テレビを見ての感想ーほかに何もないので。。どこへも行かず、誰にも会わず。。(笑)ニュースで、コメントを求められたどこかの教授が言った、「(これこれに)影響があるかな、と思いますが。。」 このである、聞いていて居心地が悪いのは。自分が言う内容に責任をとりたくない、という気持ちがにじんでいると思う。(これこれに)影響があるかな、と思います、のほうが、ストレートに、専門家としての意見を言っていると響く。あるかな、のは留保である。影響がない、ということもありまっせ、といいたいんだろうが、専門家ってそのレベル??? 専門家の予測は必ず当たる、とは、こちらだって考えてもいませんでえ。それなのに、専門家のほうから予防線をはってくるなんて。ああ、いやだ、、その根性なしの小さい器が大嫌い。(笑)そのくせ、留保のをつけるような話し方をする人間ほど、教授という社会的地位に思いっきりあぐらをかいて、偉そうにしたがるのでは。げっ、げっ、げっ、と一人ぶつぶつ。(笑) 原爆投下をアメリカ人やトルーマン大統領はどう考えていたか、という視点から捉えた特別番組を見た。これはなかなかよかった。トルーマンが原爆を落としたくて落としたくてしかたなくて、落としたわけではないということがよくわかった。人間としては、落としたくないのが人情である。が、大統領ーつまり国を導く者という立場からは、戦争をとめるためにやらざるを得なかった、というわけである。で、戦後、トルーマン?に会いに行った被爆者の人は、実際会ったときに、トルーマンから謝罪がなかったと憤っていたが、番組でトルーマンの人間としての気持ちを表した手紙を記者から見せられると、なにやら言いにくそうになって、やっぱり人としては、どうのこうの、と口ごもっていた。謝罪がない、と憤る自分の気持ちの行き場をなくしたのである。要するに、問題は、大統領という公の立場に立つ人間から、被爆者ー一般人が謝罪を要求するのは無理があるということを理解せねばならない、ということだと思う。大統領対一般人、では、同じ土俵には立ってはいないのだから。原爆に関する言説は、国・政府間の対立、戦争の問題として、という土俵と、人間同士の対話、という土俵の二本立てで、考えていかねばならないのでは思い至った。少し頭の中が整理できたようで、よかったよかった。(笑)原爆投下を正当化するアメリカ人も、1945年は85パーセントだったが、2024年は56パーセントになったとか。原爆投下を正当化するか、という問いの立て方も、土俵が混乱しているような感があるが、少なくとも、人間同士としての対話は続けていかねばならないということではないだろうか。

机上のメモから。明治時代の幼稚園教育について調べていた。フローベルというドイツの教育者が主唱したのが、子供の感性を呼び起こし養う歌唱やリズム活動だったそうな。それまでの幼稚園教育では歌やリズム活動はなかったのか、という問い以前に、江戸時代の日本に幼稚園はなかったような感じ。寺子屋では、読み書きだけしていたのかなあ。歌や踊りを習うのは、舞妓さんになるべく売られた?少女たちだけ??? といった、歴史に興味・関心があるわけではない。「感性を呼び起こす歌とリズム活動ーつまりダンス」の部分で、ボランティアに行っている高齢者センターのクライアントの様子を思い出したのである。要するに、幼児教育から終活を考えたわけで、それが高齢者である証拠。というか、幼児教育と高齢者の活動は同じ性質のもの?(笑)人間は、最後の最後まで、感情が残る、と聞いたことがある。認知症になっても、感情は残っている。歌が人間に及ぼす力は、もうこれまで十分に学んた。歌はすごいーどんなに頭がおかしくなっていても、人は幸せそうに歌を歌うことができる。自分が好きだった歌は、うれしい、幸せ、という感性を呼び起こすようだ。感性とは何ぞや。やっぱり五感に直結している記憶だと思う。AIにはわからないだろう五感。歌は幸せという感性を磨き、音楽にあわせて身体を動かすことで、音楽のリズムと音が、身体のあらゆる部位に呼応して、楽しさと幸せ感が増していくーフローベルが、人生の最終章をみつめている高齢者から幼児教育を考えたのかどうかは知らないけれど(笑)、フローベルは正しかった。ますますボランティアに行くのが楽しくて仕方ない。(笑) その一方で、嘘をつくことに脳は慣れてしまう、という文章も読んだ。普通、嘘をつくと、罪悪感が生まれる。が、ずっと嘘をついていると、脳は慣れてしまって、罪悪感を感じなくなるという。で、平気で、嘘ばっかりつくようになる。ドカスのことだ。げっ。罪悪感もなく、嘘をついているという意識もなく、好きなことを言い放ち、するだけで、何の責任もとれない、とらないポンコツで、もう手の打ちようがないということだ。アメリカも堕ちたものだ。堕ちろ、とことん堕ちろ。わたしゃ、自分がどこにいるかは無視して、ただただ五感を磨く。五感が喜ぶ美しいもの、楽しいものの記憶が生きるすべであり、幸せ感に直結していると思うから。たとえ記憶を失っても、感性、たとえば音感ーは人を幸せにする力をもっている。

