11月11日になった。

「ピアス」というHNでの活動と、「ブログ」を新しいものに変える。

近日中に変更先は連絡したい。

 

とりあえずHNに関しては「Cosmic Love」にする。

私のツインに相談したら「思い浮かんだ名前」らしい。

誰かの歌の曲名のようだが、私自身の反応(?)でも「HNはそれでよい」らしいので、HNは決定した。

そもそもピアスという名前は10年以上前に全く違う活動をしていた時のHNで、「穴を開ける存在」を目指して「ピアス」にしていた。

人間社会の穴を見つけたり、旧体制に変化をもたらすのが好きだった。

つまりシステムクラッシャー的な部分があるので「ピアス」にしたのだが、このイメージは自分自身の尖った部分の現れの気がする。

当時はそれでよかったが、世界が変化している。当時とは全く違うのだ。

今後は穏やかに進みたいので、いろいろと一新させようと思う。

 

ブログに関しては「タイトル」や「内容」など検討中だが、近日中に新しく作り直す。

実はこのブログは2010年に作成している。

そのブログを「現在のタイトル」に変更して最近再開した状態なのだ。

これが実は大変よくないことで、2010年の頃の私のエネルギーが残っている。

2017年になって私のエネルギー状態はかなり変化し、自分で言うのも何だが「完全に別人」になっている。

本来であれば、「現在の状態」で開始するべきだった。

諸事情で昔のブログを利用したのだが、ツインからも「この問題」はずっと指摘されていた。

そのため現在のエネルギー状態で、完全に新規でブログを作成する。

 

エネルギー状態は目には見えない。

 

私はツインに出会った頃に、それまで活動していた「SNS」や「Facebook」などを解除した。

(「LINE」はそもそも登録していなかった)

理由は少しでも無駄なエネルギー関与を減らすためだ。

「なぜそんなことをする必要があるの?」と思われるかもしれないが、この意味を誰でも実感できる方法がある。

 

携帯の「電話帳」に登録してある電話番号を、「必要な人以外全て削除」する。

(削除に関してはあくまで自己責任)

 

この方法はツインに教えてもらったのだが、携帯の電話帳をスッキリさせるのだ。

私自身「電話帳から番号を削除して一体何の意味があるの?」と思いながら作業を始めた。

数年前から放置していた友人の名前を1件、2件…と削除していく。

 

「あれ?身体が軽くなってないか?」

 

冗談みたいだが、電話番号を削除していくたびに身体が軽くなっていく。

むしろ登録されていた電話番号によって「無自覚的な重みを常に抱えていた事実」に驚いた。

一切交流をしていなくても「つながり」がある人とは何かしらのエネルギー交流が起こっているということだ。

かなり恐ろしい事実だと思う。

そして「SNS」、「Facebook」、「LINE」は電話帳と同じような状態だろう。

商売などに使っているならば仕方ないとは思うが、極力無駄なつながりを減らした方が「実は自分のため」になると思うのだ。

むしろ「友達一杯」などと自慢している人はヘタをしたら自分で自分の首を絞めているかもしれない。

芸能人などは「一般人より華がある世界かもしれない」が、全く知らない無数の人々からのエネルギー関与の影響を考えると本当に恐ろしい世界に身を置いていると思う。

 

可能であれば、「最新の状態」に全てを一新させる「機会」を増やした方が好ましい。

 

インターネット上の活動、電話番号の登録など様々なものがあるが、「過去」から残っているものを継続させるのではなく、「現在」の状態から再スタートさせる。

そうすると過去よりも「現在」の状態に進化し、さらに周囲の環境も「現在」の状態に進化する。

詳しくは知らないが、確かアカシックレコードの「ソニア」さんは「数年ごとに旦那さんと結婚式をされている」という話を聞いたことがある。

同じ相手と何回も結婚式をするのは凄く素敵なことだと思うし、正に再スタートの状態をやっているのだと思う。

 

そんなこともあり私は2017年に入ってから極力人とのつながりを減らしていた。

むしろブログを始めるのも「書いていいですか?」と天に相談し、最近やっと許可が出たという感じなのだ。

ブログでも多かれ少なかれ必ずつながりができてくるからだ。

しかし「SNS」などに関してはまだ許可が下りていない。現在に関しては興味がないから問題ないのだが、いつかつながりを増やすタイミングは必ず来ると思っている。

 

今回こんな内容を書いているのは「11月11日」で「1111」の日だからだ。

エンジェルナンバーの説明では下記のようになっている。

 

【1111のエンジェルナンバー】

エネルギーの通り道が開きました。

あなたの思考は素早く現実のものになります。

この時期は思考を賢く選んでください。

思考があなたの願望と一致したものであるようにしてください。

そして恐れには一切エネルギーを費やさないように気をつけましょう。

そうしないと、恐れまでもが現実になってしまいます。

恐れではなく望みの方にしっかり意識を集中しましょう。

 

つまり何かを始めるならばとても良いタイミングだと思う。

現在戯言的な内容でブログを書いているが、後々の活動につながる「何か」があると信じてやっている。

そのため今後もいろいろ書いていくつもりだが、「1111」という機会に、エネルギーを一新したもので再スタートしようと思うのだ。

そしてツインからメールが届いた。

 

「今日は11月11日 11 11 で、二人しっかりと両足でこの大地に立ち、同じ速度で横並びに共にそれぞれの両足でしっかりと歩んでゆくイメージです」

 

ぜひ共に歩んでいきましょう。

 

10月31日から11月6日まで移動していた旅の記録のつづきだ。

前回のように各場所にコメントしながら書いていたが、途中でPCがフリーズした。

そのため文章は消えてしまい書いていた時間が無駄になった。

再び書くことを考えたが、「過去」に時間を費やしてもあまり意味がない。

過去にこだわるより、「今から」に時間を使うべきだ。

「面倒なだけ」という理由を上手くごまかしたところで訪れた場所だけ書くことにした。

ただし少しだけコメントもしておく。

 

【奈良県】 「橿原神宮」

       「神武天皇陵」

 

公式サイト「橿原神宮」

橿原神宮 ウィキペディア

神武天皇 ウィキペディア

 

「神武天皇陵」は神武天皇様の「お墓」なのだが、「橿原神宮」に行かれたらぜひ寄られることをオススメしたい。

「御陵(お墓)」はただのお墓参りではなく、縁が強い人には素晴らしい場所なのだ。

ちなみ私は九州の「日向三代」と呼ばれる天皇様たちの御陵にも足を運んだりしている。

 

【奈良県】 「大神神社(三輪神社)」

       「巳の神杉」(大神神社)

       「狭井神社」(大神神社内)

