狂い咲き(1971年11月発売)

1973PM9:00→1974AM3:00(1974年6月発売)


岡林信康コンサート《自作自演全30曲狂い咲き》

1972年7月28日(水)日比谷野外音楽堂

岡林信康が自作曲を全て歌うと言うコンサートです。

このコンサートは、3枚目のアルバム「俺らいちぬけた」(URCレコード)のレコーディング中に、ジャケット担当のイラストレーターの黒田征太郎のちょっとした発言から決まり、コンサートのポスターも担当してます。

コンサートのバックバンドは、柳田ヒログループで、柳田ヒロはピアノ、ベースは高中正義、ドラムは戸叶京介でした。

はっぴいえんどをバックに歌う時のように、歌に専念することはできず、ギターは岡林の担当です。

「くそくらえ節」から「手紙」までは、椅子に座ってアコースティックギターでの弾き語りです。

「今日を超えて」からは、柳田ヒログループがバックを務め、エレキギターは岡林が弾きます。

岡林のコンサート会場はどこでも熱気が凄かった。

昼過ぎに開演したように記憶してたんですが、夕方の5時30分だったとは。随分と長い時間並んで開場を待ってたのを覚えています。その次に行った「ロックアウトロック」は夕方4時開演でしたから、真夏の炎天下のコンサートはこの頃からでも、あまり開催されてなかったんですね。

左は当日のチケット、長いチケットは当初「フォークジャンボリーアフターコンサート」と題して案内されていたものが、名称変更して「ロックアウトロック」となり8月に開催されてます。はっぴいえんどが出演していますが、当然の如く岡林のバックは柳田ヒログループです。このコンサートは好きなミュージシャンが満載で見応え充分でした。はじめてディランⅡをみて好きになり、シングル盤を購入しました。尚このコンサートは一部レコード化されてます。

葉書は音楽舎から当方に届いたコンサートの案内です。音楽舎からは定期的に葉書が届いてました。


ご存知の通り、はっぴいえんどの細野晴臣と松本隆は、柳田ヒロとエイプリルフールで一緒でした。ボーカルは小坂忠。因みに、第1回ニューミュージックマガジン・レコード賞の「第1回日本のロック賞」の1位受賞は岡林信康「私を断罪せよ」、2位はエイプリルフール「エイプリルフール」、3位は早川義夫「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」でした。

第2回は、はっぴいえんど「はっぴいえんど」です。


URCレコードのカタログ(1971年と1973年)です。表紙が岡林とはっぴいえんどでした。


岡林信康のバックをはっぴいえんどが務める1970年春、岡林は「フォークの神様」と呼ばれ既にフォークの世界では誰もが知るスーパースターでした。当時の音楽シーンを知る方なら、誰もがそう思うのではないでしょうか。はっぴいえんどをバックにした岡林の人気は頂点に達し、絶頂期だったと言えます。1970年暮にはっぴいえんどは離れますが、柳田ヒログループをバックにしてもその人気の頂点は、1971年8月の全日本フォークジャンボリーまで続いたように思います。

はっぴいえんどと別れた岡林は残念だったことでしょう。岡林のロックははっぴいえんどが存在したからこそ表現できたと言えます。


岡林信康のファンは勿論のこと、他の音楽舎所属のミュージシャンのファンからはっぴいえんどを知りファンになった方は相当数いると思います。はっぴいえんどは音楽舎所属のミュージシャンのレコーディングにスタジオミュージシャンとして多大なる貢献をしています。そのような状況のなかで、はっぴいえんどは全国的な知名度を誇るロックバンドとして認知されて行きます。岡林、はっぴいえんどのどちらにもメリットがあったことは確かです。


岡林は、はっぴいえんどを相当気に入っていたのでしょう。

1973年暮に東京・晴海国際貿易センター新館で開催された「大晦日コンサート」から、岡林の出演部分がライブ盤として発表されていますが、そのバックバンドのメンバーをみれば納得できます。

バックは、細野晴臣(ベース)、松本隆(ドラムス)、伊藤銀次(ギター)、鈴木慶一(キーボード)、矢野誠(キーボード)、ギターは伊藤銀次ですが、やはり鈴木茂とはやり難いでしょうね。鈴木茂だったら、ほぼはっぴいえんどなんですがね。