魔法少女になった。
その事実を、アクティアはまだ実感しきれていなかった。
鏡の中には、昨日までとは違う自分がいる。
フリルのついた衣装。
頭には小さなティアラ。
長い手袋とブーツ。
そして首元には、魔法少女へ変身するためのチョーカー。
「本当に……私、魔法少女になったんだ」
胸が高鳴った。
テレビの中で何度も見てきた、憧れの存在。
怪人が現れれば、魔法少女が現れる。
戦闘員たちを次々と倒して、最後には必殺技で怪人を吹き飛ばす。
アクティアにとって、魔法少女の戦いとは、そういうものだった。
だから。
その日の午後。
街から大きな轟音が響いたとき。
アクティアの胸は、恐怖よりも先に高鳴った。
「……え?」
窓の外を見る。
遠くの街から、黒い煙が上がっている。
そして。
巨大な怪人が、建物を壊しながら歩いていた。
その周囲には、黒い服を着た戦闘員たち。
逃げ惑う人々。
響き渡る悲鳴。
「怪人……?」
アクティアは目を見開いた。
「テレビで見たのと……同じ」
まるで画面の中から、そのまま飛び出してきたようだった。
けれど。
父親は違った。
「アクティア」
低い声だった。
「行くな」
「でも……!」
「これはテレビじゃない」
父親は窓の外を見つめる。
「本当に危険なんだ」
「……」
アクティアは黙った。
確かに。
テレビで見る怪人とは違う。
建物が壊れている。
人が逃げている。
あれは本物だ。
それでも。
アクティアは胸元のチョーカーに触れた。
「私……魔法少女なんだよね?」
「……ああ」
「だったら……」
アクティアは窓の外を見る。
「行かなきゃ」
「アクティア!」
父親が止める。
だが、その前に。
アクティアは駆け出していた。
◇
「待て、アクティア!」
父親も慌てて後を追った。
そして、その後ろから母親も走ってくる。
「あなた!」
「危険だ。アクティアを連れ戻す」
「だったら、私も行く」
「君まで来る必要はない」
母親は首を横に振った。
「あるわ」
「……」
「初めての戦いなんでしょう?」
「……ああ」
「だったら、一人にはできない」
母親は迷わなかった。
魔法少女になった娘。
その娘が、初めて戦う。
危険だと分かっていても、家で待っていることなんてできなかった。
「行きましょう」
二人は、アクティアを追って街へ向かった。
◇
街に到着したアクティアの前に、戦闘員が数人立ちはだかった。
「魔法少女だ!」
「捕まえろ!」
一斉に襲いかかってくる。
「えっ!?」
アクティアは驚いた。
だが。
次の瞬間。
飛びかかってきた戦闘員の拳を、軽く横へかわす。
「……あれ?」
続けて、別の戦闘員が殴りかかる。
それも避ける。
さらに一人。
今度はアクティアへ向かって突っ込んでくる。
「えいっ!」
とっさに腕を振った。
ドンッ!
「え?」
戦闘員の身体が、数メートル吹き飛んだ。
「うそ……」
アクティア自身が一番驚いていた。
もう一人が襲いかかってくる。
アクティアは軽く蹴った。
ドンッ!
また吹き飛ぶ。
「……強い」
魔法を使ったわけではない。
ただ身体を動かしただけ。
それなのに。
戦闘員たちは、まるで相手にならなかった。
「テレビと同じだ……!」
アクティアの顔が明るくなる。
「私、本当に魔法少女なんだ!」
残った戦闘員たちも、次々と倒れていく。
あまりにも、あっさりしていた。
少し離れた場所から、その様子を見ていた母親が思わず微笑む。
「すごい……」
父親も驚いていた。
「変身によって身体能力そのものが強化されているのか……」
母親は、ほっと胸を撫で下ろした。
「あの子……本当に魔法少女になったのね」
「……そうみたいだな」
「これなら……大丈夫かもしれないわね」
その言葉は。
ほんの一瞬だけ、母親を安心させた。
けれど。
次の瞬間。
空気が変わった。
ズンッ……。
地面が揺れる。
「……え?」
アクティアが振り返る。
そこに。
巨大な怪人が立っていた。
「……大きい」
戦闘員とは、まるで違う。
圧倒的な存在感。
怪人がゆっくりと腕を上げる。
「……!」
アクティアの身体が硬直した。
怖い。
さっきまでとは違う。
身体が、本能的に危険を感じている。
そして。
怪人の腕が振り下ろされた。
「きゃっ!」
アクティアは、とっさに横へ飛んだ。
ドゴォンッ!
