輝くあなたを取り戻して

輝くあなたを取り戻して

輝くことを忘れてしまったあなたが、もう一度、光を取り戻すための一助となれば幸いです。

私たちは魂がより輝くために暗闇の地球で体験しています。地球を暗闇にするために真実が隠されてきました。しかし、地球は、今、光の幕開けを迎えています。地球も人も闇を卒業するために、隠蔽されてきた真実を探求していきたいと思います。読者の皆様が幸せを感じられるお手伝いができれば嬉しいです。

「関東軍司令官の植田謙吉は日本郷友連盟の初代会長です。日本軍は支配層・八咫烏の工作部隊であり、統治時代を含め戦地の中国で松取り工作を展開してきました。今年3月で活動終了する日本郷友連盟は、安倍晋三元首相が深く絡んでいる日本会議とも関係しています。八咫烏の闇の役割が終焉を迎えています。」

 

支配層の松工作の現場工作員・サンカの役割である宝島龍太郎の出身地である中国吉林省延辺朝鮮族自治州について追及を続けました。中国吉林省延辺朝鮮族自治州には、中国朝鮮族の人たちが生活しており、現在の北朝鮮の源流だと見ています。中国吉林省延辺朝鮮族自治州には、延吉市、図們市、竜井市、琿春市、和竜市、敦化市の6県級市があります。

 

各市のポイントとなる人と土地を選んで調査とワークを進めています。現実的にも、真実が隠されて暗闇となっている場所を追究して真実を明らかにすることが光を当てることになります。「延吉市(えんきつし)の調査とワークを終えて、次に「図們市(ともんし)」に移ります。図們市の情報はwikiに記載されています。

 

『図們市は中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州に位置する県級市。人口13.6万人中朝鮮族7.8万人で57%を占める。図們江(豆満江)を隔てて朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と接する国境の町。脱北者の密入国も多い。[地理]吉林省南辺に位置し、南は北朝鮮の咸鏡北道穏城郡、東は琿春市、西は州都・延吉市、北は汪清県と接する。

 

面積は1142平方キロメートル。地勢は西北と南部は高く東部は低い。最高峰は三角山(987m)で、主要河川は図們江、嘎呀河、布爾哈通河、石頭河。北朝鮮の羅津先鋒自由貿易区まで160キロの距離にある。[歴史]1913年-延吉県が設置され、その一部となる。当時は小村に過ぎなかった。

 

1932年8月6日-図們と北朝鮮の南陽を結ぶ鉄道橋の建設が始まる。1933年-延吉県灰幕洞村を図們に改名。1933年6月25日-天照大神を祀る図們神社が建立される。1934年-満州国により図們市が設置され間島省の管轄とされる。図們に間島日本領事館分館が新設される。1936年-図們街に降格する(後の図們鎮)。

 

1936年10月29日-植田謙吉関東軍司令官と南次郎朝鮮総督が図們で会見。長白山地区で活動している東北抗日聯軍の「討伐」について協議。1937年1月15日-図們と佳木斯を結ぶ図佳線が全線開通。1945年10月中旬-図們にソ連軍の犠牲者を追悼する「解放塔」が建てられる。1946年1月30日-図們税関が設置される。

 

1950年11月17日-図們鉄道分局機関区の従業員は抗美援朝支援集会を開く。11月18日-図們中学校584名は抗美援朝支援集会を開く。1952年5月14日-中国人民解放軍東北軍区防疫委員会は図們に国境検疫指揮部を設立。1953年1月16日-中国外交部は北朝鮮大使館が図們に事務所を設立することに同意。

 

1954年4月1日-中朝両国の経済と文化交流を促進するため、吉林鉄路局は北朝鮮側と連合した運行業務を開始。集安駅と図們駅からそれぞれ北朝鮮に向かう初の国際連合運行列車が出発。1965年-延吉県図們鎮及び汪清県石峴鎮に図們市が設置される。1981年1月1日-図們から通化に行く列車を、図們から吉林を経て瀋陽に行く列車に改める。

 

1984年5月16日-金日成がソ連を訪問する際、図們に立ち寄る。1985年4月1日-図們から豆満江対岸の南陽に行く国際普通旅客バスが正式に開通する。1986年12月-吉林省全方位対外開放シンポジウムを図們で開催。1987年5月-図們市の対岸にあたる北朝鮮の穏城第12号収容所内のチャンピョン地区で大規模な暴動事件が発生、1万5000人あまりの政治犯中、5000人あまりが虐殺された。