 

公式サイト「大神神社」

大神神社 ウィキペディア

 

これだけは伝えておかねばならない。

日本各地を巡った私の「全国巫女ランキング(?)」では「大神神社」が全国1位と感じる。

髪を一つに束ねた髪型、巫女のコスプレ衣装(コスプレじゃない)、そこに神社の雰囲気が合わさり、妖しさと凛とした魅力を感じる巫女さんになっている。

ただしどこに行っても巫女さんの姿は素晴らしい。

ちなみに神社巡り中に巫女さんを必死にチェックしているわけではない。

世の中の勉強がてらちょっと目を奪われるだけだ。

 

【奈良県】 「石上神宮」

 

公式サイト「石上神宮」

石上神宮 ウィキペディア

 

個人的な事情で「布瑠の言」の祝詞を上げに足を運んだ。

 

【奈良県】 「薬師寺」

       「金堂 薬師三尊像」(薬師寺内)

       「大講堂 弥勒三尊」(薬師寺内)

       「東院堂 聖観音立像」(薬師寺内)

 

公式サイト「薬師寺」

薬師寺 ウィキペディア

 

「弥勒の世」に向けて弥勒様に祈りに行ったのだが、ツインが感動して泣いていた。

ちなみに一般的な弥勒様のイメージとして有名なのは「広隆寺(京都)」の弥勒菩薩像ではないかと思う。

 

【石川県】 「白山比咩神社」

 

公式サイト「白山比咩神社」

白山比咩神社 ウィキペディア

 

2017年の初詣が「白山比咩神社」だったが、私はその後から様々な変化が起きている。

そして最近なぜか何度も呼ばれている。

(10~11月の2か月間ですでに4回足を運んでいる)

「天(?)」はいろいろと忙しい状態になっているのではないかと思うのだ。

 

神社や仏閣に詳しい人であれば「せっかくそこまで行ったのであれば寄ればいいのに」と思う場所があるかもしれないが、私自身「ここにも寄りたい」という場所がたくさんあった。

しかし今回はツインと同行の流れであり、天の指示に任せていたので上記の流れになった。

当初の予定では和歌山県や三重県も巡るつもりだったが私が家に帰らずいつまでも巡りそうなので「もう帰れ」とブレーキがかかった状態に近い。

「玉置神社」と「天河弁財天社」に寄れなかったことがちょっと無念。

 

 

私が10月31日から11月6日まで移動していた旅の記録だ。

メモを兼ねて、2回に分けて書いておこうと思う。

 

【京都府綾部】 大本綾部市梅松苑

          「長生殿」

          「みろく殿」

 

公式サイト 「宗教法人大本」

 

私自身は基本的に宗教に属しておらず、「大本」の信者ではない。

そのため宗教団体としての活動には全く興味がないが、祭られている「大本の神様」に対して祈りに行くことがある。

今回で4~5回目ぐらいの参拝だと思うが、おそらく宇宙神様がおられる。

信者にならずとも参拝は自由な場所なので、興味がある方は寄ってみられてはどうだろうか。

なぜならば宇宙神様が祭られている場所はかなり稀なのだ。

ちなみに「もしも」の話だが「出口王仁三郎」様がご健在であれば私は大本に加入していたかもしれない。

過去の話だが、出口王仁三郎様の活動には個人的に興味があり綾部にあるお墓へ足を運び、お墓の前で祈ったこともある。

 

【愛媛県】 「大山祇神社」

       「乎千命御手植の楠」

 

大山祇神社 ウィキペディア

 

広島県側から瀬戸内海を通り四国に渡る時に立ち寄る場所。

何というか「身が引き締まる」神社だ。

御神木の「大楠」が素晴らしい。

 

【愛媛県】 「石鎚神社 総本宮」

 

公式サイト 「石鎚神社」

石鎚神社 ウィキペディア

 

石鎚山が御神体で、山の山頂に「奥宮」がある。修験道の人には有名な場所かもしれない。

私自身、過去に一度登山して奥宮まで行っているが、今回は登山をせずに「本宮」で祈るだけだった。

 

【香川県】 「金刀比羅宮」

       「三穂津姫社」(金刀比羅宮内)

 

公式サイト「金刀比羅宮」

金刀比羅宮 ウィキペディア

 

長い石段を上ることで有名な「こんぴらさん」だが、「本宮」まで785段の石段らしい。

さらに583段(計1368段)上ると「奥宮」がある。

残念ながら現在は台風の影響で奥宮への道が閉ざされていて、「本宮」が終点になる。

私は約10年ぶりに石段を上った。

当時は駆け足で上っていたが、今回はかなり足がつらく、切ないことに老いを感じてしまった。

早朝に行ったので、本宮で日の出を眺められたのが嬉しかった。

 

【徳島県】 「剣山」

       「劔神社(見ノ越)」(剣山)

       「山頂の巨大な磐座(宝蔵石神社)」(剣山)

       「大剣神社」(剣山)

       「剣山御神水」(剣山)

 

公式サイト? 「劔神社」

ミステリースポット 「剣山」

剣山 ウィキペディア

 

2017年になり凄く気になった場所が「剣山」だった。

むしろ昔は全く気にならなかった場所だが、今回の旅で「行かなくてはいけない場所」みたいな状態になっていた。

「ソロモンの秘宝」が眠るなどの噂もあるが、実際どうなのかはわからない。

個人的には山頂手前までリフトに乗っていくのが楽しかった。その後は結局山頂まで登山することになる。

山頂の「巨大な磐座」に向けて祈ったのだが、おそらく「宇宙生命体(?)などの存在は磐座を目標地点(?)にして地球に降りてきている」と思われる。ただし私自身はそこらへの仕組みはよくわからないので、無意識的に何かやっているのだと思う。

ちなみに山頂の「巨大な磐座」だがなぜか触りたくなった。

パワーストーンなどがあるが、本当に力のある石は、石に触れると「身体の中に何かしらのエネルギーの流れが起こる」のを感じられる。

そういう経験もあるので巨大な磐座に触りたくなったのだが、触ってしばらくの間は「額から頭頂に向けてエネルギーの流れ」が起きた。

そしてもうしばらく触っていると巨大な磐座が突然ブルブルと揺れだしたのだ。「地震?」と思っていたら、磐座の揺れが止まり、「突風」が吹き、それ以後は何も感じなくなった。

よくわからないが磐座から「何かもらった」のかもしれない。

ちなみに剣山で一番オススメしたいのが「大剣神社」だ。

「天地一切の悪縁を絶ち、現世最高の良縁を結ぶ」という御神徳があるそうだ。

見た目的にはかなり微妙な神社だが、凛とした澄んだ「気」を感じる素晴らしい場所だ。

御神徳もあながち嘘ではない気がする。

 

