私は小学校の頃にイジメられていました。
でも、今思うと、自分にも問題があったと思いますし、その逆境と向き合うことで変われたと、実は感謝しています。
その話は、記憶がうる覚えの幼い頃まで遡ります。
私は家庭の事情で、親から離れ祖母に預けられていました。
生まれてから小学校3年の最後の春休みまで、山と海の田舎で育ちました。
明るかったんですが、とても気が弱い性分で内向的でした。
草や川、海など、自然を相手に遊んでいましたからそうなったのかもしれません。
今でもそういう内向的な部分は残っていると思います。
祖母には色々なことを教わりましたが、なにぶん田舎なので
特定の人とお付き合いをしていて、変わったニュースなどなく
お百姓さんや漁師の生活や考え方を学んだ気がします。
前にも書きましたが、その狭い世界しか知らなかったので、周りや世間がどうなっているのか興味を持つこともなく、自分の世界が「当たり前」となって育ったんだと思います。
小学校の4年の1学期から京都市の家族と一緒に暮らせるようになりました。
自分としては嬉しかった反面、戸惑いがありました。
突然姉が2人出来た感じがしましたし、家の中でどう立ち回ればよいのか、またコミュニケーションをどんな風にとれば良いのか判らなかったからです。
2番目の姉にはとてもよく面倒を見てもらって、今も仲良くやっています。
でも1番上の姉はとても怖く、年齢が離れていたせいもあってか、ほとんど話しませんでしたし、姉は家にもほとんどいませんでした。
凄くグレていた時代でしたが、今は家族思いの良いお母さんになって、幸せに暮らしています。
話がそれましたが、京都市の小学校に転校した際、沢山生徒がいてびっくりしました。
私が3年生まで通っていた小学校は全校生徒数で40人と少しでしたので
こんなに沢山の同級生や下級生を見たのが初めてでした。
1クラスが全校生徒以上いたのです。
でも、みんなに話したりすることに自信がないことと、方言で訛っていたという理由であまり話せずにいると、見る見るうちに孤立し始めました。
そして、訛っていることをからかわれるようになり、クラス全員が口をきいてくれなくなりました。
最後には教科書を川に投げられたり、背中を蹴られたり、給食を入れてくれなかったり、製作途中の図工のねんど細工を壊されたり、様々なところにまで及びました。
私はいつも、泣きながら家に帰っていました。
当時、私は鍵っ子で、帰っても誰もいませんでした。
暗い部屋でいつもいつも泣いていました。
自分が皆に何をしたんだと、悔しくて悲しくて、孤独で泣いていました。
小学校5年生のある日、いつもの様に泣きながら帰ってくると、1番上の姉が家にいました。
なぜ泣いてるのか聞かれたので、一所懸命出来事を伝えました。
私は姉が助けてくれるのではと思っていました。
でも、私の話を聞いて、姉は私の頬を叩いてこう怒鳴りました。
「男だったら泣きながら帰ってくるな、やられた奴に仕返しするまで家に入れない」
鍵を取られ、家を叩き出されて鍵を閉められました。
その時、同級生のイジメや一連の出来事より姉のほうが怖かったんです。
家に帰れないということもありますが、姉にまた怒鳴られたり叩かれたりするほうが
恐怖だったんです。
唯一の友達(その友人もイジメにあっていました)の家に居候させてもらいながら学校に通い、一人ずつ向き合い、話し合い、時には殴りあいになってクラスの皆と戦い続けました。
学校ではすごい問題になっていきました。
家出した私がにクラスの仲間に暴力を振るっているという事に対してでした。
するとクラスの皆からはイジメられなくなりました。
姉がそこまで言ってくれなかったら、何かされても我慢したり泣いたりすることしか出来ない状況は打破出来なかったわけで、今の自分に根強くある「あきらめない」ということを気づかせてくれたんだと思います。
また、後になってクラスの皆と話したりするようになって、自分自身が足りない部分があったことも理解できました。
何かを始めるときや問題に取り組むとき、判らないことや自分が乗り越えられるのだろうかという不安から、畏怖の念や恐怖心というものが出てくると思います。
でも、心の中で「本当にイヤだ」と思う前に手を打つこともそのときに教わった気がします。
逆境や悪い出来事が自分を変えてくれる材料で、周りからのアラームなんだと思います。
人間は誰しも、それに対して逃げずに、向き合っていけば、成長していくものだと思います。
これからも、姉と同級生に感謝します。
そして何事にも逃げずに向き合っていこうと思います。
小学校の同級生と、1月に新年会をやるんです。
久しぶりに会うのですが、今から大変楽しみにしています。