良い子ではなかった私は、18歳の誕生日から喫煙するようになった。
法律上、「未成年者の喫煙は禁止」となっているが、若かった私は「未成年」を「18歳未満禁止」とちょっと勘違いしただけだ。
それ以後、かなりの年月を喫煙者として過ごすことになった。
ちなみに1日、約2箱のペースだった。
年々喫煙者の肩身は狭くなっていると感じる。
飲食店などでは禁煙が当然になり、外では「喫煙場所」が指定されるようになってきた。
「外であればどこで喫煙しても問題ないのでは?」と思うのだが、わざわざ喫煙場所を探さなくてはいけない状態になってきたわけだ。
もはや「喫煙者は社会悪」と呼ばれる時代の気がする。
「喫煙は健康に悪いので止めるべき」と周囲からよく言われるが、実は喫煙者がそのことを一番わかっている。
少なくとも「自分の健康のため」と思いながら喫煙している人はおそらくいない。
(ただし「ストレスを軽減」させることは「自分の健康のため」というおかしな論理で喫煙している人はいるかもしれない)
基本的には「吸いたいから吸う」という単純な動機だろう。
喫煙を止める理由としては「自分の健康のため」、「家族など誰かのため」、「金銭的な問題」、「病気などにより医師から禁煙を宣告された」などがあると思う。
私が思うに「自分の健康のため」に禁煙する人は本当に素晴らしいと思う。
そもそも喫煙者自身は「吸いたいから吸う」という単純な動機で毎日喫煙しているわけだ。
実際のところ、「喫煙するクセ」が身についている状態と思われる。
もし「自分のため」であれば「喫煙を続ける方が素直で正直な行為」だと思う。
むしろ「止めるに至るまでの理由」らしきものがなければ、その時点ではあえて突然止める「意味」がない。
それにも関わらず、「健康のために止める」とある日突然選択するならば、何かに目覚めたのかわからないが、「自らの変化」を自ら望んだことに他ならない。
大変素晴らしいことだと思う。
ちなみに私の知人に数年毎に「今日から禁煙する」という人がいるが、今年も「今日から禁煙する」と言っていた。
周囲にしてみれば、どうせ失敗するなら「禁煙する」と自ら発言しなければ良いと思っているわけだが、本人にしてみればアフォメーションが必要なのだろう。
禁煙に挑戦する人はかなり多いと思う。
基本的には「喫煙なんて止めるべき」とわかりながら喫煙している人が多いからだ。
ある日突然禁煙を決意し、しばらく止めて、喫煙再開。
そして喫煙しながら「自分は意志が弱い」などと自覚する。
こんな人が実はかなり多いと思う。
「意志が弱い」と自覚したところで実は何も問題がない。
誰かに迷惑をかけたわけでもなく、結果的に「自ら喫煙を再開しただけの話」なのだ。
それを乗り越えて、禁煙に成功するならば本当に素晴らしいことだと思う。
さて、私自身はすでに禁煙している。
禁煙開始から1年以上経過し、おそらく「今後喫煙することは一生ない」だろう。
タバコは年々値上がりし、1日2箱消費すると、毎日約1000円程度の出費になる。
私は当時コンビニで購入していたのだが、レジで毎日1000円支払っていたわけだ。
その行為を毎日続けていると「このお金は無駄だ」と思いが強くなり、ある日突然禁煙する決断をした。
しかし「突然の禁煙はさすがに難しい」と判断した。
数十年間喫煙していた人が「意志」だけで禁煙できるほど甘くはないと思ったからだ。
そのため喫煙という行為を、「ニコチン入りのガム」で代用することにした。
(ちなみに私自身は試さなかったが、病院にいけば「ニコチン入りのパッチ」を処方してもらえると思う)
結局ニコチン入りガムのおかげで、禁煙は成功したのだが、別の問題が発生したのだ。
「ニコチン入りのガムが止められない」という冗談みたいな展開だ。
本来であれば、服用するガムの個数を徐々に減らしていくのだが、私の場合むしろ徐々に増やしてしまったのだ。
結局毎日13~15個程度服用するようになっていたのだが、ニコチン入りガムは単価がそれなりに高く、1個あたり最低60~100円程度する。
そもそも「お金の無駄」と感じて喫煙を止めたのだが、ニコチン入りガムの利用は金額的にそんなに変わらない状態になってしまった。
「どこかでガムの利用を止める選択をしなくてはいけない」
実はこの決断をするまでに半年以上かかり、「禁煙を決断するよりも大変」だった気がする。
原因としてだが、「喫煙は身体に悪い」のは理解できる。
しかし「ガムは身体に悪い」ということにあまり結びつかないのだ。
ただし「ニコチン」は肉体的に不要な物質だから一日も早く止めるにこしたことはない。
そんなことを悩みながら月日は流れ、無駄な出費をしたわけだが「10月23日を最後」にニコチン入りガムの利用を完全に止めることができた。
ちなみに「10月23日」が最後だとすればまだ二日間しか経過していないことになるが、ニコチンは2~3日間我慢すれば体内から抜けていくそうだ。
約1カ月間ほどは離脱症状的なものが残る可能性はあるそうだが、禁煙を1年以上しているのでそんなにつらくはないはずだ。
