オンラインで流れている情報にはあまり興味はない。といって、時間つぶしで、スマホの無機質な画面を、人差し指で上下になぞり、くりくり「情報」を見ることはある。書くための情報を探しているときは、パソコン画面で検索し、一応見出し程度の「情報」は手に入れる。一つ思うのは、オンラインで流れている情報は表面的なものが多く、裏ー要するに深みがない。否、歴史的事項なら、裏も十分に調べつくされた後の記述かも知れないけれど、文章に面白みがない。書き手の表情があらわれない。もちろん正確さに欠けているときもあるし、あまり頼りにするものではない、と自分に言い聞かせながら、検索をかける。日本の新聞なんて、会員じゃないから、ニュースで一番うまみがあるところは読めない。で、見出しだけ追っかけて、もう30年ぐらい経つが、あんまり不便はなかったような。(笑)スマホのコンピュータ?、フェ**ブッ*?もよく知っていて、上下に動かす人差し指が、どこで止まったかをよく記憶し、関連情報を送ってくる。オードリーヘプバーンの写真、マーケットに出品された日本関係の物ー階段箪笥とか。。笑、病気になる食べ物何種、スカーフの結び方の動画、といったところ。(笑)で、今回は、どこからこれが送られてきたのかはよくわからないけどーたぶん医療関係ー、指の長さで、胎児期に受けたホルモンがわかる、というもの。信じるに値するかどうかはわからない、とはよくわかっているけれど、それでも怖いもの見たさで、メモをとりながら、しっかり読んだ。(笑)その情報によると、男性は薬指が人差し指より長い人が多く、女性は反対に、人差し指のほうが長いという。指の長さの違いが5ミリもあれば、うんぬん。で、生まれて初めて、自分の手の人差し指と薬指をしげしげと見た。見て、びっくり。右手も左手も、薬指のほうがしっかりと長い。左手は5ミリほどだけど、右手のほうは1センチほどある。きゃああ。。(笑)胎児期に、男性ホルモンーテストステロンを多く受けたということなのだそうな。そういう人間の特徴は、積極性ーうん、これは当たってるかも知れない、じっとしていられない性格だからねえ。。(笑)、空間認知能力ー当たっていない、方向がさっぱりわからず、すぐに迷子になる、攻撃性ーこれだ、大当たり!!! といっても、面と向かっては、けっこう言いたいことが言えない性格なんだよねえ。どうなるか、相手がどう動くか、観察してやれ、という気持ちが先にたつ性格。(笑)で、言いたいことがまっすぐ相手に言えてないので、ずっと、こんちくしょう、という気持ちを抱え気味となり、で、この日記で発散することになる。(笑)もしこの記事が信じるに値する情報を含んでいて、自分が男性ホルモンを多く受けているらしい、ということになれば、それはそれで納得する部分も出てくる。「女らしさ」とは縁のない人生だったもんねえ。(笑)フェ**ブッ*?に投稿する女の人の情報は自慢話が多いよねえ。。自分の仕事、旦那・子供のこと、旅行、食べ物。。。自慢が女の特性?なんで人の自慢話につきあわなあかんねん、で、フェ**ブッ*?の投稿にはまったく反応せず、無視。(笑)この年齢になって、自分のアイデンティティの謎?が少しずつ明かされていく、みたいな感覚はけっこう気分がいい。これも終活の一環である。最後、自分と自分の人生に納得していたいから。これからは、人に会えば、まずその人の手を見ることにしよう。人差し指のほうが長い女の人とは適当に切り上げよう。付き合う意味なし。疲れるだけだから、なあんて、オンラインで見つけた情報を信じ切ってるではないか。ミイラとりがミイラになるコンピュータ依存時代。思いっきり自分の攻撃性を発揮せよ。(笑)

 

