街の市役所。
昼下がりの庁舎には、いつもと変わらないように人々が行き交っていた。
しかし、その一室だけは空気が重い。
「……また、ですか」
机の上に置かれた報告書を見ながら、四十代から五十代ほどの女性職員が深いため息をついた。
怪人による建物の損壊。
道路の破損。
商店の被害。
そして、戦闘によって発生した周辺地域への被害。
次から次へと報告が上がってくる。
「こっちは道路の復旧……こっちは建物の確認……」
女性は書類を一枚ずつ確認していく。
「避難した人たちへの対応もあるし……」
机の端には、まだ処理されていない書類の束が残っている。
一枚片づければ、また一枚。
まるで終わりが見えない。
女性は椅子の背もたれに身体を預けた。
「……魔法少女が街を守ってくれてるのは、ありがたいんだけどねぇ」
窓の外を見る。
遠くには、戦闘の跡が残った建物が見える。
「そのたびに、こっちは大忙しよ」
そう呟いて、再び書類へ目を戻す。
カタカタと、キーボードを打つ音が部屋に響いた。
華やかな魔法少女の戦い。
怪人との激しい戦闘。
そのすぐ裏側では、誰かが壊れた街を元に戻そうとしている。
女性はもう一度、小さくため息をついた。
「……今日も残業かな」
そして何事もなかったように、残務処理へ戻っていった。
その頃。
街の地下深くに存在する、ネガティア基地。
司令室では、エクリアからの報告を受けたネレイドがモニターを眺めていた。
画面には、街で戦う魔法少女の姿。
アクティア。
ネレイドは映像をじっと見つめる。
「噂の魔法少女……」
エクリアから報告を受けたことで、ついにその正体が判明した。
怪人を倒し、空を飛び、少しずつ戦闘経験を積んでいる少女。
ネレイドは、今すぐ彼女を倒そうとはしなかった。
「もっと調べる必要があるわね」
そしてエクリアに指示を出す。
「今度、街に向かうときは目立たない格好で調査しなさい」
「……はい」
エクリアは素直に返事をした。
だが。
心の中では別のことを考えていた。
(……あんたも十分目立つ悪の組織の格好してるくせに)
エクリアの視線が、ネレイドの姿へ向く。
紫を基調とした派手な衣装。
大きな装飾。
そして、どう見ても普通の街では浮いてしまう姿。
(むしろ私より目立ってるでしょう……)
「何か言った?」
「いえ。何も」
エクリアは即答した。
ネレイドは少しだけ怪訝そうな顔をした。
しかし、それ以上は追及しなかった。
「お父さん、今日もいないの?」
アクティアは研究室の入口から顔を覗かせた。
父親の姿はない。
代わりに、机いっぱいに資料を広げている助手がいた。
「ねえ、お父さんどこ行ったの?」
「……え?」
助手は研究資料から目を離さない。
「えっと……ちょっと調べ物をしているのよ」
「いつ帰ってくるの?」
「さあ……」
「さあって」
アクティアは頬を膨らませる。
けれど、助手は忙しそうにキーボードを叩き続けていた。
「ごめんね、今ちょっと手が離せないの」
「……ふーん」
アクティアは研究室の中を覗き込む。
机の上には、魔法少女に関する資料。
戦闘記録。
魔力の測定データ。
見慣れない機械。
どう見ても、遊んでいるようには見えない。
「そんなに忙しいんだ」
「うん。あとでちゃんと話すから」
「ほんと?」
「ほんと」
アクティアはしばらく助手を見つめていた。
だが、これ以上ここにいても相手にしてもらえそうにない。
「じゃあ……いいや」
「ごめんね」
「別に」
アクティアは研究室を出ていった。
扉が閉まる。
「……暇だなぁ」
父親はいない。
助手も忙しい。
家にいてもすることがない。
アクティアは仕方なく、ひとりで街へ出ることにした。
街を歩けば、いつもの風景が広がっている。
商店街。
公園。
人の行き交う通り。
けれど、少し前まで怪人が暴れていた場所には、まだ修復の跡が残っていた。
「……結構、壊れてるなぁ」
アクティアは足を止める。
戦っているときには気づかなかった。
自分が怪人を倒しても、壊れたものが勝手に元へ戻るわけではない。
誰かが直している。
誰かが片づけている。
そんなことを考えながら、アクティアは再び歩き出した。
今日は魔法少女として戦う予定なんてない。
ただの、いつもの街歩きだった。
……少なくとも、このときのアクティアはそう思っていた。
街を歩いていると、突然、大きな爆発音が響いた。
ドォン!
「ん?」
アクティアが振り返る。
通りの向こうから、見慣れた姿が現れた。
怪人だった。
「また出たの?」
周囲の人々が逃げていく。
怪人は大声を上げながら、建物へ向かって突進していく。
アクティアは小さくため息をついた。
「はいはい。いつものやつね」
もう、最初の頃のような緊張はない。
アクティアは人目の少ない場所へ走ると、魔法少女へと変身した。
「魔法少女アクティア、参上!」
手には愛用のレイピア。
アクティアは怪人の前に立つ。
「今日も元気そうね」
怪人が腕を振り上げる。
以前なら、これだけでも必死に避けていた。
だが今のアクティアは違う。
「遅い!」
ひらりと攻撃をかわす。
そのまま懐へ入り込み、レイピアを一閃。
「そこっ!」
光の斬撃が怪人を捉える。
「グオオオッ!」
怪人がよろめく。
アクティアは追撃する。
一撃。
二撃。
そして最後に、レイピアを大きく振り抜いた。
「これで終わり!」
ドンッ!
