で知人に会った。日焼けしたね、どっかあったかい所に行ってたの、と聞かれた。ははは。南極で日焼けしたらしい。日焼け止めクリームはちょこちょこ塗ったんだけどね。娘にもらったふる~~い物だから、あんまり効かなかったらしい。南極物語3-1月5日、船は荒れることで有名なドレークPassageに入っているが、ほとんど揺れないと言っていい。確かに横揺れするけど、どおってことないよ。むしろ、揺れるゆりかご的な穏やかな揺れ。船も上等なんだろう。すぐに平衡が取り戻せるような仕組みになっているのだと思う。やっぱり今までで一番ひどかった揺れは、30度は傾いていただろう香港行ロシア船である。あれは、テーブルの上に載ってたものが、バーの端から端までごろごろころがっていったもんね。忘れられない。(笑)一日中船中生活。退屈といえば退屈。でも天気がよくて、気持ちがはれる。耳の後ろに貼った酔い止め薬の副作用か、ちょこちょこ眠たくなる。アルコールも飲めないとかで、この程度の揺れなら貼らなかったらよかった。とってやれ、とは思うけれど、Drake Passage通過は二日かかるとか。我慢我慢。(笑)することのない船中生活では食べるだけが楽しみ。朝、昼、夜と上げ膳据え膳。ありがたいことだ。びっくりしたのは、ウェイターとして働いているのはフィリピン人男性たちだが、その中の一人が、「日本人?」と声をかける人がいたことだ。17年間、東京で働いていたという。東武線がどうのこうの。具体的にどんな仕事をしていたかは言わなかったし、聞かなかった。その彼が何と、日本人女性のシェフをつれてきた。みちよさん。デザートを作っているという。オーストラリアのシドニーをベースに、もう7年か8年、この船で働いているんだって。南極にも何度か足を踏み入れたとか。わああ。確かにデザートのデザインは日本人らしい細やかなものがあった。いったん船に乗ると、2,3ケ月の勤務になるという。それから2,3ケ月の休暇をもらって、また乗り込むという。フィリピン人男性たちの勤務はさらに長く、6ケ月間ぐらいらしい。みちよさんを連れてきてくれたウェイターは、6月に下船するとか。それまでは毎日、毎日食べて、飲んで、働いて。船という閉鎖空間で同じ生活を繰り返すのは大変だろう。みちよさんがどういう経緯で、デザート担当のシェフになって船に乗り込んでいるのか、聞く機会はなかったが、改めて思う、みんな一生懸命働き、生きてるな、と。みちよさんは船で働く唯一の日本人、それも女性である。女性は船室の掃除をする人たちがたくさん乗っていた。今思えば、船で働いている人たちの大半がアジア系だった。白人は講義をする専門家たちと船長をはじめとする管理職たち。船長はフィンランド人、ホテル担当はウクライナ人?、講義をする専門家たちはドイツ人とかオーストラリア人とか。多種多様な英語を聞いたなあ。(笑)アメリカ人の専門家も二人ぐらいはいたと思う。食事時間の合間には、その乗り込んでいる専門家たちの講演が続く。南極の自然環境について、写真の撮り方について、南極の海に住む生物について。。さすが有名写真雑誌National Geographicのツアーである。勉強が多いのはありがたいはずなのだが、さっぱりわからん。(笑)一日の終わり、やっと水平線上に島影が初めて浮かんだ。ええ、あれなの? あれが氷山? 山には見えなかった。台地、Butteのような形である。ふ~~~ん。でも、いよいよ、「とうとうやってきたぞ」的期待感が高まっていく。