ちょこちょこ気になったことをメモる紙きれが、机の上にたまってきたので、一応書いておこうと思う。書くというのは思考のプロセスの一部であり、一度は書いておかねば、脳細胞に残ることがなく、「思いつき」がのちに思考の土壌となって、自らの考え方として成長していくこともないようなので。。。と、勝手に脳の働きを理解したつもりになって書く、自分勝手、自分本位の、どうでもいい日記。。(笑)1 テレビのニュースに出てきた人の言葉ーたぶんインタビューを受けたお店の人の言葉:「ご来場されていただきたい」何これ。。。主体性欠如丸出しの、変な言葉。こういう言葉使いをする人は、敬語をいっぱい使って、視聴者に敬意を払っているつもりーというか、誰からも批判、非難されまいという自己防衛なんだろうけれど、聞いたほうは、日本社会もここまで主体性のない、骨なしの、というか、骨なしを強要される社会になったのか、と愕然とする。50年前のほうがよっぽど骨があったよ。(笑)まず、「ご来場」の「ご」は敬語である。 だから、「ご来場ください、お待ちしています」でいいわけである。で、次の「される」もまた「する」の尊敬、3つめ、「いただく」は謙譲だよねえ。自分を相手より下におく表現をあえてすることで、相手を立てる尊敬、と、トリプル尊敬で、最後にやっと自分の気持ち、「たい」が出てくる。こんな敬語てんこ盛りの言葉使いしなければ、何かと叩かれる社会なの、日本って。。恐ろしいまでの「いじめ社会」だあ。というか、敬語てんこもりは、むしろ慇懃無礼?(悲笑) 「ご来場ください」「ご来場いただければうれしいです」と、なぜまっすぐ言えないのだろうか。おかしな響きの原因の一つは、報道の言葉に体言止め?が増えているせい??? 「台風が接近しています」と最後まで文で言わずに、「台風が」で、アナウンサーが言葉を止めてしまうのである。余韻を視聴者に与えるため??何のための余韻???変な言い方だなあ、と思うようになってもう久しい。 私だけかなあ、変に思うのは。 2 もう一つ変だなあ、と思うのが、テレビに出てくる人が「気持ち」という言葉をまったく使わなくなったことである。みんな「思い」「思い」「思い」。。。聞く方は、気色わる~~~と思って聞いている。これこれ、という「思い」ですねえ、とは言っても、これこれ、という気持ちです、と人は言わない。これこれ、と思っています、考えています、とも言わない。「私の気持ちは、これこれ、です」とは言わない。とにかく、思い、思い、思い。これは、体言止めのあとの余韻に似たもの???「思い」と「気持ち」の違いは何? 「思い」のほうが、どこか突き放したような、客観的な視線を含む?自分を突き放してみているような感じ? 要は、自分の気持ちはこれこれです、こう考えています、とはっきりと明示することはみっともないという気持ちの表れ??? あああああ。。なにかと息苦しい社会になった??? そのくせ、若い銀行員や郵便局の職員は、けっこう平気で、客に向かって、「そんなこと、言ってません」と大きな声で、客につっかかってくるんだよね。(このあいだ、二回も言われたのである、びっくりしたああ。昔は、お客様は神様だ、とか言われてたのに、なによこれ、で、また腹をたてた。笑)まあ、考えようによっては、息苦しいからこそ、逆に、自分が責められていると感じたら、突然、慇懃無礼のごまかしのメッキが落ちて、反動でつっかかってくる??? 最初から、もっと自由に自分の気持ちを出せばいいのに。本音で生きていれば、突然慇懃無礼のメッキがはがれて、客をびっくりさせることもないだろうに。(笑)。。「思い」なんて、気色の悪い、おセンチな言葉に振り回されるな。「私の気持ちは、こうこうです、私はこう考えます」とはっきり言えば、もっと楽に、そして何よりも美しく生きられると思うけどねえ。。アメリカではねえ、言いたくても言えないのが悔しいよねえ、英語がねえ、もう年で日本語も出てこなくなってるのに、なんで英語が出てくる???(笑) 「思い」なんて、英語では通用しないよねえ。。英語で何と言うのだろう、今さら知る必要もないけれど。。(笑)

 

