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世界的な金融危機でオペラの観客が減るなど大きな影響が出ているのだ。時代が大きく動く中で、いかに魅力あるオペラを作り出し、改革を成し遂げていくのか、ゲルブ氏に、国谷キャスターがインタビューする。
(NO.2687)

ゲスト ピーター・ゲルブさん
    (メトロポリタン歌劇場総裁)


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オペラ=総合舞台芸術、クラシック芸術。

脚本・演出・オケ・メイク・衣装・・・・・・舞台裏もまた非常に重要な創造の役割を担っている世界ではある。


不況。

利益をださなければ、今後いい作品もつくっていけないというのは確かにある。それを時代の流れとともに一部の富裕層だけで、支えていくこと自体が厳しい時代には入ってきている。日本でも、劇団四季が価格を下げた。経営上、生き残りをかけるとすれば、どこかで妥協していくことは致し方ない。


ただ、その打開策について、感覚的には「?」。

オペラを、スポーツ観戦のエキサイティングと同じという考えでもって、ネットやテレビ中継でファンとの距離を縮める強めるという発想には、なんか・・・。それが”活性化”?

舞台裏も含めた生中継を映画館で公開するその方法、交響楽団でも取り入れはじめている手ではある。

問題は、頻度かな。

1作品につき1回限定、ならアリでしょう。

毎回、というなら、疑問符。

真相を知りやすい情報化社会とはいえ、芸術は集ったひとにだけわかるかもしれない秘密の共有性とともにあると思うね。大げさにいえば、時空を越えた嘘の夢をうる魔術なので。

テレビ放映には断固反対。

動画で大量生産され消費されつくす方向に流れてどうするんだろう。


閉鎖的サロン、会員制ギルド的な酔い方、富裕層のための社交場としてのあり方。

芸術は歴史上、そういったイヤラシイものとともに利用しあってきているわけだけど、”芸術の敗北”をどう考えるか・・・。

現代社会と伝統とをどう融合させていくか・・・。

理念ではいくらでもいえるけれど、現実問題としては、難しいね。


ことばでまとめてしまえば

いいものは残るし、時代をつかめないものは廃れる。

ただそれだけのことなんだけど。


文学分野でいえば、三島・春樹が出ない時代なら大衆的でいいじゃないと思いがちなわけだけど、

音楽分野でいうと、大衆に迎合してまでそこまで変化しなくてもいいです。

一時的に芸術関係者をリストラしてでも、クラシックとしての誇りまたは傲慢さまたは閉塞感を残すことで、

質の高いものにトライしつづけ、IT技術で文化を普及させるやり方ではなく、オペラの内容自体で新奇な方法を取り入れていってほしいと願ったり。

眼と太陽/磯崎 憲一郎
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文学賞メッタ斬り!|第139回芥川賞・直木賞選考会|ROUND2 芥川賞選考会
http://web.parco-city.com/literaryawards/139/r2_02.html



大きい視点と小さい視点の対比→混合はうまい。

個人的には、構成に技巧を凝らしたものは読みにくい。

エピソード2つ分の曖昧さを好きになれるか否かが評価の分かれ道?


この作品が芥川賞の最終選考に残っていたが、石原欠席&中国オリンピックのご時世ということもあって、

落ちた・・・という話はほんとう?


それはそうと。

何を読んでも、太宰と三島は素晴らしい、そういう結論にしか行かないとは、悲しい。


文学は滅亡してしまったんだろうか。



河村 政敏
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『キノの旅』おもしろい!!とか言ってる感性では、永遠に純文学の理由を知る日はこないんだろう・・・



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amazonで、『文藝 夏 2008』は検索に出てこない。

作家ファイル特集98~08、面白かった。

というか、こんなに80年代生まれの女流作家がデビューしてたの・・・!


純文学の情報って、意識して関心をもたなければ、地元の本屋に行く程度では、知りえない情報なのか

私があまりに文学音痴なのか。


「踊る大捜査線」とは別ものと考えてみたほうが、あのシリーズのファンには誤解がなくてよいのかな。
脇役など演技派揃いで豪華。
上映中は、話題になっていたのだろうか?

