トマ・ピケティ『21世紀の資本』について――格差是正のための税制とその現代における意味⑩ | MMエッセイズ 増田満のブログ

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「サングラハ教育・心理研究所」の会報誌、「持続可能な国づくりの会」の学習会などで発表したエッセイ等を掲載します

 

より先進的な福祉社会と人間観

 

 グローバルと言うには程遠い規模ですが、北欧では19701980年代に、ピケティが許容できる低格差高福祉社会に近いものを達成していたわけです。その中でもスウェーデン(あるいは政権党であった社会民主党)90年代から、古典的福祉国家を超えて、「緑の福祉国家」というより高度な社会の構想を提示しました。

古典的な福祉国家、あるいは福祉社会では、人は理性と良識を持つ合理的な個人で、そのような個人が互いに連帯して、生活が保障されるような共同体を構築することになります。また、市場経済と私有財産は社会を構成する重要な要素で、能力を自由に発揮して、努力することで得られた富の所有とそのために生じる格差も、それが共同体の利益に反しない限りは認められるので、決して活気のない社会ではありません。これらのことだけを見ると、文句のつけようはないと思えます。

 しかしエネルギーの有限性、急激な気候変動、有害物質による環境汚染、開発による急激な自然破壊などによって、現在のような大量生産・大量消費社会が持続するのは困難だということは大分前から明らかになっています。そのため構造改革を実行し、持続できる社会を造る必要にせまられているのです。そのような変革案として登場したのが、『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』(小澤徳太郎著、朝日新聞社、 2006)で紹介されているスウェーデンの「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)」という考えです。

同書によるとスウェーデンは、「生態学的に持続可能な社会への道(緑の福祉国家)」を選択し、1996年に「25年後の2021年次の望ましい社会を想定したプロジェクト」をスタートさせ、1999年に「2021年のスウェーデン――持続可能な社会に向けて」という研究成果を公表したとありますそして、この「将来のあるべき社会の姿」への長期ヴィジョンを実現するために行動計画が作られ、新しい法律の作成・社会制度の変革・技術開発の変革が実行されつつあるそうです。タイムスケジュールも含んだ、持続可能な社会を実現するための具体的ヴィジョンを持っていて、環境問題への対処を後回しにしていないのです。そして「緑の福祉国家」には、①社会的側面、②経済的側面、③環境的側面という三つの側面があります。①と②は、合理的な個人としての人間を大事にする、古典的福祉国家としての側面です。③は、新たに加わった環境を大切にするという側面であり、その背景には、「健全な環境は基本的な人権の一部」だという考えがあります。つまり、人という概念の中に、その土台としての自然生態系(環境)の一部であることが含まれています。人は、合理的存在ではあるけれども、より基本的なレベルでは動物でもあり、さらには人類が登場するまでの進化の過程で現れた自然の全てのレベルを含んだ存在だという考えがそこにはあるようです。小澤徳太郎氏が次のように述べていることが的確にそのことを表現していると思えます。

 

人間は動物である。ある範囲の温度・湿度・気圧・重力のもとで、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、動植物しか食べられない!(『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』p.74)

 

また、同じく『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」』によれば、スウェーデンの動物保護法(1998年動物福祉法と改称。小澤氏のブログより)では、「動物は本来持っている自然行動を考慮した環境で飼育されなければならない」ので、例えば繁殖用の母豚の飼育であれば、寝床、餌場、排泄場所を別々にしなければならないとされています。このようなことは、人間の動物としての部分と同様に、自然生態系の一員としてのその他の生物にも、そのレベルに相応しい権利を認め、尊重すべきだと考えていることを示しているのでしょう。

古典的な福祉社会のメンバーである人間は合理的な個人でしたが、緑の福祉国家のメンバーである人間は、内に自然を含む統合的なものなのです。民主主義の理念における連帯ということも、合理的個人をメンバーとする共同体での連帯(世界中心的)から、自然生態系を母体とする共同体での連帯(地球中心的)へと変容しているように見えます。

 ピケティも『21世紀の資本』の最終章で持続可能性について語っています。

 

……公的債務は私たちの主要な心配事ではない(これは総民間財産よりずっと小さいし、なくすのはそんなにむずかしくないかもしれない)。もっと緊急の必要性は教育資本を増やし、自然資本の劣化を防ぐことだ。これははるかに深刻で困難な課題だ。気候変動は一筆書いただけで(あるいは同じことだが資本税で)消えるものではないからだ。(p.599)

 

……先端研究が急速に進歩して再生可能エネルギー源を開発してくれるよう期待するのか、それともすぐさま自分たちの炭化水素消費に厳しい制限を課すべきなのだろうか?たぶん既存のツールすべてを活用する、バランスのとれた戦略を選ぶのが賢明なはずだ。(.599)

 

 これらの引用文から、彼も生態系の変容を差し迫った危機と捉えている様子がうかがわれます。人間は単に理性的な自我を持った個人であるだけではなく、その基本として自然界のレベルも内に持っている。従って人間はグローバルな福祉社会という共同体の一員であると同時に、より基本的には健全な全地球的生態系の一員であるべきなのだ。そういう発想も彼は持っているのかもしれません。そうであれば、民主主義社会としてはあまりに不公正な富の高格差を是正すること以上に、人間の大量生産・大量消費活動によりバランスを崩された、言わば生態系での不公正な高格差の是正こそが実はより緊急な課題なのです。従ってピケティの主張するような税制改革をグローバルに行う際には、その税を一時的には持続可能な社会の建設へ優先的に投資し、一気にグローバルな緑の福祉社会に進む戦略が必ず伴わなければ私たちの共同体に未来はないのでしょう。しかしそれは20年ほど前にはスウェーデンが国の規模で構想し、またそれに倣って5年前にサングラハ教育・心理研究所が母体となって設立した「持続可能な国づくりを考える会」が日本を対象に構想した戦略を、地球規模で行うことにほかならないのだと思います。