ピケティの格差解消論を本書の解釈によるミュルダール経済学で分析してみる
ピケティの格差解消論
「サングラハ」誌141号と142号で紹介しましたピケティの考えは、没収的な最高税率を持つ累進課税を所得に課すと同時に、資産そのものにもグローバルな累進課税を課すことで、拡大しつつある富の格差を解消させるということでした。その際目標とされるのは、1970年代~1980年代北欧で実現されていた福祉社会を資産格差においてある程度改善したもの(このような社会を古典的福祉社会と呼ぶことにします)が、グローバルな規模で実現することです。
ピケティの考えをミュルダール経済学で分析する
ミュルダール経済学の全体像を表している図1を見てください。そこにある形式にそってピケティの考えを眺めますと次のようになるのではないでしょうか。
Ⅰ 方法論的考察 格差是正ということを価値前提とする
Ⅱ 実践的考察 現実は逆流効果>波及効果となっており、格差が拡大する悪循環の傾向がある。先進諸国では福祉国家の体制が弱化している。
Ⅲ 理想 世界レベルの好循環を起こし福祉世界へ
政策 所得に対する没収的な最高税率、資本に対する直接の課税、それらを伴うグローバルな累進課税の実施。そしてその世界規模の分配。
ピケティの場合には価値前提は格差是正です。これは、現状の大きすぎる格差がさらに拡大しつつあり、社会不安を起こしたりしているから、共同体の利益に反しないようにより平等に直すべきだということです。格差をなくせというのではなく、自由・平等・連帯という民主主義の理念における平等を今は優先的な価値とするということです。一方ミュルダールは最高の価値は平等だとしていますが、彼とて市場経済での自由な活動を自らの経済学体系の基本にしていますから、やはり民主主義の理念「自由・平等・連帯」の一環としての平等を価値前提にしているのです。したがって、ミュルダールが最高の価値を平等に置くということと、ピケティが格差是正を目指すことは、現時点においては同じだといってよいでしょう。
実践的考察においては、二人には時代的な相違があります。ミュルダールの当時、福祉国家はより充実していく過程にありました。それに対しピケティの現在、理想的な福祉国家に近づきつつあるように思われた多くの西側先進国においてでさえ、レーガンやサッチャーの登場以来の格差拡大の傾向が継続しているのです。今や低開発国のみならず、多くの先進国においても悪循環が起こっているという違いがあります。しかし世界全体での悪循環ということではピケティもミュルダールも一致しています。そうして世界レベルで好循環を起こし、福祉世界を目指すことにおいても両者は一致しているので、もし今ミュルダールがいれば、ピケティの税制案に基本的には賛成したことでしょう。
ピケティは格差を是正するための税制に主要な関心があるわけですが、そのような税制をグローバルに実施するには、高度な国際協調を実現するという困難もありますし、またその便益を各国同士や各国の中でどうやって公正に分配するのか考えるという困難もあります。それら困難を克服していくには、すでに福祉国家の体裁をある程度整えている先進国と、そうでない発展途上国との相違や関係についてなんらかの妥当な見解を持っている必要があると思いますが、そのようなことに関しての考察をピケティはあまりしていません(と私は思います)。
その点ミュルダールの場合、制度派経済学者として、先進国と低開発国それぞれの状況分析と政策提案がなされていて、ピケティの議論にはない包括性をもっています。なによりも特筆すべきは、ミュルダールが人々の思考様式や価値判断の変容という内面的なことを極めて重視していることで、それはピケティの議論にはほとんど見られない部分です。ピケティの議論は極めて明快で得難い価値があると思いますが、それをミュルダールの枠組みで考えることで、より現実に適した議論に発展させることができるのではないのかと私は思いました。
緑の福祉国家をミュルダールの枠組みで分析してみる
緑の福祉国家とは
人間は動物である。ある範囲の温度・湿度・気圧・重力のもとで、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、動植物しか食べられない!
(『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』、p.74)
古典的な福祉社会のメンバーである人間は理性と良心を持つ合理的な個人でしたが、緑の福祉国家のメンバーである人間には、自然生態系の一員たる動物であることも加わります。すなわち、
人間=理性と良識を持った合理的存在+動物
緑の福祉国家をミュルダール経済学で分析する
ピケティの考えと同様に、ミュルダール経済学を表している図1の形式にそって緑の福祉国家の考えを見ていきます。通常の福祉国家の部分に関しては、スウェーデンで古典的福祉国家を建設する際の中心人物の一人であったミュルダールの考えがそのまま当てはまりますから省きます。環境的側面だけにしぼってみますと次のようになりそうです。
Ⅰ 方法論的考察 生態学的に持続可能な社会の実現を価値前提とする
Ⅱ 実践的考察 多くの先進諸国では大量生産大量消費の体制が続いており、低開発国も同じ体制を築こうとしている。そのためほとんどの国で環境負荷を伴うエネルギー消費を継続あるいは拡大しており、逆流効果>波及効果となり、環境に関して悪循環が生じている。
少数の「緑の福祉国家」的政策を履行しつつある国からそれ以外の国への逆流効果はない。
Ⅲ 理想 世界レベルの好循環を起こし持続可能な世界へ
政策 大量生産大量消費の体制はやめる。
先進国での生活の質素化と効率化。環境に負荷を与えないテクノロジーを先進国が低開発国へ積極的に伝搬し普及させる。
二酸化炭素排出量削減など、環境の健全化に関する国際条約を締結し、その取決め内容を実施する。進行状況について国際機関による客観的な評価を行いその知識を世界中で共有し啓発する。そして人々の思考様式・価値観を環境健全化に強く同調するようなものに変える。
福祉国家の国民主義的限界による福祉国家と低開発国との間の悪循環のようなメカニズムは、緑の福祉国家とその他の国々とのあいだでは成り立ちません。環境問題は、温暖化問題で顕著に見られるように、本来的にグローバルなものですから、もし緑の福祉国家と呼べるような国があれば、国民主義的障害などあるはずもなく、率先して他国に波及効果を及ぼそうとするはずだからです。
また価値前提は、人々の平等が最高の価値だとは言えなくなっています。人々の平等が論じられる人間社会を越えて、生態系の持続が価値前提に置かれるからです(あるいは、人々と動物両者の環境権における平等が価値前提なのだと言うことはできるかもしれません)。ミュルダール経済学の形式に従えば、生態学的な持続性を価値前提として波及効果を強め、環境問題を深刻化させる悪循環を食い止める政策を実施し、人々の考えを変えていくということになるのです。
2015年12月、気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)で世界中の国が参加する協定ができました。1992年の地球環境サミットから23年もたってようやく達成したのです。ミュルダールが述べているように人々の内面の変容には時間がかかるということがよくわかります。ただ、各国の目標達成は義務づけられたわけではなく、内面の変化はまだ不足している状況なのだと思います。今後も協定による取り決めの実施に向けて国際的に制度の改善(義務化など)を追求し続ける必要があるのでしょう。