いつも行く日系の食料品店のドアのところに、最近面白い張り紙が出た。英語でながながと書いてある。自分に理解できたと思われる範囲でいうと、まず、店内で他人が写真をとって、その写真をSNS?とやらに載せたとして、その写真にたまたまあなたが映っていて、そのことを知っていたら公表してほしくないのに、公表されてしまったと文句を言っても、店側には何の責任もありません、肖像権が侵害されたということにはなりません、ということらしい。第二に、自分の写真を載せてもらうと了解して、写真をとってもらったとしても(宣伝用に使う、という意味かなあ)、その写真がSNS?に公表されなくとも、店側は責任を負いません、ということらしいが、ちょっと理解がおかしいかな。。英語がようわからん。今度行ったら、もっとていねいに読んでみよう。(笑)つまり、とにかくも、店内にいたあんたのことが、公表されようとされまいが、たとえば店に来ていたことがばれて、いろいろ家庭内の問題に発展したとしても、店側には何の責任もありません、ということらしい。大変な時代になったものだ。みんなが写真家、文筆家の時代である。昔なら、写真をとってもいいですか、みたいに聞くマナーというか余裕もあったと思うが、いまやみんなが勝手にばちばち写真をとって、SNS?に載せる時代で、いちいち聞くこともなかろう。ええっ、知らんまに私の顔が載ってるじゃん、何これ、で、腹を立てる人いるのかも。。SNSというのを見ないし、どこへも行かないから、ようわからん。(笑)でも、カメラがあっちこっちにあるらしい、というのは、もう警察ドラマの話ではない、ということを今回納得した。わが故郷、神戸の殺人事件が全国ニュースで流れたときである。三宮駅の近く、だと聞き、マンションもオートロックで、とか言ってたから、すぐに三宮駅の近くのマンションに住んでる友達のことを思った。でも、テレビに流れた三宮のグーグルマップのような写真によると、どうも神戸市役所の向かい、南東あたりにあるマンションだった。かわいそうに、20代の女の子が殺された、まあ、70を越した友達は大丈夫でしょう、と言えば、怒られるか。(笑)それにしてもびっくりしたのは、2日ほどして、犯人が奥多摩で見つかったことである。えええええ。どうやって、神戸から奥多摩まで、そんなに短時間で犯人を追跡できるの???好きで見ている警察ドラマによると、付近の防犯カメラを全部洗いだせ、と、課長が叫ぶことになる。(笑)コンビニの防犯カメラ、近くにいたタクシーのドライブレコーダー、そういうのを全部集めて、奥多摩まで? 新神戸の駅のカメラにも映っていたのだろうか。すごいなあ。。で、こうなると、食料品店内で写真をとられた、SNSに載っていというのも、立派な証拠になるわけで。。心にやましいことがあれば。。ああ、こわ、こわ。。(笑)というか、もしかして、そういう写真すら、ドカスみたいに、フェイクだ、と言い逃れできる時代??? ああ、こわ、こわ。。私の信条は五感を信じる、である。自分の身体感覚を信じること。誰にも模倣はできない。私だけが知っていること。コンピュータが進歩して、なにやらAIとでも恋人になれる時代だそうだが、案外ねえ、人間の本質や幸せ感はねえ、縄文時代のそれに逆戻りしているかも。氷河期は近い???(笑)

ここしばらく、CNNは見ないことにする。あまりにもバカたらしいからだ。(怒)ドカスが欲しいのはノーベル平和賞。ウクライナとロシアの戦争が続いていようと、本気で、どうかせねば、なんて考えているわけではない。ロシアに向けて言ったsevere consequencesはどうなった。アラスカで会ったあと、停戦にならなかったら、やるとか言ったくせに、全部口先だけ。会談前の脅しは、会議を有利に運ぶため、だっただろうが、プーチンには通じなかった。どうせアラスカで、プーチンに、ロシアでビジネスやっていただいてますから、これからは税金徴収しませんよ、ぐらい、ほのめかされたんだろ。金の話さえ出せば、ドカスは、へにゃへにゃ、にやにやして、何もできなくなる。こんなやつに、外交の権力が与えられている。。。ほんとにバカたらし、で、もうアメリカのニュースなんて見られたもんじゃない。ドカスの会社が今ロシアで何をやってるか、調査報道してみろ。国を売ってる本物の売国奴かもね。(怒)で、アラスカのあと、ノーベル平和賞が欲しいもんだから、かっこつけて、ウクライナの大統領とヨーロッパの首脳をアホ館に呼んだ。