 

収容所は事件を機に解体された(2002年12月、朝鮮日報)。1988年-対外開放都市に指定。1988年3月22日-図們口岸大門(高13.7m、幅22m)の建設が始まる。1990年-図們口岸橋頭国門が竣工。1991年1月-江沢民総書記が図們口岸などを視察。1992年5月5日-図們から北朝鮮の穏城への日帰りツアーが開設される。

 

1992年8月25日-北朝鮮は丹東と図們からの観光客の受入れを中止。1992年11月10日-図們駅の新しい駅舎が落成。1993年10月4日-元図們市委書記の梁鳳植が収賄容疑で逮捕される。1988年から1992年の図們市委書記に在職中、吉林省宇全工貿総公司から巨額の賄賂を受け取る。2001年12月29日-北朝鮮の警備兵が図們市涼水鎮で材木を盗伐する事件が発生。

 

2003年12月-図們市と北朝鮮咸鏡北道穏成は新たな観光コースの設置に合意し図們市政府会議室で調印式を開く(黒龍江新聞)。2005年7月6日-7日-韓国の全州工業大学は、図們市で「第1回豆満江祭り」を開催。全北テコンドー協会と図們市で文化体育部が後援。2005年12月17日-武装した北朝鮮軍人8人が、図們市の凉水鎮炭鉱を襲撃、1人が射殺され、3人が逮捕される(東亜日報)。

 

2006年8月9日-中国の国門時報は、図們市と咸鏡北道穏城郡南陽労働者区に共同貿易区を建設する計画が当局の承認を受け、北朝鮮も準備作業を急ピッチで進めていると報じる(朝鮮日報)。2007年4月29日-自民党の加藤紘一、山崎拓両氏らが延辺を訪問。延吉市から図們江まで移動し図們大橋を徒歩で国境線まで渡る。

 

2008年1月24日-25日-図們市代表団が咸鏡北道を訪問、 12月25日に中朝ロの鉄道部門関係者が図們で調印した「中朝ロ地域間鉄道貨物運輸協議」の推進に関する会談を行う。2009年3月17日-米ケーブルテレビ「カレントTV」(本社・サンフランシスコ)に所属する中国系米国人のローラ・リン記者(32)と韓国系米国人のユナ・リー記者(36)の2人が図們市月晴鎮の中朝国境で取材中、北朝鮮に拘束される。

 

2009年5月5日-図們市と図們市図們江国際旅行社、朝鮮咸境北道観光局、朝鮮咸境北道清津鉄路局の代表者が朝鮮・清津市で、「中朝両国の図們-朝鮮南陽・清津・七宝山間の鉄道観光路線の開通に関する協力合意書」に調印したと中国の各紙が報道。[経済]2001年の生産総額は7.4億人民元、対外貿易輸出額は約1千万人民元、朝鮮、韓国、日本、ロシアとの貿易が多い。

 

この年の北朝鮮との出入国者数、2.4万人』。北朝鮮と国境を接する図們市のwikiで、目に留まった一文が『2009年3月17日-米ケーブルテレビ「カレントTV」(本社・サンフランシスコ)に所属する中国系米国人のローラ・リン記者(32)と韓国系米国人のユナ・リー記者(36)の2人が図們市月晴鎮の中朝国境で取材中、北朝鮮に拘束される』です。

 

これは、明らかに工作だと感じます。2009年北朝鮮によるアメリカ人記者拘束事件-wikiに、事件の結末が記されています。『2009年北朝鮮によるアメリカ人記者拘束事件は、2009年3月17日、朝鮮民主主義人民共和国の兵士が、アメリカ合衆国の独立系ケーブルテレビ「カレントTV」で働く2人のアメリカ人ジャーナリスト、ユナ・リー(英:Euna Lee)とローラ・リン(英:Laura Ling)を拘束した事件。

 

2人はビザなしで中華人民共和国より北朝鮮へ越境していたとされる。2009年6月、2人は不法入国の罪で有罪になり、12年間の強制労働を宣告されたが、同年8月4日、元大統領のビル・クリントンが公表なしで北朝鮮を訪問し、その翌5日、北朝鮮の指導者金正日は2人に恩赦を与え、2人はクリントンらとともにアメリカに帰国した』。