わかった!!ガラクタが殺されたのは、ドカスの差し金だあ。ちょうどペド野郎の文書で、ドカスが裸の女の絵をかいて、そこにくちゃくちゃペド野郎にメッセージを書いてーメッセージの中には、”秘密”に言及した一文もあったー、ドナルドと署名した誕生日のメッセージが公表されたばかりで、ドカスは、あれは俺のサインじゃない、とか何とか言い訳をしていたときに、ガラクタ殺人が起きた。これは、エプスタインーペド野郎の文書から、世間の目をそらそうという、ドカスの陰謀である。だから、犯人は今も逃げている。で、ドカスは、昨日、これは民主党のしわざだとやいのやいの言った。自分を批判する世間の目をそらせて、かつ民主党を非難できるという一石二鳥というわけで、ドカスがこういうことにたけていることはようくわかっている。ふ~~~ん、こういうことか。自分を守るためには、仲間の殺人も平気というわけだーそうそう、1月6日の暴動を扇動した犯罪人だからねえ。(怒)しばらく犯人はあがらないだろうから、テレビはしばらくガラクタの話ばっかりか。。それはうんざりだ。(怒)こういうときに、アメリカ人が頭がいいかどうか、仕事ができるかどうかわかるというものだ。相手の裏をかけ。ニュースは、犯人はまだあがってません、だけで終わらせて.そのかわりに、エプスタイン文書を公表しつづけるのである。やれ。相手の手に乗るな。ペド野郎の顧客リストを公表せよ。ドカスの名前が載っていたら大万歳、という筋書きを通せ!!! ドカスの差し金だったら、犯人は見つからず、殺したのはブルー=民主党、というドカスがばらまく一方的なイメージで、来年の中間選挙を乗り切ろうというわけか。経済が下降しつづけたら、一般大衆はガラクタが死んだことなんて、なんとも思わないよ。みんな自分のことだけが大事。。それは犯罪人のドカスも同じ。あああああ、政治なんてほんとにくだらん。今日は、朝から、道のゴミ拾いに出よう。それが一番!!!(笑)

Who cares? ドカスのお仲間、一匹消えた。だから何? それにしても上手にやったものだ。首を狙って、一発で仕留めた。かなりの人数の学生が集まってたようでー3000人?ー弾がそれて、ぜんぜん関係ない若者が命を落とすようなことがあれば、かわいそうなことになるところだった。狙った獲物をきっちりしとめるなんて、さすが、野蛮な国の人間だあ!!(笑)テレビではずっときれいごとの言葉が流れているけれど、意見の違う人間を、その理由で殺すのは民主主義の危機だとか、何とか。あっほ。。今頃、何が民主主義や、民主主義はね、大衆にある一定の常識がなかったら機能せえへんのや。民主主義なんて、むずかしい政治学の抽象観念なんてさっぱりわからんアホが幅を利かせているこの国の人間に向かって、民主主義なんて言葉使うな。忘れるな、お前んとこ、犯罪者が国のトップやないか。何が期待できる? お前んとこの親分やないか、1月6日の暴動を起こしたのは。あの暴動こそ民主主義の危機じゃないか。あの暴動で、人が殺されているのに、お前んとこのポンコツ、議会に乱入した汚い白人のアホどもを、栄誉として無罪放免にした。反民主主義の犯罪を起こすことは奨励されてるのである。そうそう、金持ちのペド野郎を助けた金持ちの女も、腐りきった司法省と話をしたあとーたぶんペド野郎のファイルに載っているドカスの名前を口外しないという約束をさせて、刑務所をひっこしさせて、今はバケーションハウスみたいなところに住んでいるらしい。(それでも一応刑務所とか) 罪を犯すことは、ドカスに忠誠を誓い、ドカスの仲間に入れるという名誉なことで、奨励されている。最高裁も腐りきって、人を殺しても、罪に問わない国なのである。若い31歳の男が殺されたからといって、何を今さらごたごた言う。あっほ。(怒笑)そういえば、この男、日本へも行って、天皇は妾をもつべきだ、と主張している、これまた若い変な日本人の男と会ったんだって。ははは。何処へ行っても、類は類を呼ぶみたい。(笑)死んだ若い男には、小さな子供が二人いる、とテレビはやいのやいの言ってるけど、心配するな。アホな男の嫁はん、すぐに別の男と再婚するよ。(笑)まだ犯人はつかまっていない。どんな人間が興味しんしん。ほめてあげたい、よく一発でしとめたよね。すごいぞって。でも、残念だけど、やっぱり、もっとやれ、とまでは言えないなあ。この国の野蛮さを見せつけられるのは、ほんとに気が重い。まあ、上手に逃げてください。少なくともドカスの任期が終わるまでは、うまく身を隠してください。あのポンコツ、1月6日の暴動を起こした犯罪人どもを栄誉の無罪放免にしても、あなたのことはきっと、何の合法な手続きを踏むことなく、その日のうちにテロで殺してしまうだろうから。ああ、野蛮、野蛮。うんざり、うんざり。ほんとにしょうもない国と人間どもだ。で、そういう自分たちの姿がまったくわかっていないから、その傲慢さがいやで、いやで。(怒)この憂鬱な気分を吹き飛ばすためには、ドカスのやり方をまねればいい。別件を持ち出して、目の前の問題から目をそらせるのだ。お~~い、誰かもってるんだろ。ドカスも、ペドの友達といっしょに、未成年の少女とやってるに違いないんだから、その証拠を公表せよ。今日死んだ男のことなんて、みんなすぐに忘れるよ。(笑)

