あなたはひとつの使命を与えられた。
「担任教師」という職業に就いて、「子供が40人いる教室をまとめなさい」という内容だ。
ただしひとつだけ絶対に守らなくてはいけない条件がある。
「全ての子供には、個人の自由があるので一切手出ししてはいけません」
個人の自由を守られやりたい放題の子供たち40人を、担任教師1人がどうやってまとめることができるであろうか?
「先生の言うことを聞いてください」と伝えたところで一体何人の子供たちが聞くだろうか?
そして個人の自由を妨げるような「叱り」や「注意」という行為は許されない。
つまり「恐怖でまとめることはできない」ということだ。
「子供1人1人に丁寧に説明をして納得をしてもらう方法」はあるかもしれないが、個人の自由を守られている以上、「拒否」されても一切手出しできない。
様々な答えが思いつくかもしれないが、「40人をまとめる」ということが前提にある。
単純に40人を全滅させれば教室そのものはまとまるが、手出しは禁止なので問題外だ。
最終的には2つの選択を迫られるだろう。
「40人全ての意識が注目するほどの目的、目標を与える」
「教室そのものが崩壊せざるを得ない状況という事実を知る」
さて、40人全ての意識が注目するほどの目的、目標とは何だろうか?
理想的には「個人」が自分以外の全員(全体)のことを考え、「全体の健全さ」を優先させる状態かもしれないが、はっきりいえば自分自身のメリットがほとんどない。
人間の性質上、個人というものは基本的に自分の生活向上を重視し優先する傾向がある。
現代において個人の生活向上には何が必要なのだろうか?
単純な答えとしては「お金」だ。
常識的に考えれば必ずそこにいきつくだろう。
信仰心を持つ人は「神」や「愛」になるかもしれないが、多くの人は私利私欲に従って生きているのだ。
教室をまとめる話を、「日本という国」で考えてみる。
「国民という子供」たちは「個人の自由」が与えられ、「教師であるべき政治家」はまとめることなどできはしない。
「お金」という目標、目的意志を掲げて、国民の意識を「釣る」しかできないのだ。
「素晴らしい日本という国のために」という思想を掲げてはいるが、結局のところ税金面などの問題を騒いでいるだけにすぎない。
しかし、それはもはや仕方ないことなのだ。
「日本そのものが崩壊せざることを得ない状況が最初から仕組まれているからだ」
それはいつから?
走り出してしまった以上、気づいた時にはもう手遅れだろう。
なぜならば「国民の自由」を国が守ることを許されたスタート地点からだ。
「木を見て森を見ず」というが、個人は全体など見はしない。
むしろ気づくはずもなく、知る由もないのだ。
個人は何も考えず、ただ自由を喜んでもらえれば成功する。
一丸の「ひとつの梅干し」は内部から崩壊した。
目的は達成され、個人は自由を喜ぶ。
微笑ましい日常の出来事だ。
もしこれを「陰謀」と呼ぶならば、誰がこの仕組みに気づけるだろうか?
戦争は敗戦国に「この仕組み」を受け入れさせるために用意されたと思うが、おそらく後々の「目的のための準備」なのだ。
そもそも国を内部崩壊させるためだけであれば、手の込んだことをあえてする必要性がない。
少なくとも私であれば「次の手」をすでに考えているだろう。
こんな私の「冗談」を自由に書くことが許される日本国憲法は本当に素晴らしいと思う。
ひとつ戯言を加えておこう。
日本人の霊性、そして神国日本を太古から守り続ける神々をあまりなめるな。