 

北朝鮮で拘束された米国人ジャーナリスト2人を元大統領のビルクリントンが北朝鮮を訪問して2人を救助したというものです。現在、米国と北朝鮮は表では敵対していますが、裏では繋がっているのです。支配層が一般大衆を騙して、永続的な金儲けを行うための虚構の対立構図を演出しているのです。これは、近代戦争と同じ図式です。

 

2つの軍の上層部が手を組んで、末端の若い兵士や市民が犠牲になって支配層の金儲けが成されています。ある意味で筋書きのある芝居のプロレスです。こうした偽装工作の敵対構図で一般大衆が騙されてきました。北朝鮮を悪者に仕立て上げて、金儲けのための騙しの工作を続けています。北朝鮮ミサイル北朝鮮拉致問題・家族会なども同じです。

 

多くの人たちは、こうした支配層の嘘・工作の芝居に気づく時が来ています。図們市-wikiにある『1936年10月29日-植田謙吉関東軍司令官と南次郎朝鮮総督が図們で会見。長白山地区で活動している東北抗日聯軍の「討伐」について協議』の箇所に着目しました。具体的には、関東軍司令官の「植田謙吉」、朝鮮総督の「南次郎」と「東北抗日聯軍」を追っていきました。

 

関東軍司令官の植田謙吉の経歴はwikiに記されています。『植田謙吉(うえだ けんきち・1875年-1962年)は、大阪府南河内郡狭山村(現・大阪狭山市)出身の陸軍軍人。陸士10期、陸大21期。陸軍大将正三位勲一等功三級。[経歴]陸軍軍吏、植田謙八の二男として生れる。北野中学校、東京高等商業学校(現・一橋大学)を経て、1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業し、翌年6月、騎兵少尉任官。

 

陸士生徒隊附、騎兵監部員などを経て、1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業。第18師団参謀、第16師団参謀、陸軍省軍務局課員、参謀本部附(欧州出張)などを歴任。シベリア出兵に際しては、浦塩派遣軍参謀として出征した。教育総監部附、騎兵第1連隊長などを経て、1923年(大正12年)8月、陸軍少将に進級。

 

航空部附、騎兵第3旅団長、軍馬補充部本部長などを歴任し、1928年(昭和3年)8月、陸軍中将に進級した。支那駐屯軍司令官を務めた後、第9師団長在任中、第一次上海事変により出動。停戦交渉中の1932年(昭和7年)4月29日、上海天長節爆弾事件により左脚を失った。この後、6月4日に大阪に凱旋し、担架に乗せられて上陸した。

 

このときの模様については、フランスから来た女性ジャーナリスト、アンドレ・ヴィオリスの「1932年の大日本帝国」で描写されている。参謀本部付、参謀次長、朝鮮軍司令官などを歴任。1934年(昭和9年)11月、陸軍大将に進み、軍事参議官を務めた後、関東軍司令官兼駐満大使となり、在任中にノモンハン事件が発生。

 

停戦後にその責めを負うかたちで1939年(昭和14年)12月に予備役編入となった。戦後公職追放となり、1952年の追放解除後は戦友団体連合会会長、日本郷友連盟会長を務めた』。植田謙吉は、日本陸軍の配下の関東軍司令官だったので、明らかに八咫烏の工作員だったと感じます。関東軍司令官の植田謙吉の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「工作員」と伝えられました。

 

やはり八咫烏工作員の役割だったようです。日本陸軍などの軍隊は、支配層の松取り工作を遂行する部隊です。2つの軍を戦わせることで、戦死者が生まれ、戦死者の遺体を原材料として、松の缶詰や丸薬などの松製品を製造販売してきました。支配層は、松製品の販売ネットワークを構築して、闇のネットワークを広げていったのです。

 

朝鮮総督の南次郎の経歴はwikiに記されています。『南次郎(みなみ じろう・1874年-1955年)は、大分県国東郡高田町(現・豊後高田市)出身の陸軍軍人。陸軍大将正二位勲一等功四級。軍内派閥では田中義一、宇垣一成の直系として1927年(昭和2年)に参謀次長、1929年(昭和4年)に朝鮮軍司令官を歴任、満洲事変当時は陸軍大臣として事変不拡大を指示する。