今日のボランティアは、特別楽しかったような気がする。なにやら35人のクライアント全員が心を一つにして?、みんなで歌を歌ったから。よく聞いた英語の歌だけど、題名わからず。フィリピノの人たちは英語のポップスをよく知っている。大カラオケの日(笑)いっしょにボランティアをしている日系アメリカ人のアンさんによると、フィリピノの人たちは、英語の歌を歌うときは、フィリピノ英語からアクセントが消えて、アメリカ英語になっているそうな。ふ~~ん。若いときに耳から入ったアメリカ英語そのままに歌うらしい。が、話をすると、フィリピノ英語になるそうな。ふ~~~ん。脳がどういう風に働くのか知らないけれど、不思議だ。脳ってほんとにすごい。日本人の英語は歌っても、話しても、同じアクセントが現れるような気がするけど。(笑)今日は、おばあさんのことを思い出しながら、今から45年前に、アラスカのアンカレッジ空港の免税店で買った、人生で最初で最後のブランドのバッグを修理した。ランバンのバッグである。あのとき、250ドルを払ったような記憶がある。あちこちの皮の縫い目がほどけてきたので、縫ったのである。皮を縫うような太い針はもってないよ、と言うと、娘が、お母さん、皮にもう穴があいてるから、そこに糸を通せばいいだけよ、と言われてやってみた。簡単、簡単。(笑)それにしても、45年も経つと、満身創痍の感あり。でも、使えるところまで使うつもり。250ドルの値打ちはあるのでは。(笑)おばあさんの中に、ファッション大好きな人がいて、自分でいろいろな端切れを縫い合わせて、それとも糊で張り合わせて?、シャツやスカート、帽子を作って、楽しそうに着て踊る人がいる。見ているだけで、エネルギーをもらう。もう90歳近いのでは。あんな風に生きられたらと思う。指を動かすのが、健康に一番いいと思うから、45年前のバッグを直すわけである。(笑)そうかと思えば、こんなばあさんにだけはなりたくない、という人もいる。スナックを出すと、私は、これは嫌い、これがいい、と言いながら、人の皿にも手を出して、自分の好きなものだけをとるのである。いややなあ。。来週は休むから、今日、来週分ももらう、と言って、二皿手を出すときもある。別に、ノーを言うわけではないけれど、言う必要もないけれど、食べたいだけ食べていただいていいわけだけどーなあんか汚いなあ、と思う。頭はしっかりしている人だ。そういう人生だったんだろうなあ、と思い、私にしては珍しく、腹を立てることもないが(笑)、人生がすべて出るんだろうなあ、と思いながら、どうぞ、どうぞ、と言って渡す。その人だけである、来週分も、と言って、二人分、3人分のスナックをカバンに入れたがる人は。人生の最後、頭がどうなっているかわからないけれど、きれいに生きていたいものだ、とづくづく思う。でも、これだけは自分でコントロールできるもんじゃないもんね。高齢者ともなれば、なおさらである。だから怖いのである。何が、この身体から出てくるかわからないから。大丈夫かなあ。。心配、心配。。といいながらも、なるようになるさ。ほんとはね、who cares?である。(悲笑)

 

とにかく毎日、ほとんど人に会わない、話さないという生活なので、自分の脳細胞を刺激してくれるのはドラマの人間模様しかない。よって、思いついて、書いておきたいと思うこともドラマの話が多くなる。なあんか恥ずかしい。(笑)今日から、伊藤野枝のドラマが始まった。まず、野枝をずっと「やえ」と読んできたが、正しくは「のえ」だと今日初めて知った。はい、見てよかった。(笑)昔、大杉栄が好きで、一所懸命読んだ記憶もあるが、今となれば全部忘れてしまった。(笑)今日は、平塚らいてうや伊藤野枝が「女の自由」「自由に生きたい」と叫んでいる姿を見て、女であることの意味を改めて考えてしまった。ほんとは考えたくなかったのに。