は、起きると、窓の外は真っ白の雪景色。やっぱりシカゴは南極より寒い。(笑)南極物語2ー大晦日は、何の変哲もない、静かな普通の夜だった。明けて2026年1月1日、新年の感覚ゼロ。やっぱり節目を感じるには”儀式”が必要なのだろう。雨。でも誰も傘をさそうとはしない。風のこともあるし、さすほどの大雨でもない。天気は1日中めまぐるしく変わる。外に出てみた。風がきつい。商店はどこも閉まっている。朝ごはんすら満足に食べられない状況。運よくコンビニ?が1軒だけ開いていて(たぶん間抜けた観光客用笑)、クラッカーを購入。ああ、お餅が食べたいなあ。(笑)午後、ペンギンのいる島へのツアーが予定されていたが、強風のために船はキャンセルされた。行くところもなく、娘がウーバーを使って、山の上にあるリゾートホテルへ。ホテルなら、なんとか食べるものにありつけるだろう、という魂胆。(笑)1月2日ー快晴。観光には最高の日和となった。午前中は国立公園ツアー。湖、入江、氷河の高山と、湖水に映った山のコントラストが美しい。午後は船で、トドやらペンギンが集まっている島へ。島に上陸することはなかった。確かにうじゃうじゃいた、野生のペンギンを見るのは初めてだなあ、とちょっと感激?トドたちは、岩の上でぐたっ。おい、何かゲイせえや。なんで、みんながきゃあきゃあ言いながら、カメラを向けているのかさっぱりわからず。(笑) 船の上にも、臭いがただよってくる。臭かったら、近くに野生の動物がいるということらしい。だいたいこのあたりから、服を脱いだり着たりがめんどくさく、疲れ果てるようになっていた。南半球は夏だから、陽光はきつい。暑くなるけど、ちょっと太陽が雲に隠れると、風もあって、今度は肌寒く感じるというわけで、服の着脱だけでうんざりうんざり。もちろん船のデッキは強風で、寒い寒い。ペンギンやらトドどころじゃないよ。(笑)アルゼンチンの食べ物はおいしいけれど、量が多い。フランス式なのかソースが重い。ああ、あっさりしたものが食べたいなあ、とぶつぶつ。ツアーが終わって、町を歩いていたら、男の声で「ごめんな」という関西弁の一言が聞こえた。振り返ったら、若いカップルの後ろ姿があった。ふ~~ん、日本からここまでか、遠いなああ。ここで何してるのかなあ。。ご苦労さん、としかいいようがない。1月3日ー1日アドベンチャーツアー。タイヤがでっかく、湖の中も走れるジープのような車で、湖やら、そびえたつ山々を見に行った。パタゴニアは美しい。思わず手を合わせたくなるような気持ちが生まれる。アルゼンチンのワインはおいしく、感激。これからはカリフォルニアよりアルゼンチンワインだあ。帰ったら、スーパーで探してみよう。夕方4時。集合場所の例のリゾートホテルに到着。南極ツアー客150人が一同に会して食事。アジア系はほとんどいない。日本人は私一人と中国人らしいグループが1組か2組ぐらい。中国人といっても、中国系アメリカ人の可能性大なり。アフリカ系アメリカ人も二人かそのぐらい。あとは全員白人。あああああ。1月4日ー朝食前にホテル周辺の林を一人散歩。誰もいない原生林。トレールがいくつかあって、木に塗った色でトレールがわかるようになっているが、一本ミスって迷いかけた。船に乗り遅れるかもと焦った焦った。方向音痴は一人で冒険してはならぬ。おととい自分たちで行った国立公園にもう一度観光バスで出かけ、乗った同じ船が湖を横断、その中で昼食をとって、いよいよウシュアイアの埠頭に停泊しているNational Geographicの船に乗船した。いよいよ始まる。1月4日午後7時出航。ボおおおと汽笛を鳴らすわけでもなく、テープを投げる人がいるわけでもなく、ちょっと寂しい出航。もうウシュアイアを見ることもないだろう。静かな海。荒れることで有名なDrake Passageには夜中あたりに入るとのことで、耳の後ろに船酔い止めの薬を貼った。こんなもの貼るだけでほんとに効くの、と疑問に感じたが、一応気休めである。地図を見ると、このあたりの地理で唯一知っていたマゼラン海峡はウシュアイアの北に位置している。ふ~~ん、マゼランが通った海路よりまだ南にいるんだ、とけっこう感激。(笑)船でびっくりしたのは緊急脱出用の船である。60人は乗れる潜水艦のような船で、見ているだけで酸素不足で窒息しそうだった。考えてみれば、この南の海では通常の救命ボートは役に立つまい。海水に落ちずとも、低体温症で心臓が止まるまでそんなに時間はかかるまい。タイタニックはやっぱり映画だあ、と妙に納得。(笑)さあ、船旅だあ。何するの。食べて、飲むだけだあ。(笑)

