先日、TV朝日で放送された

『林修の今知りたいでしょ!』スペシャルは、

徳川家康に焦点を当てた特集でした。

 

 

 

当時の武家社会においては、

名前を変えることが珍しくなかったのですが、

徳川家康は実に4回も名前を変えています。

 

 

 

家康の幼名は竹千代でした。

この竹千代という幼名は、

秀忠の子も家光の子も代々使われており、

後継ぎとしての期待のこもった名前となります。

 

14歳で元服する際には

松平次郎三郎元信と名乗りました。

この元信の元は今川義元より与えられたものです。

 

その後、

祖父の「康」の字を取って松平元康と改名し、

 

桶狭間の戦い(1560年)を機に

松平家康と名乗るようになりました。

この改名は、今川義元から与えられた『元』の字を変えることで、

名実ともに今川家からの決別を意味していたのです。

 

さらに、1566年に三河一国の平定を成し遂げた家康は、

徳川に改姓することを朝廷に願い出るも、

出自不明の一豪族という立場であったため、

朝廷からの許可を得るのは難しい問題でした。

しかし、その後の活躍によって朝廷から認められ、

徳川家康と名乗ることが許されたのです。

 

 

改姓が許されたことは、

家康の功績と名声が高まったことを

示す証でもありました。

 

 

 

家康はその後、日本を統一し、

江戸幕府を開いたことで、

日本の歴史に不朽の功績を残しました。

 

 

 

名前は武家社会において

非常に重要な意味を持っており、

人物像を表すものでした。

 

 

 

家康は、自身の

立場や時代の変化に合わせて

名乗りを改めていったことで、

自己表現をするとともに、

自身の地位や権力を示すことも

意図していたのでしょう。

 

 

 

 

 

友だち追加

よろしくお願いします。