容疑者 室井慎次 プレミアム・エディション (数量限定生産)
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真実とは何か


・・・権威に屈して曖昧なものを受け入れていくこと=融通がきく社会人・・・矛盾もスルーして・・・


そういう生き方ばかりしていると、大事なものを見失ってしまうときがくる。

でも、生き方を変えることはなかなかできない。

せめて作品の中で、正義がなんであったか・・・忘れていた勇気、そういうものに気づいて

軌道修正、立ち返る心、微調整しながら生きていきたいものだと思う。


個人的には、こういうテイスト、ああいう人物像には非常に共感する。



■感想サイト

http://mebius.blog2.fc2.com/blog-entry-74.html


バグズ・ライフ [DVD]



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ディズニーお決まりのストーリーを安心して楽しめた。


ディズニー映画は、家で見るにはちょうどいい長さ。


15分セオリーはきっちり展開されていた。




人間との接点のない、虫視点や海中の世界は、ひどくいい。


顰蹙文学カフェ/高橋 源一郎



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顰蹙を買ってナンボ。


そりゃそうだろう。


『群像』に、こんなコラムが連載されていれば、息抜きに面白いかもしれない。




しかし、群像事情なぞ知らんこちらからすれば、読む価値なし。




日ごろから顰蹙だとか孤独だとか悲しみだとか、自分(同業者含む)に向けて手の内みせるというかその単語を使う人間はヴァカかと思うわけだけど、


そういう性質の言葉でまとめて解説したがりだから批評家やってんですかね。


どうでもいいから、批評家さまが、「石原慎太郎には言えない」とか言って出版にのせてどーすんの。


内輪の政治事情は見えないところでへこへこやってりゃいいじゃん。




だから文字だけ威勢いい虚構世界には用はない→文学離れ現象。


かわいそうアイテムや過激アイテムを好きなように使っておいて、なんだいまさら!!


文藝 2008年 11月号 [雑誌]



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■柴崎友香。


文藝誌をよみはじめてから、この名前を目にすることが多い。


代表作は別にあるとして、それを読まずしてマイナスの感想を書きたれるのもあれかなと思いつつ。


この号に書き下ろした『宇宙の日』については、さらさらっと3日で仕上げました、的な。


読まなくても、自分で感じとれる範囲のあれで、この作家に文字化していただかなくて結構。


大阪弁=臨場感とか、インハーの人もだけど、ずっこいなー女流作家に期待されていることは、プロになっても感性だけでいいのかーという印象。


もすこし硬派で骨太な作家・・・を、「文藝」に期待していることも筋違いといえばそういえそう。






■第45回文藝章発表


『けちゃっぷ』喜多ふあり




最初の5ページまで食らいついて、あとはぱらぱらと流して最後読んで終わり。


ブログ(機械)と向き合うほうがリアル、って感性、本音と建前の乖離した日本人には多いだろうね。


そこは共感しやすいテーマではあるけど、ああいうタイプの過剰さは目にうるさいかな。


だったら、比喩で過剰な下品さのほうがまだいいじゃないと言いたい。




今や、現実>小説、なわけだけど。


ブログや2chのほうが、人間が進んでる。


奇怪さや虚構を楽しむ感性は凡人にみえる奴のほうがあるかなあ。


そういう現象を後追いの後追いで新人作家が古い文学肌に送りつけて、


審査員自体がついてこれてないという風。


審査員が取り残されていて、新しさを求めるばかりに、死んでる文学をさらに棺に入れて送り出して


むりやり島流しして反響を探っているような印象。


けちゃっぷは、携帯小説よりは、構成がしっかりしています、的な話?


これを読んで受賞がアリなら、真面目にやってる人からしたら非常につらい・つまらない時代というか。


就職難かつニート台頭の時代、暇人はこぞって応募したくなるよね。


自分でも受かるんじゃない、って思う人は多いだろうなぁ。






『おひるのたびにさようなら』宍戸悠太


最初の2ページで終わり。


受賞の感想にあったエピソードが自分とにていてちょっと期待した。


学校時代、「後書き」だけで読書感想を書いていて、先生から作家業をすすめられたことなど。


新人賞を狙うための”実験”的な構成って、素人読者としては煩わしい画策がみえるだけ。


目の肥えた人には面白いの?






