスコミでも、「先祖代々の仕事」や「いままでと同じ仕事」をし続けていたのに、収入が減りつつけているのは、弱肉強食的であり、そうしたことから守ってやらねばとする口調が多い。

今般の管首相の「最小不幸」というフレーズや所信表明演説にもそうした風潮が見え隠れする

そうした保護は、一方で発展途上国の所得水準を低レベルに押さえつづけることになるのではないか?
我々日本も、他国から代替可能な仕事を奪って発達してきた。
我々により仕事を奪われた他国(主に米国と思われる)は、柔軟的に仕事を変化(むしろ高度化)させて成長した。その結果としての金融資本主義である。

我々が本来やらなければいけないのは、こうした「先祖代々の仕事」や「いままでと同じ仕事」をやり続けていれば経済的に大きく損失が発生する状況と新しい仕事の相対的高効用を示し、早くむしろ強制的にも「先祖代々の仕事」や「いままでと同じ仕事」をやめさせるべきだったのではないか。

行政はやり続けさせる為に補助金を与えることではなく、むしろやり続けていればペナルティーを与えることではないか。

それでもなお従来の仕事に固執するのであれば、その後は「どうぞ勝手に」という自己責任のレベルだ。
そうした人たちに生活保護に何の条件も無しに与える必要はない。半強制的に仕事を割り当てればよい。そこで浮いた資金は、そうした判断がいかに経済的不効用であるかを教える教育及びそれを理解した人達の為の職業訓練に用いればよい。

現時点において、ある仕事をするのに自分の働きが費用と認識されるようであれば、今後も国際的均衡水準まで国内賃金は下がり続けるあろうし、海外においては上がり続けるであろう。

それは発展途上国自身でもわかっている。
発展途上国間でもそうした競争が行われているからだ。

よって彼らも自分の働きが費用と認識されないように努力する。

費用でなければ何だ。

それは資本だ

あなたの働きは、費用勘定に当てはまるのか・資本勘定にあてはまるかどちらだろうか?

雇用段階ではその人が費用か資本になるかは分からない。
むしろ自由雇用の米国においては、就職において「差別」は禁止とされているので、客観的にこの人は資本として採用したんですとするエビデンスが要求される。しなければ訴えられて莫大な懲罰金が要求される。

その為説明しやすいエビデンスである学歴、MBAなどの保有が有利(ある意味必須)となる。

こうした状況を知っているので、現在日本以外のアジア勢の米国大学院留学人数は増えているのだ。

唯一減り続けているのは日本人だ。

自ら費用になろうとしているとしか思えない。

こうした理解力のない状況にあるのに、いくら「最小不幸」といっても、それは保護主義の拡大にしかならないだろう。
もっと悪いことは、「最小不幸」というのは第二次世界大戦前のナチスの経済スローガンに類似していると思うのは私だけだろうか。

今回の口当たりのいいスローガンにより民主党は参議院選挙で負けないであろう。
その結果「最小不幸」という名のもとに国家の介入が強まる予感がする。

ナチスも政権奪取は選挙によるもので、その過程は決してクーデターではない。

民主主義とファシズムは裏表で実に相性がいいものどうしだ。
ナチスは国家社会主義ドイツ労働者党だ。彼らは企業から強制的に「貧しい労働者」に分配させ、又国家が主体的に関与し新たな科学技術を開発していった。貧困を解消するという名目で。


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アーリーリタイア後においても不審な目でみられないのと又説明するのも大変ということから、アーリーリタイア前と比較しても保守的(?)な外観とした。

その結果、日中地域の人と出会っても、不審な目では見られなかった。

この点は問題なかったが、やはり今まで朝からスーツで出かけていたのが昼間近くで会うのだから、最近どうなさったんですか?とは聞かれるようになった(こんな直裁的にではないが)。

これに対しては実は事前に答えを用意しておいた。

不審をいだかれない答えはなんだろう?と考え、実はコンサルタントになりましたとでも言おうかと当初は考えていた。
がこれは私自身がコンサルタントを嫌っていた為、いくら世間を納得させる為とはいえ、そう自称するのははばかられた。また評論家というのももっと嫌っていたので却下した。

