鹿屋バイパス沿いにある、究極の回転すし、「寿司虎」に行ってきた。

鹿屋にきたら、毎週1回は、必ず、ここで昼食をとる。

好きなものを選んで6皿位で1200円前後、新鮮な魚に「満足」である。


鹿屋でお勧めの「とんかつ」の店、「竹亭」には、一度顔を出すべきである。

ちょび髭の親父さんが、シッカリこの店を仕切っていて気持ちが良い。

「とんかつ」は文句なし。一度行ったら間違いなく「やみつき」になる。


大隅半島は食材の宝庫である。お店に出る、魚も肉も野菜もみな新鮮だ。

奥さんが鹿屋出身だと、「旦那がみな鹿屋にいついてしまう」というのも肯ける。



鹿児島県鹿屋市にいる。


昨日は、大阪伊丹空港から鹿児島空港に飛び、空港からは、駐車していた自動車を自分で運転して鹿屋に帰ってきた。

いつものように、鹿屋の銭湯「大谷洞」で1時間くらいゆっくり風呂に入って疲れをとり、8時過ぎには、居酒屋「樹康」で、焼酎の「お湯割り」を飲んでいた。


鹿屋での生活もあと3週間をきった。


社会福祉法人の経営支援が鹿屋での仕事であったが、契約期限が8月末である。

28日には居酒屋「樹康」の常連、「3婆」が送別会を開いてくれるという。

24日には、理事長主催で職員の「歓送会」が予定されているので、どのようなメッセージを残すか、今から考えている。

明日は研究発表の日である。

京都国際会館アネックスホールが今年の会場である。

「社会福祉法人の制度改革とこれからの事業経営」が演題。


11時からの発表であるが、12時に終わったら、その足で京都駅南口に出て、そこから大阪伊丹空港に直行する。

3時過ぎの飛行機で鹿児島に飛び、そこから何時ものように山道を100分、鹿屋までドライブである。


65歳のやることじゃない!

・・・・・と格好つけて張り切っている。

京都に来ている。


医業経営コンサルタント協会の研究発表大会1日目が終わり、ホテルに帰ってきた。コインランドリーで洗濯をしているのだが、その間、ヒマをもてあまして、ホテルのパソコンを使って、自分のBLOGを開いて書き込みをしている。


スゴイ!

こんなことが可能なのですね。

ADOBOCACY(アドボカシー)とは、「社会的不正義が存在する場合に、事例を広く集め、その事実を明らかにして問題点を浮きぼりにし、社会に変革を促して、その結果を個人に還元するという一連の運動である」と定義されています。


もっと端的に、「抑圧された人の味方となって、その人の権利や利益を守るために闘うこと」がアドボカシーであると定義する人もいます。


NPO法人の活動には、本質的に、そのような「社会変革への直接的関わり」があるようです。


これが、NPO法人が株式会社と異なることの意味ではないでしょうか。


某月某日、レストラン「サンセット315」で、アジの刺身と鯛の塩焼きを食べて、贅沢な時間を過ごした。


古江町から錦江湾にそって海岸線を佐多方向に走り、「鵜ノ瀬鼻」を越え菅原小学校をとうり過ぎると、海に迫り出すように建てられたレストラン「サンセット315」を発見することができる。


このレストランでは、天気の良い夕方、錦江湾に沈む見事な夕陽を楽しむjことができる。

先日も、食事に立ち寄ったところ、すばらしい夕焼け空で、夢中になって撮影していると、店の人が「マスターが魚を釣ってくるので食事はしばらく待ってください」という。

予定もないので、マスターの帰りを待つことにして、砂浜におり海岸を散策した。浜風は心地よく磯の匂いを運んでくる。


やがて日が落ちて、すっかり暗くなってからクーラーいっぱいのアジを持ってマスターが帰ってきた。あっという間にアジの刺身がテーブルに並ぶ。


「今日は代行を呼びますから飲んでいって下さい」という言葉に決心もついて、焼酎を飲みながらプリプリの刺身を堪能する。するとマスターが席を立って、今度は小鯛の塩焼きを持って現れた。アジだけでなく鯛も釣れたいう。


魚の食べ方は上手だといわれているが、本当に骨だけ残して、まるまる一匹の鯛を完食した。こんな贅沢は鹿児島の地元だからできること、東京では到底望めないことだ。


「つり」はマスターにとって趣味と実益をかねたもので、自ら「漁師よりも良く釣る」と豪語する。錦江湾で釣った魚は、すべて厨房で料理されてレストランの客に饗応される。


翌日の夕方、浜田町にある「坂元温泉」で一風呂浴びた帰り道、再び「サンセット315」に立ち寄り、焼酎「伊佐美」を1本届けた。



「再会」それは何時も劇的である。


人と人の「出会い」があり「別れ」があり「再会」がある。

「離婚」ということによって起こる「家族」の「別れ」は、夫婦のみならず子供も巻き込むことになる。

時に、再び会うことのない永遠の「別離」となる。


別れた家族が「再会」できることは「幸運」であり、特に、成長した子供に会うことが出来るのは感謝すべきことである。


13年もあってない子供に「再会」する時、どのような服装で、どのような場所で、どのような態度で、どのような表情で会えばよいのだろうか・・・・・。

最初に言うべき言葉は何であろうか・・・・。「ごんめんね」「悪かったね」・・・・・


多分、事前に考えたとうりにはならないだろう。何も考えないで、自然体で会いたい。そして、握手できればと思う。そのとき目頭が熱くなるかもしれないし、胸がつまるかもしれないし、会ってみなければわからない。


でも、親として、子供たちの全てを受け入れることができればと思う。

そして、それが子供に伝わることを希望するだけである。


13年間のいろいろな想いが詰まっているから、容易に全てが氷解するとは思わない。一度だけでなく、二度でも三度でも会いたいときに会って、食事をしたり会話をしたりして「何かあれば相談できる」ことを伝えたい。



65歳になった。


羽田空港と鹿児島空港を往復して、そろそろ1年になる。

飛行機は、伊豆半島、紀伊半島、室戸岬、足摺岬の上空をとおって九州に入るが、天気の良い日に下を見ると、山間をくねくねと流れる川を俯瞰することができる。


川の流れは高い山にぶつかりながら、その度に進路を変えて、流れを止めることなく延々として海に流れ注いでいる。


「川の流れと人生は決して真っ直ぐではない。紆余曲折があってあたりまえである。」

という言葉が、フト頭に浮かんだ。


それは、川の流れと自分の今までの生き様を重ね合わせ、自分自身をなぐさめ、言い聞かせているのかもしれない。


「悠々自適」と題して、日々の生活で生起する「身辺雑感」を書き記していきたい。