絶対に老化現象の一つである。今から60年ほど前の子供時代に、よく駅を通過する貨物列車が運ぶ貨物の数を数えていた。黒い円柱のものやら、箱型のものがあった。(今のコンテナーとは違う形)定点観測のつもりでプラットホームに立ち、目の前を猛スピードで通過する貨物列車が吹きつけてくる風に身体を浸すあの感覚が大好きだったんだと思う。スカートがばあっと巻き上がるのが面白く、それを懸命に押さえたりして。。(笑)あのとき、そうやって遊んでも、身体に異変が起きることはなかった。楽しかった子供時代の想い出として覚えている。ところが、である。あれから60年、この町も貨物列車が通過する。それで、このあいだ、面白がって、昔と同じことをした。車の中から、目の前を通過する貨物列車のコンテナーの数を数えたのである。なんと150を超えた。ああ、やっと通過した、と思って、ハンドルを握り、車を出そうとしたら、ああなんと、なんと、頭の中がぐるぐるして、目の前がひきつって回っているような感じがしてきて、吐き気がするではないか。何よこれ、あああああ、これも老化ということか。目の前が落ち着くまでに、ちょっと時間を要した。後ろの車に迷惑はかけなかったとは思うけれど、最初の1,2分は運転がきつかったように思う。あああ、もう子供時代と同じことはできないんだあ、で、またがっかり、である。(悲)で、今日もまた、目の前で踏切が降りて貨物列車が通過していったが、もう見たらあかん、と学習したもんだから、ずっと下を向いていた。そうやって、少しずつできなくなることが増えていくんだよね。。。あああああ。(悲)そのうち、オムツの取り換えも人の手を借りねばならぬ???ああ、いやだ、いやだ、、できるときにできることを楽しまねば。。貨物列車がなんじゃらほい。車の中で数えても、風で遊べるわけでなし。(笑)昔は昔。今は今。今日がベストの日。

週末のテレビは、普段は当たり障りのない特集番組(それも、前に一度流したようなヤツも含めて)の時間でも、ずっとニュース番組をやっていた。ブラウン大学とオーストラリアはシドニーの海岸で無差別銃撃事件がおきたからである。うんざり、うんざりもいいところ。ブラウン大学の優秀な学生やらユダヤ系の人が、なぜ意味もなく殺されねばならぬ? 野蛮人たちめ。野蛮人。やばんじん。心の底から侮蔑をこめて、それ以上にいいようがない。きのうの朝は、気温華氏零下5度(摂氏零下20度ぐらい)まで落ちたが、町に住む若い40代の日本人女性と(年に一度会うか会わないかって感じだけど、会うとものすごく楽しい)、レストランで3時間半、しゃべりまくった。彼女は教育畑なので、日本がだめになった理由の一つに、ゆとり教育をあげた。どうせアメリカに、やいのやいの、言われたから、「ゆとり教育」なんて始めたんですよ。それで、日本人の学力が落ちたのよ。大学に入ってくるアメリカ人の学生は、xの二乗を2で割る、の式が書けないんだって。なんで。二乗の2を2で割るから。アホや、で笑った、笑った。(笑)アメリカはね、自分たちが脅威に感じたときにたたきに来る。叩きに来られたときに、わかりました、って頭を下げたらあかんねん。うるさい、悔しかったら、お前らが働け、アホ、と言い返して、つっぱねばあかん。アメリカ人に褒められるようになったら終わりや。どうでもいい、もう自分らの勝ちや、となめられてるだけやから。当時の文部官僚、それを知らんかったんちゃう。アメリカ人のまねなんか、絶対にしたらあかん。と、ぐちゃぐちゃ3時間半。(笑)今の日本の首相をどう思う、と聞かれたけど、答えられず。どうでもいいから。そういえば、好きな辺見さんは、ぼろかすに書いてるけど。(笑)友達と別れて、それからまた日常へ。