九州の旅から帰宅して自宅でのんびりしている。

私の地元は雪が降り続けている毎日だ。

そう、現在は冬なのだ。

雪も降っているし間違いなく冬だろう。

 

11月28日に熊本県の天草地方にいたのだが「ミツバチ」がたくさん飛んでいた。

12月6日に長崎県の壱岐島では、足元にいた「カマキリ」に気づかず踏んでしまい「ごめん!」と謝っていた。

そして各地で「蝶々」が当たり前のように飛び回っていた。

この時期に昆虫が元気よく活動している姿を見ると季節感がズレてしまう。

冬眠のようなことをしない昆虫もいるようだが不思議な気分だ。

ちなみに旅中に神様からの言葉があった。

 

「ワシは結婚しておらぬのじゃ。カミさんはおらぬが神さんじゃ」

 

さて、神憑り的な私の神様ジョークで存分に大爆笑していただいたところで九州の旅で訪れた場所を紹介する。

ちょっとスランプ気味なのは秘密だ。

ちなみに「ウチのかみさんがねぇ」は刑事コロンボの口癖だ。

 

今日も元気にスランプです。

 

基本的には九州を一周したのだが、佐賀県では「宿泊しただけ」で神社などには訪れなかった。予定では佐賀県の「祐徳稲荷神社」に寄るつもりだったのだが、旅の日程や時間の都合で今回は中止にしたのだ。

しかしながら宿泊先付近の海(唐津市)でお祈りはしたので、佐賀県を完全にスルーしたわけではない。

ちなみに約10年前にも九州を祈りの旅で一周している。

その時も佐賀県に関してはどこも寄らなかった。佐賀県民の方には大変申し訳ないが、あえて寄るような場所がほとんどないのが正直なところだ。

 

【熊本県】 「大江天主堂(大江教会)」

 

熊本県天草観光協会 「大江教会」

 

天草地方は「隠れキリシタン」や「天草四郎」などが有名な場所だと思う。

「大江天主堂」は丘の上に建っている教会だ。

田舎の山道を走っていたら教会が突然姿を現すのだが、初めて見る人は感動すると思う。

教会内は普通の印象だが、全体の景観としてはとても美しい。

 

【熊本県】 「崎津天主堂(崎津教会)」

 

熊本県天草観光協会 「崎津教会」

 

「崎津天主堂」は漁村の中にある教会だ。

「海の天主堂」と呼ばれているそうだが、付近一帯が海となっている。

教会内の床が「畳」となっているのがこの教会の大きな特徴だろう。

ちなみに「大江天主堂」とはかなり近い場所にあるので訪れやすいと思う。

 

【鹿児島県】 「霧島神宮」

         「御神木」

         「風穴」

 

公式サイト 「霧島神宮」

霧島神宮 ウィキペディア

 

鹿児島県の神社では「霧島神宮」が有名だが、私は今回が2回目の参拝だった。

観光名所としても有名だが、実際訪れると「写真と実物の違い」に悪い意味で驚くかもしれない。正直なところ写真を見て期待していくとガッカリする可能性が高い。

私はお祈りに行っているだけなので景観については基本的に気にしないが、見所もあまりない気がする。

神社の裏参道(?)に「風穴」があるのだが、龍神関係のお仕事で少し寄ってみた。

 

画像は霧島神宮。中華街のようだが霧島神宮。

 

神社などに行くとなるべく写真を撮影するようにしている。

私は携帯電話にスマートフォンを利用しているのだが、内部のデータは神社の写真ばかりになっている気がする。

 

「他に撮影するものがない!」

 

寂しくはない。

切ないだけだ。

人物などの写真はほとんどないため、ある意味「危ない人」だと思う。

 

さて、写真だが私は神社などで撮影する直前に必ず祈るようにしている。

そうすると写真が変化するからだ。

私が思うに「光」が強まる。

 

「幽霊」が偶然写ってしまった心霊写真というものがあるが、基本的にはあまり見るべきではない。

なぜなら写真から「何か」が飛んでくるからだ。

興味本位で心霊写真を見ていた時期が私にもあったが、現在は一切止めている。

ちなみに私が神社などを撮影すると「光」が写ることが多い。

おそらく悪影響を及ぼすことはないと思うが、心霊写真(?)のようなものだろう。

パートナーの感覚では「私自身の魂」が写っているような印象があるそうだが、実際は謎のままだ。

 

ちなみに撮影している私が語ると説得力が全くないが、本殿や、御神体などは「本来であれば撮影を止めるべきかもしれない」のでご注意していただきたい。

ちなみに「撮影禁止」となっている場所は絶対にやめるべきだろう。

 

 

写真は、「私の本名の神社」のため名前はあえてふせておく。

約10年前に偶然この神社に参拝したおかげで私の人生は変化した。

ただしこの神社には神様らしき存在は基本的にいない。

そのため無関係な人が参拝しても何も感じないだろう。

この写真でも「水色の玉」が写っている。

(2017年11月9日に撮影)

私は現在九州に滞在している。

初歩的な断食行為や、軽いお勉強会などをしながらパートナーと共同生活をしているのだが、基本的には自由気ままで穏やかな時間を過ごさせていただている。

楽しみは「食事の時間」という平凡な状態だが、何気ないことがとても幸せに感じられるのは素敵なことだと思う。

若い頃は刺激を求めていたと思うが、現在は穏やかな時間の方が心地よい。

ちなみに間食にお菓子を食べすぎて「お菓子禁止令」が発令となってしまった。

 

まるで子供だ。

 

暇さえあればグリコの『ビスコ』を食べていた私が悪いのだが、食べたいお菓子が自由に購入できる大人はとても厄介なのだ。

「おいしくてつよくなる」はずが「おいしくてだめになる」とは困ってしまう。

食べすぎて本当に駄目になってしまったことが切ない。

このままでは再び断食をさせられそう。

仕方ないので「キャラメルコーン」でも食べておこう。

 

現在のところ12月上旬から数日間かけて九州内の「全ての県」を巡るつもりだが、流れ的には海側(外周)を1周するような状態を予定している。

今回はその「準備」として九州の中心あたりにパートナーと祈りに行った。

イメージとしては九州全体を囲むように祈りによって各地に光の柱を建てていく。

そして最初に建てた「中心の光の柱」とつながり、最終的には「九州全体が光に包まれる」という壮大な作業だ。

ちなみにこれは私とパートナーとの「二人の世界」の話で、本当に世界に影響があるのかは全くわからない。

極端な話、私とパートナーの「勝手な妄想」みたいなものだ。

 