では自分が嫌っておらず、同時に世間的に理解できて又朝から勤務していない職種とは・・・
で出した答えは、「研究機関勤務になりました」というものであった。

まあ「自称」ということになるが、コンサルや評論家と同じく資格がいるわけではなく、株式会社である必要もないので、自分の頭で作った○○研究所の研究員と名乗っていても、その肩書きで詐欺的行為を働かなければ特に問題はあるまいと考えた。

またある程度知られている資格も、公的なものも含めて複数もっていたので、その肩書きがあればそのように名乗っていてもおかしくはあるまいとも考えた。

こうして事前に用意した答えで対応すると、まあ環境が変わって大変ね、といってもらえる程度でそれ以上深くつっこまれることはなかった。

但し、その後地域の理事になってくれと依頼されることとはなってしまったが・・・

地域と摩擦をうまない為とはいえ、私はプライドばかり高く、偽善的で猜疑心の強い人間である。こうゆうことをするのでやっぱり何か事件が起こると、職業「詐称」であやしいとみなされるのであろう。
アーリーリタイア後の生活について、想定内及び想定外の事項について自分がどのように対処していったかも含めて記載していこうと思う。

これまでいろいろえらそうな事を記載していたが、特に精神面については私とてそんなに達観できていた訳ではない。

これまで朝からスーツを着て出かけていった人間が、定年退職をむかえたのでもないのに、そうしたことがなくなってしまったのである。

自意識過剰ではなくても、どのように地域住民の方に思われるか気になっていた。

本来ならどうどうと「アーリーリタイアしました」といえばいいのだが、「なぜ?」とか「本当のところは?」という興味本位の質問に説明するのも疲れるし、また説明したところでわかってもらえそうにないと思っていた。

六本木ヒルズのような場所や「起業しました」という方が多数住まれているならまた違うのであろうが、ご年配の方々や普通に定年まで働くと考えているご夫婦の家庭が多い地域では、就業能力があるのに自分からアーリーリタイアするなど彼らの想定の範囲外なのだ。

これで服装を含む外観が、彼らの想定許容範囲を越えてしまうと、ひそひそ話の対象あるいは要ウオッチの対象にもなりかねない。

したがって、少なくともそうした対象とならないように、まず働いていた時と比べて服装を保守的(?)にした。
保守的という言葉では誤解を生むかもしれないが、いままではなんとも思わず普通に着ていたカジュアルな服は箪笥の奥にしまいこんだ。
その代わり、出かける際には、常にジャケットアンドパンツスタイルになり、靴もブランド物ではないがそれなりの高品質なものに変えたのだ。
当然すりきれたジーンズやスニーカーなどはお蔵入りとなった。

当然髪も手入れの行き届いたショートカットに変えたし、髭などとんでもない。

ああなんという偽善的な行動なのだろう。相手方が誤解するであろうことを期待するなんて!
なんてちっちゃい奴と思われるかもしれないが、それが事実であるので隠したりはしない。


その結果及び地域への対応についてはまた明日記載する。
アーリーリタイメントとは全く関係ないが今回は格付けについて記載しようと思う。

昨今G20などにおいても格付け会社の格付けについて監視していこうという動きがある。
私からすると全くナンセンスなことのように見える。
自分が不摂生の結果肥満体になったのに、ふとって見えるのは鏡のせいだというのと同じだ。

ただ誤解してほしくはないのは、格付け会社の格付けが「正しい」などどは全く思っていない。
そもそも「正しい」「間違っている」というジャンルの判断に属さないのだ。格付けはあくまで格付け会社の「意見」にすぎないのだから。

にもかかわらず新BIS規制においては、規制当局が、特に証券化商品については、その格付けを基にした資本の重み付けを各銀行に適用させようとしていたのだから恐れ入る。

このように記載すると情報の非対称性から、格付け会社の格付けを信じるしかないのではないか。という意見がだされるが、命の次に大切なお金をなんで人の意見を基にしてつぎこもうとするのかよく考えてほしい。要は投資サイドが自分で分析するのを怠っただけの話である。