怪人は大きく吹き飛び、そのまま光の粒になって消えていった。
「……よし」
アクティアはレイピアを肩に乗せる。
戦闘終了。
あまりにもあっさりしていた。
「最近、怪人も弱くなったのかな?」
もちろん、怪人が弱くなったわけではない。
強くなったのは、アクティアのほうだった。
最初の戦いでは、攻撃を避けるだけで精一杯だった。
今では怪人の動きを見切り、反撃し、ほとんど苦戦することなく倒せる。
アクティアにとって、怪人との戦いは少しずつ「特別な出来事」ではなくなっていた。
「さて……帰ろうかな」
変身を解こうとした、そのとき。
アクティアはふと周囲を見渡した。
誰もいない。
怪人は倒した。
街も、大きな被害はなさそうだ。
「……平和だなぁ」
そう呟いて、アクティアは歩き出した。
しかし。
その姿を、遠くからじっと見つめている者がいた。
アクティアは、まだ気づいていなかった。
自分がすでに、ネガティアから「噂の魔法少女」として注目されていることを。
怪人との戦いが終わった。
アクティアはレイピアを下ろし、ふうっと息を吐く。
「……終わったぁ」
以前なら、怪人を倒すだけでも大仕事だった。
攻撃を避けるだけで精いっぱい。
魔法を使うたびに戸惑い、どう戦えばいいのか分からなかった。
けれど、今では違う。
怪人が腕を振り上げれば避ける。
隙ができればレイピアで斬る。
距離を取れば魔法を放つ。
そして最後には、あっさりと倒してしまう。
すっかり、怪人との戦いにも慣れていた。
「今日もこんな感じかぁ」
アクティアは周囲を見渡した。
街はいつもの街。
怪人が現れて、魔法少女が倒して、そして日常に戻っていく。
少しずつではあるが、そんな日々が当たり前になりつつあった。
アクティアは変身を解こうとする。
そのときだった。
「……?」
遠くから、二人の少女が歩いてくる。
一人は、アクティアより少し年上に見える少女。
銀色の髪を揺らしながら、こちらへ近づいてくる。
そして、もう一人。
こちらはツインテール。
しかし、普通の少女とは明らかに違っていた。
頭にはヘルメット。
顔は完全に隠されていて、表情は見えない。
バイザーだけが、青く光っている。
「……誰?」
アクティアは変身を解くのをやめた。
レイピアを握り直す。
銀髪の少女が足を止める。
「私はエクリア」
「エクリア……?」
「あなたが、噂の魔法少女ね」
エクリアはアクティアをじっと見つめた。
「SNSやテレビで見たわ。怪人を倒している魔法少女」
「……そうだけど」
アクティアの警戒心が強くなる。
どうして自分を知っているのだろう。
それに、隣にいる少女。
さっきから一言もしゃべらない。
青く光るバイザーだけが、じっとアクティアを見ている。
エクリアは小さく笑った。
「少し遊んでもらうね」
「え?」
その瞬間だった。
ツインテールの少女が地面を蹴った。
「――!」
一瞬で距離を詰められる。
両手には、いつの間にか二本のダガーが握られていた。
ガキィンッ!
アクティアは咄嗟にビームシールドを展開する。
ダガーがシールドに弾かれた。
「いきなり!?」
少女は何も答えない。
右のダガー。
左のダガー。
二本の刃を交互に振り回しながら、アクティアへ迫ってくる。
「このっ!」
アクティアはレイピアで刃を受け流す。
キンッ!
さらに一撃。
ガキン!
シールドで防ぐ。
「速いけど……!」
アクティアは少女の攻撃を見切り、後ろへ跳んだ。
ところが少女は、そのまま追いかけてくる。
今度はダガーではない。
身体をひねり、鋭い蹴りを繰り出した。
「おっと!」
アクティアは腕を上げる。
ドンッ!
蹴りが腕に当たった。
「……痛っ」
少し痺れた。
けれど、大した威力ではない。
これくらいなら問題ない。
アクティアはそう判断した。
次のパンチも腕で受ける。
また蹴りが来る。
これも腕で防ぐ。
「このくらいなら、平気!」
アクティアはシールドとレイピアでダガーをさばき、パンチやキックは腕で受ける。
一見すると、互角の攻防だった。
だが――。
「……あれ?」
アクティアの動きが、ほんの少し鈍った。
胸元に手を当てる。
「魔力……?」
おかしい。
それほど激しい魔法を使った覚えはない。
怪人との戦いなら、これくらいの戦闘でここまで魔力が減ることはなかった。
なのに。
目の前の少女と戦っているだけで、魔力が少しずつ減っている。
アクティアはまだ、その理由に気づいていなかった。
少し離れたところで、エクリアがその様子を見ていた。
「……減ってきた」
その声は、とても小さかった。
「はぁっ!」
レイピアでダガーを弾く。
ツインテールの少女は後退する。
すぐに踏み込む。
またダガー。
また蹴り。
またパンチ。
アクティアは防ぐ。
しかし、そのたびに魔力が削られていく。
「なんで……こんなに減るの?」
アクティアは知らない。
この戦いが、単なる戦闘ではないことを。
目の前の少女が、アクティアを倒すためだけに戦っているわけではないことを。
そして。
その戦いを見つめるエクリアが、アクティアの魔力の減少を確認していることも。
「……なるほど」
エクリアは静かに呟いた。
アクティアはレイピアを構え直す。
まだ戦える。
まだ負けてはいない。
だが、その魔力は確実に減っていた。