(笑)私自身はフェミニズムが嫌いで、興味はなかった。自分が女であることは考えないようにして生きてきたから。(悲)そのあたりは「大きな女の存在証明」に書いた。セクハラの餌食となった20代だった。あれから50年、人生が終わりに向かいつつある今、女としてもっとするべきことがあったのではないのか、という思いが強く迫ってくる。生と性の関係を問う根源的な問いを抱えているような気がする。動(生)物としてあとに残せる、残さねばならなかったものは、やっぱり子供だったのではないのか、と。伊藤野枝の時代、妻は夫の所有物とされ、お尻の形・大きさが喜ばれ(ドラマでもそのシーンがあった)時に性のはけ口?となることも妻の務めであり、なによりも子供を多く生み、良妻賢母が奨励された。子供を産めない、産まない女は石女と呼ばれ、「家」から放り出された。そんな時代から100年以上が経って、今や女は子供を産まず、産めず、人口は減少し、国家の将来が危ぶまれる危機的状況となった。伊藤野枝の時代から今日まで、一体何をどこでどう間違えたのだろうか。女の自由ー「25歳を過ぎた女はクリスマスケーキ」と揶揄された50年前の時代と社会は、確かに息苦しかった。それでも、伊藤野枝のように、声高に「女の自由「を叫ぶことはなかったなあ。(笑)現代から見ていて、伊藤野枝が偉いと感じられたのは、好きになった、無職の男の子供を産んだことである。あの時代、「無職」が気にならないほど、まだまだ生と性が密接につながっていたのかなあ。今はねえ、マルクス主義フェミニズムとか何とか、子供を産むことはレジャーと同じ、やりたい人がやればいい、という発想も跋扈しているそうで、それは生と性が乖離した、頭でっかちの貧相な思想ではないだろうか。残されている時間が短くなっている今、生と性の関係は、生と頭脳の関係とは次元が違うことが身に沁みるのである。いくら立派な頭脳をもっていても、認知症になったらねえ。。(悲)でも生と性の関係は、認知症になっても残ることを、ボランティアをしていて実感している。「女の自由」という言葉は、もうあまり心に響かない。100年経って、女は「自由」を手に入れたかに見えるから。でも、自分の欲しいものを追う、すべて「レジャー」化させて、自分のエゴを通すだけの「自由」で、人間はほんとに幸せになれるのだろうか。あなた、今、幸せですか、人生の終わりのそんな質問ほど恐ろしい、いや意味がない質問もないかも知れない。生と性の関係ーもしかして寂しさは、孫がいないことかも、と思ったりもする。命のつながりを、すこしでも長く感じていたいのかも。伊藤野枝さん、あなたの最後は忘れました、楽しみにしています。(笑)

どうせこの程度のことなのである、アメリカ人は仕事ができない!!!(と書けば、何言ってるねん、と怒る人がいらっしゃることはじゅうじゅう承知しているけれど、みんながみんなニューヨークタイムスを読んで、知的な仕事をしているわけではないことだけは承知していただきたい。私の話のアメリカ人のレベルは、あくまでも、道に平気で、ゴミやら大便丸見えの紙おむつを捨てられる低レベルの人間たち。どっちのほうが数が多い? もちろんゴミを捨てるほうでしょう。(怒)アメリカに短期間、長くても2年かそこら、研修でやってくる若手官僚やら大学教授たちのアメリカ物語からは完全に欠落している、仕事ができないアメリカ人の話。(笑)8月に、隣町の大学の図書館に、1930年代に留学していた日本人女性の資料が残っているかどうか調べてほしい、というメールを送ったのである。あれから1週間以上たっているのに、メールを受け取ったとも何とも、うんともすんとも言ってこない。大学は休みなの。図書館は閉まってるの。図書館員は休暇中? と、いろいろ考えたが、どうせ仕事ができないアメリカ人のこと、こっちから電話でもかけてみるしかないな、と思ったので、かけてみた。わかったことー案の定である、私のメールを受け取った図書館員がほったらかしにしていたのである。そらみてみ、その程度なのである。もう100年近く前の資料だから、受け取ったらすぐに、Archivistに転送すべきである。その迅速な対応がまったくできない。こちらが何も言わなかったら、永久にお蔵入りである。