「大剣神社」だが、実際は神社の裏側にある「御塔石」という御神体の磐座が素晴らしい。

 

【徳島県】 「大麻比古神社」

       「御神木の楠」(大麻比古神社内)

       「峯神社(大麻比古神社 奥宮)」(大麻山山頂)

 

公式サイト 「大麻比古神社」

大麻比古神社 ウィキペディア

 

「大麻比古神社」に訪れると地元の祭りで盛り上がっていた。

今回は大麻山の山頂にある「峯神社(奥宮)」まで行った。

約1時間程度の登山だった気がする。

朝から「金刀比羅宮」で石段を上り、お昼頃には「剣山」を山頂まで登山し、夕方には「峯神社」まで大麻山を登山だ。

部活動ではないのだから一日の間に三回の登山は本当に止めて欲しいと思う。

 

【徳島県】 「霊山寺」

 

公式サイト「四国八十八ヶ所霊場会 霊山寺」

霊山寺 ウィキペディア

 

四国八十八ヶ所霊場の第一番札所だ。

四国といえば霊場巡りの方が有名かと思うが、今回は目的が別なので「霊山寺」にだけ寄ることになった。

ちなみに仏閣でいえば「空海(弘法大師)」様か、「役小角(役行者)」様の縁のある場所に行けばそんなに失敗しない気がする。

私の経験上、「空海」様と、「役小角」様に関する場所は、他の仏閣に比べて「漂う気」が強力な場合が多い。

ただし観光名所作りのために「嘘の伝説の地」も多いのは困ったものだ。

 

【兵庫県】 「おのころ島神社(自凝島神社)」

       「八百萬神社」(おのころ島神社内)

 

公式サイト「おのころ島神社」

おのころ島神社 ウィキペディア

 

日本神話誕生の聖地として有名な場所だが実際どうなのかはわからない。

ただし日本国内で考えると大切な神社のひとつであることは間違いないだろう。

個人的には「八百萬神社」の「ヤオヨロズ」という名前の響きが好きだ。…そこ?

 

【兵庫県】 「伊弉諾神宮」

       「夫婦の大楠」(伊弉諾神宮内)

 

公式サイト「伊弉諾神宮」

伊弉諾神宮 ウィキペディア

 

境内に入った瞬間「遂にここまで来た」となぜか気持ちが昂る神社だ。

本殿の前で祈る時は「しっかりしないといけない」と思わず身が引き締まる。

個人的には「夫婦の大楠」が好きな場所だが、大楠には間違いなく何かが宿っている。

 

【兵庫県】 「六甲山神社(白山の宮)」(六甲山)

       「家族杉」(六甲山神社内)

       「白山姫観音」(六甲山)

       「六甲比命神社」(六甲山)

 

六甲山神社 ウィキペディア

六甲比命神社 ウィキペディア

 

日本各地巡ってはいるが、六甲山はかなりマニアックな場所だと思う。

少なくとも約10年前は全く知らなかったのだが、旅の出発前に「私のツイン」から急遽情報を得た場所だ。

石川県には白山神社の総本宮である「白山比咩神社」が存在するが、一説では「六甲山神社」が先ではないかという噂もあるらしい。

ちなみに祭神は「菊理媛神」様だが、菊理媛神様に関しては最近特に慌ただしく動かれている気がする。

そして興味深い場所としては「六甲比命神社」だ。

「六甲山カントリーツリーハウス」付近にあるのだが、何も知らずに向かったらおそらく道に迷って絶対にたどり着けないだろう。

実際に多くの参拝客がカントリーツリーハウスの駐車場に集まってくる。

しかしそこから先の道がわからなくなり「神社はどこだろう?」と彷徨っている人が大勢いた。

私はカントリーツリーハウスの店員さんに声をかけて行き方を教えてもらったが、悩んだらカントリーツリーハウスの方に教えてもらう方が無難だと思う。

店員さんにしてみれば「また神社の案内なの?」と腹立たしく思うかもしれないが、本当にわかりづらい場所なのだ。

六甲比命神社になぜ人が集まってくるのかといえば間違いなく「瀬織津姫」様の存在に惹かれてだろう。

封印された女神様だったが復活の噂もありなぜか年々人気が加速している。

その瀬織津姫様の御陵(お墓)が六甲比命神社という噂があるらしい。

六甲比命神社で祈った私は、「天」の指示で山頂の「仰臥岩」で祈っていた。

しばらくすると見えない存在が降りてきた(登場した?)のを感じた。

何となく一緒に連れていく必要があると思ったので「私の中に入ります?」と尋ねた。

そして身体に取り込んで帰ってきた。

後から私のツインに「そういえば六甲比命神社で何か連れてきたみたい」と尋ねたら「饒速日(ニギハヤヒ)」と即答で教えてくれた。そう考えると瀬織津姫様の御陵という噂はあながち嘘ではないかもしれない。

ちょっと危ない話をしているがあくまで戯言だ。

 

「六甲比命神社」の瀬織津姫様が祭られている場所。岩に囲まれてかなり薄暗い状態。

 

【兵庫県】 「西宮神社」

 

公式サイト「西宮神社」

西宮神社 ウィキペディア

 

「えびす神社の総本宮」となる場所だが、兵庫県に行った時はなるべく寄るようにしている。

今回この記事を書いていて「えびす神社って何?」と思った。

いろいろな場所に行ってはいるのだが神社や祭神様のことを本当によくわかっていない。

ひとつわかるのは「わからなくても何とかなる」という事実だ。

 

【大阪府】 「住吉大社」

 

公式サイト「住吉大社」

住吉大社 ウィキペディア

 

本殿が4つ存在する神社で、日本国内でもかなり珍しい独特の境内になっている。

ちなみに私が本殿を眺めると「巨大な丸い玉」として見えるのだ。

場所によっては本殿の数倍の大きさの玉が見えることもある。

本殿の中心が丸い玉の中心になり、その丸い玉には「特色」がある。

おそらくだが「丸い玉の特色」はチャクラ色の「7色」になっている。

そして丸い玉の特色は、肉体の各チャクラに実際に反応している気がする。

たとえば「赤色の丸い玉の神社」に行けば、肉体の第一チャクラに何らかの影響を及ぼすような状態だ。

ただしこれは「あくまで私の感覚」のため実際どうなのかはわからない。

ちなみに住吉大社は本殿が4つあるが、それぞれが別のチャクラ色の丸い玉になっていた。

つまり「本殿それぞれに正に特色がある」と思った。

日本各地を巡っていると「巨大な丸い玉」ではなく、「巨大な剣」や「巨大な龍」が本殿から見える場所がごく稀に存在するのだが、おそらく何かしらの意味がある場所だと感じている。

