故事成語でこんな言葉があります。
孔子十六
「人の己を知らざるを患えず、己が人を知らざるを患う」について述べよ
「故事」
子曰く、「人が自分を知らないことを気にかけず、自分が人を知らないことを気にかけることだ」と。
「成語」
自分が何を知っていて、何をしらないか、これを知らずして、他人を知ることは有り得ない。
ゆえに、他人が自分を知らないと嘆くのは、二重に無意味である。
最近、この言葉に大変感銘を受けています。
私は社会に出て、もうすぐ15年が経過しようとしていますが、
仲間と仕事に取り組んだり友人と会ったり家族と生活をしている中で、ふと思うことがあります。
それは、自分が如何に知識が浅く、浅はかだということです。
自分的には理解していると思っているんですが、本当は理解できていないことがほとんどだと思います。
社員の皆さんと半期に一度、人事考課の面接をさせていただいてますが、先日、お会いしお話をしたときも、私の認識を覆される内容ばかりでした。
皆さんが入社される前のことや面接時にお話した事、今までの付き合ってきたことを思い出しながらお話をお聞きしたんですが、時間の経過で皆さんの状況も変化していて、生活環境や体調なども含めて、仕事のに対しての考え方や取り組み方など、私が認識していた事と違うことが沢山ありました。
皆さんとお話したことで、プロジェクトや会社に対しての想いがとてもよく伝わったんです。
これは私の思い込みの結果です。
そして、思い込みの結果を出した背景には、今までの経験したことから決め付けているつもりではないのですが、今知っている情報だけで判断しているということで、結果的に「思い込み」や「決め付けている」ということになるのだと考えています。
生活をしている中でも、同じようなことがあります。
自分自身はこうだと自信を持っていても実際にやってみると違うことが他にも沢山あります。
今まで経験の無いことであれば知らないですし、やったことのあることも時間がたてば忘れていたり違うケースだったりして知らない部分があったりします。
そこで自分自身が自分のことを知らないと気づかされます。
私が、知識や皆さんのことや周りのことを知らないということに気づいてないということです。
私は自分のことを「こうなんだ」って思っているだけで、実際には知らないのだと思います。
如何に私が思い込みや以前の情報だけで決め付けているかということが判ります。。
また、時間の経過で考え方や取り組みが変化しているということを汲み取っていないということなんです。
それはコミュニケーションの不足からも起こることだと思います。
自分を知るためには常に意識し、情報を集め続け、理解するしか方法が無い様に思います。
知らないことを知らないと素直に言えれば楽なのかもしれませんが、それでは責任を持って取り組めなくなります。
また、責任が取れなくなってしまいます。
対人関係において、知らないままで一緒に何かを行うことは、恐らく失敗することのほうが多いように思います。
きっと会社の上司や部下の関係でも、言わずとも判るだろう上司が思ってると
部下は指示があることさえすれば良いと思っているかもしれません。
結果は良くないことになると思います。
恋人同士でも知らないことを知っていると思い込んでいれば、お互いがぶつかって、互いのわがままに思えるでしょう。
上手く行かずに別れてしまうかもしれません。
家族の場合もそれぞれが「私が一番大変だ」と思い込んだりしていると、やさしさが薄れてくるかもしれません。
互いに理解しあうということは、その方の事を知ることからだと思います。
相手に自分を知ってもらうのではなく、自分自身が相手を知って初めて、やさしさや思いやりの想いが素直に出せるんだと私は考えています。
そしてお互いが解り合えて、お互いを活かし合う関係になるのだと考えています。
生きていく中で、周りの人に活かされ活かしという構図が昔から続いていたように、人間は集団で生活してきました。
技術革新によって便利になりましたが、どの機械やシステムも使うのはアナログな人間で、そして今でも人間は集団で生きています。
活かし活かされという構図は現在も変わってないと断言できると思います。
私は周りの人と活かし活かされるよう、物事や人間について知ることが出来るように
まず、自分自身がどれほど無知なのかを知ることに努めようと思います。
そして周りの人に活かされていることを意識して、周りの方を知る努力をしようと思います。