「日本国内で実際に行う活動が勝手な妄想なの?」

 

たとえばインターネット上で、スピリチュアル系の仲の良いグループが日本各地に出向き「〇〇様という神様の封印を私たちで解除しました!」みたいな記事を見かけることがたびたびある。

不思議なことに全く別の仲の良いグループが全く同じ場所で「〇〇様という神様の封印を私たちで解除しました!」という記事を書いていたり、全く別の場所で同じ名前の神様の封印を解除したという記事を見かけることがある。

昔からそんな記事を見ていて思うのは「様々な人達がなぜ同じ神様の封印を何回も解除しているの?」ということなのだ。

 

むしろ誰かが封印解除したと言っているのに、別の人たちも同じ場所で封印を解除したりしているわけで、極端な話「みんなで封印解除ごっこ状態」ともいえる。

そもそも本当に神様は封印されているのか確かめようがないわけだ。

本人たちが楽しければそれで良いとは思うが、正直なところ「みんな一体何をやらされているの?」と疑問に感じていた。

行動に全く意味がないとはいえないが、果たしてどれだけ世界に影響を与えているのかと考えると微妙な気がする。

 

あくまで私の仮説だが、その人のレベル(成長状態)によって、そのレベルに応じた世界が存在する。

見た目は全く一緒の世界だが、「実は全く異質な世界がいくつも存在している(パラレル的に存在する世界)」という状態だ。

たとえばスピリチュアル系で仲の良いグループは、「似たような波長を持つ人たちの集まり」だと思う。似たようなレベル同士が仲良く集まっているからこそ「そのレベルに応じた世界で仲良く活動できる」というわけだ。

つまり「〇〇様という神様の封印を私たちで解除しました!」というのは、あくまで「その人たちのレベルの世界で起こした作業」にすぎず、別のレベルの世界にいる人達にしてみれば、ある意味「勝手な妄想」での活動にしか思えないかもしれない。

なぜならば「そもそも活動している世界が違う」からだ。

そう考えると「みんなで封印解除ごっこ状態」は、活動している本人たちにしてみれば「紛れもない事実」だが、あくまで「ある世界(パラレル)で起こっているらしい出来事」程度にすぎない。

 

個人的に一番不思議なのは様々な情報が記録されているインターネットの世界だ。

人それぞれの世界(パラレル)が違えば、世界が違うので「記録情報も違う」はずだが、インターネット上では全てつながっている気がする。

インターネットそのものが「視覚化された集合意識の集合体」みたいな存在だが、考えれば考えるほど謎が多い。

たとえばネット上で情報検索すると「その人のレベルに応じた情報にしかたどり着けない」のだ。むしろその人がレベルアップしたらさらに深い情報を検索できるようになる。

これを「シンクロニシティ」と説明してしまえばそれまでだが、本当に不思議なことだと思う。

 

さて、今回の旅で私とパートナーが向かったのは宮崎県の高千穂周辺だ。

「天孫降臨伝説」で有名な場所のひとつだが、日本各地で天孫降臨伝説の場所が存在するので嘘か本当かはわからない。

むしろ「タイミングが違う」だけで日本各地で天孫降臨のようなことが実際に起こっていた可能性もあるだろう。

歴史上では1回しか起こっていないような風潮があるが、似たようなことが太古に数回あってもおかしくない。

ただしあくまで「伝説的な物語」にすぎず、現代人にしてみればそれが事実かどうかに関しては正直なところどうでもよい気はする。

ちなみに高千穂周辺に行っているのだが、有名な「高千穂神社」や「天岩戸神社」には寄っていない。

決して悪い場所ではないのだが、もはや「単なる観光名所」のような状態になっているのだ。

必要性を感じたら祈るために寄るのだが、今回は素通りになってしまった。

 

【宮崎県】 「秋元神社」

 

高千穂観光協会 「秋元神社」

 

高千穂神社の奥宮や、元宮などの噂があるようだが、実際どうなのかはわからない。

しかしながらパワースポットとして考えるならば、間違いなく秋元神社の方が素晴らしいと思う。

私は2017年5月に一度訪れているので今回が二度目になる。

ちなみに自動車で行く場合、あまり人が来ないような山道を30~40分間ひたすら走る必要があるので簡単には行けない場所だと思う。

むしろ自動車がないと行けない場所なので、観光目的程度の人は訪れることはまずないだろう。そのおかげで「知る人ぞ知る秘密の神社」のような状態になっており、土地の素晴らしい気が現在も守られていると思う。

あまり有名になって欲しくない神社のひとつだ。

 

 

【宮崎県】 「荒立神社」

 

高千穂観光協会 「荒立神社」

荒立神社 ウィキペディア

 

高千穂周辺では有名な神社だと思うが、祭神は導きの神である「猿田彦命」様と、芸能面の神である「天細女命」様となっている。

私は10年前に一度訪れていたようで今回が二度目だが、見た目的に「小さい神社であまりインパクトがない」ため完全に記憶から消えていた。

今回は「才能」に関してこの神社に寄ったのだが、今後は宇宙的なジョークセンスに恵まれるだろう。

「ギャラクティックギャグ」を楽しみにしていただきたい。

ちなみに一番驚いたのは「おみくじ」が20円なのだ。

「おみくじ(通常)」「子供みくじ」「恋みくじ」の三種類があるのだが、各種1回20円という破格となっていて、まるで駄菓子屋のノリだ。

2000円あれば100回もおみくじが引ける!