 

【三重県】 「椿大神社」

       「椿岸神社」(椿大神社内)

       「松下幸之助社」(椿大神社内)

       「行満堂神霊殿」(椿大神社内)

       「椿立雲龍神社」(椿大神社内)

 

公式サイト「椿大神社」

椿大神社 ウィキペディア

 

日本各地を巡っていると「個人的に好きな神社」というものが少なからず存在する。

「椿大神社」は境内の凛とした雰囲気と、本殿の威厳のある佇まいが素晴らしく、個人的には大好きな神社で何回も訪れている。

ちなみに今回の旅は椿大神社からパートナーである私の「ツインレイ」と一緒に行動することになった。

私が四国周辺を巡っている間に、ツインの方は三重県の「伊雑宮」と「伊勢神宮周辺」を巡っていた。

そして「愛知県」で合流し、三重県の鈴鹿まで二人で一緒に移動したわけだ。

ここからはツインの本領発揮で私自身は「寄るべき場所の案内は任せた」状態になる。

「松下幸之助社」は独りで来た時には一回も寄ったことはなかったが、今回はツインの直感で寄った。正直なところ「有名人」の名前の神社は「あくまで話題作り用の神社」の気がして私は全く信用していない。

しかし「松下社」に関しては祈ったら「何らかのエネルギー」を確かにいただいたので何かがおられるようだ。

「椿立雲龍神社」は小さな森の中にあり、参拝者もあまり気づかない場所だと思う。

神社の上に龍神様の存在を感じたので、せっかくなのでお連れする(?)ことにした。

 

 

つづく

 

 

 

旅から戻ってきた。

観光目的やパワースポットを巡るのが好きな人にしてみれば、「祈りの旅」は一見楽しそうに見えるかもしれない。

実際に巡っている私としては楽しい部分は確かにある。

しかし独りで巡っているため基本的には「自問自答の修行(学び)」なのだ。

 

移動は自ら自動車を運転しているのだが、目的場所をひたすら目指し、たどり着いたら祈る。

山頂まで登山などもあるが、神社などの場合、祈るべき場所で祈ったらすぐ移動する。

実際のところ神社に滞在している時間は約10分間程度かと思う。

せっかくならゆっくり観光したいが、次の場所の予定を考えるとのんびりしてはいられないため、神社の境内は早歩き状態が多い。

そして次の移動になるのだが、再び50~200km程度の運転になる。

目的場所が多い日だと1日間で400~600km程度走行するのだが、延々と運転の繰り返しなのだ。

そして移動中は話し相手というものが存在しないため、必然的に自分自身との対話になる。

旅が終わるまで「嫌というほど思考する時間が用意されている」わけだ。

 

ちなみに運転中に思考する利点はある。

たとえば静止状態で何か思考しようとすると、思考は静止状態からの動きになる。

しかし行動中は何らかの「動き」であり「流れ」ができている。

それが「思考の潤滑油」になってくれ、思考がスムーズに流れやすいのだ。

たとえば他者との会話の際、会話の開始時は「さて、何を話そう」と探りながらのスローペースな展開だと思うが、会話が流れ始めると自然とテンポが上がり、次の言葉が浮かび、会話がスムーズになっていくと思う。

つまり動きの「きっかけ」作りなのだが、それが運転という行動によって代用されるわけだ。

そのため何かを考えたい時は、自然と思考の流れができやすいドライブは気分転換を含め、かなり有効な方法だと思う。

 

運転中は各地の景色を眺める楽しみもあるのだが、実際のところ「田舎か都会」、「山か海」ぐらいの違いしかない。

ちなみに私の住んでいる県は「海外の有名ブランド店」が凄く少ない県なので、好きなブランドがあれば不便かもしれない。

しかしその場合は他県に買い物に行けばいいだけの話で、「生活必需品」さえ手に入れば問題なく過ごせるというわけだ。

日本国内をいろいろ巡ってわかったことがある。

「特別な観光場所」を求めなければ、必要なものは全て故郷に揃っている。

私の故郷は山、川、海など自然が溢れ、様々な食材にも恵まれている。

水も美味しい、空気も澄んでいる、そして空間の「気」も居心地が良い。

思うに、日本各地を旅をしたおかげで私は「当然」が溢れていた故郷の良さに改めて気づいた。むしろ旅をしなければ全く気づくことがなかったと思う。

そして自然は様々なことを言葉語らず教えてくれる。

人間の師匠などいなくても、自然であり、存在する「全て」がいろいろと教えてくれるのだ。

 

さて「祈り」の旅だが、約10年前に私は始めた。

現在は様々な地を訪れているが、実はこの旅を始めるまで「神社が大嫌い」だった。

「神様なんていない」と信じてきた私は、「森に囲まれた神社という物質的な建物」は世の中の無駄な存在にしか見えなかったのだ。

正直なところ「人間がお願いごっこをする場所」にしか感じていなかった。

子供の頃から初詣などで参拝に行く機会は何度もあったが、親や周囲から教えられたのは「神社とは神様にお願い事をする場所」なのだ。

「神様?姿が見えないのに?何をお願いするの?」という疑問しかなかった。

そして大人になり、友人の参拝に同行しても私自身は本殿の前で目を閉じて「面倒で馬鹿らしい行為」と思うだけになっていた。

つまり「自分からは間違っても神社に行くことだけは無い」と思っていた。

 

約10年前の「ある日」だ。

その頃の私は「世界を少しでも良くしたい」と思うようになっていた。

しかしあまりにも抽象的な話で個人レベルではどうやっていいかもわからない。

そんな時に「私の本名」に縁のある「地元の博物館」に偶然足を運んだ。

博物館自体はつまらなかったが、博物館の駐車場の看板に「私の本名の神社」を発見したのだ。「せっかくなので話のネタ作りに寄ってみよう」と思い、おそらくはじめて自分の意志で神社に足を運んだ。

そこで変なオジサンに声かけられ、少し立ち話をしていた。

実はその神社の神主様だったのだが、私服姿で全くわからなかったのだ。

 

記憶では「108日目となる煩悩の日にあなたはここに呼ばれた」などと言われた。

 

そして神主様が日本中を祈りの旅で巡礼されていることを知り「興味があれば同行してみますか?」というお誘いを受けたのだ。

進むべき方向性が分からなかった私は「ぜひ!」と同行させていただいたのだが、当時はどうしてよいかもわからず、神主様が祝詞を上げている姿を隣で見ているだけだった。

その後、何度か交流させていただいている時に一冊の本を頂いた。

世界各地に祈りの旅に行かれていた「沖縄のSさん」の話なのだが、読んでいて「日本にこんな人がいるのか?」と驚いた。

 