具体例をあげてみよう。

日本では不動産の証券化商品について2006年後半から急に格付けが甘くなった感触をもった。
ムーディーズが公表していた分析レポートをよく読めば、その要因は2つあったことがわかる。
ひとつはキャップレートの低下でありもうひとつは分散効果の影響の導入だ。

キャップレートの低下であれば自分でキャップレートを置き換えてやればいいだけの話であるし、分散効果は分散効果前のLTVに基づくムーディーズの格付け水準は分かっているので、この分散効果を自分で判断してやればいいだけだ。
(とはいえ正直にいえばこの間の格付けは納得しがたいものであった。LTVレベルでBBBクラスしかないものが、分散効果でAAAまであがっていたのである。LTVによって格付けが決まっていたとは決していえないレベルである。しかも分散効果という本当にあるのかどうかうたがわしい効果である。)

またABS OF ABS(ABSスクエアードというが、メディアではCDOという名で通っていた)についても同じだ。ウオーターフォールをつぶさに解明していけば、以前に比べキャッシュレザーブ条項が甘くなっていたのに気づくはずだ。当初は上位のトランチが償還されるまでは下位のトランチ、特にエクィティにはキャッシュが流れないようになっていたにもかかわらず、その後キャッシュリザーブおよびそのリリース基準が甘くなっていったものが散見されていった。またABSスクエアードの中にはウオーターフォールの分析するしなくなっていったものもある。こうした銘柄の中にはABSスクエアードの中に入っているABSの相関係数及びそれに基づく分散効果を一律に決めているのも見かけられた。
こうした銘柄を投資対象から取り除くのは難しいことではなく、その格付けロジックについては彼らが発表した格付けリリースを読めばすぐ分かるものである。

従ってこのように従来対比甘い格付けが付与されていても、投資サイドでそうした銘柄に投資すべきか否か充分判断できるはずである。それを怠ったところが大損をしているだけである。


また発行体から格付けに対する非難がされているが、いやなら格付けを取り下げ自分でディスクロして投資家を納得させればいいだけだ。それができないから格付け会社を用いている。そもそも他の誰かからデットファイナンスをしてもらう必要にせまられ、その際の条件に実質的に第三者から格付けを取得せよとされているならその格付けに文句をいってもはじまらない。
文句があるならデットファイナンスせずにエクイティでファイナンスをするか、ソブリンであれば歳出削減するか増税すればいいだけの話である。それをいやがる権利はデットファイナンスを欲する側にはない。


このようにデットファイナンスを受けるということは、対象が国・企業であっても我々個人が借金を受ける時と大きな差異はないのだ。
個人であっても信用がなければさまざまな条件が付されるのと同様、国・企業であっても同じことを要求されデットファイナンスによる資金が必要であればそれを甘受するしかないのである。




アーリーリタイアメントするための金銭は蓄積した、物質的・精神的にも準備はできたとなるといよいよアーリーリタイア実行となる。

しかしながらこの時点にまで成ると、「本当にアーリーリタイアしていいか」という葛藤が生じる。

アーリーリタイアする最終準備はこの葛藤にどのように向かうかということになる。

用意は万全と思うことと実行することとでは、躊躇し飛ぶのをためらう一線が確かにある。

40歳代でアーリーリタイアの準備が整うというのは、キャリア的にもある程度順調にステップアップしていることと思えるが、こうしたキャリアを捨てるということに躊躇い迷うというのは当たり前のことだ。


準備はできている。目をつぶって自分を信じて「飛べ」


などと私はいわない。

自分で充分に悩んだ後で決断すればいい。

またアーリーリタイアすればキャリアがすべて終わるとも考えなくともいい。
自分でNPOや社会起業を考えてもいい。
食べるためあるいは会社ためではなく、自分がやりたいことの為自分のキャリアを生かすと考えればいい。


アーリーリタイアを実行することが全員に望ましいとも思っていない。

ただ少なくともアーリーリタイアできる条件を整えた時点で、あなたは他の誰かに依存して生きる必要はなくなっているはずであり、自分の意思に反して行動させられることから自由である権利を手にしているはずだ。