「当たり」がでるまでチャレンジする価値はあるだろう。

 

 

 

 

【熊本県】 「幣立神宮」 

 

幣立神宮 ウィキペディア

 

世界各地から様々な人々が参拝に訪れる「幣立神宮」は年々有名になってきている神社だ。

私が約10年前に訪れた時はどちらかといえば穴場的な神社の状態で「その神社は地図上のどこに存在するの?」みたいな状態だった。

2017年5月にも訪れているので、私自身は今回で三度目になる。

ちなみに私の予定では九州の中心部となる光の柱の場所が幣立神宮だ。

パートナーと相談して今回は本殿で祈るだけになった。

もし幣立神宮に訪れる機会があれば「本殿」と、境内にある「東御手洗社(八大龍王)」と「天御中主命の御陵(お墓)」にも寄られることをオススメする。

 

 

余談だが私は「誰かが来た」とか「誰かがいる」とふと感じることがある。

残念ながら私はそのエネルギー体を視覚的に見ることは一切できない。

そして奇妙なことに気配のようなものは一切感じず、「気」のようなものも全く感じない。そもそも空間に変化が起こっているなども全く感知できないほどの凄く不思議な状態なのだ。

しかしある時に「あれ?いま何かいる」とふと思う。

そして「ある方法」で実際に何らかの存在がいるか確かめるわけだが、「何かいる」と思った時は、確かに「何らかの存在」が来ているようだ。

私のパートナーは訪れている存在を感知できるので、困ったときは「誰か来ているようだけど、正体がわかる?」と調べてもらっている。

ちなみに私の部屋に「宇宙から様々な訪問者」が毎晩訪れて、それが一か月間ほど続く時期もあったが一体何をしに訪れていたのかいまだに謎のままだ。

タコの姿ような宇宙人(?)も訪れていたようだが、私自身は姿が見えないのが救いだった。むしろ見えたら怖すぎて部屋から逃げ出したと思う。

「目覚めよ!スターシード」

 

偶然目にしたものがその人にとって大切なアドバイスをもたらすことがある。

「シンクロニシティ(共時性)」などと表現され、スピリチュアル系などを好む人にとっては、日々の生活において「シンクロお知らせ」は当然のことのようになってくるだろう。

たとえば今回の記事に関して私は最初に「目覚めよ!」と書いた。

 

「あなた」のために意図的に書いたのだ。

 

あなたが目にするのはいつかはわからない。

しかし、あなたがこの記事にたどりついたのは決して偶然ではない。

あなたはこの時、このタイミングで必ずこのメッセージを見る必要があったのだ。

自分の内側を見ていただきたい。

活かしきれなかった「あなた自身の才能の存在」に気づけるだろう。

 

無関係な人がこの記事を読めば単なる妄想と感じるかもしれない。

しかし私は「この日」に「このメッセージ」を書くべきという受け取りが数日前にあったので、今回この記事を書いている。

もしかしたらあなたにとって意味のあることかもしれない。

 

私はスターシードを目覚めさせる役目もあるらしい。

自らその役目を望み地球に来たらしいが、残念ながら完全には記憶が蘇っていない。

現在のところ営利目的の活動は一切しておらずひっそりと活動しているだけだが、とりあえず「始動」のご挨拶だ。

これから徐々にスターシードたちが活躍しやすい状態になっていくらしい。行くべき道がわからない人には、行くべき道を示す存在との出会いが与えられることだろう。

選民的な思想とは全く違うのだが、「個々のやるべきこと」がやりやすくなるような世界の到来だと思っている。

様々な学者たちが研究や実験を重ねて様々な「発見」をしている。

そのおかげで現代の私たちであり、人間社会は進歩し、生活面でも非常に助けられている。

地球や人類の脅威となるほどの危険な発見もあるが、「人間に発見された」ということは何らかの意味があり世に必要なことだからだろう。

 

たとえば重力というものがある。

おそらく最初に重力的なものが発見された時は、わずかなことしかわからなかったはずだ。

それが学者や科学者たちによって研究、そして仕組みなども解明されながら年月を重ね現在に至る。

しかしながら人間の発見というものは「あくまで憶測的な状態」で、実は「間違っている」ことも数多く存在するだろう。

そのため数十~数百年後になって「現在の常識」が「間違った過去の常識」として突然変わることもある。

 

ひとつの例だが、スピリチュアル系の人の場合、知識を深めていれば「人間は猿から進化した」という一般常識は、おそらく全く信用してはいないだろう。

少なくとも私自身は「猿が突然人間に進化するなど絶対にあり得ない」と思っているのだが、「ダーウィンの進化論」が根強く残っているせいで、人間社会は現在も人間は猿から進化したと信じている人が多い。

人間社会に染まると「そう教えられたから」という知識が全て真実になるわけだ。

太古だから確かめようがない部分もあるだろうが、いつか突然常識が変わるかもしれない。

 

さて、様々な発見が存在するが「すでにある」ものを人間は発見しているだけにすぎない。

地球上で常に働いている「様々な法則的なシステム」を人間は作っていない。

「すでにあるもの(システム)」を論理的に説明できるように探求し、解明しながら「発見と表現しているだけ」なのだ。

そして発見、解明されていないシステムに関しては、感覚的に「すでに利用している」という状態になっている。

たとえば重力があるが、重力について詳しく解明されていなくても、おそらく多くの人は「重力的な影響が存在している」ことを感覚的に知っている。

つまり人間は「地球上の様々な法則的なシステムの中で当然のように日常生活している」が、学者などの一部の人々が法則的なシステムを必死になって解明しようとしているだけにすぎない。

その行為は決して無駄ではないが、その反面「科学的に証明されていない」ということが原因で、感覚的に利用し理解している「すでにあるシステム」をまるで妄想扱いする状態は困ったことだと思う。

 

本題に入る。

スピリチュアル系などでは本人の「気づき」を大切にしている。

「私」の内なる気づきが、「私」の外部の世界へ変化をもたらす。

つまり「自分自身(私)」を取り巻く世界や環境を本気で変えたいのであれば、外部に行動を起こすのではなく、自分の内部に「気づき」を増やすべきなのだ。

外部の世界の何が変化するのかはその人それぞれなのでわからない。

しかし小さな気づきひとつで、その瞬間から世界が一変することもあるだろう。

 

さて、人間は外部から知識を得ることによって様々なことを「知る」ことができる。

情報量を増やすほど知識を深めることが可能となり、より多くのことを知るきっかけも増えてくる。

知識を増やしている段階で偶発的に気づくこともあるかもしれないが、「あ!わかった!」と自ら腑に落ちる瞬間を体験して、本当の気づきになると思うのだ。

むしろその「気づきの瞬間」のために人間は様々なことを経験し、様々な知識を外部から吸収する「作業」をしているのではないかと思う。

 

知るためではなく気づくため

 