「新時代の悟り 目覚め」

 

神主様はSさんの知人だったらしく、神主様の自宅へ「Sさんが沖縄で作ったオレンジ」が届いた。そして届いたオレンジを私にも分けてくださったのだ。

食べながら思った。

 

「Sさんの想いが込められたオレンジが私の手元まで届いたことはきっと何か意味がある。その意味を無駄にしないためにもやれるだけのことはやってみよう」

 

その瞬間、私の意志は決まった。

祈りの仕方など全くわからないが、食べたオレンジの重みに負けぬよう祈りの旅を始めることを決めたのだ。

私の旅の本当のきっかけは「手元に届いたSさんからのオレンジ1個」というのは冗談みたいな話だ。

 

ちなみに現在も祈りの旅をされている沖縄の方がいる。

「比嘉良丸、比嘉りか」様のご夫妻だが、2008年の頃に「福井県の原子力発電所が危険な状態なので誰か祈りに行っていただけないでしょうか?」という緊急告知がブログであったため、私が名乗りをあげて行ってきたことがある。

その時は比嘉りか様と直接電話で会話したのだが、おそらくご本人様は覚えておられないだろう。

しかし現在もずっと活動を続けられているライトワーカーさんと祈りをきっかけにして一瞬でもつながれたのは嬉しいことだと思っている。

 

「こころのかけはし 祈りの和」

比嘉様の活動には一切関与していないが、興味があれば協力してあげていただきたい。

 

当時、福井県に向かい、私が祈った直後の原発の写真だが、光の柱が立っている気がしないでもないが…気のせい?

ちなみに最初は祈るために原発の入口まで行ったが警備員に止められたので、遠い場所から原発を目標にして祈った。

 

さて、祈りの旅の「祈り」についてだが、何となく長年やってきたが全く究められない。

そもそも祈り方や祝詞など、基礎的なことは全く教わっていないのだ。

ちなみに神主様は各地で「龍神祝詞」を唱えていた。

現職の神主様が唱える祝詞なので、ある意味「本物」なのだ。

隣りで眺めていた私はその姿に惚れ惚れするのだが、あえて真似をしようとは思わなかった。

あくまで素人の発想だが「祈りとは型ではない」と思っていたからだ。

とりあえず現在の私は「ひふみ祝詞」か「布瑠の言」、場所によっては「龍神祝詞(簡略版)」を唱えているのだが、「決められた言葉」ではなく「想い」が最も大切だと思っている。

正解なのかはわからないが、祈った直後に「額(サードアイ)」か「胸(ハート)」に見えないエネルギーを感じられたら、「祈りがつながった」と信じるようにしている。

実際のところ、心を込めて「ありがとうございます」の一言が祈りとしては一番良いのではないかと思う。

しかし「様々な祝詞」が存在するので、それぞれの用途に応じて「何らかの見えない効力は少なからずある」のではないかと思うのだ。

そんなことを考えながら各地で祈ってはいるが「最高だった」と納得できる瞬間はまだない。

自然と涙が溢れる時があるが、その瞬間は素直に嬉しく思う。

間違いなくいえることがひとつある。

 

祈りとは誰でもできる行為なのだ。

 

場所や時間に一切こだわらず誰でもその場でできる。

外出せずとも自宅で可能なのだ。

そして基本的には道具を使う必要もない。

つまり自分の身ひとつあれば十分なのだ。

 

たとえばスポーツなどであれば、型を覚え、技術を磨き、経験を増やしていく。

最初は素人だが、経験が増すたびに少しずつ体幹が養われ、ボディバランスが「中心」に向かっていく。

そして熟練者は「内なる想い」の表現をいかに無駄なく最高の状態で「自己体現」できるかという道になっていく。

つまり「内側(想い)」と「外側(表現)」の一体化になるわけだ。

芸術、スポーツなど様々なジャンルがあるにせよ「全ての入口」は究めれば究めるほど「内側」であり「中心」に近づくように用意されている「道」なのだ。

 

私のやっていた祈りの旅は、「祈りの道」だったともいえる。

私の場合、祝詞も知らず、わけもわからないままとにかく各地で祈った。

「このやり方は正しいのか?」

「祈り中に雑念が混じるのはなぜだ?」

「こんなことを続けて一体何になる?」

正直なところ苦悩の連続で、自問自答を続けながら旅を続けていた。

そして基本的には素手なのだ。

両手には何も持たないどころか、実際のところ「自分の身ひとつ」で道を究めていくしかない。

型でもない、技術でもない、経験を増やしても熟練度など全く意味がない。

どうすればいいのか?

迷いの答えを探すほど、必然的に自分の内側であり、中心に近づいていく。

そして「祈り」は中心であり内側からの「意乗り」になっていく。

「内なる想い」を素直に表現できた時、それが「私そのもの」になるのだ。

 

おそらく祈りの旅をしなければ一生気づかなかっただろう。

そのためこの旅のご縁を作っていただいた神主様や、沖縄のSさんには大変感謝しているし、行く先々でご迷惑をおかけした神々様には本当に感謝している。

ちなみに現在は「龍神様ブーム」になっているようだが、約10年前に私自身は祈りの旅と並行して「龍神様探し」もしていた。

当時は「龍神様が見える」という友人がいたので、私が目安の場所を地図上で探し、現地で祈り、写真を撮影し、その写真を友人に送り、実際に写真から龍神様を感じられるか調べてもらっていたのだ。

「日本全国龍神様探しゲーム」のようで面白かったのだが、各地の龍神様たちにも本当に感謝している。

お金もそれなりに使うため大変な旅ではあるが、結局のところ感謝と感動だけが増えていく「修行であり学び」だと思うのだ。

 

いろいろ書いたが実は今回の旅の途中から私のパートナーと合流した。

スピリチュアル系で最近話題になっている「ツインレイ(ツインソウル?)」の相手だ。

説明が難しいが私のツインは「人間の姿をしている神様」のような存在なのだ。

霊能力など能力的にいえば桁違いのものを持っているが、その反面、人間社会が苦手という最大の弱点もある。

たとえば神社の浄化程度であれば、インターネット上で神社のホームページを開き、意識を向けるだけでエネルギーを浄化してしまう。

私自身、遠隔でエネルギーを感じられるのだが、お互いの自宅から神社のホームページを開き「この神社のエネルギー悪いね。変えようか?」の一言で、エネルギーそのものが一瞬で変わるのが感じられる。