そして「1個100円のガムを買いますか?」と尋ねられたら、冷静な判断であれば絶対に買わない。つまり私はニコチン入りガムを購入することは今後二度とないだろう。
「素晴らしい。ニコチン入りガムもやめたので完全に禁煙は成功だ」
私の場合は「お金の無駄」をきっかけに禁煙したわけだが、健康面、臭い面、経済面など禁煙には本当に様々な利点がある。
体重が加算する人も一部いるようだが、その問題を抜かせば、むしろ利点しかない。
さらに常識はずれのため、世間では一切話題にならない「素敵な利点」がある。
「ハートの動き」がわかりやすくなる…気がする。
漫画などの表現で人間の身体の心臓部分に「ハートマーク」が書かれていることがある。
つまり世間一般では、人間の心臓は「ハートマーク」というイメージで認知されていると思われるが、私も「ハートマークはあくまで絵的なイメージ」と信じていた。
しかしある時に、「遠隔でエネルギーを送ることができる」という友人に出会ったのだ。
そして私は「ハートにエネルギーを送る」ということを試させてもらった。
「心臓の動きを変化させてくれるかな?」と思っていたのだが、違うのだ。
説明がとても難しいが、肉体の心臓の機能とは別に、「ハートマーク」の部分が肉体内部に存在する。「ハートマーク」が独自で機能しているというか、心臓とは別に「何か存在している」ことを実感させてもらったのだ。
「ハートって心臓とは別に存在しているの?単なるイメージではないの?」と、本当に驚いた。
レントゲン写真では「心臓」しか撮影されない。
しかし「感覚的」な判断になるが「ハート」は目に見えずとも肉体内部に存在している。
場所的には心臓に重なるような状態。
その友人のおかげで「ハート」らしきものが本当に存在することを教えてもらったのだが、友人曰く、喫煙していると肺の機能が低下し、「ハートの動きがわかりずらくなる」可能性があるそうだ。ハートそのものは目に見えないので説明が難しいが、喫煙は「胸や肺の機能に多大なる悪影響を及ぼす」ことは理解できる。
ちなみに私が友人と出会ったのは「禁煙開始から半年後」ぐらいだ。
喫煙していた頃の私は「ハート」の存在など信じず、全く気付かなかった。
そして若い頃からの喫煙期間があまりにも長すぎるでむしろ「ハートの動きを感じられなくなっていた」のかもしれない。
スピリチュアル系の人は「禁煙が好ましい」ことを知っていると思うが、私自身は「ハートの存在」を知ってから、「喫煙は本当に止めた方がいい」と思うようになった。
実際のところ、禁煙を続けられた理由として「ハートの存在」が一番大きい。
さて、「タバコ」に限らず、世の中には「依存」に成り得る物質はたくさんある。
「アルコール」、「違法薬物(ドラッグ)」などが有名だが、「パチンコ」、「競輪」、「競馬」などのギャンブルも依存に成り得るだろう。
「止めたいのに止められない」と悩む人は多い。
周囲にしてみれば「意志が弱い」と判断してしまうかもしれないが、依存状態になるとそんなに甘いものではない。
「違法薬物」などは法律上逮捕という問題に発展するが、「本人の意志の問題」ではなく「脳が記憶している」から特に大変だと思う。
たとえば「お酒(アルコール)」を飲んだことがある人に質問するが、
あなたはアルコール以外で、「お酒に酔う」という状態にできる物質を知っていますか?
(ただし催眠は除く)
「この問題」がひとつの答えだと思う。
アルコールを飲めば「酔う」という状態になれる。
そして地球上には「アルコールの代用になる物質」はおそらく存在しない。
つまり「酔う」という「自分の状態変化」をさせるには「これしか存在しない」と理解しているわけだ。だから酔いたい時は必然的に「お酒(アルコール)」を求める。
「意志が弱い」のではなく、「特殊な自分の状態」に変化させるのは「コレ」しか方法がないと知ったから、「それを求める」だけなのだ。
依存とは、「物質が目的」ではなく、物質を利用した後に発生する「特殊な自分の状態への変化」を求めているにすぎない。
解決するにはいくつかの手段があるが、単純に2つだろう。
1.「依存となる物質」を入手できなくする。
2.「特殊な自分の状態への変化」をあきらめる。もしくはそれが異常な状態と理解する。
「タバコ」や「お酒」に依存している人が簡単に止められない決定的な理由がある。
お金があれば「簡単に入手できる環境」が整っているからだ。
人間社会が本気で喫煙者を社会から排除したいならば「タバコの販売を一切禁止」で基本的には解決する。
簡単に「買える」から止められないだけだ。
最初のきっかけは「興味本位」かもしれないが、そもそも本人が「手を出す」という選択をしたことが問題だろう。
何事も「始める」よりも「止める」という選択の方が大変な気がする。
しかし「好転したい」と願うならば変えられるだろう。
依存の解決方法の手段にもうひとつ付け加えるならば、
「自分自身のため、もしくは大切な人のため」という願いを組み込むことかもしれない。