おそらく肌の色が黒く、
やさ男の優雅な物腰をもちあわせないために
あるいは年がそろそろ峠を越えたために―
たいして越えてはいないのだが―あの女は
離れていった。おれはあざむかれた。おれの救いは
あの女を憎むことにしかない。
オセロー(『オセロー』第三幕第三場)
私が小学生の時に発売され、瞬く間に世界に広まっていったボードゲームがありました。オセロ(Othello)です。
ルールはとても簡単で、小学生だった私でもすぐにプレイできた半面、運やイカサマが入る要素はなく、純粋に知的にプレイできるという、大変完成度の高いゲーム。深緑色の盤と、厚手で両面を黒白に塗り分けられたプラスティックの石は、子供心にかっこよく見え、それを持っている子は周りからうらやましがられました。
日本人が考案した、ということで話題になり、小学館の学年雑誌などで、開発エピソードが漫画で紹介されていました。それによると、「オセロ」という名前は、黒人の将軍と白人の妻の関係がめまぐるしく変わる、シェイクスピアの劇にちなんだ、ということでした。私はここでシェイクスピア(の名前)に出会ったのです。
主人公である黒人将軍の名前はオセロー(Othello)。ただし劇中は黒人という表記はなく、「ムーア人」となっています。このムーア人が黒人なのか、アラブ人なのか、あるいはその混血なのかは議論が分かれておりまして、役者さんも演じるにあたって黒く塗ったり、褐色に塗ったりしています。もちろん黒人がそのまま演じる場合もあります。ですがその違いはあまり重要ではありません。ともかく彼はヴェネチア共和国(ベニス;イタリアの都市名)の傭兵として、数々の武勲をあげ、キプロス島の総督に任じられるほど、政府の信頼を受けていました。
彼の妻はデズデモーナ。ヴェネチアの貴族の娘です。オセローの武勇談やそれに伴う孤独な半生の話を聞くうち、彼を愛し始め、人種や年齢の壁を越えて、父には秘密で結婚。
これらのことは劇中では事後報告されるのみです。つまりシェイクスピアは、はじめに完璧な愛で結ばれた二人を作り上げているわけ。
〔オセロー(ローレンス・オリビエ)とデズデモーナ(マギー・スミス) 1965年〕
*オリビエは黒塗り。マギー・スミスと言えば最近は『ハリー・ポッター』シリーズのマクゴナガル先生で有名ですね。
そんな完璧な愛で結ばれた二人を破滅させるために、シェイクスピアは悪役イアーゴを登場させ、舞台をヴェネチアからキプロス島へ移します。閉鎖された空間の中へ。
イアーゴは登場人物たちの間をうまく立ち回り、ささやきかけ、劇の進行そのものを支配します。そしてオセローに、デズデモーナが自分の副官キャシオーと不倫の関係にあると騙し、嫉妬に狂ったオセローは妻を絞め殺してしまうのです。
『ハムレット』『リア王』『マクベス』と共に、シェイクスピアの傑作四大悲劇の一つに挙げられている『オセロー』。
小学六年生で『リア王』を知り、新潮文庫でシェイクスピアを読んでいった私が、中学・高校時分に一番よく読んだのがこの『オセロー』でした。
まず『オセロー』が他の悲劇よりもわかりやすいからです。閉鎖された空間で、夫婦と彼らを巡る少数の人々。これは家庭劇であり、愛の悲劇なのです。
次にオセローが武人であったこと。
肌が黒いことを、敵対者には影で揶揄されながらも、彼自身の輝かしいキャリアと高潔な人格は、誰しも認めるところでした。
「きらめく剣を鞘におさめろ、夜露で錆びるぞ」(第一幕第二場)
などのように、武人らしく、端的でかっこいい台詞を吐いております。
武人としてかっこよければよいほど、後半の情けなさとのギャップが目に付くのですが。。。
しかし、それも新田義貞や呂布と同じく、滅びの悲劇なのです。強ければ強い分、滅んでゆくときははかないもの。
そして無骨だったからこそ、イアーゴに簡単に騙されてしまったのでしょう。長い間戦場にいたからこそ、短絡的に愛情が嫉妬に変わったのでしょう。
