村上水軍の拠点であった広島県呉市に創業した深田サルベージ建設 | 輝くあなたを取り戻して

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「深田サルベージ建設の発祥の地は広島県呉市です。広島県呉市は、村上水軍の根城があった場所です。村上水軍は、戦の中で松取りの現場部隊です。松取りの現場作業をする海の反社の役割と言えます。」

4月23日に起きた知床観光船事故において、沈没した知床遊覧船所有のカズワンの捜索活動に「無人潜水機」が投入されています。2022年5月8日の《HBC NEWS》で状況内容が伝えられています。

『知床観光船沈没事故 民間調査船の「無人潜水機」が水中へ 行方不明者発見につながるか 北海道』の記事には、『北海道・知床半島沖の観光船沈没事故で、8日から「無人潜水機」が、沈没した観光船の内外の捜索を始めました。

沈没現場の海域では、8日午前9時ころ、民間の調査船「親日丸(しんにちまる)」から無人潜水機が降ろされました』とあります。なぜか"民間の調査船「親日丸」"という表記をしており、具体的な会社名を出していません。

「親日丸」をネットで調べるとブログ《写・撃・演・習・場♪》に、『多目的作業船 「 新日丸 」(日本 / 深田サルベージ建設・オフショアエンジニアリング )』の記事があり、『“深田サルベージ建設”の多目的作業船「新日丸」です。

メインの業務は“ROV(遠隔操作無人水中ロボット)”の作業母船ですが。曳航作業もこなせる何でも屋さんです。船体表記は「深田サルベージ建設」ですが、所有・管理は“深田サルベージ建設”の関連会社「オフショアエンジニアリング」』と記されています。

念のために、オフショアエンジニアリング株式会社の公式サイトを調べると、代表取締役社長・山本寿生(やまもととしお)は、深田サルベージ建設株式会社の代表取締役社長・山本寿生と同一人物でした。代表メッセージで深田サルベージ建設に言及しています。

『我が国の将来の成長を担う海洋開発関連事業に深田サルベージ建設グループの一員として様々なプロジェクトに参画しております』。オフショアエンジニアリング株式会社は、深田サルベージ建設グループの会社でした。

知床観光船沈没事故-Wikipediaにも、注釈が貼付されていますが『民間企業「オフショアエンジニアリング株式会社」が所有、管理する作業船「新日丸」』の表記になっています。深田サルベージ建設の名前を余り前面に出したくないように感じます。

深田サルベージ建設の闇の解除・統合を目的とするエネルギーワークを行いました。深田サルベージ建設の創業者は深田和三郎です。公式サイトの企業沿革に『1961年(昭和36年)創業者・深田和三郎 サルベージ業界の発展に寄与 運輸大臣表彰』と記されています。

深田和三郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「熊襲の過去世をもつ人」と伝えられました。私は熊襲(くまそ)からサンカに変わった過去世だと感じました。「熊襲」とは日本に居住していた先住民の名前です。

ヤマト王権を成立させた渡来人によって、松取り(松果体収穫)の犠牲となり虐殺された純粋な人たちです。熊襲の人たちを裏切った「隼人(はやと)」と呼ばれる人たちもいます。隼人は、ヤマト王権側について熊襲の松取りを行った先住民の人たちです。

東北地方には、先住民の「蝦夷(えみし)」と呼ばれる人たちがいますが、この人たちも北海道のアイヌと同様な先住民です。先住民の人たちの中には、渡来人の支配下に置かれて同じ仲間だった先住民の人たちの松取りの現場仕事を行う人たちが生まれました。

こうした人たちを「サンカ」と呼びます。サンカの人たちは、本来、純粋な先住民だったのに、渡来人のエゴの闇に染まり、松取りなどの闇の仕事をする役割になってきました。サンカは、現在の裏世界で仕事をする反社や反グレの源流です。

鹿児島 熊襲の穴 ~巡礼の旅(196)~》は、2015年1月に鹿児島県霧島市隼人町にある「熊襲の穴」でエネルギーワークを行った時の記事です。「この地は天と繋がる場所。真実を伝えて欲しい」と熊襲の長から伝えられました。

先住民の熊襲の人たちが洞窟の中で、渡来人の配下のサンカとなった隼人によって松取りの犠牲になり殺されたのです。熊襲の穴の地は、本来、天と繋がる光の地底でした。水が生まれる光の地底が松取りによって闇にされて封印されたのです。

日本各地に熊襲の穴と同様な地底の入り口があり、そこで先住民の人たちが松取りをされて、虐殺されてきました。隼人のように先住民からサンカになった人たちは、松取りや食人の闇の仕事によって、自分のエゴを満たし、支配層の権力者の下で工作員となっていきました。

工作員は、対価としての「金」を一番大事にする金の亡者となったのです。金に群がる工作員となって、裏の世界の仕事を成して、日本の地を深い闇にする役割を行ってきました。深田サルベージ建設の代表取締役社長・山本寿生に闇の解除・統合を意図して光を降ろしました。

「海賊。村上水軍の過去世をもつ人」と伝えられました。海賊や水軍は、海のサンカであり、海の反社と言えます。村上水軍は、日本中世の瀬戸内海 で活動した水軍(海賊衆)であり、その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域でした。

公式サイトによると、深田サルベージ建設は、1910年(明治43年)7月に広島県呉市で、深田海事工業所として発足しています。広島県呉市のwikiには『地形的に天然の良港と言われ、古くは村上水軍の一派が根城にしており、明治時代以降は、帝国海軍・海上自衛隊の拠点となっている』と記されています。

深田サルベージ建設が生まれた広島県呉市は、村上水軍の拠点だったのです。深田サルベージ建設は、松取りの闇の仕事をしていた村上水軍の闇の役割を引継いで来たことが分かります。《裏世界に繋がる村上水軍》には、村上水軍についてのエネルギーワークを行った記事です。

海賊や水軍の闇は、大日本帝国海軍、海上自衛隊にも引継がれています。日本の4大軍港である横須賀、舞鶴、呉、佐世保の港には、松利権の闇や反社の闇が置かれて、封じられてきたのです。深田サルベージ建設の本社所在地もワークを行いました。

深田サルベージ建設の本社所在地(大阪府大阪市港区築港4-1-1 辰巳商会ビル6階)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「何をやっているのか分からない」と伝えられました。続いて、深田サルベージ建設の親会社の辰巳商事についてのエネルギーワークを進めました。

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