 

戦後、極東国際軍事裁判にて終身禁固刑となる。[来歴]1884年(明治17年)7月、叔父・宮崎義一の下に単身上京、9月に鞆絵小学校(現・港区立御成門小)初級入学。その後成績良好のために鞆絵小高等科に進級した。1888年(明治21年)4月、東京府尋常中学(現・都立日比谷高校)入学。

 

1889年(明治22年)9月、素行不良と数学の成績不振により翌年校長となる勝浦鞆雄から1ヶ月の停学処分を受けたのを機に、かねてから陸軍士官学校志望であったことから、後年児玉源太郎が校長に就任する成城学校へ転校した。1890年(明治23年)4月の17歳の時、陸軍中央幼年学校へ。1892年(明治25年)4月、陸軍士官学校に入校。

 

1895年(明治28年)4月、陸軍士官学校6期卒業。騎兵連隊勤務。陸軍大学校17期卒業。[戦後]第二次世界大戦後の1945年11月19日、連合国軍最高司令官総司令部は日本政府に対し南ら11人を戦争犯罪人として逮捕し、巣鴨刑務所に拘禁するよう命令。 満洲事変の責任でA級戦犯に指名され、極東国際軍事裁判(東京裁判)で終身禁固刑となる。

 

1954年(昭和29年)、仮出獄。南は軍事思想として、国防は政治に優先すると常に唱えた。外交に関しては、重光葵が認めた「巣鴨日記」(「文藝春秋」昭和27年8月号掲載)によると、巣鴨プリズン内での重光との会話の中で「外交とは軍の行動のしり拭いをすることであったと思っていたが、今度初めて外交の重要性を了解した」と語ったことがあるという。

 

[人物]生前の南は、「南のある所春風あり」と言われるほどの人情家で、明るくユーモラスな人柄だったという。重光によると、南の白髭は戦犯の間でも名物となり、巣鴨プリズンにおける獄中生活ですら楽しんでいる様子だったという。義理の甥に当たる片倉衷は、物事を大局的かつ些細に見る人であったが、胆の太い、度量の大きな典型的な明治人であったと回想する』。

 

朝鮮総督の南次郎も、関東軍司令官の植田謙吉と同様に、大日本帝国陸軍軍人なので、八咫烏の工作員の役割を担っていたと感じます。朝鮮総督の南次郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松取り」と伝えられました。朝鮮総監として陸軍という松取り部隊を指揮していたと捉えています。

 

次に、関東軍司令官の植田謙吉が初代会長を務めた「日本郷友連盟(にほんごうゆうれんめい)」を追跡しました。日本郷友連盟の情報はwikiに記載されています。『一般社団法人日本郷友連盟は、日本軍兵役関係者らによって戦後結成された一般社団法人。現在は自衛隊の元幹部が中心となっている。

 

軍人恩給増額要求や国防・教育・憲法改正に関する主張から、圧力団体、反共団体とみなされている。[沿革]太平洋戦争後活動していた日本軍兵役関係者らによる各地の戦友団体を起源とする。支那派遣軍総司令官を務めた岡村寧次が事実上の世話役となり関係者に呼びかけて、1954年5月、「祖国再建と国土防衛」を目的に掲げた桜星倶楽部を結成。

 

東京銀座に事務所を構え、全国統一組織化を準備した。1955年3月、機関紙「桜星」創刊(のち「郷友」に改題)。同年6月6日、日比谷公会堂に2500人が参集して結成大会を開催、日本戦友団体連合会が発足した。初代会長に元関東軍司令官植田謙吉、理事長兼副会長に岡村寧次が就任した。1956年5月、現在の名称に改称。同年10月、社団法人認可。

 

同時期に政治団体日本郷友政治連盟を設立した。組織拡大に努め、1965年、46都道府県支部・2職域支部・43青少年部支部・35婦人部支部・総会員数42万6990人に達した。しかし、1975年の47支部・会員数45万3932人を頂点に勢力が下降していった。2012年4月1日、一般社団法人となった。

 