自分が仲介役をしてるような恰好をするためである。薄汚い。なにやらウクライナの大統領には、安全保障の確保を約束したような、しなかったような。。ウクライナの領土にアメリカ軍を駐留させるみたいなことも一度は言ったらしいが、それをまた撤回しているのである。みんな知っている、ドカスの言葉には何の意味もないと。何も信用に値しないと。気ままに、言いたいことを言いたいときに言ってるだけである。それが、一国のトップのざまか。ドカスは、ノーベル平和賞をもらうために、ロシアとひそひそ友達ごっこをし、ウクライナの大統領には、かっこつけて仲介役のふりをしているが、ロシアは、侵攻支配した領土を全部とるまでは、停戦など考えていない。外交の仲介役とは妥協点を見出すことだろう。敵対する両者の妥協点を探るような、神経の細かい仕事がドカスにできるわけがない。日本の中学生レベルの英語で相手を脅すだけで、何も具体的な政策を打ち出すことはできない。それだけの覚悟と度量はない。なのに、ロシアとウクライナが同席する3者会談を、やいのやいの吹聴している。プーチンとゼレンスキ―さんが会えば、大喧嘩になるに違いない。ドカスは、へらへらして見ていることしかできない、自分の平和賞のために。バカか。ほんとにかわいそうなのは、ウクライナの大統領である。軍服着て、アホ館に行ったら、しょうもないアメリカのメディアの男(どうせドカスサイドのメディアだろ)に怒られて、今度は、気を使って、黒いジャケットを着てきたのに、「ありがとう」を連発して、ドカスの機嫌をとったが、結局のところ、具体的な成果は何もなし、である。ドカスなんてあてにはできないことは、ようくわかっていても、アメリカをないがしろにできない、アメリカを頼りにするしかないというジレンマ。立派なリーダーをもっているウクライナの人々には、ほんとによかったね、と言ってあげたいが、死の恐怖におびやかされ続けている人々。一方、自分が平和賞をもらいたいばっかりに戦争をもてあそび、自分の無責任な言葉で世界を翻弄し喜んでいる、腐りきった野郎をリーダーに掲げて、えらく自信たっぷりに大きな顔をして悦に入っているアホなアメリカ人ごろごろのこの国。ほんとにうんざり、ほんとにバカたらしい。具体的な進展があるまで、もうアメリカのテレビは見ない。「ノーベル賞、ノーベル賞」とつぶやき続けているドカスの頭の中と同様に、おんなじところをぐるぐる回っているだけだから。ドカスが大きな顔をしてできるのは、意味もなくワシントンDCに軍隊を派遣したり、ブラウンの移民を飛行機にのせて、別の国に追放してしまうといった、国内における憲法違反の巨大ないじめだけである。小さな器の人間を上に据えたら、全部が腐るを証明する、巨大かつ大深刻な事例である。一体この国はどこへ行くのか。(怒悲)

 

日本敗戦の月、8月ももう半分が過ぎた。わが戦争五部作?もこれが最終回。(笑)骨のあるドラマを見た。標題の通り。それが副題で、本題は「シミュレーション」とあった。原作は猪瀬直樹とあった。お金のことで、東京知事の職を追われた人だ。作家として、いい仕事をしてたんだ。あれはノンフィクションなの、それともフィクション? ほんとに戦争研究所?というのがあって、若い優秀な人材が日米戦争のシミュレーションをしたの?? 見て学んだのは、東条英機も日米開戦を回避したかったとか。ほんと?若い精鋭たちは経済関係の数字を並べて、ドイツの勢いがまもなく止まると予見した。数字はわからないど素人は、純血主義?を標榜するヒトラーが有色人種の日本(人)を助けてくれるわけがないでしょ、で終わり。(笑)三国同盟なんて、日本人の名誉白人意識が夢に描いた砂上の楼閣にすぎぬ。 ヨーロッパは遠い。ヨーロッパ戦線と太平洋戦線がつながるわけがないではないか。ドラマの最後は、東条の側近だという人の言葉、アメリカは日本の暗号を解読している、日本はなめられてるんだ、で終わった。奇妙な余韻が残った。敵に暗号を解読されたら、なめられてることになるの????ようわからん。別になめてるんじゃなくて、ただただ敵をよく知っていた、学んでいたということじゃないの。鬼畜米英の言葉などもってのほか、というわけで、英語を禁止した日本に対し、アメリカは、敵を知らねば、と、日本語教育を始め、兵士にも日本語を教えた。敵の言葉を知っていたら喜ばれたアメリカに対し、英語を知っていて使おうとでもしたら、売国奴と罵倒されただろう日本。勝つためには敵を知らねば、というコンセプトはなかったの??? 