単純な違いだが性質的には全く違う。

内なる気づきとは「すでに内側に答えがある」状態だからこそ起こり得る。

つまり人間というものは「すでに私は全てを知っている」状態なのに、一時的に忘れているだけの状態ではないだろうか。

むしろすでに完成された状態で生まれているのに、完成された状態を思い出すために内なる気づきを求めて成長していく。

それはまるで学者たちが「すでにある」ものを必死になって発見している状態に近い気がするのだ。

「弥山」と呼ばれる山はいくつかある。

今回は広島県の宮島にある弥山だ。

宮島にはフェリーに乗って移動する。

 

島に到着してすぐに、まるで鹿のような四本脚の生物に襲撃される。

「なんだこの生物は!」

私のサードアイでは「たぶん鹿だ」と反応している。

そして私は鹿のような四本足の生物に「馬」と名付けた。

 

「馬鹿ですか」

 

ええ、馬鹿ですとも。

茶番終了。

 

宮島は観光名所として有名だ。

特に海の上に建っているような雰囲気の「厳島神社」が一番の見所だと思う。

ちなみに神社に興味がなくても、風景を楽しんだり、おみやげ屋を巡ったりするだけでも楽しい場所だと思うが、島の中に水族館まで存在していることには驚いた。

 

私が宮島に来たのは今回が二度目だ。

2007年に一度訪れている。

その時は厳島神社に祈ることを目的訪れたのだが、神社で祈りを終え、帰路のフェリーから「素敵な場所だった」と思いながら離れていく島を眺めていた。

その時に知人からメールが送られてきた。

「宮島までお疲れ様です。弥山どうでしたか?」

メールで気づいたのだが私は弥山の登山を完全に忘れていたのだ。

しかし時すでに遅し。

フェリー上で弥山に向けて祈りながら「いつの日か再び祈りに訪れます」と約束した。

そして10年後の2017年にやっと約束を果たせる時が訪れたのだ。

 

弥山は標高535mらしく、霊山としては低い山ではないかと思う。

正直なところ「今回の登山は楽だろう」と思っていたのだが、時間がもったいないので山頂付近までロープウェイで向かうことにした。

結果的にいえば、日本国内の様々な山に登山しているが、弥山は標高が低いのにかなり大変な山だと感じた。

急な斜面が多く、石段ばかりのため足にかなりの負担がかかる。

実際のところ私は3~4時間早歩きの状態が続き、宮島を出る頃には足の痛みがひどいことになっていた。

もし弥山に行かれることがあれば行きだけでもロープウェイの利用をオススメしたい。

 

さて、今回宮島で訪れた場所だ。

島内には様々な神社仏閣があるが、訪れる場所についてはパートナーに相談し、「必要最低限の場所」だけにしている。

そのため厳島神社の奥宮「御山神社」などは神社の前を実際に歩きながらも、あえて素通りしているのだ。

余分なエネルギー干渉を避けるためだが「せっかくこの地に訪れたのに」と悔やむことはたびたびある。

 

【広島県】 「弥山山頂」

 

弥山 ウィキペディア

 

「弥山に光の柱を建てる」ために今回の一番メインとなる目的場所だった。

そもそも私は登山が好きではなく、むしろ疲れるだけで嫌いなのだが、「山頂に神がおられる」という一説もあり、祈るならばできるかぎり山頂が好ましいと思っている。

 

 

【広島県】 「弥山本堂(虚空蔵菩薩)」

       「霊火堂」

 

「本堂」の前にある「霊火堂」は1200年以上も燃え続ける「消えずの火」があるのだが、霊火堂周辺に行くと凄く強力な浄化力を感じて驚いた。

ちなみに私の場合だが「消えずの火」に祈った瞬間、「ハート(胸)」に火が点火されるイメージを受けたのだが、とても面白い場所だと思う。

弥山に行く機会があればぜひ訪れてみて欲しい場所だ。

 

【広島県】 「奥の院(弥勒菩薩)」

       「奥の院(白姫)」

       「奥の院(大師堂・弘法大師)」

 

私以外にもたくさんの登山客がいたのだが、「奥の院」まで訪れた人は私だけだったので、かなりマニアックな場所だと思う。

奥の院の一番奥には「大師堂」という「弘法大師(空海)」様を祭っている場所があるのだが、ある意味弥山のゴール地点だと思う。

 

【広島県】 「厳島神社 客神社」

       「厳島神社 本殿」

       「厳島神社 大鳥居」

 

公式サイト 「厳島神社」

厳島神社 ウィキペディア

 

日本各地に様々な神社があるが海の上に存在する神社はごく一部だ。

そのため存在そのものが絵になる。

ただし完全に観光名所の状態になってしまい、参拝目的ではなく、神社の中で騒ぐだけのような人が大勢いるのは困ったことだと思う。

 

今回は一番最初に弥山の山頂でお祈りしてから、徐々に下っていくという流れで動いた。

そのため厳島神社が最後の場所になったわけだが、神社周辺は観光名所のこともあり飲食店などがたくさん存在するわけだ。

神社を目指している私の頭の中に声が突然聴こえた。

 

「カキが私を呼んでいる」

 

カミじゃないのか?

「神」様よりも「牡蠣(カキ)」様の誘惑の方がよほど強力なのだ。

焼き牡蠣を堪能したおかげで、宮島の良い思い出が増した気がする。

今度は「牡蠣フライ」を食べるために訪れたい。

 

カミじゃないのかよ!