だから、仕事ができない、としかいいようがない。(怒)昔、言われなかったっけ、仕事は、人に言われてからするものではない、自分で考えて、自分で見つけてするものだって。アメリカ人はまったく反対。言われなかったら何もしない。そりゃ、日米の職場の指示システムは違うんだろうから、上司に言われもしないことをさっさとしてたら、それはそれで、上司を無視したということになって、にらまれたり、怒られたりするのかも知れないけれど、それでもねえ、自分の頭をまったく使わないというのもねえ。使わないのである、奴ら。(怒)で、人のメールをほったらかしにして、何よそれ、あんたの仕事は何。ちゃんと仕事せいよ、とでも、アホアメリカ人に攻め寄りでもしたら、今度は、私のことをそんな風に扱うのなら、もう、あんたを相手にしない、と、自分が仕事をしなかったことを棚に上げて、まるで怒っている人間が悪いかのようにこっちを責めて、こちらを脅すのである。何よ、お前が仕事しないから、こっちが怒ってるんだろ、それがわからんのか、無責任なあほめ、自分の過ちをまっすぐに認めろ、ごまかすな、とまで言いそうになる段階になると、相手が若い白人の女なら、たぶんもう泣き出しかけている。(笑)それで、泣かせたのが、シカゴにある図書館だった。(笑)で、その泣いた白人女は、若い白人男に泣きついた。白人男はこわああい顔をして、私をにらみながら、私が頼んだものをもってきた。仕事ができる人間は、知らん、知らんとぐだぐだ言って、相手をもっと怒らせる前に、まっすぐはじめから白人男のところへ走っていくだろう。それができなかった、だから仕事ができないアホ。うんざりした。あの図書館にはあれっきり行っていない。(怒笑)で、今回は一応電話だったので、そこまで噛みつかずにすんでよかった。どうなることやら、頼んだ資料は出てくるかなあ。(笑)道のゴミ拾いをしていても思う、頭を使えよ、と。芝の上に、大きなプラスチックのコップが落ちていたら、その上を大きな芝刈り機を走らせる前に、コップを拾えよ、と。そしたら、芝の上に、切り刻まれた小さなカップの破片が散らばることもないだろう、と。1回コップを拾えば、私が小さな破片を拾い集めることはしなくていいわけで、でも、その1回ができない。頭をまったく使わない。確かに、Job descriptionには載ってないかもしれないけれど、コップが落ちていたら拾うのが常識だろう。その常識がない。拾ったら、ボスに怒られるのか。常識はないわ、言われたことをするだけの仕事しかできないアメリカ人。うんざりうんざり。(怒)コロナ禍で、何人のアメリカ人が死んだかも知れない人間が厚生省?のトップをやってるんだもんねえ。アホなドカスの周りには仕事ができないアホしか集まらない。ドカスが、ニューヨークタイムスを読むような人を雇うはずがない。(笑)政府の仕事ぐらい、仕事ができる人間にやってもらいたいけどねえ。それができない。アメリカ人が仕事ができないにもほどがある。そりゃ、小さな隣町の図書館員が、ぼけっとしてても仕方ないかもね。我慢、我慢。(笑)

9月にはいってもう4日目。早いなあ。日本ではまだまだ気温は30度超えのようだが、こちらは華氏40度にまで落ちた。確か摂氏0度が華氏32度ぐらいだったから、40度って、もう摂氏10度ぐらいなの??? 長袖シャツ1枚ではもう寒く、ちょっと厚めの重ね着が必要である。暑いのが苦手だから、このぐらいが一番気持ちがいい。それで、早速朝から、道のゴミ拾いに出た。(笑)ちょこちょこゴミが拾えて、秋の気温と同じくらい、すがすがしい気分。(笑)一昨日のボランティアのあと、そのままシカゴ大学に向かった。ミシガンから友達が来てくれていて、いっしょにホテルに泊まることになっていたからだ。行ってびっくり、シカゴ大学があまりにもきれいなので。(笑)この20年のあいだ、一体何回シカゴ大学に行った? といっても、ほんとはそんなにたくさんではないと思う。まあ、平均して年に2回ぐらい。大学はシカゴの南で、けっこう遠いのである。で、いつも片道2時間ほど運転し、図書館付近で駐車スペースを探し、二車線の細い道をうろうろ、きょろきょろとろとろ運転して、たいていは図書館の東、3-4ブロック行ったところで、やっと駐車スペースを見つけ、へたくそな平行駐車?