■同時代に発表される文学作品


って、何のために読むんだろう。お金払って読む価値ないよね。音楽のCDが売れないのと同じ。


だいたい顔写真とられてアイドル化されて黙っていられる商業迎合型の神経。図太いというか、作家としてイヤじゃないんすかね。作家というよりコピーライターさん的なあれなんだなと。




ブログは、本当の日記寄りであるから携帯小説の「ほんとうにあったできごと・・・」のうたい文句と同じく、安い感触を出しやすい。


文学作品のほうは、創作とわかっていて読むわけだから、かつ、有料で手にするわけで、そして今やアニメと漫画やゲームの題材のほうが勝っているとくれば・・・厳しい時代だ。






今回、この3作品を読むと、


群像新人文学賞(小説部門)


第51回(2008) 松尾依子
「子守唄しか聞こえない」


金閣寺にヒントをえたらしい視覚障害者をテーマにした、

第40回新潮新人賞 飯塚朝美(あさみ)氏(25)の「クロスフェーダーの曖昧な光」



この二つが秀逸に思えてくる不思議。






新人賞をとって作家になる!: 小説指南書
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Amazon.co.jp: 小説家になる!〈2〉芥川賞・直木賞だって狙える12講 (CWSレクチャーブックス): 中条 省平: 本
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■例から実際読みたいと思った本


・岡本かの子『鮨』『食魔』

・三島由紀夫『月』『詩を書く少年』(花ざかりの森・憂国)

・丸山健二『夏の流れ』

・川端康成『眠れる美女』




文学の繊細な読み取り方、読む技術を育てていないという自覚はある。
そうだから、いまさら「文学ってなにさ」というわけで、創作者による分析を読んでいるんですが。

この本を読むと、ブログ的・エンタメ漫画的な・・・おそらく純文系のひとたちがこぞって批判する・・・稚拙で直接的といわれるもの・・・が売れる時代であることがよーくわかる。そこは、紋切り型でいいじゃない、って思ってしまうんだよね。読者としては。

作家養成講座・評論家としては、もちろん、古い作家の焼き直しや陳腐なものではなく、新しい表現方法を生み出せという使命があるのだろうけど。
ふつーの読者の感想としては、こういった文芸評論本の大筋は理解できるけど、なんだか、修飾語の多用や比喩を否定されて簡潔さばかり強調されると、えええええええなんでそこばっかり否定すんの、って思う。そんなに静かな地の文のシンプルさが、物語の起承転結を引き立てるか?そこにいくまでに、掴めないまま読者を置いてってるのは、純文学さまじゃないのかと。臭くて独り善がりで過剰でもいいじゃない(笑)と。

どう考えても、純文学に縁がない。

だいたいふつーの小説の読者は、携帯小説のスタイルには嫌悪したとしても、純文学と大衆小説の違いも作者の気概も意図もあんまりわかってないんじゃないですかね。ストーリーありきではないところで読ませる技術・・・といっても、そこを読みとれる読者が育っていなくないですかね・・・。
文藝誌が認めるとか、そういう本ばっか量産されても・・・。
いや、読者側からの要望を言うばかりの人が、このような創作者のために書かれた本を積極的に読み漁る必要はないといえばないわけですが。

そんな、堂堂巡りの暴言はさておき。(いや、その実、社会的に書いておけと思ってるだけで、暴言とすら思ってないこの感性が、小説向き特に純文学という藝術向きじゃない)。だいたい、言葉で説明しない音楽こそが純粋で素晴らしいと思ってきたわけで、文学が藝術とか思ったことすらない。