野蛮人の顔など見たくもない、で、カスタマーサービスで用を足さねばならない時以外は、アメリカ人の顔は見ないようにしてスーパーで買い物。それにしてもこの国、いつなんどき、意味もなく殺されるかも知れないから、外に出ない、が一番賢明だああ。オーストラリアのビーチは、確か去年だったか、行ったところである。可哀そうになあ、殺された人たちの家族の悲嘆を思うと。。。不条理に、怒りのもっていきようがない。弱い、弱い野蛮人め。銃をぶっぱなすことでしか、自分たちの力を確認できない弱い、弱い野蛮人たちめ。ドカスも同じである。自分を振り返られず、自分の責任を認められず、とにかく他を攻撃すること(無差別銃撃と同じ)しかできない弱い、弱い野蛮人である。そのくせ白人だから、英語をしゃべるから、で、大きな顔をして、自分たちより弱いと思われる移民に牙をむき、違法、不法な逮捕もへのかっぱである。親分が野蛮な犯罪人だもんね。Who cares?の野蛮さ。友達と納得しあったのは、この国の人間のHumanityの低さである。低いねえ、低い、ほんとに低い。野蛮人め。野蛮人の鼻をあかす方法はないのかーありゃ、なにやら真珠湾攻撃っぽくなってきた。(笑)

年末恒例行事が終わった。疲れた~~~。教会で出店をして、配偶者の写真を売るのである。クリスマス前のこの時期、みんなクリスマスカードを買ったり、プレゼントを買わねばならない。それで、一年に一度のこのバザーで、配偶者の写真を使ったカードを売る。疲れる。。。朝8時から行って、教会が提供してくれたテーブルにカードを並べ、じっと朝9時から3時までの6時間、たちんぼで、お客を待つ。左隣のテーブルは、香料のはいった石鹸やら液体?を売る女性、右隣は、どうも3次元?コピー機かなにかで型を作って、何かを売ってる若い男性。1日いたけど、何を売ってるのかようわからんかった。でも、けっこうお客さんは来てたなあ。(笑)みんないろいろ荷物を持ち込むから、テーブルの周りにそれほどスペースはない。とにかく狭い。で、お客さん側も、大きく厚い冬のコートを着てもこもこしているから、ますますスペースがなくなる。3人もお客さんがテーブルの周りに立つと、息苦しくなって叫び出しそうな気がする。そのくらい人嫌いになってしまった。(笑)加えて、お金の計算をしなければならぬ。これが疲れる。やっぱり間違えたくないもんね。だいたい昔みたいに、みんな現金で支払うというのなら、ある意味簡単である。それが今は、スマホを取り出してきて、ベンモがどうのこうの、スクェアーがどうのこうのといい、スマホの調子が悪かったら、カードがなかなか受け付けてもらえないようで、支払いにものすごく時間がかかることがある。待っているあいだにイライラしてきて、それでまた疲れる。。。とにかく人込みは苦手である。でもまあ、なんとかしのいで、1000ドルほどの売り上げがあった。そのうちの60パーセント以上は委託販売だから、こちらの手元には何も残らない。6時間働いて、400ドル弱か。。もちろん儲けはまったくなし。写真カードを作る費用を相殺するのが目的だから。じゃあ、何でカードを作るわけ。儲けもないんだったらさ。やっぱり究極は老後の楽しみということかなあ。写真を撮るのが趣味で、その趣味をカードを作ることでみんなに知ってもらって、カードが好きだと言ってくれたお客さんとわいわい話すのが楽しみって感じ。。黙って「金庫番」をしているだけの人間は疲れた、疲れたあ。。朝8時から家に帰ってくるまで、トイレも行かなかったんだよ。トイレ行かず、お昼ごはん食べず、疲れたああ。(笑)そうそうお店を出すためは、教会に申し込み金を払い、売り上げから10パーセントを上納しなければならない。それでもやりたい、そうで。。疲れる、疲れる。でもまあ、年末の恒例行事だから、また来年が楽しみ、とでも言っておくことにしよう。来年かあ、考えたくないよねえ。今年よ、永遠に続け、終わるな。何日寝ても、お正月は来るな。(悲笑悲笑)

