静かな部屋だった。
機械の低い駆動音だけが、一定の間隔で響いている。
その部屋の中央に、アクティアは立っていた。
いや。
もう、自分から立っているという感覚さえなかった。
「これで、終わりよ」
ネレイドの声が響く。
アクティアは、ゆっくりと自分の身体を見下ろした。
そこにあったのは、かつての魔法少女の衣装ではない。
ピンクを基調とした、華やかな衣装。
何度も街を駆け抜け、怪人と戦った衣装。
それは、もう存在していなかった。
代わりに身体を覆っているのは、紫色の生体素材。
まるで意思を持っているかのように、ゆっくりと形を変えている。
「……これが……私……?」
アクティアの声は小さかった。
ネレイドは答えない。
ただ、変化を確認するようにアクティアを見つめている。
そして。
アクティアの首元には、新しいチョーカーがあった。
紫色の光を放つ、ネガティア製のチョーカー。
以前のチョーカーではない。
母から受け取った、大切なチョーカーではない。
アクティアは、それを見つめた。
「……私のチョーカー……」
もう、ない。
初めて魔法少女になった時。
母から受け取ったチョーカーを身につけた時。
あの日のことを思い出す。
胸が高鳴った。
ずっと憧れていた魔法少女になれた。
レイピアを手にした。
空を飛んだ。
怪人と戦った。
ルミナと出会った。
何度も負けそうになりながら、それでも立ち上がった。
そのすべてが。
今は遠い記憶のように感じられた。
「あなたの魔法は、もう以前のようには発生しないわ」
ネレイドが説明する。
「ネガフォージによって、あなた自身が持っていた魔力の経路は失われた」
アクティアは黙っている。
「この生体素材がマイナス魔力を吸収する。そして、必要な魔法は新しいチョーカーが再現する」
「……再現……?」
「ええ」
ネレイドは淡々と答えた。
「あなたが以前使っていた魔法を、人工的に再現するのよ」
アクティアは自分の手を見つめた。
以前なら、この手から魔力が流れた。
レイピアを呼び出すことができた。
光を放つことができた。
シールドを展開できた。
空を飛ぶこともできた。
それは、自分の力だった。
そう思っていた。
でも。
もう違う。
「……じゃあ」
アクティアが呟く。
「これは……私の魔法じゃないの?」
「そういうことになるわね」
その言葉を聞いた瞬間。
アクティアの中から、何かが消えた。
魔法がなくなった。
衣装もなくなった。
チョーカーもなくなった。
母もいない。
そして、父も。
信じていた父は、ネガティアの指導者だった。
自分が守りたかったものの中に、最初から敵がいた。
「……何もない」
アクティアは呟いた。
「私には……もう、何もない」
ネレイドは何も答えなかった。
アクティアは、その場に静かに座り込んだ。
もう戦おうとは思わない。
逃げようとも思わない。
誰かを助けようとも思わない。
以前の自分なら、どんな状況でも立ち上がった。
けれど。
今は、立ち上がる理由そのものが見つからなかった。
「……私、もう魔法少女じゃない」
その言葉は、自分自身に言い聞かせるようだった。
「魔法少女じゃ……ないんだ」
*
それから少し経った頃。
別の場所では、エクリアが一人で立っていた。
アクティアの捕獲には成功した。
しかし、そのために無理を重ねた代償は大きかった。
エクリアの首元にあったネガティア製チョーカー。
それは限界を迎えていた。
「……お願い」
エクリアは魔力を集中させる。
いつものように刃を出そうとする。
しかし。
何も起こらない。
「……出て」
もう一度。
それでも何も起こらなかった。
刃物を生成できない。
魔法を再現できない。
戦うための力が、もう残っていない。
そして。
ネガティア製チョーカーに亀裂が走った。
次の瞬間。
チョーカーは砕け散った。
「……え?」
エクリアは、その場に立ち尽くす。
自分を戦わせていた力。
ネガティアから与えられた力。