地面が砕ける。
「ちょっと……!」
アクティアは慌てて距離を取った。
怪人が再び襲いかかる。
避ける。
また避ける。
けれど。
攻撃する隙がない。
「だったら……!」
アクティアはレイピアを構えた。
魔法少女になったときに手にしていた武器。
テレビの中の魔法少女が持っていたものと同じような、細身の剣。
「これなら!」
アクティアは踏み込んだ。
レイピアを怪人へ突き出す。
ガキンッ!
「えっ!?」
弾かれた。
怪人の身体には、傷ひとつついていない。
「効いてない……?」
怪人が腕を振るう。
「うわっ!」
アクティアの身体が吹き飛んだ。
「痛っ……!」
地面を転がる。
それでも立ち上がる。
「まだ……!」
もう一度、突き刺す。
ガキンッ!
また弾かれる。
「なんで……!」
アクティアは焦った。
ならば。
魔法を使えばいい。
そう思った。
「魔法……!」
何も起こらない。
「魔法!」
やっぱり何も起こらない。
「なんでよ……!」
何度試しても。
何も起こらない。
怪人が迫ってくる。
アクティアは必死に逃げる。
さっきまで。
戦闘員たちは簡単に倒せた。
自分は強い。
魔法少女なんだ。
そう思っていた。
なのに。
怪人には、まるで通用しない。
「アクティア!」
そのとき。
聞き慣れた声がした。
「ママ!?」
少し離れた場所から、母親が駆けてくる。
「無理しないで!」
「でも……!」
「逃げて!」
母親が叫ぶ。
しかし。
怪人は、アクティアへ向き直っていた。
大きな腕が、ゆっくりと振り上げられる。
「アクティア、逃げろ!」
父親の声。
アクティアは動こうとした。
けれど。
身体が動かない。
「……!」
怪人の攻撃が。
目の前まで迫っていた。
「危ない!」
母親が走った。
考えるより先に。
身体が動いていた。
アクティアの前へ。
「ママ……?」
母親が振り返る。
アクティアと目が合う。
ほんの一瞬。
母親の顔には、恐怖が浮かんでいた。
それでも。
次の瞬間。
母親は、いつものように笑った。
家でアクティアを見るときと同じ。
安心させるための、優しい笑顔。
「大丈夫」
母親が言う。
「ママがいるから」
次の瞬間。
怪人の攻撃が二人を襲った。
「ママ!」
アクティアの視界が白く弾ける。
凄まじい衝撃。
身体が吹き飛ばされる。
地面を転がる。
「……うっ……」
耳鳴りがする。
何が起きたのか、すぐには分からない。
ゆっくりと顔を上げる。
「……ママ?」
少し前に。
母親が倒れていた。
「ママ!」
アクティアは駆け寄った。
「ママ、しっかりして!」
母親は動かなかった。
「ママ!」
アクティアが身体を支える。
すると。
母親が、ゆっくり目を開いた。
「……アクティア」
「ママ!」
よかった。
まだ話せる。
まだ、生きている。
そう思った。
母親は。
アクティアを見て。
また笑った。
その笑顔に。
アクティアは、一瞬だけ安心してしまった。
「……よかった」
まだ笑ってる。
まだ話せる。
なら。
大丈夫。
「すぐ病院に行こう!」
アクティアは母親を起こそうとする。
「パパのところに戻ろう。治してもらおうよ!」
「アクティア……」
「大丈夫だから!」
母親は、ゆっくり首を横に振った。
「アクティア」
「なに?」
「怪人を……」
母親は、遠くにいる怪人を見る。
「倒して……」
「私が……?」
「うん」
母親は微笑んだ。