今朝、クリスマスカクタスの花が一つだけ咲きました。やったああああ。(笑)蕾はショッキングピンクなのに、花は赤いです。とにもかくにも、うれちい。感謝。まる。(笑)

今日は、郵便局でイライラ。日本の友達に、クリスマスプレゼントを送ろうとした。住所は、Kobe、Japanとは書いたが、残りは漢字である。すると、見るからにUnprofessionalな郵便局員が、住所を英語で書け、と言う。はあ??? 英語というよりは、アルファベットで書け、ということである。きっとその言い方だったんだろうなあ、イライラしたのは。Why?と聞きなおした。きっちりJapanと書いてるんだから、Japan行きの飛行機に載せてくれたらいいだけでしょ。そのあとは、日本人が住所を見たら、わかるでしょ、アメリカの郵便局がなんで日本の住所を読みたがるのよ、と言ったが、とにかく、だめの一点ばり。で、こちらはきっちり包装もしてることだし、やり直すのはいやだなあ、とイライラしてたら、向こうが言った、いや、この封筒の隅のほうでもいいから、マジックペンで書いてくれたらいい、と。マジックペンをもっていない、というと、貸してくれた。で、無事に、封筒の隅のほうに、読めないような小さなアルファベットーつまりローマ字で書いて出した。これで、税関申告書がどうのこうの、と言われたら、きのうは、デンマーク行きの封筒は何も言われなかった、なんで局員によって言うことが違うねん、って噛みついてやろうと思っていたら、無事に受け取ってくれた。ほっ、である。ほんとにこの国は、何かをしようとすると、イライラすることが起こる。で、ニュースによると、これからはこの国に入国しようとする人は、過去5年間のSNSやら家族の状況を調べて、ドカスの悪口を言ってないかを調べるんだって。。お前ら、ほんまにアホ。アホは、意味のないところに力を入れたがる。しょうもないことで、自分の力を確認しようとするから。アホはほんとに税金、時間、エネルギーの無駄使いである。自分のエゴを通すことしか考えないから。この国に満ちるアホどもの塊にますます腹が立ってくる。(怒)郵便だってそうでしょ。国名だけをきっちり書けばいいのである。あとはアメリカの郵便局の知ったことではないでしょ。なぜローマ字で書け、を強制するか。要するに、外国語が嫌いなのである、ただそれだけ。アルファベットだけが世界で唯一の立派な文字、ぐらいに思ってるんでしょ。ふん、だ。田舎っぺどもめ、お前らの小さな世界観に付き合わされるのはほんまにうんざりだああ。(怒)Japanと書いてあっても、日本行きの飛行機に載せられずに、どっかへ行ってしまって、6週間、10週間とかかるときもあるもんね。そんなときは、無事に届けばラッキーである。ちゃんと切手代を払ってるのにさ、詐欺まがいだよ、お前らのやってることは。アルファベットで住所を書くなんてことにぎゃあぎゃあ言うよりも、もっと大事な仕事ー郵便物を行先の飛行機にきっちり載せるーをしっかりこなせしてみろ。ばっか。(怒笑)エゴといえば、今日、高橋真理子のトーク番組を見ていて、気づいたことがあった。彼女が言った、多くの歌手は、歌の中に自分を入れる、歌に自分が酔ってしまっている、でも、それではお客さんに歌が伝わらない、私は歌を仕事として歌うだけ、と。書くのも同じである、自分の気持ちが入りすぎた文章は相手に伝わらない。重たく、うんざりされるだけ。たぶんそれは音も同じ。これまで弾いてきたピアノの音は、自分の気持ちだけで弾いていた。どてどてばたんばたんの相撲のような音だった。ボランティア先で、プロ歌手の歌声をそばで聞くようになって、音楽への考え方が変わってきたように思う。というか、今になってやっと初めて、音楽とは何か、がわかるようになる第一歩を踏み出したのでは、という気がする。文章も音も歌もみんな同じ。いかに自分ーエゴを消し去るか。そして、表現をいかに伝えたいものとして昇華させるか、である。70にして立つ、かなあ???。(笑)