ちょっと無理したかなあ。1分でも早く元の生活リズムに戻りたくて、きのうは朝4時からコンピュータの前に座り、旅行に出る前に何を書いてたかを思い出そうとし、11時半には漬物ボールに出かけ、とがんばっていたら、午後から風邪の症状がひどくなった。机の横にトイレットペーパーのロールを一つ置いて、鼻をかみながらごそごそしていたが、とうとう夕方6時ごろからダウン。ただひたすら寝た。(笑)今朝起きたのは朝5時。鼻の中はだいぶ軽くなり、咳の状態もまあまあ。このままよくなってほしいけどねえ。南極では元気だったのにねえ、汗かいたり、汗ひいたり、の繰り返しで、身体が変調してもおかしくない状況だった。南極物語1-服を脱いだり着たりが大好きな人がいくところ。ものぐさ太郎ではただただ苦痛以外のなにものでもなかった。(笑悲笑)昨年12月30日朝6時半オヘアに向かう。気温華氏8度。毛糸の帽子に手袋、セーター、ウールのベスト、厚いジャケット、毛100パーセントのズボンの下にはパンストとたっぷり着こんだ。3時間半ほどのフライトでマイアミへ。マイアミ空港の冷房はよく効いていた。ちょっと寒いぐらい。それでも、荷物を抱えて歩きまわると暑い。何かと脱ぎたくなって脱いだ。夜9時まで、7時間ほど時間つぶし。ブエノスアイレスには12月31日朝9時半着。飛行時間は9時間半。飛行機はマイアミから大西洋沿いに南下するのかと思いきや、太平洋沿いに飛んだ。チリ、ペルーとアンデス山脈を越えたらしい。なんでかな。ブエノスアイレスー暑い。外は華氏100度。空港でも暑い。服を変えたい。半袖なんてもってないよお。次は、アルゼンチン最南端の町ウシュアイアまで。自転車が入っているのか、大きな荷物に大きなバッグパックを背負った若者たちがうじゃうじゃ。どうも、アルゼンチン最南端から自転車で北のアラスカをめざす若者たちがけっこういるらしい。ご苦労様です。(笑)3時間半のフライトで無事にウシュアイア着。人口10万人で、住む人々の全員が観光業といってもいいようなところ???海と山が迫るきれいなところである。夜9時半でも青空が広がり、雪を抱いたパタゴニアの高山がきれい。やっと外が暗くなるのは11時すぎ。朝3時にはすでに明るくなってくるから、この白夜状態がけっこう体調を崩すきっかけになったような。カウントダウンも何も聞こえない静かな夜の街。あのカウントダウンって欧米人が好きでやってるだけ? 日本人もお寺で静かに除夜の鐘を聞いてるほうがいいのでは。。着ているものは、シカゴ式マイナスパンストとウールのベストぐらい。

今日南極から帰ってきた。疲れたあああ。でも南極は、圧倒的な存在感で迫ってきて、消化するのに時間がかかりそう。これまでいろんなところへ行ったけど、これはすごい、と自分の存在の根っこをぎゅっとつかむような力を感じたのは南極とエジプトだけ。あとはねえ、まあ観光名所だからねえ、そりゃまあ、いいですわなあ。。(笑)少しずつ反芻して、自分は何をしたのか、どんな時間を過ごしたのかを考えていきたいとは思うけれど、今まず最初に思うこと。南極は暑かった。汗ばっかりかいてうんざり。シカゴのほうが寒い、寒い。(笑)

1週間は長かったなあ。。娘のことである。(笑)娘がこの家に一週間滞在して、とりあえず大きなけんかは1度だけ。奇跡である。(笑)といって、何でけんかになったかはもう忘れた。どうせしょうもないことだったんだろう。娘のほうも、きのう、今日と、飽きた、飽きた、を連発している。早くこの家を出たいのである。ようわかりまっせ。(笑)親の家に長居したいというか、長居が気にならない子供は、やっぱり何かを抱えている可能性がある???もしくは、親がかなり弱っている?(笑)鳥の子供?は一度巣を飛び立てば、二度と巣には戻らない。そのくらいの気持ちで生きねばねえ。。というか、やっぱり若い人?といっしょは疲れるわあ。それは娘も同じで、やっぱり年寄りといっしょは疲れる、1週間は長すぎた、と思っているに違いない。唯一?