をやって、やっとこさ、の気分で、とぼとぼ図書館まで歩く、というのが定石だった。(違うことはできず。一方通行のサインで頭が混乱し、すぐ迷うので。。笑)で、今まで一度もキャンパスの中を歩いたことがなかったのである。で、今回は、ホテル前の道に駐車できると聞いて、がんばって、20年で初めてミッドウェープレザンスを超えて、60番通りに駐車した。ああ、なんとラクチンなことか。道は広いし、車の数はそんなに多くないし、駐車スペースはいっぱいあるし、しかもホテル前は24時間、無料で駐車できるのである。なにこれ。こんなことなら、もっと早くこっちに来ればよかった。シカゴ大学のホテルはモダンできれいだし、しかもロビーにこれだけ本が並んでいるホテルは、さすがシカゴ大学だけ、と言い切ってもいいと思う。ロビーに本棚3つなんて見たことがない。(笑)その上、シカゴトリビューンとワシントンポストとニューヨークタイムスまで、自由に持っていけるように、いくつか揃えてあった。ワシントンポストにニューヨークタイムス!!!こんなホテル、ほんとに初めてだとびっくりびっくり。(笑)日本のテレビは両紙をいつも「アメリカの有力紙」と紹介するから、いらいらしていた。(笑)アメリカ人の誰が読むねん、こんな新聞。選挙を左右するアホ大衆は絶対に読まんぞ、「有力」の意味は何? とぶつぶつ思ってきた新聞だけど、まあ、読む人は読むのだろう、人口の0.01パーセント? (笑)部屋でテレビをつけると、すぐにCNNが現れたのも初めてである。メイン州で泊まったところではCNNは絶対にはいらなかったし、シカゴでも北部の古いホテルでは、まずフォックスニュースが現れた。あっほ。部屋に入ったとたん、怒り。二度とあのホテルには泊まらない。(怒笑)そして、ホテルから図書館まで、キャンパスの中を初めて歩いたが、あまりにも美しいのでびっくり、びっくり。別世界の感あり。それで昔はもめたのである、黒人集住地区であるブラックベルトがキャンパスに迫ってきて、地区に住む人間に居住条件をもうけるような規則が作られたと読んだ記憶がある。そうか、そういうことか、と初めて納得。よく知っていると思っていることでも、ちょっと角度を変えて、新しいことに挑戦すれば、いっぱい面白いものが見つかって、エネルギーをもらえるんだな、とすごくうれしくなった。友達とレストランで朝ごはんを食べながら、私たちだけだろうねえ、1893年のコロンビア博のとき、このミッドウエープレザンスのあそこに観覧車があって、こっちに日本の茶店があって、日本の女の人が三味線ひいてて、なあんて想像して喜んでいるのは。かなりの変人だよね、と大笑いした。(笑)変人でいいではないか、楽しく生きていたら。(笑)イリノイの知事は、シカゴの犯罪を減らすために軍を送るとドカスがやいのやいの言うのを、蹴散らかした。さすがあ。。シカゴが好きである。ここにこられて、ほんとによかった。シカゴに送り込んでくれた宇宙のエネルギーに感謝。今日もがんばらねば。

ああ、やっと終わった。いったいどれだけの時間とエネルギーを無駄にしたことだろう。例のばあさん二人の旅物語である。今日が最終回で、最後ぐらいきっちり落とし前をつけるのかと思って、がんばって見たのに、結局、わけのわからないままに終わった。結局割り切れないものだけが残って、それを消化するのに、またこちらがエネルギーを使うから腹立たしいのである。途中から、なんだか知らないけれど、離島に住む高校生の女の子が泣き出してーどうも高校卒業後に東京に出るか出ないかで、彼氏と距離ができて、それをどうしようか、と悩んでいたら、ばあさんの一人が、「バカ野郎」と叫べ、と教え、結局、最後は、女の子も男の子も、ばあさん二人も、「バカ野郎」と叫んで、ベートーベンの第九で終わる、のである。あほ、バカ野郎! は、こっちのセリフである。バカ野郎、おかしなドラマを作るな。(怒笑)で、ばあさん二人、旦那からちょろまかした現金で買ったという設定の、明るいブルーの、ツードアのconvertibleのスポーツカー(日本で一台あるかないか、のような車? よう知らん。笑 きっと名前もあるんだろうけどーコルベットじゃなかったような、あれは何?)