 

古代では九州のことを「筑紫島(筑紫洲)」と呼んでいたそうだ。

そのため今回は記事のタイトルを「筑紫」にした。

「九州」でも問題はないが、「何となくそれらしいタイトル」にしたい年頃なのだ。

 

ちなみにかなり昔の歌になるが工藤静香さんの作品で『MUGO・ん…色っぽい』という曲名がある。

しかしその曲名が『無言色っぽい』であれば全く色気を感じない。

むしろジュゴンを人魚と間違えて『ジュゴン色っぽい』の方がよほど色気がある。

つまり感性を刺激するような微妙な雰囲気の違いが大切なのだ。

 

「つまりそんな感じだ」

 

前置きはここまでにして九州に行ってくる。

私は勢いとノリで行動するのだが今日か明日には出発する。

「ちょっと近所のコンビニまで行ってくる」というノリで、片道約1000km程度なだけだ。

 

「…うわ!くじけそうなほど遠すぎる!考えたら熱が出てきた」

 

くじけるな。

九州に住む友人のところで2~3週間ほど滞在する予定で、目的は「体質改善」と「様々な学び」のためだ。

さらに数日間かけて友人と九州地方を1周しようと思っている。

友人がいるため今回は登山はしないと思うが、各地の神社を巡る予定だ。

場所によっては教会も巡りたいと思っている。

日本各地に宗教上の教会はたくさんあるのだが、観光名所を含めて素晴らしい教会があるとすればやはり九州かと思う。むしろ日本人で実際に教会に行ったことがある人はそんなにいないのではないだろうか。

2007年に訪れた際、祈った後で撮影した長崎県の「大浦天主堂」

 

日向(現在の福岡県)は天孫降臨伝説で有名な場所となっている。

そして日本全国で考えても九州地方には素晴らしい神社が集まっている気がするのだ。

私は10年前の2007年に九州地方を祈りの旅で巡ったことがあるが、いつか再び訪れて様々な地を巡りたいと思っていた。

今回その機会をいただいて大変感謝している。

ライトワーカーらしく九州の各地に祈りで光の柱を建ててこようかと思うのだ。

 

「月に代わってお仕置きよ!」

 

お仕置きしてどうする。

ちなみに九州自体には2017年5月からすでに2回訪れていて、今回が3回目だ。

ただし神社に関しては福岡県の「宗像大社」、熊本県の「幣立神宮」、宮崎県の「秋元神社」しか訪れていない。

そのため今回こそ本格的に様々な地を巡りたいと思っている。

旅中もブログの更新はたびたびするつもりだが、旅から帰ってきたら本格的に新しいブログに移行する予定だ。

 

 

 

子供の頃からオカルト系に興味があったが、いつかやってみたいことに「幽体離脱」があった。現代においては「アストラルトラベル」と表現するのかもしれない。

 

「子供時代から幽体離脱してみたいとは頭が大丈夫なのか?」

 

…おそろしい子!(白目)

大人になった私が心配になってくる。

ちなみに子供時代の愛読書は学研のオカルト情報誌『ムー(MU)』だった。

最近も本屋でたまに立ち読みしているが本当に面白い雑誌だ。

書かれている内容を信じていたら何回地球が破滅しているだろう。

何回人類が絶滅しているだろう。

「もうすぐ絶滅するする詐欺」の内容を数十年間繰り返している。

しかしながら霊能力開発や、超能力開発などマニアックなことについて数十年前から触れていることは凄いことだと思う。

そして事実としては現在も「廃刊になっていない長寿雑誌」なのだ。

昔から本屋の片隅に置かれているほどのマニアックな雑誌だが、実際のところ「世の中に必要な本」だったのだと思う。

 

私は『ムー』が原因で大きな池や大きな湖を見ると「絶対に謎の巨大生物がいる!」とワクワクしてくるとてもロマンチックな大人に育ってしまった。

若い頃に「エチゼンクラゲを見に行こうぜっ!」と熱くデートに誘ったら、容赦なく却下されたことが懐かしい。

ちなみに「巨大クラゲを見たくないですか?」と女性に街角アンケートをすればおそらく「100人中に2人ぐらい」は見たいはずなのだ。

そして女性と街を歩いていても「この中に人間じゃない存在が絶対に混じっている」などとデート中に当然のように発言するわけだ。

そんな中二病のような発言をして「ドン引き」されたことはないが、もはや相手にされないことはたびたびあった。

つまりちょっぴり変な人なのだが、全ての原因は学研の『ムー』なのだ。

『ムー』が全部悪い。うん、きっとそうだ。

 

「むぅ」

 

大人になった私だが、残念ながら意識的に幽体離脱はできない。

ちなみにいろいろな実験はした。

幽体離脱専門の「音(音楽)」を視聴するという方法も試した。

(ただし「ヘミシンク」ではない。ヘミシンクに関しては私の場合「使用禁止」と天からブレーキをかけられている)

寝ている状態で、目の前にもうひとりの自分をイメージで作り上げ、そのイメージの側に入れ替わるなど「基本的なやり方」も試した。

ボイスレコーダーに「催眠」を自ら吹き込んで、それをイヤホンで聴きながら「意識が起きたままで肉体を睡眠させる」などもした。

その時は肉体だけが睡眠するため自分の寝息やイビキを「自分自身が聴ける」ようになったが、結果的に「それだけ」だった。

つまり結果的に成功は一度もない。

 

ちなみに私の経験上だが「死ぬほどの体験(経験)」を過去にしたことがある人は幽体離脱をしやすくなっている気がする。

本人は完全に無自覚だと思うが「生霊(?)が飛びやすくなっている」ような気がするのだ。

死に近いことを体験したことが原因で「肉体と離れやすくなっている」のかもしれない。

 

さて、今朝のことだが、起きた瞬間に「あれ?寝ている間にどこか行ってきたかもしれない」と思った。

実は二度寝していたのだが、最初に起きた際に「現実」と「不思議な世界」が曖昧になっている感覚があったのだ。

しかし寝ボケ気味でまだ眠たかったので再び寝てしまった。

 

完全に目覚めてからブログをチェックして、他の人のブログを見に行った。

私がコメントを残したブログの方から、コメントの返答があった。

「私が夢に現れた」そうだ。

内容的には「見たこともない人が夢に現れて、起きたらブログにコメントが残されていた。そしてコメントした方のプロフィール写真を見たら夢の人だった」という状態だ。

夢に現れた人が「私」のようだが、もちろん私は一切無自覚だ。

その方のブログを読んだ際に眩しいほどの輝きを感じたので「この人は素晴らしい」と感じて私はコメントを残したのだが、その後で夢の中にまで挨拶に行っているとは思いもしなかった。

 

少し驚いたのだが、実はこんなことが何度もある。

 

昔から友人や、親戚などから「昨日夢に出てきたよ」と突然言われることがあった。

それは何回とかではなく、何度もなのだ。

無自覚な私は「え?夢の中で何か話してた?」と尋ねるのだが、会話の内容などを覚えている人はほとんどいなかった。

しかしいろんな人の夢の中に私はたびたび登場するようだ。

自分自身もその意図が全くわからないのが困ったものだ。

 