いっしょに経験できてよかったな、と思ったのは、今朝、娘が漬物ボールにつきあってくれたこと。いつもは自分だけの壁打ちだが、今日は、コートでボールを打ちあった。長くてせいぜい6回ぐらいのラリー。それで十分。(笑)お互いがお互いに飽き始めた今からこそ、いよいよ今年の冬のイベントの本番が始まる。明日の朝、ここを発つ。行先は南極。お疲れさんなことである。(笑)どうも飛行機に乗る時間は24時間以上のようで、日本へ行くより2倍の時間がかかるとか。げっ、げっ、げっ。National Geographicのツアーにのっかるだけだから、スケジュールもよく知らず。どこへ行くのかもほとんど知らず。氷とペンギン以外に、何か見るものがあるのって感じで、あんまりわくわく感なし。それよりも、氷の上ですべってメタルの股関節に異常が出ないか、とか、船がえらく、あの映画「Perfect Storm」並みに揺れる可能性もあるそうで、ずっとげろげろするのだろうか、と心配ばっかりである。何しか貨物列車のコンテナー数を数えるだけで、めまいやら吐き気がするほどだからねえ。。いややなあ。昔は、横浜から香港行のロシア船に乗ったとき、黒潮を越えるとき、めちゃ揺れて、同室の日本女性はキャビンでずっとげろげろしてたらしいけど、こちとらはバーで飲んでたなあ。バーで、揺れを面白がって笑いながら飲んでいたのは、ロシア人と在日アメリカ軍基地のアメリカ人と私、せいぜい3人か4人ぐらいだった。タイのピーピーアイランドへスノーケルに行ったときも、小船だったこともあって、みんなげろげろ。下関から韓国プサン行の関釜フェリーも、玄界灘を越えるときによく揺れた。船長にお酒をすすめられて、酔っぱらって、船といっしょに揺れてたらどうってことないよ、と言われたのは絶対に忘れられない。(笑)あああ、そんな昔の武勇伝を思い出してもしかたないなあ。身体は変わっているのだから。あああああ。心配、心配。そういえば、コロンブスが通った?マゼラン海峡を通るのだろうか。ちょっと調べてみなければ。そろそろ腹をくくらねば、とは思うけれど。。それにしても、気温を聞いてびっくりした。華氏の20度か30度なんだって。何それ、ここの「普通」じゃん。イリノイのほうが寒いかも。こっちは華氏のマイナスまで落ちるもんね。今、南極は夏である。今年の2月に出かけたアラスカのときと同じような服装をする必要はないのかも。なあんだ、案外、南極なんて大したことないかもね。と、自分を振いたたせて、がんばるしかないなあ。いい旅行になりますように。南極でいい新年が迎えられますように。来年がいい一年になりますように。(祈)

娘が無事にシカゴの一泊旅行から戻ってきた。ちょうどひと昔(12年)前に、娘はシカゴの一等地ゴールドコーストに2年ほど住んでいた。レイオフになって、西海岸に仕事を見つけ、移っていった経緯がある。この10年ほどのあいだに、シカゴがどんな風に変わったのかを知りたくて、どうだった、と聞いてみると、答えは「シカゴはお金をもっている」だった。ふ~~~ん、面白い答えだよねえ、なんでえ、どうやってそれがわかるの、と聞くと、ミレニアムパークなんか、あれを建設するのにものすごいお金がいるんだよ、あれはお金をもっている人がわんさかいて、公共スペースにお金を出すことに意義を感じ、躊躇しない人がわんさかいるに違いない、リバーウォークもきれいに整備されてるし、自転車レーンも作られてるし、シカゴはものすごくお金をもっているよ。ポートランドなんて、行政がお金を出しますから、と言わなければ、人は作ろうとしないんだから、だそうな。はあ、行政の予算を取り合う競争のど真ん中で仕事をしている娘らしい答えだった。はあ、10年前には、娘から聞くことのなかった言葉である。やっぱり人間が成長し、視点が変わると、評価も変わるねえ。10年前は、シカゴの男はスポーツの話しかしない、とぶつぶつ言ってたくせに。すごい。(笑)考えてみるに、今、書いてるシカゴと浮世絵の関係でも、シカゴの金持ちには、浮世絵のコレクターがうじゃうじゃいた。