を路上にほったらかしにして、どこかへ行ったのかどうかもわからん終わり方なのである。バカ野郎。結局、ばあさんの一人が高校生の女の子に言った、「あなたは誰にも縛られない」の一文を出すために、えんえんと訳のわからない筋書きを並べた?? バカ野郎、お前は首だ、と、脚本・ディレクターになっていた女の人に、ドカス並みに言いたい気分。バカ野郎!!!(笑)それでも一つ自分に言い聞かせたのは、このバカ野郎の脚本の轍を踏んではならぬ、ということである。なぜこのドラマが支離滅裂で、退屈きわまりなかったか。焦点が一つに絞りきれてないから、である。ばあさん二人が主人公なら、二人の話に集中すべきだったのである。それなのに最終回は、急に高校生が泣き出したりして、イライラした。(怒笑)最初から終わりまで、ドラマを貫通する柱があったとしたら、それは、歌手だったばあさんの歌と、もう一人の趣味である占いである。しかし、それはばあさんたちを飾るアクセサリであって、女たちが最後に叫ぶ「バカ野郎」とは直接的には関係がない。というわけで、ああ、しょうもないドラマだった、疲れたあ、バカ野郎。(笑)ベートーベンの第九が歓喜なら、それを「バカ野郎」を叫ぶ女たちの喜びと重ねているわけで、ああ、なんとド素人な発想なことか。バカ野郎。(笑)脚本を書いた人は新米さん? とにかく疲れました、バカ野郎。(笑)ドラマでは、女たちがーばあさん二人も高校生の女の子もー、一応最初は男に向かって叫んだのが「バカ野郎」だったような気がするが、たぶん最後は、自分に向かって「バカ野郎」? たった一度の人生、何かにこだわり、悩んで、大事な時間を無駄にすることほど「バカ野郎」はない? はい、バカ野郎、怖いもの見たさで、へたなドラマにこだわったのは、わたくしがバカ野郎でございました、バカ野郎、もう忘れます。(笑)それに比べて、きのう見たHometown businessのドラマは、浅田次郎が原作と知った。やっぱり文学とエンタメの違いかなあ。バカ野郎と言われないように、がんばらねば。

なかなか見ごたえがありそうなドラマがまた始まった。ほっとする。(笑)こういうドラマが書ける人はほんとに頭がいいな、とうらやましい限りである。「母の待つ里へ」というタイトルで、なんとホームタウンサービスという、ビジネスセンスがまったくない私のような凡人にはさっぱり思いつかない話で、びっくりかつ感心してしまった。要するに、誰か、たとえば親に会いたいと思う人が、そのサービスを申し込むと、実際の限界集落がテーマパークのように仕立てられ、村に住む人々全員がテーマパークの従業員という設定で、その村へ行けば、親やら隣人やら昔の友人やらを顧客にあわせて演じてくれるというものである。顧客が変われば、また違う名前を使って、新しい客のために別人を演じるわけである。まあ、よくそんな荒唐無稽な設定が考えられるなあ、とびっくりびっくりしながら、感心した。(笑)たぶん人間の本質をついているのだろう。今日のエピソードで脚本家が言いたかったことは、たぶんこの一言ー東京から来た客が偽母に、ここで一人で住むのは寂しくないですか、と尋ねると、偽母が答えるのである、「お前たちのほうが、ずっと寂しいんじゃないか」寂しいーそりゃそうでしょう、お金を払ってまで、母親を演じてくれる人と「親子ごっこ」をするのである。寂しい以外のなにものでもない。で、それが現代社会の問題ではないか、というのがドラマの問いかけかな、と思うけれど、ドラマは始まったばかりなので、まだようわからん。(笑)見終わって考えたことーまず、人間って、最後の最後まで親を想うんだな、ということ。で、母親はよくドラマのテーマになるけれど、父親はどうも影が薄いようで、なんで??(笑)私は、母親には会いたいとは思わないが、父親にはもう一度会えるものながら、会ってみたいと思う。消えたのは、神戸の震災の前年。もう30年ほども前のことだ。もう絶対に会えない。お金を払ってでも、誰かが演じる父親に会いたいとも思わない。あの父親を誰が演じることができる?(笑)で、ドラマの欠陥を納得ー中井貴一と宮本信子ですよ、そりゃ上手に演じるでしょう、現実にはこんなビジネスは成立しない、ははは。(笑)でも、人間の寂しさについては常によく考えたほうがいいと思う。