私は不言実行を人生のテーマにしているし
それがかっこいいと思っていて
そんなかっこいい自分であるためなら
頑張れる!という原動力に繋がっている。
「あ、そろそろ冷蔵庫掃除しなきゃな」
と思ったら
①今すぐやるか、
もしくは直近でいつできるか考えて
②今日、明日でやる。
③忘れそうならカレンダーアプリに入れておく。
私の価値観では
有言実行の「有言」すら必要ないのでは?と思っている。
やることを誰かに宣言する必要があるのか?
会社やチームならそう言うこともあるだろうが
チーム全体でやることではなく
個人でやる行動に発言は必要なのか?
と思ってしまう。
夫はそうじゃなく
「そろそろ冷蔵庫掃除した方がいいね」
と口に出すタイプだ。
暗に私にやれという指示なのか?と
まずは思ってしまって不快だ。
ただの情報共有なのか?
自分は冷蔵庫掃除をする気がある、という自慢なのか…?
驚いたことに彼の場合
このまま待っても一向に冷蔵庫掃除はされず、
「俺は冷蔵庫掃除しようってずっと言ってたよね」
と怒り出すのが常だ。
私はこういう時
陰で他人に夫の悪口を言ったり
勝手に敵対心を燃やして
「どうせ夫は〜だから、私が〜すれば気が済むんだろ?」
と決めつけて不貞腐れ我慢するのだけはダサい、と思うようにしている。
私のポリシーとして
こういうパートナーへの違和感は
他人と討論しても意味がない。
夫本人にぶつけなければ本当の答えが出ず、
効率が悪い。
(とはいえ10個問題があったときに流石に10個全部夫に指摘するわけにはいかない…。1個はすぐに言う、7個は様子を見たり時間をあけて言う、2個は一旦我慢する、といった具合。
この要領で、夫自身の問題なのに、私のタスクが膨大に増えていくのは正直ストレスが大きい。これを繰り返していくことで徐々に問題を減らし、その場で指摘するだけで済むようになることを願うばかりだ…。)
なぜ自分が言ったことが実行されない時
私に腹を立てるんだろう?
行動する予定がないのになぜ口に出す?
試しに夫に聞いてみた。
すると、口に出すのは自分の中の確認だそうだ。
冷蔵庫掃除しなきゃな、
と思ったことを心に収めておくよりも
口に出すことで
記録したい、一歩現実に近づけたい、
自分が動く原動力にしたい、
ということだそうだ。
私から見れば
口に出して満足して終わってしまっている気はするが…。
そして、それが実行されないとき
なぜ私に腹を立てるか?
これは無意識に私に甘えてしまっているのだそうだ。
夫は私のことを、完璧な人だと思っている節がある。
やるべき事はちゃんとやる、
必要なことは必ずやってくれる、
正しいことをきちんと選べる、
教科書のようにできている
…のが当然でデフォルトでそれができていないのは異常だ、なぜできていないんだ、
と責めてしまうところがあるとのことだ。
子供の頃、私も
無意識に大人はなんでもできるのが当然だと思っていた。
それと同じ仕組みだそうだ。
理解はできるが、
私は人間だし、同じ年齢の対等なパートナーだ。
間違いもあり、面倒がることもあり、
冷蔵庫掃除したくなるタイミングも夫とは違うことがある。
夫が口に出したことを
私がやってくれると思うのは
あまりに身勝手だ。
ここは夫の課題として、私離れし、
自分がやりたいと思った事は自分でやってもらわねば困る。
他にも
「一生トイレ掃除は俺がするから、トイレのブラシはこれにして!」とか
「俺のせいで私に迷惑をかけた分、数年後にボーナスから〇〇円分のプレゼントをしたい!」とか
妙に大きな事を言ってその場を収めようとする節がある。
「それが叶わないなら、もう俺はこの家には住めない!」
とかいう脅しもセットで付いてくるので私は承諾するしかないのだが…。
もちろんトイレ掃除は結局、
それから半年間一度も夫はやっていない。
数年後はまだ来ていないがプレゼントもくれるかどうか期待はできない。
本当に口ばかりよく動いて、
行動をしないのは
恥ずかしくないのかな?
嘘ばかりつく人になってるけど気まずくないのかな?
行動しないのにどんな仕組みで毎日暮らしてる?
本当に不思議だ。
指摘しても正当化したり、かわしたり
別の話題を出してきて面倒くさいからもう話すのを辞めよう、と思わせるのが上手い。
自分を守ることには異常に長けている。
本当にやったもん勝ち、言ったもん勝ちの仕組みは悲しいな〜と思うが
私は嫌な事は
ストレス回避のためすぐに忘れてしまうし
やったもん勝ちでやりたい放題するには
良心が邪魔して罪悪感が勝ってしまう。
私はどうしたって泣き寝入りする側の負け組なんだよな、、
と思いながらも
記憶力とストレスと体力と時間のバランスをとりながら
必要だと思った部分は夫と話し合っていくしかないんだよなぁ。