バッキンガムとかいう人のコレクションは、今もアートインスティチュートに所蔵されてると思うが、600点を超えるぐらい集めていたらしい。何しか金持ちーロックフェラー的な大企業家で、誰にどこに寄付をしようかで悩んだ人たちーが多かったのは確かである。シカゴの図書館の寄付者リストのトップは、100万ドル超えの人というか、人の名を冠した基金の名前が並んでるもんねえ。で、その100万ドル群を投資に回して、投資が生んだ”あぶく銭”で、職員の給料を払う?あの寄付者リストを見ると、いつも20ドルの寄付がバカたらしくなって、しなくてもいいや、の口実にしてしまうもんねえ。(笑)で、その大企業家たちのビジネスでこき使われたのが、世界中から集まった移民たちである。20世紀の初めは、人口の70パーセントが移民とその家族だったシカゴ。そこから左翼のメッカ的シカゴの風土が生まれて、。。。と、深く掘れば掘るほど、シカゴがおいしくなってやめられない。(笑)娘は、いまさらながら、シカゴがいかに大都市かにびっくりしたそうな。西海岸では、あれだけの高層ビルを建てる土地もないし、ビルを埋める人間もいない。やっぱり、シカゴは大都市だよ、大都市は面白いねえ、が娘の感想だった。よかった、よかった。いいなあ、と思ったときに、さっさと引き上げるのが賢明だよ、それを超えると文句が始まるよ。(笑)娘の言葉で、原稿を書く背中を押してもらった。よかった、よかった。シカゴの面白さをなんとか書ききりたいものだ、と思うけれど、どうかなあ、手に負えそうにないなあ。(悲)ミシガンアベニューに建ってるドカスタワーの一階は、テナントが誰も入っておらず、がらがらだったそうな。ははは、ざまあみろ。と言ったところで、ドカスには痛くもかゆくもなかろう。(笑)シカゴ、シカゴ。。あなたの力をください。なんとか頑張ります。(笑)

娘は一人、シカゴに出かけて行った。今夜は一人ホテルに泊まるとか。ああ、中休みだあ。(笑)20年ぶりぐらいに、娘といっしょにモールに出かけた。20年前の若かりしころなら、モールで半日つきあわされて、最後のほうはけんかで満身創痍になっていたが(笑)、中年おばさんと年寄りではけんかにもならず。(笑)半日どころか、1時間過ごすのが関の山。びっくりしたことに娘自身が、もうモールには来ない、と言ったから、やっぱりモールは退屈なところ、というか、若い人が行くところなのである。店もチェーン店が並んでいるだけで、とりたてて面白いものがあるはずもない。人生の不確実性に夢を抱くことができる人たちが、日々の楽しみを見つけに行くところ。人間だけは、20年前と変わらず、ごちゃごちゃいた。あの人間の群れを見るだけで、心底疲れる。(悲)終活に余念がない人間には、モールのきらきらはまぶしすぎる。人生の大きな流れのなかで、すべて虚飾にすぎぬと知っているから、よけいにまぶしい。それにしても、みんなクリスマスで退屈してたんだろうなあ。。広い駐車場が満杯で、駐車スペースを見つけるのも大変だし、駐車場を出るのも大変だった。車がてんこ盛りで、どこでどうなってるのか道がさっぱりわからず、えいやっ、ここで曲がるぞ、ぶつかりたかったら勝手にぶつかってこい、式の、やけのやんぱち運転。よくもまあ、無事に帰ってこられたもんだ。(笑)時間が限られていることを実感しながら、人混みのなかで、娘と歩く。「生まれてきただけで丸儲け」だったっけ、有名芸人さんの言葉が身に沁みはじめた。自分が生を受けて、今日まで生きてこられたことに感謝すると同時に、娘にも、生まれてきてくれてありがとうと感謝するしかないなあ。「生きられただけで丸儲け」と考えれば、人間関係のごちゃごちゃも、娘とのけんかも、ああ、なんとくだらぬことか。娘にはあんなに怒らなければよかったなあ。(悲)すべて水に流さねば、というか、勝手に流れていってしまうのである、時間が絶対に止められぬようにして。今年もあとわずか。無事に新年が迎えられますように。(祈)