それが、完全に消えた。
その報告を受けたネレイドは、しばらくエクリアを見つめた。
「アクティアの捕獲には成功した」
「……はい」
「その点については評価するわ」
エクリアの表情がわずかに明るくなる。
しかし。
「でも、もう戦えないのでしょう?」
「……」
「なら、戦力として残しておく必要はないわ」
エクリアは言葉を失った。
それ以上、ネレイドは何も言わなかった。
ただ、エクリアをその場に残して立ち去っていく。
エクリアは、自分の手を見る。
何も出ない。
何もできない。
「……私も……用済み……」
その言葉が、胸の中に重く沈んだ。
*
しばらくして。
エクリアは基地の中を歩いていた。
拘束されてはいない。
ネレイドから、自由に行動していいと言われている。
アクティアの捕獲に成功した功績を讃えて。
けれど。
エクリアには、その「自由」がどういう意味なのか分かっていた。
戦えないから。
もう必要とされていないから。
だから、好きにしていい。
そんな自由だった。
そして。
エクリアは、ある部屋の前で足を止めた。
そこに。
アクティアが座っていた。
「……アクティア?」
呼びかける。
アクティアは、ゆっくりと顔を上げた。
「……エクリア」
その声を聞いて。
エクリアは、胸の奥が痛くなった。
あの時とは違う。
自分と戦った時のアクティア。
怪人に向かっていった時のアクティア。
何度倒されても立ち上がったアクティア。
そこにあった勢いも、強い意志も。
今のアクティアにはなかった。
ただ、静かに座っている。
「……どうしたの?」
エクリアが尋ねる。
アクティアは答える。
「もう……何もないよ」
「……」
「魔法少女の力もない」
アクティアは自分の手を見る。
「ママもいない」
少し間を置いて。
「パパもいない」
そして。
「私には……もう価値なんてない」
エクリアは何も言えなかった。
自分も同じだった。
戦う力を失った。
ネレイドから見限られた。
それでも。
「……行こう」
「え?」
「ここから出よう」
アクティアは首を横に振る。
「どうして?」
「分からない」
エクリアは正直に答えた。
「でも……あなたを、ほっておけない」
エクリアは手を差し出した。
アクティアは、その手を見る。
けれど、自分から手を伸ばそうとはしなかった。
それでもエクリアは待った。
やがて。
アクティアは静かに立ち上がった。
自分の意思で未来へ進もうとしているわけではない。
ただ、エクリアについていく。
それだけだった。
*
二人は、ネガティア基地の外へ向かった。
その途中。
アクティアの手足に変化が起こる。
「……?」
紫色の生体素材が、ゆっくりと動いた。
その一部が伸びる。
そして。
蜘蛛の脚を思わせる新しい構造が、生体素材から生えてきた。
エクリアは振り返った。
「……また増えた」
エクリア自身にも、同じようなものがある。
これまで、それはプロテクターだと思っていた。
戦闘を補助するもの。
少なくとも、アクティアと戦っていた時には、特別な力を与えてくれなかった。
だから、ただの装飾のようなものだと思っていた。
しかし。
今のアクティアの変化は、あまりにも早い。
ネガフォージが完了してから、その速度が明らかに増している。
「……これ、本当にプロテクターなの?」
エクリアの中に、不安が広がっていく。
このまま増え続けたら。
何か取り返しのつかないことになる。
そんな直感だけがあった。
アクティアを引っ張る
二人は歩き続けた。
やがて、基地の外へ出る。
冷たい風が二人の間を通り抜ける。
しかし。
「……ん?」
遠くにいたネガティアの戦闘員が、二人に気づいた。
「脱走者を確認!」
戦闘員たちが走ってくる。
「見つかった!」
エクリアはアクティアの手を取った。
「走って!」
二人は走り出した。
アクティアは何も言わない。
ただ、エクリアについていく。
背後から、戦闘員たちの足音が迫る。
銃声が響いた。
パンッ!