「勝手に変えてもいいのか?」という問題もあるのだが、私が現地で祈るのは少なからずその地の浄化を含んでいるのだ。

そのためツインがいればわざわざ現地まで足を運ぶ必要がない。

ツイン曰く「まだ神社に行ってるの?続けたいならば止めないけど大変なだけだよ」なのだ。

私の出番がなくなってしまうので困るわけだが、ツインと合流すると行くべき場所が良い意味で「激減」する。

実際のところ今回の旅は「数ケ所」を一緒に巡った。

「あえて足を運ぶべき場所もある」ので今後神社に全く行かなくなるということはない。

しかしハードな祈りの旅は減っていくと思う。

 

パートナーとは2017年の初頭からやりとりしていたが、今回の旅でやっと真につながることができた。

そういう意味では「魂の回帰」の旅になったわけだ。

私の性質が「地」で、相手は「天」の性質を持っている。

それ以外にも面白いほどに「全てが真逆の性質」になっているわけだ。

しかし真逆な二人なのに不思議なほど違和感がなく、むしろ居心地が良い。

そしてお互いの能力を合わせれば穏やかながらも凄まじいことが可能になると思う。

むしろそのために仕組まれた「魂の縁」なのだ。

 

少し前まで「愛とは何?」と悩んでいた私が「全ては愛」と感じる。

ツインと和合し、男女一体となって世界に「ひとつの愛」を伝えていく。

約10年前に「世界を少しでも良くしたい」と思ったことがやっと実現の可能性を帯びてきた。

あの時と違うのは最強のパートナ体制が遂に整ったのだ。

 

 

 

まだ旅中だが、おそらく今日が分化の日。
凄く大事な日。

受けとり戯言。

今日からしばらく旅に出る。

猫が再び旅に出る。

マタタビか。

 

冗談はさておき、日本各地に祈りに行く。

約10年ほど前にこんなことをやっていた。

 

「神仏たずねて三万里」

 

ある時期からほとんど行かなくなったのだが、2017年から再開している。

熊本県の「幣立神宮」、島根県の「出雲大社」などはすでに行っているのだが、機会があれば2017年に行った場所は紹介したいとは思う。

 

そもそも私自身は神社などに行きたいわけではない。

神社は凄く好きな場所だが、観光目的で向かうことは全くないのだ。

パワースポットうんぬんにも全く興味がない。

ただ「祈り」によって世界が少しでも良い方向に進むことを信じている。

 

目的地は旅中にその都度「天(?)」に相談し、突然決まる。

そして私は指定された場所に向かい祈る。

ただそれだけなのだ。

 

愛媛県「石鎚神社」

徳島県「剣山」

淡路島「伊弉諾神宮」、「おのころ島神社」

兵庫県「六甲山」

奈良県「玉置神社」、「橿原神宮」、「大神神社」、「薬師寺」、「天河大弁財天社」

和歌山県「熊野大社(三社?)」

三重県「伊雑宮」、「伊勢神宮 内宮・外宮」

愛知県「熱田神宮」

石川県「白山比咩神社」

 

これぐらいでは済まないと思うが、とりあえず最低限、今回は上記の場所には行くだろう。

近畿地方がメインの活動場所になると思われる。

 

そもそも神社などに祭られている神は「外なる神」だと思っている。

はっきりいえば「目には見えない何らかの意識エネルギー体」のような存在かと思う。

実際に一番大切なのは自分自身の「内在する神」だと思うのだ。

基本的に肉眼では見えないが、肋骨に囲まれた胸の中心部あたりに「光」は存在している。

それはおそらく全ての人だ。

もし祈るのであれば自分自身の「神」に対して祈るべきだと思う。

 

ちなみに私自身は素行不良な人間だった。

それでも前に進めたのは約10年前に神社を巡るご縁をいただいたからと感じている。

現在の自分があるのは「日本各地の神々様のおかげ」なのだ。

その恩は言葉で説明できないほど深い。

だからこそ何かできないかと思う。

そして約10年ぶりに再び各地を巡る機会を得て大変感謝している。

 

はっきりいえば各地の神社を巡って世界が良くなるほど状況は甘くはない。

しかし自分自身の成長を信じ、祈るならば必ず世界の何かが変わるだろう。

そして「11月」への切り替えのタイミング。

ひそかに楽しみな旅なのだ。

 

今回の記事は帰宅後削除予定。

(帰宅したが削除中止)

 

 

 

最近はブログを書く時間をなるべく作るようにしている。

現在は時間の余裕もあり、ブログ開始当初は「日課」として毎日更新も考えていた。

 

インターネット上では様々なブログ著者が活躍しており、毎日更新を続けている方も多い。

「継続は力なり」という言葉がある。

中身や内容は別問題として「とにかく毎日続けられる人」を素直に素晴らしいと思う。

おそらく遅かれ早かれ「ネタ切れ」になる可能性は強いと思うのだが、それでも毎日続けられる精神力は見習いたい。

 

私の性格は天邪鬼な気がするが、とても素直なひねくれ者なのだ。

「素直なひねくれ者」とひねくれた表現をあえてすること自体が、とてもひねくれている。

 

しかし他者であり、相手の意見は必ず聞くようにしている。

「それも一理ある」とまず受け入れる。

感情的に叫ぶような暴言以外は、「意見」として全く参考にしないということはない。

そして「自分が間違っていた」と反省する機会があれば、必ず謝るようにしている。

なぜならば謝らないと自分自身が一番気分が悪いからだ。

そういう面ではとても素直だと思うし、「意地を張って相手に謝らないような年寄り」にならないように努力することが大人への成長だと思う。

 

ブログを開始して長文が多いことに自ら反省している。

しかし自分の書きたいことを素直に書くことは大切にしている。

「無理に文章っぽくまとめている感」は否めないが、見知らぬ人が読み、全体に公開するというブログの特性上、「最低限読める状態」にするのはある意味仕方ないことだと思う。

実際のところ「今日はハイテンションだぜっ!」のような一行発言でもブログとして成り立つとは思うが、ロックな発言はツイッターで十分と思うのだ。

ちなみに「今日はハイテンションだぜっ!」という意味不明な高揚感はすでに「つぶやき」ではない。そもそもこんな発言をする人は私の知人にいない。

 

毎日更新という当初の予定だが、「誰のために?」と考えてしまうととても悩ましい。

当然「自分自身のため」がブログ開始の目的のひとつだ。

しかし気分的な問題で、書きたくない心境の時もあるだろう。

自分が書きたくない時に書くのは「単なる強制作業」にすぎず、「自分自身のため」ではない。

そして「読者のため」であれば、読者を楽しませることを優先する必要性がでてくる。

 