そしてツインレイとの出会いに関しても凄い。

私と私のツインが直接会って交流したのは2017年だ。

しかし最初のきっかけは約8年前で、インターネット上のチャットでの出会いだった。

 

約8年前に「YAHOOチャット(当時存在した)」というチャットルームの「霊能部屋」という場所で、偶然何度かチャットしていたのだ。

ちなみにチャットで口説いたりしていたわけではなく、霊能力についてなどの話をしていただけで、彼女は私の本名も、住所も、連絡先も全く知らない。当然私も彼女のことは全く知らない。

そしてある時に私はチャットルームから突然姿を消した。

彼女はそれ以来私を探し続けて、約8年後に再び現れた。

約8年前にチャットしていたという女性が「あなたを探していた」と突然現れるわけだ。

独身の私にしてみれば正に「運命の出会い」だった。

 

ちなみにチャットしていた時の私のプロフィールに記載してあった「神社巡りのブログ」だけが唯一の頼りだったそうだ。

しかしそのブログでの活動はすでに休止していて更新することもなく2017年まで完全に放置していた。

それでも私を探し続けたのは、「私の霊体」が彼女のもとへたびたび会いにいっていたそうなのだ。

そして私の霊体が彼女に対して様々なことをいろいろ指導していたらしい。

その結果、彼女はかなり成長したらしく、現在の私がむしろ「ダメダメ男性ツイン」な状態になってしまった。

ドラマチックな話だが、本人の私は全くの無自覚なので「霊体のナンパ?」と思っている。

ナンパのような状態だとしても、実際にツインレイの相手を見つけているわけだから霊体の私が必死に彼女を口説いていたのかもしれない。

 

「でかしたぞオバケ!」

 

…オバケじゃない。

ちなみに私の霊体が彼女に対して様々なことを指導したらしいのだが「現在の私が知らない」こともいろいろ伝えていたようなのだ。

現状としては、むしろ私が彼女からいろいろ教えてもらっている状態だ。

本体の私が知らないことをどうして彼女に伝えることができたのか不思議だったので調べてみると、「(現在から)約1~2年後の成長した私」が未来から霊体を飛ばしていたようなのだ。

つまり「未来の私」が彼女を育て、育った彼女が「現在の私」を育てるという奇妙な状態だが、お互いに成長の手助けをするというツインレイの相互関係を考えるとこういう不思議なパターンも存在するのかもしれない。

たとえるならば…

 

『ドラえもん』的なパラレルワールド

 

ロマンチックなどあったもんじゃない。

しかしながら常識はずれすぎて完全に異例な状態だと思う。

単なる妄想かもしれないが、個人的には約1~2年後の自分がどんな状態に進化しているのか楽しみだ。

私としては「スプーン曲げ」をできるようになりたい。

飲食店などに行って「あ、すいません。思わず超能力でスプーンを曲げてしまいました」と店員さんに伝える。

 

「…か、かっこいい!」

 

私は寝ている間に無自覚でいろいろな所に行っているようだ。

ある意味何をしているのか保護者の私が全くわかっていない。

知らない間に人様にご迷惑をおかけしないか心配なのだ。

万が一読者さんたちの夢に突然現れたら申し訳ない。

 

いまだに気にかかることがある。

子供時代のことだ。

同級生の友達から、「昨日の夢に竜王の姿でオマエ(私)が突然現れた」と言われたのだ。

おそらく『ドラゴンクエスト』のキャラクターである「りゅうおう」のことだと思うがなぜその姿なのかはわからない。

その時は「わけがわからない」と笑っていたのだが、大人になって「あの時の言葉って…」とふと考えることがある。

 

 

『ドラゴンクエスト』の「りゅうおう」の絵。変身前と変身後だが、なぜ突然言われたのか謎。

 

ブログを開始してから、偶然をきっかけにソウルメイトさんと出会うきっかけをいただいた。

この世には偶然などなく、必然のタイミングだと思う。

何回か交流させていただいているのだが、とても大切な友人で、出会えた縁に本当に感謝している。

その方は女性なのだが、ツインレイ(ツインソウル)の彼氏の方がいる。

私自身は未熟者だがご相談を受けて、できるかぎり真剣に「私なりのアドバイス」をさせていただいている。

そして最近のことだが「霊性開花」について質問があった。

 

質問内容

『ツインの統合にはチェイサー(私)の霊性開花が鍵だというのですが、霊性開花ってなんでしょう?見えないものが見えるようになるとかだけが、霊性開花ではないですよね』

 

正直なところ私自身「霊性開花とはこのことなのかな?」といろいろ考えながらメールで返答させていただいた。

(ちなみにツインレイに関して「男性性」、「女性性」の統合などについては一切触れていない)

正しいことを本当に伝えているのかは保証が持てないし、なるべくわかりやすく伝えるために内容は「かなり簡略化」している。

そのため詳しいことを知っている人にしてみれば、説明不足や、表現の誤りなど感じるかもしれない。

しかしながら何か少しでも今後の参考になればと思って、私なりにわかるかぎりのことをまとめて伝えているつもりだ。

ちなみに最後の方で友人に「キーワード的なアドバイス」を伝えているが、これに関しては「私の能力」で相手の情報を読みとって伝えているので、決して適当な思いつきで発言しているのではない。

それと友人のツインの彼氏の方が「社長」をしておられて「自分の城が欲しいと家を建てた」らしい。そこで「城について」も私なりの意見をお伝えしている。

 

さて、私のブログは『まだ「私」は死なない』だが、これは自殺志願者的な意味ではない。

顕在意識である「私」が暴走し、自分の本来の姿を邪魔しているので「まだ私(顕在意識)が消えない」という意味を込めている。

私生活において顕在意識が消えることなどないのだが、友人に送った「霊性開花」についてのメール内容が、正に「この意味」を伝えている。

現在のブログはもうすぐ終了の予定だが、いつか「タイトルの意味も書きたい」と思っていた。

そのため良いタイミングと感じて、友人へのメールを転載しようと思ったのだ。

 

今回の記事は友人には許可をもらって「私が送ったメール」をほぼそのまま転載する。

ただし友人の名前は「Tさん」に変更させていただく。

ブログで書いている文章と全く違う印象を受けるかもしれないが、普段の私はメールの文章のような状態だ。

 

【転載はここから】

 

