+Sleep
鶴田名緒子です。
ご訪問頂きましてありがとうございます。
今日は久しぶりに全然違うお話をします。
今月末に開催する講座は「養生」という内容ですが、睡眠だけではなくて、食事も、そして運動も、いろいろみなさんと考えてみたいと思っているわけですが。
ここにプラスして、現在はずせないのは「つながり」なのではないかと思います。
人との「つながり」というのもありますが。
今回お話したいのは、スマホになってから私たちの生活が常時接続の状態であることについて。
つまり何をしていても、インターネットといつも接続し続けているということです。
私はこの数年、パラレルワールドを生きているような感じがしていました。
この+Sleepを1人立ち上げ、いろいろ頑張って来れたのは、ブログやFacebookなどの恩恵を受けたからこそ。
ただ、なんとなく注意散漫な2年間でもありました。
連絡手段としてのメッセンジャーもすごく楽しいです。
いろんな方からメッセージが来ると、自分の存在価値を確認できるような気もします。
用事や仕事も全部こなせてしまいます。
ただ、メッセンジャーやラインがメールと違うのは、既読になるためお返事のタイムラグが生じたときの罪悪感がすごくて、疲れてしまうことがありました。
あとは、気になるFacebookフィードを読んだり、ニュースサイトを見たり、脳の中はインターネットの世界にいることが多いような気がしていました。
興味のないような記事も飛び込めば読んでいたり。
脳が自ら思考を停止させているような状態。
一方で、交感神経はいつも活性化しすぎていて、頭の中がシャーっと痺れている感じ。
目の前には青空が広がっていても、五感が鈍っているせいで実感がわいてこない。
そんなときに、スマホが壊れました。
何をしても全く立ち上がらない。
スマホが強制的に使えない状況は、スマホをしていた時間が全部自分の時間になるということ。
時間が足りない、何かに追われているような状況は、霞がかっている視界をクリアにしてくれました。
やることがとにかく早く終わります。
スマホを使い始めたのは2011年の1月。
「これはパソコンを立ち上げなくても、隙間時間にフリーメールをチェックできるんだ!
常時接続ができるなんて、すごい機械だな!」と思いました。
今はどうでしょうか。
隙間時間、なんだか何もしないことがもったいないように感じる。
誰かを待っているとき、電車を待っているとき、ふと空いた時間、目の前の草花などをボーっと見ることをもったいないと思うかのように、スマホをチェックする。
もしくは、目の前の草花が可愛らしかったら、いかに、インスタにあげるかを考える。
インスタに上げる前には、画像をチェックして見栄えが悪ければ、画像を一旦修正して、インスタに上げてみる。
目の前の世界はどれほどの時間が経っているのかわからなくなっている。
たぶん10分以上はかかっている。
スマホが壊れてから、なんだか今までの自分の毎日が突然、遠いことのように思われました。自分がとても滑稽にも思えた。
スマホが壊れて強制的に何もなし生活になったので、本当に突然のことです。
携帯ショップに行く日は、夫が息子の通院を変わってくれることになったので、車を譲る。
ショップまでは歩くと30分ぐらいかかる。
で、てくてく歩きながら、スマホも車もない不思議さを感じる。
「いつも車に乗ったら、まずスマホを車にbluetoodh接続してたっけ。
今はどっちもない。
私の生活、スマホスマホばっかりだったな。
車がなければ歩けばいいし、メールは帰ってからパソコンから見ればいいんだよね。」
誰からも連絡が来ない、携帯以前を思い出しました。
あの頃、もっと自由だったなぁ。
手元を見ないので、空とか、周りを見るしかない。
当たり前ですね。
今までは歩きながらも画面を見ていたということです。
無意識に。
「もし、今ガラケーに戻したら、不安なことは何だろう?」
と考えました。
・メッセンジャーやラインを使えなくなる。
(即時性のあるやりとりは難しいが、それほど問題はないかも。)
・フリーメールが見られない。
(仕事関係のはこちらなのですが、パソコンで確認すれば良い。)
・やりとりはメールかCメール。
(仕事のことはパソコンなどを立ち上げたときで問題なし。)
・仕事でいろいろなところへ行くときの乗り換え案内。
(とくに、今どこ線が止まっているというときに、回避する路線がわからないと困る。)
・Google Mapなしで即迷子!
(まあ、これは、昔やっていたように地図をプリントアウトすればいいのかな・・・とか。)
・Kindleが読めない。
(家でタブレットで読む。)
このぐらいかな・・・。
お店についてガラケーを見てみました。
昔はみんなガラケーだから同じように携帯のメールを使い合えばよかったのですが、スマホ時代に自分だけガラケーだと、困るのはたぶん相手の方です。
うーん、仕事をしているとなかなか難しい。
今、ガラケーにしても、将来的にガラケーという存在がなくなったら結局はスマホに戻らなきゃならないとなると・・・。
結局いろいろ悩んでいましたが、スマホに保険がかかっていたので格安でリフレッシュ品と交換になって、次の日に郵送で届いたというオチが。
アプリのアイコンから消えたもの。
Facebook、メッセンジャー。
メッセンジャーはイベントや待ち合わせの用事のあるときはその日限定で復活させます。
ただ、パソコンは1日に2~3回接続するので、連絡がとれないということはありません。
準ガラケー状態というか、スマホの無力化をしばらくお試し中。
以前買ってちょっと読んで「全然実践できない!!」と悶々としていた本がありまして。
これをきっかけに読んでみました。
スマホが壊れたときに「読むなら今しかない!!」と思って読んだら、ビシバシ刺さる刺さる!
これを読むと、スマホ以降の生き方を変えられるかもしれません。
時間が足りない、忙しいと思っているのは、案外手元からすぐそこにあるスマホのせいかもしれませんよ。
本当におススメ!
『スマホをやめたら生まれ変わった』
クリスティーナ・クルック著
SNSに疲れた方、自分の時間を取り戻してみたい方、ぜひ読んでみてください。
私は取り戻した時間で何をしたいかというと。
・家族と向き合う本質的な時間
・仕事の質を上げるための勉強
・読書
・リアルな人との交流
・執筆
・五感に訴えるアクション
ただ、私は発信欲というものもあるので、SNSをやめるということではありませんが、フィードを見ないことが増えるので投稿やいいね!は自然と減るかもしれません。
常時接続を意識的にコントロールしたいと思います。
そして、今、目の前にある瞬間を生きるということを自分に課して、人生の意味を掘り下げていきたいと思います。
修理したスマホをしぶしぶ(?)持参して、家族と週末に江ノ島に行きました。
普段なら、車の移動中にも何かしら情報チェックをしていましたが、ずっとバッグに入れていました。
何をしていたかというと、車内でおしゃべりしたり、いろんな景色を見ていました。
車は「携帯電話を接続していません。忘れていませんか?」と聞いてくる。
(車のハンドルに電話に出たり、切ったりするボタンがついていて、マイクが声を拾ってくれるという、ハンズフリーで車内で話せる機能がある。)
休日は、接続しなくていいと思う。
ここにみんな家族もいるし。
スマホからの解放感がとにかく清々しかったです。
てか、これ、普通に生きてるだけじゃん・・・。
写真も今までは必要以上に撮っていましたが、今回は少な目に。
発信することも好きなので、要はバランスなのだな、と自分と向き合うことができました。
インスタグラムではゆるめに発信していきます。
睡眠も質がとてもいいですよ!
案外、簡単なことなのかもしれません。
デジタルデトックスも、眠りの質を上げることも。