戦争は数字ではない、やってみんとどうなるかわからん、と、よく見かける俳優が言った。まあ、そういう部分もあるんだろうけれど、それにしても戦争を始める目的は何だったのか、日本はほんとうは何が一番欲しかったのかは、番組を見てもようわからんかった。(悲笑)この40年間、あっちやこっちでアメリカ人に文句を言い続けてきた人間としては、日本はけんかの仕方を知らなかったのでは、とも思う。大事なことは、自分がこれだけは絶対にはずせない、という、どうしても手に入れたいものを一つにしぼりこむことである。で、あとのものは全部あきらめる。その大事な一つを手に入れるためには、いろいろいやなことを言われても、じっと我慢する。相手の出方次第で、自分も態度を少しずつ変えながら、時にアホを演じて、相手を油断させながら、自分の欲しいものとの距離を縮めていく。最後の切り札ーつまり自分の武器は、最後の最後まで隠し、ダメ押しに使う。暗号を解読されて、なめられていると感じても、腹をたてて、爆弾もって真珠湾へ行くのではなく、満州で仕事をするアメリカ企業は無税にしてあげる(といって、何の税金かわからず笑)みたいにおだてて、石油禁輸の件、考え直してもらわれへんやろか、と時間稼ぎしてもよかった?? やってみな、どうなるかわからんわけだからさあ。 (笑)大昔、上司を人種差別で訴えたとき、私の最後の武器は黒人との関係だった。人種差別といえば、白人対日本人を考えるのが普通だろうけど、黒人に対する白人の態度と、日本人に対する白人の態度が違うとき、これを人種差別として突っ込む、と最初から決めていた。が、9ケ月の闘いのあいだ、ひとこともおくびにも出さなかった。で、最後の最後で、今だ、と思うことがあったから、the difference between me and them is race, color, national origin, which consitutes discrimination と言った。2時間後、欲しかったものが手に入った。(笑)家族には、what a small stakeと笑われたけど、いやなものはいやなんだからさあ。(笑)人事部全体をまきこんだ、と、影で悪口言われてたらしい。知るかあ、欲しいものを手にいれた者が勝ちである。(笑)とにかく、人間同士のけんかはともかく、国同士のけんかー戦争は絶対に始めてはならない。せっかく生まれてきた若い命を殺すようなことは絶対にしてはならぬ。負けたら犬死だ、で、ますます戦争はやめられなくなり、被害が拡大し、命が消えていく。(悲)それはそうと、番組の中で、精鋭たちが、上層部は現実を見ることなく、嘘でごまかすだけで、誰も責任をとろうとしないと、政府を批判していたが、これって、ドカスのアメリカじゃん、と思った。(笑)ほほお、ドカスは、戦前日本のジャップみたいになりつつある、とニューヨークタイムスにでも書けば、おもろいでえ。。「ジャップになったドカス」が見出しー怒るやろうなあ、あの白人至上主義者のアホ。怒った顔が見てみたい、が、番組に対する最後の感想。(笑)8月ももうすぐ終わる。一日もはやくウクライナやガザに、人々の明るい笑いが戻りますように。(祈)

シカゴが第二次大戦とどう関わったか、という映画を、シカゴで見てきた。シカゴではありとあらゆる戦時物資が作られ、その量は全米一だったそうな。シカゴのあるGreat Lakes地域には、全米最大の海軍基地やらトレーニングセンターがあったそうな。ふ~~~ん。シカゴが戦争に送り出した最大のものが、シカゴ大学で、放射能がどうかした?(笑)実験が成功した原爆である。などなど、いろいろ学んだが、そんな情報よりも、映画で一番印象に残ったのは、映画の最後、8月15日(14日?真珠湾攻撃の日と違って、これすらわからない笑)のシカゴの様子である。群集が広いミシガン通りを埋め尽くし、「戦争がやっと終わったあああ」と満面の笑みを浮かべて、大喜びをする人々の姿である。あの笑顔は、日本の1945年8月15日には、絶対に出てこない。焼野原で、みんな下を向いて、泣きながら、直立不動で、天ちゃんの「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」を聞いている灰色の風景しか日本には存在しない。日本人も、アメリカ人が大喜びしているあの美しい笑顔を見るべきではないか。戦争が終わったーそれは、理屈抜きで、それほどうれしいものだったのである。敵にとっても、戦争の終結は大きな喜びだったことをもっと知るべきである。