バタバタ。しあす、だと思っていた。でも、何度、しあす、と書いても、師走、の漢字が出てこない。このコンピュータ、何よ、とけげんに思ったが、一応、と思って、中学生のときからもっている国語辞典で、しあす、とひいてみた。出てこない。がやああ。しあす、と読まないんだ。なんて読むの。漢字は当たってるよね。忙しくて、師すら走る、の意味だと覚えてきた。何て読むのでしょうか。読み方がわからなかったら、国語辞典がひけないよ。(悲笑)70にして、師走、の読み方を知らないことを知る。(笑)もしかして、と思い、しわす? とひいたら、あったあ。。よかったああ。。(笑)しあす、ではなく、しわす、かああ。これって、方言レベルの違い? (笑)とにもかくにも、何かと気持ちが落ち着かない。しわす、だああ。(笑)2,3日前のニュースで、「貞操権」なるものがあると初めて知った。アプリで知り合った男と、結婚を前提にした真剣交際を考え、それを男にも伝えていたにもかかわらず、男が独身のふりをして、彼女を弄んだことを「貞操権」の侵害と裁判所が判断を下した。娘もアプリを使って、いろんな男と出会っている。いっしょにコスタリカまで遊びに行く彼女がいるのに、娘と出歩いてその気にさせよう、もしくはさせた男、2ケ月ほど頻繁に会ったが、急にばったり連絡がこなくなった男。。日本のニュースはひとごとではない、と思ったから、娘にニュースを送った。アメリカにも貞操権ってあるの?と聞いたけど、特に返事はなし。それよりも、「世の中には残酷なことがいっぱいある、残酷な男もいっぱいいる、でもどんなに残酷なことをされても、自分は人に親切にする人間であり続けたいから、否定的なニュースは送ってこないで。自分は怖れとともに生きるつもりはない」と、聖人君子みたいな返事をもらった。そんな理想論を振りかざしていていいの、人間なんて汚いもんだけどねえ、とこれまた心配になる、暇な親ばか。(笑) ニュースなんて基本的に人の不幸で成り立っているよ。おかしな人を認識することは、決して怖れとともに生きることではないよ。君子、危うきに近寄らず、で、距離をとることは生きる知恵ですよ、と返事したけどねえ、人の助言は聞かないアメリカ人、いややねえ、なあんて思っていたら、きのうは、青森で地震が起きた。で、貞操権の話は吹っ飛んだ。(笑)そうそう、150万円を彼女に払えというのが裁判所の判断だが、おい、どんな男か知らないけど、これから自分の結婚はどうなるのよ。妻子がいるんでしょ。こんなニュースになってしまったら、即離婚じゃないの。じゃあ、今度は、本物の独身男ということで、次は、貞操権を侵害しないように、せいぜいがんばってくだされ。(笑)今日はボランティアの日。久しぶりにピアノを弾いて楽しかった。クリスマスキャロルや映画音楽を弾くと、歌える人はスマホで歌詞を探して歌ってくれた。楽しい、楽しい。。確かに、音楽はコンピュータからでも流すことができる。でも、あのピンピンした金属音は嫌いである。あの金属音で心にゆとりが生まれるとは絶対に思えない。むしろ、イライラしてくると思う。やっぱり生の楽器の音だけが人の心に響くと思う。聞いていると、自然に歌いたくなってくるようなピアノの音が出せるようがんばりたい。。。毎日、挑戦と感謝。