アメリカ人は、二言目にはファミリー、ファミリーと言う。アメリカ人にとっては、ファミリーが一番大事なのである。そのわりには、精神疾患をもっている人間も多く、よく乱射事件も起こす。ファミリー、ファミリーと言うわりには、ファミリーは機能しておらず、寂しい人間が多いのでは? 今は、日本でもファミリーを連呼するようだが、ファミリーは人間の本質がもつ寂しさを解消できるのか? アメリカ人を見ている限り、できないと思う。人間の寂しさを和らげることができる本物の力は、すべて自分の内にしかないと思う。もう一度、五感。五感の記憶の力だけだと思う。ホームタウンサービスというネーミングで思い出したのが、一人暮らしをさせた母親に、「なんで施設に入らないの」と聞いたときの母親の答えだったーあんたが帰ってくるところがなくなるから。戦中派の親から、ファミリー、ファミリーなんて言葉は一度も聞かなかった。家族が大事、なんて、優しい言葉も言われたことがない。それでも。。。「離婚しようが、何があろうと、あんたが帰ってこられるところを残す」ーそんな親の言葉の記憶が、今、生きている寂しさを和らげてくれる。ドラマを見たあと、久しぶりに仏壇に手を合わせた。「もうすぐ戻ります。またいい時間が過ごせますように」あの家から親の姿が消えるまで、10年かかった。それでも、まだ親は生きている、消えてしまうことは絶対にあるまい。だからこそ、生きている人間はいつまでも寂しいのではないか。「生きる」と「寂しい」はコインの表裏である。お金払って、「ごっこ」をしても無理でしょう、が、予想するドラマの展開? どうなることやら、脚本家さん、よろしく。(笑)

日本からのニュースで、リチュムイオン電池が火事を起こすと知った。なにやら煙が出たりするらしい。で、リチュムイオン電池が何たるかもわからないので、配偶者に聞いた。私はリチュムイオン電池を使ってるの? 配偶者も知らないようで、まあ、心配せんでもええんちゃうか、的な答え。。大丈夫かなあ。。大丈夫なんやろ。(笑)ミネアポリスの教会でまた無差別な乱射事件があった。8歳と10歳ぐらいの小さな子供が亡くなった。あほ。一人で死ね、といつも思う。アメリカ人は、偉そうに、俺たちは世界一だ、みたいな大きな顔をしてるけれど、基本的に弱い人間たちだ。人をいじめるのが大好きなドカスもよわあいポンコツである。乱射事件は、一人で死ねない人間が起こす。警官が殺してくれることを期待して。今回は自殺したらしい。あほ。はじめから一人で死ね。乱射する勢いで、自分に銃口を向けるのか。亡くなった子供たちがほんとにほんとにかわいそう。どれだけの人が意味もなく殺されようと、それでもアメリカ人は銃規制には反対し続ける。しょせん田舎者の野蛮人だ。そういう自らの姿がさっぱりわかってないからね、アメリカ人は。うんざりもいいとこ、である。それにしても、今回の事件で、改めて学んだこと。犯人は、教会の外から窓を撃ったんだって。ええっ、窓の外から撃った弾で人を殺せるの、と知って、改めて銃の恐ろしさを知った。今から45年も前に、初めてアメリカに遊びに来たとき、行く前に父親が言ったのである、「ホテルの窓はあけるな、弾が飛んでくるから」父親も、窓を閉めていたら大丈夫、ガラスが弾をとめてくれると思っていたらしい。で、私もそう思っていたような気がする。というか、考えたこともなかったというか。それで、防弾ガラスというものがあるんだ、と、今ごろやっと納得した。ポンコツの車にも防弾ガラスか。くだらん。(怒)故郷神戸では、自分の好みのタイプだと勝手に思われて、何の面識もない男に殺されてしまう事件が起きた。24歳なんて、人生これからだったのに、ほんとにかわいそう。どこもかしこも病みまくっている。何かがおかしい。自分が正気を保つにはーぼおっと空をながめること。庭の木をぼおっと見ること。自然は嘘をつかない。その単純な真正さがほんとの力である。アメリカ人は、できる限り、自分の視野に入れないようにして生活する。アホにあたると、ろくなことがないから。(笑)すれ違っても知らん顔、というか、まっすぐ前を見て歩くだけのわがアメリカ生活。すれ違ったのが男か女か、それともトランスジェンダーなのかもわからん。それでよし。わからなくてもいいのである。単純が一番。(笑)