で。

98ページからの「悪文」のオンパレード例。これは面白い。「黒評ダブルダウン」への酷評。
傍観者的には、非常に面白い。言いたい本質も大いに理解できる。でも、もし自分が適当な創作願望だけで小説教室に通ってこの講義を受けていたとしたら、「悪文とされるもの=自分の課題作品」ということを突きつけられ、凍ってしまう。まったく、わらえない。わらえないけど、悪文でよしと思う。いままでブログ界に数年転がりつづけて言葉を心をゴミ屑化させてきたとおり、「悪文」ほど面白い、と思ってきた自分がいるからだ。
不特定多数に理解される綺麗なものより、ある種の人間だけが群れてるだけの悪文ワールドでいいじゃないと。それでこそ、反権力じゃないの?とか。
でも、まーちがうよね。
真剣にやりたければ、やっぱりその道で説得力のある最高峰を手に入れてから言え、というのが職業の基本だよね。
所詮、悪文がいいなどと言えるのも自分のためのブログでの話であって、クラシック音楽とエーベックスと素人ライブが違うように、読ませるための小説と日記スタイルのブログでの魅力は別ってな話。ブログ(自分)の誇張表現によるイヤラシサがわかってから、本へ戻り、本のよさを痛感した。そして、本に興味を抱いて、こういう本を手にとって、みたはいいけど。いやー、芥川賞や文藝誌新人賞が奇跡に思えてくる不思議。狭き門だ。


村松 恒平
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経歴;新聞社→現・宝島社編集者によるメールマガジンQ&A。
それをまとめた本。
的確に回答してあって、明解。
もともと本にする構想があったとはいえ、無料でここまでやりとりできることがすごい。
この人自身の度量の広さ=プロとしての自負や確信というものを感じさせ、その人間的な魅力によって、ますます
説得力が深まる。


文章を書く上での勘違いしやすい点や自覚や意志を問いなおさせる書き方がみごと。
思考や技術面とはいっけんはなれたもの、ものごとを見る目、生き方の指標・・・と、根本を再確認するのにいい。
どんな職業にも通じる面もあれば、ものごとひとつ長く続けてきわめたことがある人であれば、自然と気づいている原理原則、そういう一般化できるところがよかった。


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言葉

言葉は、子供の頃から誰でもが使ってきた、ごくあふれた道具である。言葉を売ってお金をとろうとするのは、つげ義春の「無能の人」のように川原の石を拾って売るのと変わらない。だからこそ、使い方の芸にすべてがかかっている。使い方次第で、言葉はクズにもなるし、黄金にもなる。言葉の錬金術とよくいわれる所以である。文章の道はどこまでも奥が深い。
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http://bookcharm.blog.so-net.ne.jp/2009-01-18

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人の表現力や想像力って、本を読んだからってすぐ効くってわけじゃないし即効性を求められたり、実用性を求められたりしてもねぇって思うけど、でも、何か窮地に陥った時にちょっとした余裕が持てる底力は、やはり本を読んだか読まなかったによるんじゃないかなって思う。

人は裏切るけど、本は読んだ分だけ、わたしを裏切らない。



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共感。

行動で開拓できていける人ばかりじゃないし、そういう時期が長くある人でも、いつかは、

というか、根本的に、ひとはひとり。孤独な時間をおろそかにしていては、見失うね。

失うから、孤独が深まる、人と疎遠になる、というのも鶏と卵とはいえ。

本でも経験でもいいんだけど、”ひとり”で耐える力、”ひとり”でも切り拓いていこうとする意志、そういうことが大事なんじゃないかなと思う。



自分の場合は、人やから離れてみたくなるとき、迷いがあるとき、本を貪ろうとする傾向が強い。

それはそれで身勝手な接近の仕方かもしれないけど、本を鵜呑みにしてみるなり、反感を持ちながら変えられない自分を確認するもよし、本はいい。本は、距離を持っている点、自主的に選択できる点が優れているように思う。



読み物のよさという意味では、素人同士のブログ交流にもよさはあるわけだけど。

ただネットでまで社交辞令とか褒め殺しとか論争だとか、そういうのは疲れたかな・・・。


本の世界。普遍的にいいもの、そういうものにもう少しめぐり合える年にしたい。