対するデズデモーナはお嬢さんゆえの無邪気な女性。それゆえ、年上の男性の孤独を癒したいと考え、ずるがしこい男の企みを見破れなかったのでしょう。
イアーゴはリチャード三世と並ぶ、シェイクスピアの作り上げた悪の英雄です。彼が姦計を巡らせる理由は、デズデモーナへの横恋慕、オセローの地位や名声に対する嫉妬、キャシオーの地位に対する嫉妬などと自分で独白していますが、これもリチャードが己の容姿に対するコンプレックスや兄たちへの嫉妬を述べるのと同じく、後付であって、本当の動機ではありません。むしろ悪を行う自分に陶酔しているかのようです。
そして劇中の誰も彼もが簡単にイアーゴに騙されてしまう。彼は雄弁で、主人公のオセローよりも台詞が多く、ウィットに富み、シェイクスピア劇によく出てくる道化の役割も横取りしてしまうほど。
「主役はオセローでなく、イアーゴだ」
と述べる評論家もいるほどです。
劇を見る(読む)我々も、他人の心の隙間にうまく忍び込む彼の姿に圧倒されて、ほとんど不自然さを感じさせません。
不自然。
実はこの劇には、トリックが仕込まれているのです。
以下ややネタバレです。ネタが割れても十分楽しめる作品ですが、気になさる方はここで終わってください。
1日目の夜、オセローはデズデモーナと結婚後すぐ辞令を受け、キプロスに立ちます。
2日目。オセローの後を追ったデズデモーナ(と護衛のイアーゴ)はオセローより少し前に島に到着。オセローと合流。そして新婚夫婦は初夜を迎えます。到着直後からイアーゴは暗躍を開始。
3日目。イアーゴが大活躍。オセローに嫉妬の毒を注ぎ込み、ついにその夜、夫は妻を殺害。しかし最後に悪事は露見して、イアーゴは逮捕され、自分の非を悟り、妻の貞淑を知ったオセローは自害。
かような具合に、シェイクスピアの他のどの悲劇よりもスピーディにことは進んでゆくのです。
しかし、ちょっと待って! オセローは新婚3日目(実質2日目)で妻の貞淑を疑い、浮気をしていると信じて殺してしまっています。
しかも彼が妻の不貞を信じるのは最後の日のこと。一日のうちに彼は幸せの絶頂から不幸のどん底まで引きずり落とされるのです。
*冒頭「おれはあざむかれた」とあるように、オセローは妻に結婚後の不貞をなじるのです。
**ヴェネチアからキプロスまで何日かかったかは明言されてませんが、その間オセローはキャシオーと、デズデモーナはイアーゴと行動を共にしていたので、デズデモーナとキャシオーが不倫する暇はないのです!「
しかし観客、あるいは読者はそこに気づくことはほとんどありません。私も、各種批評を読んではじめて気づきました。
推理小説やホラー小説がそうであるように、劇中の物理的な時間と心理的な時間がずれてしまうのです。
それを助長するような台詞もあります。デズデモーナは夫との結婚生活を振り返るような台詞。
こうした矛盾を、シェイクスピアはわざとさらけ出しています。
一日のうちにめまぐるしく変わってゆく展開に、オセローも観客も圧倒され、キャシオー本人に何の確認もとらないオセローの行動を自然に受け入れてしまいます。そんな暇がないのですからね。
一方でオセローやデズデモーナの嘆き、イアーゴのささやきにより、物理的な二日間を、心理的に数年間に感じ取り、不貞を働く時間もあるとのイアーゴのシナリオに乗っかってしまうのです。
イアーゴのささやきは、誰かが他の誰かに確認してしまえば、すぐ崩れてしまうものでした。そこをうまく分断するイアーゴも見事ですが、それも2日間という短時間ゆえできたこと。
イアーゴは作者の分身なのではないか。
そう思えてしまうほど、彼は最後まで物語を支配しています。
ですが最後の最後に彼の企みは皆の知るところとなり、イアーゴは敗れます。
オセローは自害しますが、妻の愛を信じることができ、救われたのです。最後に物語り進行の主導権を取り戻したのです。
◆冒頭および本文中の台詞は
ウィリアム・シェイクスピア, 小田島 雄志
より引用しました◆