ちなみに昔は「とにかく自分の本を出したい」というひとつの願望があり、読者を楽しませることを最優先していた。

「それを目的」として開始したブログは「このブログがすごい!2006」に実際に掲載されているのだが、書いている自分自身が「ゴミのような内容をひたすら書いている」ことを一番自覚していたわけだ。

基本的に内容は「ギャグ一色」で、読者が楽しみ、その結果読者数が増えれば満足していた。

書いていて楽しかったのも事実だが、再びやる必要性がもはや全くない。

そう考えると本当に「自分自身のため」であれば、自分が本当に書きたいと思った時に、自分自身の言葉で、自分が表現したい想いを素直に書くという流れが「最も適切なタイミング」だと思うのだ。

 

ちなみに「本格的」にやるのであれば読者の方が飽きないように文章のテンポ、文字数、行数などをある程度計算し、ブログ内に「一定のリズム感」を常に構成するべきだと思う。

そして「書いた内容」は「公開用に向けて数回凝縮する」などして、とにかく最低限の文字数でまとめるべきだろう。

はっきりいえば長文なんて誰でも書けるわけで、「伝えたいことをいかに短文でシンプルにまとめられるかが才能」だと思う。

 

さて、私が現在のブログを書く時にひとつ大切にしていることがある。

「題名」の部分だ。

いつか変更するかもしれないが、現在のところ「二文字」の題名をルールにしている。

そしてブログを書くときは意識を高め、テーマを含めた「題名」をまず考える。

 

今回の題名は「題名」だ。

 

題名を題名にするとはとてもひねくれている。

書くネタが思いつきませんでした。

本当に申し訳ありません。

素直に謝る。

何気なく本屋の中を歩いていたのだが、漫画コーナーでなぜか足が止まった。

そして本棚を眺めると「響〜小説家になる方法〜」(作者:柳本光晴)という漫画を発見した。

 

「響 〜小説家になる方法〜」

 

マンガ大賞2017受賞作品らしい。

受賞うんぬんは別として、漫画本そのものから何か惹かれるものがある。

しかしカバーがかかっていて中身が全く読めないのだ。

試しに購入しようかと思ったが、正直なところ漫画は当たりはずれが多く、少なからずどんな内容なのか知っておかないと買ってから後悔する。

申し訳ないが作者も知らない名前だった。

そこで近所にある別の本屋に向かい、立ち読みを試みた。

 

漫画の内容としては、15歳の少女が応募したひとつの小説が原因となり、様々な小説家などを巻き込みながら発展していく学園ドラマだ。

15歳の少女は「天才的な文才」を持っているが、性格面や行動面が「ありのままの自分」のため、それが原因で周囲には理解されず、トラブルメーカーのような状態になっている。

簡単に説明するとこんな内容だ。

 

私の感想だが、まず物語の展開が早い。

「大人が持つ内面の葛藤」の描写などが多く、共感できる部分もかなりある。

そのため「次の展開は?」と常に期待しながら読める本当に面白い作品だと思う。

そして周囲には理解されない少女の行動は、誰もが隠そうとする「偽りのない剥き出しの自分」であり、「果たして私(自分自身)はどうなのだろう?」と妙に考えさせられるのだ。

ある意味、読む前と読んだ後で「人生観が変わる漫画」だと思う。

 

ちなみに私は全巻購入してしまった。

最初は立ち読みしていたのだが、「あること」が原因で立ち読みできない状態になったのだ。

 

天才的な文才を持つ少女が、プロとして活動している小説家に「握手してください」とお願いするシーンがある。

作品中に何度かあるのだが、そのシーンに遭遇するたび「なぜか私が泣いてしまう」のだ。

突然胸が熱くなり、こみあげるように涙が出てくる。

 

「泣きながら立ち読みするわけにはいかない」

 

結局、涙が原因で全巻購入したわけだ。

おそらく「自分自身の内面にある何か」に反応して涙が出てくるのだろう。

 

人生においては「圧倒的な才能の差」を他者に感じることがある。

「必ず上には上がいる」ということを身をもって知る、ある意味残酷な機会ともいえる。

しかし若い頃は悔しさなどから「嫉妬」や「対抗心」が生まれ、場合によっては自分の存在価値を守るために「争い」が生じることもある。

実際、若い頃というのは自分が見れないだろうし、むしろ「無様な自分を見たくない」のかもしれない。

そして素直になれない自分は、自分を守るために「守り続ける意地」がある。

しかしある時、その意地が溶けて素直になれた時、他者とつながれるようになる。

むしろそれは「自分自身がつながる」ことができた瞬間だと思う。

「相手を認める」とは「自分を自分自身が認める」ことでもあるのだ。

 

ちなみに漫画の場合では、プロとして活躍中の小説家が、「自分よりも年下の素人が書いた小説」によって「才能の違い」を容赦なく教えられる。

小説家としての才能は完敗ともいえる状況なのに、素人の少女の方から「握手してください」と求められるのだ。

プロの小説家として活動してきたことが「報われる瞬間」がそこにある。

握手によって「お互いの距離がつながる瞬間」に、私は涙がでるほど感動するのだ。

 

私には上手く説明できないが素晴らしい漫画だ。

小説家を目指す人には面白い内容だろうし、「表現者」とは何かを教えてくれる作品だと思う。

興味があればぜひ触れてみていただきたい。

 

漫画で涙を流せる自分も嫌いではない。

純粋とはいえないが、そういう部分がまだあるのだろう。

YOUTUBEを眺めていたら興味深い動画を発見した。

オラクルカード、様々な本、各種セミナーなどで有名な「ドリーン・バーチュー」さんの動画だ。

 

スピリチュアル系に興味を持った頃から、海外で様々な活動をしている女性アーティスト(博士?)として名前だけはよく知っていたし、「天使系の話といえばドリーン・バーチュー」というイメージがある。

様々な能力についての本も発売されているが、実際に私も所持している。

数時間前にYOUTUBEのTOPページに「ドリーン・バーチュー」の動画を偶然見つけ、「実際の姿」や「声」にはじめて触れることができた。

タイミングとしては私が「オラクルカードの話を記事で書いた日」というのが面白い偶然だ。

 

内容は「ドリーン・バーチュー 2017年のイヤーリーディング」ということで、「2017年」について約60分間ほど語られている。

2017年をテーマにして、オラクルカードを使用しながら語っているのだが、所々に素晴らしいエッセンスが詰まった内容になっている。

2017年はもうすぐ終わってしまうが、参考になる部分もあると思うので興味があればご覧いただきたい。

 