たとえその権利を行使しようがしまいが、その権利はエクスパイアーすることのない権利で、自分の意思決定というトリガーを引きさえすればいつでも実行できる権利だ。

たとえ社会や会社に不満があってもそれをグチとして吐き出すのでなく、行動として対抗できるようになっている。



それがアーリーリタイアメントの準備ができたことの成果なのだ。
先週末、再度関西方面に出かけ飛鳥資料館(飛鳥)・法華寺(奈良 十一面観音)を訪問してきた。


飛鳥資料館では、キトラ古墳壁画四神が始めて同時公開(6/13まで)されており、これを見るために訪問した。

これまで四神の内、「青龍」・「白虎」・「玄武」は公開されてきたが、「朱雀」は今回始めての公開だ。
$自由人のアーリーリタイアメント生活

飛鳥資料館は明日香村の中でも辺鄙な場所にあって普段だとなかなか訪問する機会も少ないが、今回は橿原神宮駅または飛鳥駅からシャトルバスも頻繁にでている。
閉会まで期間は残っていませんが、関西在住の方は一度訪問されてはいかがでしょうか?(ちなみになぜこんな辺鄙な場所にあるかは、明日香村特別措置法によるところが大きいそうです)


法華寺には、国宝の十一面観音像があり普段は春と秋それぞれ二週間程度しか公開されないのですが、今年の平城遷都1300年祭に合わせ、期間を拡大して公開されている。
$自由人のアーリーリタイアメント生活

この十一面観音は、この寺を建立された光明皇后の姿を写し取らせたものだといわれている。
木造で小ぶりな観音像ですが、一見の価値はあるかと思う。
アクセスの多いブロガーの方がリンク&トラックバックをしてくださっておかげで、急にブログのアクセスがアップしました。

どうもありがとうございます。この場を借りてお礼を申し上げます。

アーリーリタイアに関する他の著作物からすると厳しい内容になっているかもしれませんが、だからといって決してアーリーリタイアをあきらめろといっているわけではありません。

ただ一度会社をやめてしまうと以前と同じ条件で再度働き始めることは誰にでも可能なことではありませんし、こうした不可逆性を考えると、アーリーリタイアするには充分な時間をかけてかつ余力をもって望まねばなりません。

余力がなくなると、生活も乱れますし、まっとうな意思決定もできなくなってしまいます。

また他人を羨ましがったりその結果うまくいっている人の足をひっぱたりするという、ネガティブな方向へいきがちです。

これでは何の為にアーリーリタイアしたのかわかりません。

ですので、アーリーリタイアする前に厳しい条件で、「こうふう状況に陥ったら自分はどうするか(あるいは自分には何ができるか)」ということを考えておいて欲しいのです。
次に精神的にはどのようなことが必要だろうか?

まず胆力が要求される。

よく「アーリーリタイアして何をするんですか?」と聞かれるが、あなたはなんと答えるだろうか?
実は答えようとする時点でアーリーリタイアには向いていないのかもしれない。
アーリーリタイアは、働いていてはできない何か特別なことをする為に実行するものではない。
なにものにも縛られず自分自身の意思によってのみ行動を律する為に実行するのだ。
「特に何もしたいものはない」と胸をはっていえる胆力がアーリーリタイアには必要なのだ。


次に「世間の目」というものにどれだけ耐えうるか、忍耐力が要求される。
いくらアーリーリタイアに対する自分の考えを主張しても、世間的には「無職」であり、「昼間から会社にいかずにいる人」なのである。隣近所の噂話のネタになるのは間違いないし(リストラされたらしい・・・等)、何か事件が近くで発生すればまずあやしいやつとばかりに扱われるのは覚悟しておいたほうがよい。

また忍耐力も必要となる。
アーリーリターアするとこれまでの「組織内仲間うち」というのがなくなり、孤独になる。
こうした孤独に耐えうる忍耐力が必要である。


最後にストレス耐性が高いことが必要だ。
友人・知人・肉親・世間から上記にあげたようなことをいわれると思うし、またいくら資産を蓄積していても状況によっては大きく資産を減らすこともある。
そうしたことに直面しても平然としていられるストレス耐性が高いことが必要だ。