弾丸がエクリアの生体素材に命中する。
「っ!」
エクリアの身体が揺れる。
しかし。
傷ついた生体素材が、すぐに形を変える。
損傷した部分が再生していく。
「……まだ、走れる!」
エクリアはアクティアの手を引く。
しかし、戦闘員たちは追ってくる。
何度も銃声が響く。
エクリアの生体素材に次々と銃弾が命中する。
そのたびに再生する。
けれど。
「……遅い」
最初はすぐに戻っていた。
それが、少しずつ時間がかかるようになっていく。
エクリアはそれでも走った。
*
しかし。
その先に待っていたのは、行き止まりだった。
「……そんな……」
エクリアが振り返る。
戦闘員たちが、じりじりと迫ってくる。
その数は多い。
逃げ道はない。
アクティアは何も言わない。
ただエクリアの後ろに立っている。
戦闘員の一人が銃を構えた。
「動くな」
エクリアはアクティアを見る。
そして。
一歩前へ出た。
「……!」
アクティアの前に立つ。
銃声。
エクリアの生体素材に銃弾が命中する。
再生する。
また銃声。
再び再生する。
さらに銃声。
エクリアは、それでも動かなかった。
「アクティアには……撃たせない……」
何度も銃弾を受ける。
再生する。
けれど、次第にその速度は落ちていった。
「……もう……遅い……」
エクリア自身にも分かっていた。
このままでは、再生が追いつかなくなる。
それでも。
アクティアの前から動かなかった。
その時。
アクティアが、初めて声を出した。
「……もう、ほっといていいのに」
エクリアは振り返る。
「私には……もう何もない」
アクティアの声は静かだった。
「魔法少女の力もない」
「……」
「ママもいない」
アクティアは俯く。
「パパもいない」
そして。
「私には……もう何も残ってない」
エクリアは黙っている。
「どうして……?」
アクティアが尋ねる。
「どうして、そんなにボロボロになっても……あなたは私を庇うの?」
エクリアは答えを探した。
でも。
分からなかった。
「……私にも分からない」
それが正直な答えだった。
「私は、魔法少女に憧れてた」
エクリアは、かつての自分を思い出す。
誰かを守る存在。
悪と戦う存在。
そんな魔法少女になりたかった。
「でも……実際になってみたら、思っていたようにはいかなかった」
何度も負けた。
何度も追い詰められた。
そして今。
自分にも、もう魔法はない。
「それでも……」
エクリアはアクティアを見る。
「あなたと戦った時、思ったんだ」
「あの時のあなたは、何も知らなかった」
それでも。
「自分で戦い方を覚えていった」
レイピアを使った。
シールドを覚えた。
魔法を工夫した。
何度も戦う中で、自分自身の力を見つけていった。
「私は……そんなあなたに期待してたんだと思う」
アクティアが顔を上げる。
「魔法少女の力じゃない」
「……」
「あなた自身が、これからどうするのかってことに」
エクリアの再生能力が、また一つの攻撃に追いつかなくなる。
生体素材の再生が止まりかける。
「……もう……数秒も持たない」
エクリアは理解していた。
次の攻撃を受けたら。
もう再生できない。
それでも。
「それでも……」
エクリアは、アクティアの前に立ち続けた。
「私は……あなたの力になりたい」
その瞬間だった。
エクリアの生体素材が。
淡い光を放ち始めた。
「……え?」
エクリア自身が驚く。
紫色の生体素材を包むように、光が広がっていく。
戦闘員たちも、思わず動きを止める。
アクティアも。
初めて、その光をじっと見つめた。
何が起きているのか。
エクリア自身にも分からない。
ただ。
その光は、ネガティアから与えられたものではなかった。
エクリアが自分自身の意思で選んだもの。
ただ一人の少女を、ここに置いていきたくない。
その気持ちに応えるように。
生体素材は、静かに光り続けていた。
そして。