日本の若い人はいいなあ。。イブの夜、どこかへデートでしょうか。(笑)それとも、あのブームはバブルがはじける前の幻惑の夢物語だったでしょうか。もう忘れたああ。。(笑)こちらは、イブの夜は特別静かである。クリスチャンの人は教会に行くのだろう。クリスチャンにとっては特別に大事な夜だそうな。。宇宙のエネルギー教信者にとっては、娘が昨夜帰ってきてからの最初の一日目の夜。はい、もう疲れました。食欲もなくしました。これだからねえ。。(悲)で、明日はどうするの、とやいのやいの言われても。。。どこもしまっているからねえ。ゴミ拾いだあ、で、呆れかえられてしまった。(笑)クリスマス、だから何なのさ、のアメリカ生活。何年住んでいても、それは変わらない。明日は何しようか、1日中、ゴミ拾いともいかず、まじで退屈しそう。(笑)

な感じがする。もうすぐクリスマスである。でも、その感覚ゼロ。なぜだろう。街に、ジングルベルが流れているわけでもない。普段とまったく変わらず。神戸三宮の繁華街では、ジングルベルが流れてるかなあ。大きなクリスマスツリーに赤や青のライトがともってるかなあ。みんな忙しげに歩いているかなあ。こちらでは、町ににぎわいなし。近所の家にもクリスマスライトがない。隣の家は毎年きれいに飾っていたのに、とうとう今年は何もなし。思い当たるのは一つだけ。おじさんも年をとったのである。屋根近くまでのぼって、クリスマスライトを飾るのは事故・怪我の多い危険な仕事である。おじさんもできなくなったんだろうなあ。。どうも近所も、そんな感じの家が増えてる感じ。高齢者が多いらしい。考えてみれば、こちらも家の中にクリスマスらしさがあるわけでもない。娘が小さかったころは、クリスマスツリーを出してプレゼントも並べていたが、今は何にもなし。そうやって季節の節目が消えていく。(悲)「もういくつ寝ると、お正月。お正月にはたこあげて、こまを回して、遊びましょ」ーこれからやってくるのだろう時間にそんな期待感もなく、一日一日をいとおしく見送るだけ。それでよし、とせねば。今日が最後の静かな日。明日、娘が5年ぶりに帰ってくる。怒涛のような時間が始まる。すでに電話がかかってきて、家にあるタオルやらシーツは臭いから、新しいのを買って、だの、トイレはきれいに掃除しておいてね、と注文が入った。あああああ。親にいろいろ命令する子供、昔から嫌いだった、よくけんかした、で、トラウマが戻ってきて、すでに雲行き怪し。。(笑)これも生きてる証拠と楽しむしかないんだろうなあ。。。がんばります。(笑)そういえば、クリスマスプレゼントというコンセプトすら忘れてしまっていた。もらう、あげる、の期待感ゼロ。思い出せば、子供のとき、親がクリスマスケーキを買ってくれたのは、子供が喜ぶからと、ただそれだけの理由だったんだろうなあ。そうか、明日来る娘のために、プレゼントを買いに行けばいいんだ。日系食料品店で、5ドルのどら焼きでも買おうかな。。ははは。ああ、やっと気持ちがうきうきしてきたぞ。年をとると、季節に自分をあわせるのも大変である。(笑)

なとまどいに振り回された感覚だけが残った。ここ2,3日、テレビは熱心にブラウン大学の無差別銃撃事件をずっと追っていた。銃をもった殺人犯を野放しにしておくわけにはいかないもんね。えらく仕事してるじゃん、と思わざるを得ないほどで、コマーシャルの時間もめちゃ少なかったような気がする。ニュース番組は、終わりに近づくと、ニュースよりコマーシャルの時間が長くなる。一秒のニュースにコマーシャルは5分ぐらい、みたいな感じ。それがきのうの夜は。。。日本で大地震が起きたときみたいな感じ。コマーシャルはほとんどない感じだった。事件が意外な展開を見せ、想像もしなかった結末で終わったからである。犯人は、どんな田舎っぺの白人至上主義者の野郎で、高等教育が嫌い、とりわけブラウン大学といったエリート校を侮蔑してる奴か、と思っていたら。。。犯人がつかまったというか、ニューハンプシャーの倉庫で自殺していたのが発見された。