原爆投下は戦争を終わらせるためだった、というアメリカ側の説明を信じない日本人はいっぱいいると思う。あんなものを落としやがって、鬼畜以下だ、と憤る気持ちが強いからである。「あれはあとづけ」と言う人もいた。が、私自身は70パーセントぐらい信じている。確かに、原爆投下には、政府部内のそれぞれの立場からいろんな思惑がからんでいたと思う。戦後世界の米ソの覇権争いといった視点からもいろいろ論じられよう。が、日本人は、戦争を終わらせねば、という気持ちを知らない、一度も教えられなかったのではないのか。そのことははっきり自覚すべきではないのだろうか。戦争で失う自国民の死者の数は少しでも小さいほどいい、と考えるのが、一国のまともなリーダーである。ところが日本はどうだった? 生きて虜囚の辱めを受けるな、と東条英機が国民に告げ、国民に死ぬことを推奨したのである。すでに沖縄は侵攻されてるのに、それでも本土決戦、一億総玉砕と叫び、沖縄で時間稼ぎをしたのである。何のために。かわいそうに沖縄では、市民が手りゅう弾をもって、米兵に向かって行ったという。日本で、友達の一人は、アメリカは沖縄で火炎放射器を使った、と憤ってみせたが、白旗をあげて降伏することなく、手りゅう弾をもって向かってこられたら、自分は死ぬしかないのだから、そりゃ、日本人にでくわさないように、と、まず火炎放射器で焼こうとするでしょう。日本人の「戦争だめだめ、平和が大事」論に欠けているのは、敵の発想への理解である。本土決戦、一億総玉砕、その目的は? 国民を殺すこと? 敵から見れば、何の目的もなく、国民を殺すことを躊躇しない日本のリーダーは狂犬病にかかった犬のようなものだったのである。そんな犬に噛まれて死ぬのはばかたらし、もう負けているのははっきりしているのに、負けを認めようとせず、戦争を続けたがる狂犬病の犬に、自国民がこれ以上噛み殺されることがあってはなるものか。ようし、落としてやる、これで、日本も負けた、と言うのではないか、いや、それでもまだ言わなかったら、どうしよう。アメリカ側も、長崎に落としたあとの1週間はひやひやものだったはずだ、どうしよう、3発目はないぞ、と、びくびくしながら待っていたら、やっと8月15日、終わったあああああ、だったのである。 あれは、勝った、を喜んでいたのではない、終わった、を、全身で喜ぶ姿だった。もう戦争に行かなくてもいいという喜び。日本人もうれしかっただろうに、「負け」と生活の困窮が喜びを打ち消した。映画によると、アメリカ人は勝つために、一生懸命働いたそうな。女の人が外で働くようになったのも、戦争遂行のために工場で働くようになったのがきっかけだったそうな。家の調理で残った油を集めているシーンが出ると、隣に座っていたアメリカ人のおばあさんが、ああ、あれ、やった、やった、と懐かしそうにつぶやいた。空から爆弾がどんどんどんと落ちてくる恐怖を知らないおばあさんだけど、子供心にも、それなりにいろいろ戦争の思い出はあるんだ、と改めて思った。ジャップかあ。。今のところ、そう呼ばれたことはないけれど、たとえそう呼ばれることがあっても、もうどうでもいいよ。敵だったんだ、と改めて納得。(悲)

アラスカでのドタバタは、プーチンの勝ちだそうな。そりゃそうでしょ。ヨーロッパにしてみれば、ドカスがおかしな譲歩をしなかった、と喜んでもいるそうな。選挙運動中は、俺はプーチンの友達だ、戦争は2日で終わらせられる、と、アホ丸出しのはったりを言い、機嫌が悪いと、停戦交渉が失敗したらSevere consequencesだ、とかっこつけて、ほれ、ドカス、Severe Consequencesはどうなった、できないくせに。赤じゅうたんで迎えたら、プーチンが喜んで、言うこと聞くと思ったか。あっほ。プーチンはすべてを了解して、顔ではにこにこ「友達」らしくふるまい、腹の中ではドカスに舌を出しながら、堂々と帰っていった。「友達」が外交の世界で通じると本気で考えるドカスのまぬけ度だけが残った。停戦なし、は想定範囲内であるけれど。。ウクライナの兵士や住んでいる人のことを考えていると。。死ぬな。どんなことがあっても死ぬな。ドカスに言いたいことーお前なあ、賞というものは、欲しいとねだって、もらうもんと違うんや。一生懸命仕事をして、その仕事がひそやかに、しかし確実に認められていくことで、自分はぜんぜん考えてもいなかったけど、え、もらえるんですか、と本人びっくりして、もらうもんなんや。知らんやろ。自分がねだれば、何でももらえる、の、情けない人生送ってきたからなあ。