「あなたなら……できる」
その言葉に。
アクティアはレイピアを見る。
手が震えていた。
怖い。
逃げたい。
でも。
母親が自分を見ている。
「……分かった」
アクティアは立ち上がった。
「ママを守る」
レイピアを強く握る。
そして。
怪人へ向かって走った。
◇
「これで……!」
アクティアが踏み込む。
レイピアが怪人を捉えた。
一撃。
二撃。
怪人がよろめく。
「まだ……!」
アクティアは走る。
何度も攻撃する。
そして。
最後の一撃。
「これで……終わり!」
レイピアが怪人を貫いた。
怪人の身体から、まばゆい光が溢れる。
「うわっ!」
光が街を包み込む。
そして。
怪人の巨体が崩れ落ちた。
静かになった。
戦闘員たちもいない。
街を覆っていた恐怖が消えていく。
アクティアは荒い息をしながら、立っていた。
自分の手を見る。
レイピアを見る。
そして。
ゆっくり振り返る。
「……倒した」
アクティアの顔に、笑顔が浮かんだ。
「倒した……!」
初めての戦い。
初めての怪人との戦い。
そして。
初めての勝利。
「ママ!」
アクティアは母親のもとへ駆け戻った。
「見て!」
アクティアは笑った。
「倒したよ!」
母親は、アクティアを見る。
そして。
嬉しそうに笑った。
「うん……」
その表情は。
アクティアが今まで見たことがないほど優しかった。
「よく……頑張ったね」
「ママ……」
「怖かったでしょう?」
「……うん」
「それでも、立ち向かった」
母親が手を伸ばす。
アクティアは、その手を握った。
「私……魔法少女だから……」
母親は小さく首を振った。
「違うよ」
「……え?」
「魔法少女だから強いんじゃない」
母親は、アクティアの目を見つめた。
「あなたが、あなた自身の力で立ち上がったの」
「……」
「だからね」
母親の声が、少しずつ弱くなる。
「これから先、魔法少女じゃなくなったとしても……」
「……うん」
「あなたは、あなたのままでいいの」
アクティアの目から涙がこぼれた。
「ママ……」
「誰かに認めてもらわなくてもいい」
母親は最後まで笑っていた。
「強くなくてもいい」
「……嫌だ」
「自分がどう生きたいか……」
「ママ、もう喋らないで……」
「自分で選びなさい」
母親の指が、アクティアの頬に触れる。
その手は、もうほとんど力がなかった。
「あなたは……あなたよ」
「……ママ?」
「それだけは……忘れないで」
母親の手が。
ゆっくりと頬から離れる。
「ママ……?」
返事はない。
「ママ?」
アクティアが手を握り直す。
けれど。
もう。
握り返してくれる力はなかった。
「……ママ」
アクティアは母親を抱きしめた。
涙が止まらない。
さっきまで。
自分は魔法少女だった。
戦闘員を倒した。
怪人も倒した。
勝った。
テレビで見ていた魔法少女と同じように。
自分も怪人を倒した。
なのに。
「……どうして……」
勝ったはずなのに。
嬉しくない。
勝ったはずなのに。
胸の中には、ぽっかりと穴が開いていた。
目の前には。
もう動かない母親。
そして。
自分の手には。
怪人を倒したレイピア。
アクティアは、それを見つめた。
初めての勝利。
それは。
母親を失った瞬間でもあった。
魔法少女になった日。
アクティアは、初めて知った。
戦いには。
勝つことだけでは終わらないものがある。
そして。
勝利には、ときに。