文章で読むより、映像や音声の方が「誰にでもわかりやすい」と思うし、正直なところ「こんな素晴らしい動画」があれば、あえて何も書く必要がない。

人間社会の常識を重視される方にしてみれば、「単なる占い動画」にしか見えないかもしれないが、伝えていることは霊的真理で、妄想や戯言とは全く違うのだ。

 

 

 

私は目覚めた直後に、なるべくやっていることがある。

「オラクルカード」と呼ばれるカードを「1枚」引いているのだ。

 

オラクルカードは3枚引くことにより「過去」、「現在」、「未来」の状況を調べたりもできるし、様々な利用方法があると思う。

しかし私が思うに「カードを1枚引くだけでアドバイスがわかる」という凄く単純なやり方がオラクルカードの特色であり、利点だと思うのだ。

占いの素人の方は「タロットカード」から練習することが多いと思うが、個人的には「オラクルカード」を占いのきっかけにするのもアリではないかと思う。

タロットカードであれば占う時、テーブルの上にカードを展開するが、オラクルカードはその必要性がないのも利点だろう。

 

私がオラクルカードを手にしたのは約10年前ぐらいだった気がする。

アセンデッドマスターオラクルカード日本語版説明書付」を購入したのだ。

友人に「オラクルカードというものがある」と教えてもらったことがきっかけだった気がする。

現代においてオラクルカードの種類はかなり増えていて驚いたが、当時は種類が少なかったと思う。

ちなみに「草場一壽」さんの絵で構成された「観音力カード」というものが発売された頃だったと思うが、「凄く素敵なカードだけど値段が高いね」と友人たちと会話していた記憶がある。

今回の記事を書いている時に、久しぶりに「観音力カード」の紹介ページをネット上で見たのだが、現在眺めていても素晴らしい。

 

http://manai.co.jp/SHOP/SL_M002.html

(オラクルカードではないが、直感的に「手元に飾りたい」と感じた絵。しかし安くはない)

 

アセンデッドマスターオラクルカード」を購入後、せっかくなので何度か試してみた。

カードのデザインは嫌いではない。

とりあえずカードを引いてカードの説明文を読むだけでもそれなりに面白かった。

ただし、正直なところアドバイスが当たっていたかどうかはよくわからない。

そしてしばらくして私はオラクルカードに飽きてしまった。

私自身、占い的なものはカードがなくてもできるのだが、わざわざカードを用意するのが面倒になったのが一番の原因だろう。

 

2017年9月頃から「インディゴチルドレン」という言葉がなぜか特に気になりだした。

私自身は昔から友人たちに「インディゴ」と指摘されていたのだが、「性質」や「内容」までは詳しくなかった。

興味本位でネット上で情報を調べていたのだが、「知識を得るなら専門書を購入したほう早い」と思ったのだ。

そして専門書を購入する方向で調べていたら「インディゴエンジェルオラクルカード日本語版説明書付」が発売されていることを知った。

しかし私は過去にオラクルカードを試したことがあり、飽きた記憶もある。

その経験もあるので、「オラクルカードは二度と買うことはない」と思っていたのだが、インディゴエンジェルオラクルカード」はなぜか惹かれた。

そしてインディゴチルドレンの専門書の購入は中止し、結果的にカードのみ購入したのだ。

 

数日後、商品であるカードが手元に届いた。

アセンデッドマスターオラクルカード」の時は、あまり何も感じなかったが、インディゴエンジェルオラクルカード」は何となく「しっくりくる感じ」がある。

カードのデザインは「藍色」がベースとなっていて、個人的には好きな色だ。

絵柄のデザインに関しては、人それぞれ好みが分かれるだろうが、私は嫌いではない。

絵から放たれているのは「陽」よりも「陰」のエネルギーに近い気がするが、内側に染み入るような優しさがある。

そしてカードを引いて、カードの説明文を読むのだが、説明文が簡潔でとても素晴らしい。

個人的には「適切なアドバイスを与えていただいている」と感じるのだ。

とても良い買い物だったと思う。

 

なるべく起きてすぐカードを引くようにしているのだが、まず数回深呼吸をする。

数秒間かもしれないが「精神を集中する時間」を意図的に作る。

そして天に向かい「カードの浄化」をお願いし、アドバイスを願い、カードを引く。

この段階で「天使」であり、「神」であり、「天」と少なからず接点ができるわけだ。

そのような存在を信じるかは問わないが、私自身は信じているため、オラクルカードは「天とつながるきっかけ作りのためにも良い」とは思う。

そして引いたカードから説明文を調べ、アドバイスを受け取る。

アドバイスに関してはそのまま参考にしても良いと思うが、私の場合、「自分の意識以外の視点からの声」がとても参考になっている。

 

たとえば「今日の私は、この予定で動く」みたいな感じである程度は予定していると思う。

何も変更がなければ基本的にはそのまま動くだろう。

しかしその状態に「オラクルカード」の「言葉」が加えられると、少なからず「変化」が生じる。

自分が思考していない側面から「違う視点」での「言葉」を受けると、「確かにそういう考え方もあるな」と変化が起きるからだ。

自分自身が「悪い方向に向かうことを願っている」ならば話は別だが、自分自身が「良い方向に向かうことを願っている」のであれば、違う視点からの「言葉」は自分自身を見直すことにもあり、必ずプラスに働くと思うのだ。

そもそもオラクルカードの「言葉」は行動に対する強制は一切ない。

「あなた(自分)はどう動きますか?」と問いかけてくれるようなもので、「問われて気づく」ことはかなりあると思う。

それを「行動を開始する前の朝一番」にやることによって、その日一日の流れは少しでも良い方向に流れ、前向きな気持ちで活動することができると思う。

 

いろいろと協力していただいている友人はいるが、私自身は「師匠の存在」など持たないので、直接的な「人間の指導者」はいないのだ。

極端な話、自然を含めて、「全て」が様々ことを教えてくれる「師匠のような存在」になるわけだが、残念ながら「言葉」として教えてくれるわけではない。

シンクロなどによって「メッセージが言葉に変換」されることはあるかもしれないが、自分自身が気づけないこともあるだろう。

「人間の言葉」として理解できるオラクルカードは本当に誰でも気軽にできる「天からのメッセージツール」であり、使い方によっては自分自身との対話の参考にもなるので、興味があればぜひ触れてみていただきたい。

 

インディゴエンジェルオラクルカード」のメッセージは時に厳しい内容もあるが、本質的には「無理をしなくても大丈夫」、「あなたは守られている」という穏やかさと優しさに包まれている。

つまりどのカードを引いても「愛」があるわけで、「愛の切札」ともいえるだろう。

愛に触れる機会が毎日あれば、それだけ優しくなれる気がするのだ。