霊性開花についてですね。
あくまで私の意見ですが何らかの参考になればと思います。ただし私も勉強中ですし、人間レベルでの判断ですから決して「鵜呑みにしない」でください。

まず見えないものが見えるうんぬんは「霊能力開発」であり「霊性開花」とは違う気がします。
私も霊が見えたりするわけではありませんし、そもそも「見えないものが見えるのは良し悪し」だと思います。
「何らかのエネルギー体」は存在していると思いますが、それを「映像化(霊視)」してみているだけで、実際のところ「本当の姿」は一体何か全くわからないと思います。
ですから「神々しい姿」の存在が霊視で見えたとしても、本当に神々しい存在なのかの判断は怪しいものなのです。
しかし人間は「目に見えたもの信じてしまう」わけで、時に騙されてしまいます。
ちなみに「神」、「天使」、「仏」、「明王」、「龍」、「妖精」、「悪魔」などの非常識な存在を実際に見える人は世の中にたくさんいますが、「見える?だからどうした?」なんですね。
話のネタとしては面白いかと思いますが(笑)

見えない存在の「声」が聴こえるなどの「霊聴」も同じですが、聴こえるからといって「声を鵜呑みにする」と危険な方向に進まされることもあると思います。
そもそも「声の正体がわからない」からです。
ただし、〝もしも″ですが「チャネリング」ができるようになってきた場合、チャネリングによって有益な情報も得られることもあると思いますので、「声を一切信じるべきではない」というわけでもありません

一番大切なのは「自分の感覚」だと思います。
「これは信じられる」「これは信じられない」などの「自分の感覚」さえしっかりしていれば「霊視」や「霊聴」などの霊能力的な能力は一切不要だと思います。
できるならば「直感」を活かすことができるようになれば最高かと思います。
思考を超えた「答え」を知っているのが直感で、むしろ一番信じられるのが直感です。

極端な話、段階が進めばシンクロによって「全ての存在」が様々な情報、機会、縁などを自然と教えてくれるようになりますので、それを自分がキャッチできるかどうかが一番大切かと思いますね。

ちなみに私は様々な霊能力者や超能力者に出会ってきましたが、だいたい皆さん同じことを言います。
「実生活で能力の使い道がほとんどない」
冗談みたいですが実際こんなものです(笑)

さて、霊性開花とは何かですが、おそらく言葉で表現すると「霊体主従」のことかと思います。
「惟神・随神」(かんながら・かむながら)という表現もありますが、これは簡単に説明しますと「内なる神と共に歩む道」、「神意に従って生きる」などになりますね。

「魂の存在を最も大切にした生き方」が簡潔で適切なのかもしれません。

ご存じだと思いますが「顕在意識」で人間は行動しています。
「私」が常に思考し、常に判断し、常に選択して日々生活しているわけですね。
それを「手放す」というか。
しかし完全に手放すと日常生活は無理だと思いますし、「潜在意識」だけでは行動が伴いません。
ですから「一切何もしなくなる」というわけではありません。
問題は「人間社会重視」で生きているために、「顕在意識(私)は人間社会での生き方を優先している状態になっている」ということです。

「正しい」「間違っている」の判断も人間社会での常識が基準。
「勝ち」「負け」の判断も人間社会の常識が基準。
「欲しい」「欲しくない」の判断も人間社会の常識が基準。
「必要」「不要」の判断も人間社会の常識が基準。

この他にも様々なことがあると思いますが、人間社会で活動している以上、人間社会での常識に沿った行き方を「選択」していくことになります。
そして「欲望の方向性」も人間社会に染まっていきます。

さて、魂は人間社会の常識を重視しているでしょうか?
おそらく人間の顕在意識のようなジャッジは一切しないのです。

人間は生まれてくる前に何らかの「人生の使命」を持ってくるという説があります。
この話は事実かわかりませんが、カルマなどの引継ぎを考えると、おそらく「使命」や「役目」のようなものは何かしらある気はします。
そしておそらく「魂の願い」もあると思います。
ツインレイの出会いなどは本当に良い例でしょう。
さらに人生とは「魂を磨くため」と言われています。
これを「魂の修行」と受け取るのかわかりませんが、とりあえず「魂」の存在を信じるならば「魂を優先」した生き方に変えていくべきかと思います。
正にスピリチュアルです。

しかし困ったことに「私」という顕在意識は自分の人生を「私重視」で過ごしたくなってしまうのです。
魂の存在を忘れがちとなり、顕在意識(私)が自分勝手に暴走を始めます。
ですからコントロールを「手放す」必要性に自ら気づくことが必要なのです。

「魂(従)」を優先せずに「私(主)」が中心になった場合「肉体主従」になります。
「◯」の状態です。

「魂(主)」を中心にして「私(従)」も生きるとなった場合「霊体主従」になります。
「⦿」の状態です。

中心に「魂(主)」という大切な存在をしっかり保つ生き方ができるようになってくると、自分を含め、様々な変化が周囲で起こりはじめます。
良い意味で「魂に全てを任せる」ことにより、人間社会の常識ではありえない「魔法のような出来事」が起こりはじめます。
周囲に対する感謝も増え、自分自身も愛せるようになり、その結果、自分の周波数(波動?)が上がっていく。
自分の波動が上がると、さらに周囲も良い状態へ上がっていきます。
良い流れが循環していくわけですが、それが「霊性開花」だと思いますね。
その過程で「霊能力の開発」にもつながることはあるようです。

ちなみに厳密にいうと波動を下げないために「肉を食べるのを禁止」など方法はいろいろあります。波動を上げることに越したことはないと思いますが、生活スタイルをストイックに変化させるのもどうかとは思いますね(汗)

「T」さんの霊性開花のアドバイスですが、「キーワード」を伝えますので、その言葉や内容について自分自身を見つめなおしてみてください。

「変」、「変人」、「変に思われたくない」

とにかく「変」に関することで「強い抵抗」か、「何らかの制約」をご自分にかけておられる気がします。
おそらくスピリチュアル系や、目に見えない世界などに興味はあっても、深みにハマりたくないという想いはあると思うんですよ。
私が言うのも何ですが、スピ系にハマっている人たちって変ですもん(笑)
「常識と非常識のバランスを保ちたい」ということだと思いますが、私自身バランスを保つことは大切にしています。
しかし、霊性開花は「人間意識」を重視することがむしろ邪魔になってしまうので「こういう生き方もあるんだな」程度の軽い感覚で受け入れてみると良いかと思います。

