今はなき日本連盟山中野営場(2017年8月閉鎖)に初めて行ったのは、1966年12月30日から1967年1月2日までの3泊4日の冬期野営の時で、私は小学校6年生でした。この年末年始を山中野営場で過ごすのは恒例行事でした。所属団は、戦前の大日本少年団連盟に1936年に加盟しています。戦後はボーイスカウト日本連盟に1950年に加盟した伝統団です。なおボーイスカウト日本連盟は1949年に再発足しています。
例年、広大な野営場のなかで、我が団のみが宿泊してました。この頃は、年末年始も山中野営場に宿泊でき、場長は家族と共に山中野営場内に常駐していたと思います。
当時は、臨雲寮という丸太造の山荘があり、そこに宿泊しました。1階の部屋は集会室で板の間になって暖炉があり吹き抜けになっており、中2階には確か4室あり、室内には備え付けの2段ベットが2組ありました。一晩中リーダーが暖炉に薪を焚べており暖かかった記憶があります。まだ、スカウトは小学生や中学生だったので一つのベッドに2人で寝ました。風呂にも入りました。
臨雲健児寮は、1939年7月に完成してますが、無くなったのはいつだったんでしょうか。
1968年暮れは、テント泊でした。
1968年1月1日、山中野営場富士見台にて、富士山をバックに少年隊スカウト達です。この中に私もいます。
1970年、1971年も、正月は山中野営場で迎えました。
1971年は、第13回世界ジャンボリーが開催された年で、私も参加しました。その年の7月には、新たに鉄筋コンクリート造2階建の宿泊研修棟が完成しています。暮にリーダーと共に下見に行き、その年の暮は研修棟に宿泊しました。ここはパイプの2段ベットでした。浴室にも入れて快適でした。
シニアになると、スカウトだけでテントや野営備品一式を担いで、電車バスで週末に何度か行きました。少年隊(現ボーイ隊)では、冬のみだったのが、年長スカウトになり春や秋の週末に泊まるようになります。
1971年から1972年にかけて山中野営場で新年を迎えたのは、これが最後だったように思います。
1972年1月1日 山中野営場富士見台にて
この中に50年以上前の私がいます。年長隊には2班あり班長でした。少年隊スカウトだった方々は既に60歳半を過ぎ、年長スカウトは70歳を過ぎています。
1925年(大正14年)8月1日より10日までの10日間、少年団日本連盟は富士山麓山中湖畔大洞において、指導者訓練所(後の指導者実修所)を開設した。これが山中野営場の始まりです。
指導者訓練所として始まった山中野営場には、ウッドバッジ研修所で2回来ています。私が実修所に入所する時は山中野営場では開設されておらず、他所に行きました。