そのあたりもプーチンはようく見ていて、誰がお前なんかに、ノーベル賞くれてやるか、で、停戦といった話は頭から突っぱねたに違いない。ははは。あほなおねだりしたばっかりに、それが足かせになっているドカスのアホ度。お笑い番組のレベルである。(笑)戦争は悪い、ではなく、戦争を始めることが悪い、を主張し、教育していくことが、真の平和教育への第一歩と書いたが、これだあ、と思う言葉がニュースで流れていた。石破首相が、どこかで読み上げた文言である、「戦争が起きた背景を分析をし。。。}である。戦争が起きた? 戦争を起こした、だろ。主体を特定しようとしない言葉の使い方である。爆弾を積んだ飛行機が真珠湾をめざした背景にはさぞいろいろあっただろう、分析は学者に任せておけばいい。でも、国のリーダーは、「戦争を起こした((真珠湾を攻撃した)」と言うべき、と書きかけて、プーチンの顔が浮かんだ。(笑)国のリーダーだからこそ、言えないものもあるなあ。最後の砦は学校現場かも。とりあえずは、戦争はだめ、平和が大事、をただ連呼するのではなく、いい戦争なるものはあるのか、から考えていくべきなのかも。そして、どんなことがあっても「戦争を始めるのは絶対悪」を衆知させること。戦争が起きた、のではない。日本は戦争を起こしたのである。戦後80年が経とうとも、それを毎年つきつけられるのがアメリカに住む、ということ。

もう日本では「終戦の日」が終わろうとしている。こちらでは、今日、アラスカで行われるドカスとプーチンの話し合いのことでやいの、やいの。おだてられたら喜ぶ単純な頭と、ぺらぺら思いついたことを言うだけで、自分の言葉に責任をとることなど考えたこともないコメディアンの口しかないドカスが、KGB仕込みのプーチンに勝てるわけがない。プーチン、へらへら笑って、ドカスのまるめこみに入るだろう。それでもドカス、ノルウェーに電話して、ノーベル平和賞が欲しい、っておねだりしたんだって。話し合いの前に、あえておねだりするというのが、ドカスの戦略?? 恥をしのんで、というわけではなく、ただただ自分の薄汚い、底なしの欲にプーチンへのプレッシャーをまぶしただけだろうが、すでにプーチンは、「誠実な努力」とドカスをおだててみせた。さすが。(笑)話し合いの結果にかかわらず、犯罪人にノーベル平和賞とやらが与えられることがあれば、これが白人世界の論理、と、世界の有色人種は腹をくくったほうがいい、たとえノーベル平和賞が単なるシンボルにすぎないとしても。 アメリカのニュースを聞いていると、戦争を始めたのはロシア、が決定的な意味をもっているように思われる。戦争を始めたのはロシア、だからロシアが悪い、である。それを太平洋戦争にあてはめると、戦争を始めた(真珠湾攻撃)のは日本、だから日本が悪い、である。だから、原爆投下も正当化されてきた。で、日本からのニュースでは、原爆は悪、原爆の惨状、はよく聞くが、真珠湾攻撃は悪かった、はほとんど聞かない。なんで。勝った?攻撃だから?? アメリカも同じである。12月7日は、また言われるなあ、と緊張するが、8月15日は特になんにもなし。とりわけ今日は。(笑)人間の脳って、受けた被害を繰り返し刻みこまれるとき、どんなケミカルを発生させ、そのケミカルは人間の意識行動にどんな影響を与えるのだろう。日本(日本人)が、原爆投下とその惨状、沖縄や戦場の悲惨より、真珠湾攻撃が悪かった、を声高に言える、少なくとも考えられるようになったときに初めて、ほんとの意味で「戦争絶対反対」への第一歩かも知れぬ。ロシアがねえ、言うわけないよなあ。。(怒)ドカスが、「戦争始めたのはあんたやろ、あんたが悪いんや。どうする気や。ウクライナ人、全員殺す気か」と言うのかなあ。。停戦に応じなかったら、severe consequencesが待っている、とかっこつけたドカス。タコのお前にできるはずがない。戦争は悪い、ではなく、戦争を始めるのが悪い、を主張、教育していくほうが現実的である。戦争は、いったん始めたら、終わりのおとしどころを見つけるのがほぼ不可能だからである。ましてや、始めた国が負けているとなったら、勝った国ー最初に被害を受けた国ーは当然とことん責任を取らせようとするだろう。だから、戦争を始めた国は負けを認めるわけにはいかないのである。で、一億総玉砕、となって。。。おい、プーチン、ドカスをうまくまるめこんで、ドカスがこれ以上、ノーベル平和賞が欲しい、とダダをこねて、世界に恥をさらすことがないようにして、うまくウクライナから手をひいたほうが、歴史の本に残るあんたの名前としても、都合がいいのでは。それができたらね、ちょっとは見直してやってもいいよ。(笑)できなかったら、第三次世界大戦? だから、戦争は絶対に始めてはならないのである、あほ、プーチン。アホ二人が雁首並べて、今日のアラスカは大変である。