率直に言いますと「T」さんは「変化」を怖がっておられるようです(笑)

ツインの彼氏さんの件ですけど「城を持ちたい」というのは男性なら考えることかと思います。
しかし物質ではなく、「自分自身が城」になることが本当は大切だと思うんですよ。
私の場合「自分自身がお宮(神社)になる」ですが(笑)


たとえば「自宅という城」は大地震でもきたら終わりです。
「会社という城」は経済バランスが崩壊したら終わりです。

 

ツインの彼氏さんは全て「自分の外側」に意識が向かっているようなので、「自分の内側」に意識が向かうことで変わっていくと思うんですよね。
個人競技のスポーツで世界目指せるぐらいの人ということですが、本質部分は「凄く真面目な人」のようですから、本人様に「自分を変える意識」が芽生えたら、本当に人生を一変できる人です。

 

【転載はここまで】

旅から戻ってきて「水(ミネラルウォーター)」を飲むようになった。

むしろ基本的には水しか飲まなくなった。

原因は私のツインだと思うが、「水を飲みなさい」などと指示されたわけではない。

 

私と一緒にいる時にツインが飲んでいたのが「水」か「炭酸水」だった。

ごく稀に「紅茶」も飲んでいたが、ごく稀だ。

私はジュース系を飲んでいたのだが「無味の水って美味しいのだろうか?」と思っていた。

 

ツインと出会った頃によく言われていたのだが、「徹底的に身体をクリアにするように頑張ってきた」らしい。

それは「いつか私と会う時のため」だったらしいのだが、身体をクリスタル化させるために数年前から様々なことをしてきたらしいのだ。

ツインレイ(ツインソウル)などに興味を持っている人であればわかるかもしれないが、女性の方がいろいろと準備が大変だと思う。

それに比べて男性側というのは「ダメダメ」だ。

そもそも男性はスピリチュアル系に興味を持つ人が少ないので、女性に比べて知識や経験が少ない男性がほとんどではないかと思うのだ。

ツインレイの男性を求める女性の皆様に男性側の意見を代弁しておきたい。

 

「最初の段階では男性に期待せずに、愛を持ってダメ男の世話を頑張っていただきたい!」

 

…もしかしてダメ男が私だけであればすいません。

 

私のツインの「選択と行動」は全て「直感」と「エネルギーの高さ」で判断している。

説明は難しいのだが、「人」、「物質」、「場所」、「空間」など全てにエネルギーが存在していて、それを瞬時に判断し「低いエネルギー状態はパス」という選択をしている。

つまり「常にエネルギーが高い状態を選ぶ」ということだが、「常に良い方を選ぶ」と説明した方がわかりやすいかもしれない。

世界というものは一見同じように見えるのだが、実は常に変化しており、「高い状態」と「低い状態」などいくつかの世界が同時に存在している。

(高い、低いというのはあくまでわかりやすくしているだけで、こんな単純な話ではない)

人間には基本的に認知できない「パラレル」の話になってしまうのだが、「なるべく高い状態の世界を進むようにしている」わけだ。

 

ちなみにエネルギーが高いかどうかの判断は自らの身体(肉体)が教えてくれる。

凄く微弱な変化を「胸の反応」で感じたりするわけだが、人間の肉体は「高性能なレーダーのような機能」を持っている。

触れる前に「触れては危険」と身体が反応してくれる。

食べる前に「食べては危険」と身体が反応してくれる。

行動する前に「その行動は危険」と身体が反応してくれる。

おそらく太古の人は「毒」や「危険な物」は一切知識がなくても、肉体の反応によって察知したのではないかと思うのだ。

 

しかし現代の人はその「感覚」をほぼ失っている。

なぜなら「知識」を優先して判断すれば問題なく生活できるからだ。

そして知識だけを優先した結果「身体が鈍化」してしまう。

さらに「心が鈍化」していくこともある。

そして何が起こるか?

 

「何も感じなくなる」

 

この状態になると非常に厄介なのだ。

なぜならば何も感じないので自覚が全くできない。

「これが当然」になってしまうのだ。

さらに厄介なのは「何も感じない」から心の痛みに全く気付くことができなくなる。

自分は大丈夫と信じているのに、実は全然大丈夫ではないのだ。

 

普通であれば怪我をした時に「痛い」と感じる。

しかし無痛状態なら怪我をしても一切何も感じない。

それでも「あ、血が出てる」と気づけばよいのだが、残念ながら心は目には見ないのだ。

知らぬ間に傷だらけになっているのに「痛くないから私は大丈夫」なのだ。

 

「大丈夫のはずがない」

 

2017年の2月頃の私は正に「何も感じない」状態になっていた。

ツインと出会った頃は「アイアンハート」と笑っていたが、実はもはや壊れていただけだ。

そんな状態の私を必死で救い上げてくれたわけだが、もしツインに出会わなければ一生心が鈍化したままだったと思う。

そういう意味で私はとても運が良かったが、心が完全に鈍化した人を救うというのは本当に難しいと思う。

心が閉じた人は「すでに無意識的に強力な壁ができている」からだ。

 

さて、「水(ミネラルウォーター)」を最近飲んでいるが決して美味しくはない。

感想を問われると「水。」と答えるだろう。

味を問われると「水。」と答えるだろう。

水は本当に味気ない答えしかない。

しかしながら少なくとも身体に悪くはないと思う。

人間の成分はほとんど水分のため「飲み水」というのは本当に大切だと思うし、私自身も身体をクリアにするために少しでも何かしようかと思うのだ。

身体をクリアにすると、身体の鈍化を防げるどころか、さらに研ぎ澄まされる。

そしてツインというのは「心」と「身体」にお互い影響を与えてしまうので、お互いクリアになった方が当然良いのだ。

 

タバコは完全に止めた。

ギャンブルは興味がないので一切しない。

お酒はアルコールが苦手なので一切飲まない。

女性関係もツインがいるので問題外。

遊び(?)に行きたいところがあるとすれば神社程度。

そして飲み物は水。

 

私の趣向そのものが年々味気ないようになっている気がする。

欲望を楽しんでいた頃を思い出し「あの頃の方が楽しかったのだろうか?」とふと考える。