は真珠湾攻撃の日。ニュースが何か言うかな、と思って、じっとテレビを見ていたが、見ている限りにおいて、キャスターが口にすることはなかった。テレビ画面の下にテロップが流れて、サバイバーが12人いるけど、誰一人式典に出席することはできなかった、とそれだけ。百歳を超えてるんだろうなあ。日本のことなどニュースにならない。もう力を失って、アメリカにとって脅威ではなくなったから。そのくらいでちょうどいいのでは。真珠湾のことが話題にならなくなるのはありがたいことだ。(悲笑)今日のプールは最高だった、水の温度が。(笑)それほど冷たくもなく、温かくもなく。ずっと泳いでいたかったけど、そういうわけにもいかず。(笑)隣のレーンで、中年のおじさんが泳いでいたけど、おじさん、ドルフィンキック?で泳ぎ続けるんだよね。若いとき、水泳部だったんだろうなあ。プールは我々二人と見張りのお兄ちゃんの3人だけ。アメリカは嫌いだけど、このスペースだけは文句は言えない。泳いでいると、水が皮膚にはりついてきて、ぬめぬめ感が出てくる。水に身体が溶けていくようなあの感覚が好き。なあんか原初に戻っていくような感じ。水から生まれた生命体に戻っていくような。一白水星の人間である。「あんたは水。止まったらあかん。流れ続けなかったら腐る」ー八卦みのおばさんに言われた言葉を思い出しながら、泳ぐ。流れ続けることー来年の今ごろはどうしてるだろう、なあんて思うのは無駄。だって、去年の今ごろ何をしていたかなんて覚えていないんだから。(笑)なんでもすぐに忘れてしまう。だからこそ、今が大事。今、今、今。今が生きるすべて。今日一日が無事に終わろうとしていることに感謝するのみ。

観戦って何? さっぱり縁がないから問うている。(笑)日本からのニュースは、サッカーの話ばっかりしている。なにやら日本チームは、勝ち抜くのがむずかしそうなグループに入ったんだって。でも、FIFAなる団体?が、ドカスに、FIFA平和賞を授与?したことはまったく報じない。冗談もいいところだよね。ドカスが、うれしそうに、FIFA平和賞とやらの金色メダルを、自分の首にかけるのをアメリカのテレビは何度も何度も流した。うんざり。あっほ。(怒笑)FIFAが何を考えて、FIFA平和賞なるものを設け、それをドカスに渡したのか??そりゃまあ、お金でしょ。ノーベル平和賞が欲しい、欲しい、とわめいた底抜けアホドカスに、FIFA平和賞をわたして、ドカスを喜ばせて、何がFIFAに入ってくるのか、と考えたら、お金しかよないねえ。ドカスの頭の中も、メダルと同じ、金(かね)色のみ。ドカスが最初の受賞者だって。最初で最後でしょ。違うの?(笑)スポーツ界って、お金だけの世界なの? スポーツとはさっぱり縁がない人間は、なんで人が、ドカスにごまをすり、喜ばせねばならないほど金のかかるスポーツを見て、興奮するのかさっぱりわからない。(すみません。笑)確かに、抜群の運動能力をもって生まれてきた一流の運動選手が活躍する場は必要だし、活躍する人を応援し、自分も選手たちのエネルギーのおすそわけをもらったような気持ちになるらしい、というのはわかる気がするけど、応援したら、自分の身体は元気になるの? 負けても勝っても、へたな応援の仕方をしたら、飲みすぎとかで、自分の健康を損なう危険性もあるのでは?? (笑) FIFA平和賞って何? サッカーを通し国際親善に貢献する、みたいな日本人好みの総論センチメンタリズムは糞くらえ、だ。(笑)ドカスにそんなセンチメンタリズムは一切なく、考えることもない。あるのは金をもらうことと、自分に注目が集まることだけ。ドカスにそこまでゴマをすらねばならないワールドサッカー界って、ほんとはすごく胡散臭いところじゃないの。げっげっげっ。なぜ平和賞か。それが結論だあ。(笑)というわけで、何を日々の楽しみにするかは人それぞれで、誰にも何も言えないけど、胡散臭そうな団体の試合に夢中になりすぎて、ただただドカスやら胡散臭い団体を喜ばせるよりも、もっと大事なことーまずは自分自身の身体を動かすこと。一流選手たちが快心のボールさばきをしたときにたぶん選手たちが感じているだろう、その一瞬の身体感覚を自分も探すことーがんばって、プールへ行って泳いできます。(笑)