日航機墜落事故から40年だそうな。大阪で会社勤めしていた時だ。早いものだ。(悲)ほんとに8月はいやな月だ。原爆2回、日航機墜落、あともう一つのダメ押しがもうすぐやってくる。8月15日である。敗戦とは言わず、終戦が連呼される日。確かに戦争は終わったが、全面降伏なのか無条件降伏なのか、よく知らないけれど、とにかく負けて終わった日である。負けたーこの言葉をまずは聞くことのない8月15日。権力は言葉の欺瞞で国民を操ろうとしている? 日航機墜落事故の報道でも、「事故のないように」を繰り返すアナウンサーにうんざりした。事故があっては困ることは誰でも知っていることだ。問題は事故の原因である。あの墜落はボーイング社の修理ミスだった。で、ほんとの問題は、修理ミスの根本原因が明らかにされていないことだ。報道によると、ボーイング社は固く口を閉ざしたままとか。そらそうでしょ、アメリカ(人)があっさり非を認めるわけがない。ほんとのところは、作業員が、ああ、めんどくさ、で、きっちり仕事をしなかったからじゃないの。「めんどくさ」で、あんな大事故を起こして、ボーイング社は遺族たちに賠償金を払ったのだろうか。そんな報道、聞いたことがないなあ。賠償金って、報道できない内容なのかも。確かルフトハンザだったか、精神疾患をもっていたパイロットが、故意に飛行機を墜落させる事件を起こしたことがあった。賠償金の支払いでルフトハンザは破産に追い込まれ、消えるのかと思ったら、今も飛行機は飛んでいるから、飛行機事故の賠償金はどんなシステムになっているのか、否、墜落しても賠償金は出ないのか、日米を往復する者としては知っておいたほうがいいと思うけれど、どこに問い合わせたら教えてくれるのか。それがよくわからないのも、権力の策略?(笑)事故のないように、と繰り返されても、修理のできをチェックする方法はあるの? アメリカ人が働く会社を買収した日本企業、大丈夫かなあ。数日前、買収した会社の工場が爆発して、従業員が一人死亡したよ。そういえば、日本の自動車メーカーのトップがアメリカ議会の公聴会にまで呼び出されて、車の性能を問い詰められたこともあったなあ。あれは、アメリカ人のユーザーが、自分たちの使い方が悪くて事故を起こしたのに、それを車のせいにしたから、らしい。そんな傲慢さがまかり通るのがアメリカなら、日航機墜落も、日本の政治家は、ボーイング社のトップを国会に呼び出して、事故原因を追求、白状させればよかったのに。自分たちの非を隠すか、それともわからぬまま、アメリカ議会に日本人トップを呼び出させたアメリカ人ユーザーに、日本企業は賠償金?を要求した? そんなことできない、考えも及ばないのが、8月15日を終戦の日と呼ばねばならないメンタリティ?? アメリカ人の仕事は基本的にええ加減で、「めんどくさ」の連続で、私は絶対に信じないというのが、買い物に行く近所のスーパーでの話。(ボーイング社やら日航、議会からはかなりのレベルダウン笑)同じアボカドでも、おいてある場所によって値段が違うのである。仕方ないから、従業員に、「すみません、あそこのアボカドは2ドル99セント、こっちのアボカドはセールで1ドル99セントと書いてあるけど、どっちが正しいんですか」と聞かねばならぬ。セールで、普段は5ドル45セントのミカンの袋に、3ドル45セントの値札がついているから、と喜んでかごに入れたものの、支払いのところで、バーコードをスキャンしたら、4ドル45セントと出て、なんでこんなことになるねん、これは店ぐるみの客だましの詐欺と違うんか、と、これまた文句を言わねばならない。あああああ、めんどくさい、ほんまに仕事ができひん奴らばっかり、とうんざりするから、配偶者に聞いたことがある。アメリカ人って、なんで、こんなええ加減な仕事ばっかりするのよ。答えー誰も気にしてないから。たぶん、あんただけや、文句言ってるのは。ふん。アホにつける薬なし、本気でそう思う。(怒笑)車、飛行機、事故再発防止とQC, 核廃絶に戦争絶対回避ー8月ー「耐えがたきを耐え。。」あの声がまた聞こえてくる。あああああ。天ちゃん(と、よく母親が呼んでいた笑)なんで、あの時点で、遅くとも占領が終わった1952年に自分から退位して、昭和に区切りをつけなかったのか?まだまだ耐え続けている人がいっぱいいる日本の8月。