しかも、ブラウン大学の事件のあとで起きた、MITの教授殺害と同じ犯人だったことがわかった。となると、事件の性格はまるっきり違うものとなった。犯人は48歳(43歳?)の中年男でポルトガル人。なんと20年以上前に、ブラウン大学で物理学の博士課程にいたんだって。えらい優秀な人やん。銃撃事件を起こした現場は、自分が学生だったときに最後に使っていた建物なんだって。で、殺したMITの教授は、なんと30年ほど前に、ポルトガルで同じ大学に通っていた人なんだって。。ふ~~~ん、男の嫉妬は怖い、とは聞いたけど。怖い。。(怒悲)同じように、若いときからみんなに優秀とちやほやされ、自分も自分の能力に自信があっただろうに、片方はMITの教授になったというのに、自分は。。。で、ずっと悔しく、悔しく思っていたのだろうか。フロリダに住んでいたそうだが、一体何をしていたのだろう。ブラウンで博士号がとれなかったのかなあ。。博士号をもっているのに、フロリダのコミュニティカレッジで教えてた? 事件に一応ケリがついて(一般人にとって)今、思うこと。私もGrudgeをもっている人間である。親に対してもそうだし、娘のことを「どうせ連れ子でしょ」と言った女に対しては、いまだに「うぇっ」という気持ちをもっているし、その噂を信じて、ジェトロの会合で開口一番、「娘さん、どうしてますか」と聞いてきて、こっちが男の意図をすぐに見抜き、「さあ、知りませんわあ」と答えると、「ああ、もういいです、いいです」とだけ言い残して立ち去った、それまで会ったことも話したこともない見知らぬ男(名刺によると、日本の大企業のシカゴ支社?社長だった)に対しては、いまだに「あほ、さっさと家に帰って、アホな嫁はんに言え、デイタカコは連れ子で苦労してるらしいでえってさ、何が社長や、どうせ退職前の2年ほど花道を歩かしてもろただけやろ、ばっか、さっさとひっこめ、と、20年近く?腹立たしく思っているけど(笑)、女の恨みはやっぱり感情的なもんが多いのかなあ。男の恨みは、職業生活と収入の相互関係に直結した人生を賭けたものになるから、最後、殺してやる、とまで思いつめるのかなあ。。男のことはよう、わからん。それにしても、やっぱり無差別銃撃は卑怯である。意味もなく殺された学生二人、きれいな白人女性と医学部のアジア系男性だった。人生これからだった若い人が、人生が終わってしまったと思いつめた中年男に意味もなく殺されるなんて不条理すぎるではないか。あああああ。(怒悲)それにしても、今回の事件でびっくりしたこと。犯人を捜す警察やらFBIやらがもつ技術力である。ビデオに映っている場所情報からスマホの電波を探して、スマホの持ち主をおっかけるとか、残された犯人の車と思われる写真を追っかけるとか。途中、ナンバープレートが変えられたりもしていたらしい。犯人も頭脳優秀な物理系の人間だから、自分の痕跡を残さぬようにはかなりしていたらしい。ふ~~~ん。それでも、報償金5万ドル(だったか)を受け取るべき一番の手柄は、ブラウン大学で働くJanitorの人らしい。挙動不審の男がいる、と警察に報告していたのである。どんなに技術が進歩しても、やっぱり最後に力を発揮するのは人間の五感ということか。人間であることーGrudgeが悪いとは思わない。Grudgeをもつな、いやなことは忘れろ、とは誰にも言えないと思う、心のある人間なんだから。でも、大事なことは、Grudgeの負のエネルギーをプラスのエネルギーに変えて、日々新しい時間、自分に挑戦しつづけること。悔しい、見返してやる、とは思うな。どうせ相手は自分のことなど何とも思っていないのだから。20年も覚え続けているのは自分の中だけである。でも、Grudgeは自分が越えねばならない節点をいつも提示してくれると思う。Grudgeがあるからこそ、悔しいからこそ、少しでも高みをめざすことができるのである。がんばるぞ。負けない。相手に対してではなく、自分に対して、である。20年でも30年でもGrudgeをもって生きてきた自分がいとおしくなるまで、がんばるつもり。(笑)