きのうの朝、気温は華氏でマイナスまで落ちた。摂氏に直すと、零下20度ぐらい。でも、空を見上げると、深い真っ青。。ううううう。運転日和だあ、で、シカゴまで走った。るんるん。(笑)地表は真っ白だけど、その上に真っ青な空が広がっているという色のコントラストが大好きである。高速道路はまったく問題なし。車は少なめだった。シカゴの図書館で仕事を終えて、ミシガン湖を右手に見ながら、Lakeshore Driveを北上。久しぶりに湖を見た。凍っているのかどうかわからず。しばらく走って、ボランティア先へ荷物を届けた。ビンゴゲームの賞品に使ってもらえたら、と思って、家の不用品をもっていったのである。女は買い物が大好きである。何かいいものはないかと思って、品々を手にとり、見定めるのが大好き。年をとると、買い物に行くのすらむずかしくなる。ましてや車椅子では、である。クライアントがビンゴが好きなのも、あとで物探しの楽しみがあるから、と彼女たちを観察していた。女の買い物の楽しみのために、家の不用品が役立てば、そんなにありがたいことはない。それから、ちょこっとキチンの片づけを手伝ってから、再び通い慣れた高速道路へ。帰り道は日没の時間に重なった。白い雪原の上で、ダイダイ色がかったピンク、その上に黄色がかったダイダイ色、その上に白っぽい薄青と空の色が重層的に変わり、やがて静かに夜のとばりがやってくるのを予感させる。そんな色のグラデーションがたまらなく美しいと感じる今。見てよかったと。今日一日、生きててよかったと。こんな空の風景は大都会シカゴでは絶対に見られないよね。大昔、曽根崎あたりの飲み屋街を、支店長たちとうろうろしていた若かりし頃は、絶対理解できなかったこの心持と感動。あの頃は、都会の夜が大好きだった。ネオンちかちかの夜の街には、人間の欲望がうごめき、なあんか面白いことが潜んでいるような感じがした。小説の読みすぎだったかも。(笑)今は。。。夜は、もう外が歩けません。運転できません。家が一番いいです。夜は寝るときです。(笑)そういえば、夜中に電気をつけて、賞金目当ての文章を書いていたら、父親が部屋に入ってきて、そんなこと、人間の屑のすることや、さっさと寝、と怒られたなあ。人間の屑や、は、やっぱり言い過ぎだったねえ、と今でも思う。”人間の屑”でも、まだ元気でやってまっせ。それでよし。きのう、ドライブでリセットしたおかげで、今日は元気で仕事ができそう。感謝。(今日の空は再び曇り空。きのうはほんとにラッキーだった。感謝)

娘の誕生日。きのう落ち込んでいた原因は、案外そんなところにあったのかも。あの朝、出産準備クラスで、病院に早く来ても、赤ちゃんはなかなか生まれませんよ、と言われすぎたせいか、陣痛は前の晩の11時ぐらいから10分おきに始まっていたのに、一晩中、寝ずに我慢して、朝6時、陣痛が来たら立ち上がれなくなる状態で、病院へ。エマージェンシーに連れていってくれるのかと思いきや、普通の病院受付である、こちらは床にはいつくばっていたら、通りがかった看護師さんが、何してるの、と聞くから、立ち上がれません、と言ったら、車椅子をもってきてくれて、配偶者が、じゃあ、今から車を駐車してきます、と言うと、早くしないと、生まれてしまいますよ、と言われて、2時間後、娘が無事に生まれた。カーテンの影で、看護師さんたちが、アジア系のお産は簡単だ、みたいなことを言っているのが聞こえた。どうもお医者さんは、前の晩の11時から病院に来てたらしい。お待たせしました。でも、2時間で終わりました。(笑)準備クラスで、配偶者が横でふうふうはあはあ、言って、呼吸を整える、みたいなことを学んだが、こっちが苦しんでいるのに、横で男の声がふうふうはあはあ、言ったら、気色悪くて、うるさい、黙って、どっかへ行って、と言ったのを覚えている。(笑)あのとき、一番役に立ったアドバイスは、高校を出てすぐ子供を産んだケイちゃんの言葉、「子供を産むってどんな感じ?」と聞くと、答えは「巨大な便秘」。あれが、一番役に立った。ふうふうはあはあ、じゃないよ。(笑)ケイちゃんは今頃どこでどうしてるのだろう。朝8時に生まれて、12時間病院にいて、夜8時、退院した。保険がなかったから。それに、アメリカの産婦人科なんて、おられたもんじゃない。アメリカ人の母親たち、ターザンの雄叫びみたいな声を出すのである。抑揚をつけて、あああああああああ、あああああああああ。気色悪い、悪い。早く病院を出なければ、で出た。それから家に看護師さんが2日おきぐらいに来てくれてたのかなあ。。あれから、xxx年が経った。人生、早かった。悲しくなるほど早かった。もう元には戻れない。やっぱり考えると、落ち込むよなあ。。(悲)今、読んでいる本で「エコフェミニズム」という言葉を学んだ。産む性を自然との関連で捉えるというものらしい、と理解している。私が大嫌いな上野チズ・という女のフェミニズムは、マルクス主義のフェミニズム?とか。何しか、子育てなんてレジャーと同じ、したい人がすればいい、という発想だとか。マルクスか何だか知らないけれど、そういう発想からは自然や生物といった、身体の力や自然のエネルギーを尊重する発想が完全に欠落している。人間存在は、頭に詰め込む知識だけで成立するもんじゃないんだよ。知識を記憶する脳細胞より、環境とともに成長し、自然に対して無意識に親近感を覚えながら生きていく身体のほうが、よっぽど力をもってるんだよ。ばっか。どこかで上野のことが嫌い、と書くと、有名人好きの男に、タカコさんは先生を罵倒してるとか何とか、有名人をかばう男が現れた。どんなに有名だか知らないけれど、今の日本の少子化問題に、子育てはレジャーと同じ、なんて考えた、頭ばっかりでっかい女の思想に責任はないのか。ふんだ、罵倒したつもりはないけれど、相手の人間の肩書に頭を下げる気はまったくなし。わたしゃ、あの女が嫌い、は変わらず。(笑)日本からのニュースでは、今、遺贈というのが、人々のあいだで受け入れられるようになっているとか。相続人のいない人が、自分の好きな団体や場所、その他に寄付をするというもの。自分が好きでよく通った動物園に寄付をして、施設が改善された事例が紹介されていた。別に相続人がいてもしたらいいと思う。自分が消えたあとでも、自分の残したものが、誰かの役に立てるという満足感。子供を産む(種を残す)のは生物の本能である。自分のあとに子供を残すーそれは自分の命が続いていくこと。子供がいなくても残せるものがあるーそれはその人の生き様であり、社会との関わりであり、それがお金という形で残っているのなら、寄付は自分が生きた世界への恩返しであり、生きた証、感謝ではあるまいか。子育てはレジャーなんて言ってのける、頭でっかちの発想とは次元が違うんだよ。確かあの人、子供いなかったよね。立派な肩書やら執筆講演活動で、お金は腐るほどあるのでは??遺贈する??するなら、どこ?? (笑) 大学に寄付して、自分の記念碑を建ててもらう、みたいなことだけは言わないでね。(笑)