2010年1月24日に実施された、第77回自由民主党定期党大会にて、自由民主党の本部推薦の友好団体として表彰されている。2023年、元陸上幕僚長の森勉が第10代会長に就任した』。日本郷友連盟は、圧力団体であり、支配層の工作組織だと捉えています。日本郷友連盟の初代会長は、元関東軍司令官の植田謙吉(ワーク済)で、初代理事長兼副会長は、岡村寧次です。

 

wikiによると経歴は、『岡村寧次(おかむらやすじ・1884年-1966年)は、東京都出身の陸軍軍人。官位は陸軍大将勲一等功一級に昇る。支那派遣軍総司令官、北支那方面軍司令官、第11軍司令官等を歴任。父は江戸幕府に仕えた岡村寧永。元妻の星野理枝と死別した後、貴族院議員・加藤宇兵衛の娘と再婚する。

 

陸軍三羽烏の一人』と記載されています。日本郷友連盟の初代理事長兼副会長・岡村寧次(支那派遣軍総司令官)の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松取り」と伝えられました。やはり、支配層・八咫烏の松取り工作部隊の司令官の役割のようでした。日本郷友連盟の公式サイトを見ると、トップページに『日本郷友連盟は令和7年3月31日をもって活動を終了しました』と掲載されていました。

 

日本郷友連盟は、今年2025年3月末で活動終了ということです。日本郷友連盟の調査とワークを行ったのは、昨年2024年7月で、その時は活動終了の記載はありませんでした。ワークで光を降ろした故に、八咫烏の闇のエネルギー体が光に統合したからか、現実が変化したと感じます。水面下で支配層・八咫烏の松利権工作組織の掃除が行われているようです。

 

もう闇の役割の終焉が訪れていると感じます。また、八咫烏の場合は、闇を終わらせる役割もあり、今後、闇を終わらせる事象が起きて来ると捉えています。公式サイトの「役員名簿(令和4年5月17日付)」から代表理事(会長)・寺島泰三(てれしまたいぞう)、理事(副会長)・森勉(もりつとむ・前会長)をワーク対象に選びました。

 

日本郷友連盟の代表理事(会長)・寺島泰三(1933年-・第21代陸上幕僚長・日本会議代表委員)、理事(副会長)・森勉(前会長・第30代陸上幕僚長・日本会議代表委員)、本部所在地(東京都新宿区若葉1丁目21)に闇の解除・統合を意図して各々に光を降ろすと「ゴム。松取り。松喰い」「同和」「いいです」と伝えられました。

 

日本郷友連盟の現トップは、既に替え玉に変わっているようです。会長の寺島泰三と副会長の森勉は、いずれも日本会議代表委員です。日本会議は、八咫烏の工作組織であり、故・安倍晋三元首相と深い繋がりがありました。現代では、安倍晋三元首相が政権を握っていた時が、日本が一番暗闇になっていた時だと感じています。

 

安倍晋三元首相が銃撃で死去して、この世から去ってから日本の環境が大きく変わってきました。統一教会の闇に光が入り、諸々の隠された真実が表面化してきました。統一教会は、支配層・八咫烏の亀派の胴元工作組織であり、エゴの闇で暗闇にする役割を担っていました。今は、闇の土台となる八咫烏の鶴派の胴元工作組織・創価学会の段階に来ています。

 

臨済宗円覚寺派管長・朝比奈宗源から繋がる松利権支配の「日本会議」とワンワールド建設の「世界連邦運動」》には、八咫烏工作員の役割を担っていた臨済宗円覚寺派管長・朝比奈宗源について言及しています。八咫烏は光を封印して暗闇にする純粋な闇の役割ですので、反転すると闇を終わりにする仕事を成して大きな光に変わっていきます。

 

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自分が目覚めて輝き、光輝く地球をサポートするための「輝く地球・光の講座(フォローアップ:スカイプ)」の受講者募集のお知らせ 

2025年3月31日(月)13時から「輝く地球・光の講座(フォローアップ:スカイプ)」を開催いたします。輝く地球・光の講座を終了された参加者の方に、簡易ヒプノセラピーと光のヒーリングを組合わせたヒプノヒーリングセッションをお一人ずつ行います。今回の講義は、『北海道十勝の開拓の闇の源流となる静岡県松崎の地』と『岩手県大船渡市の大規模山火事が意味するもの』についてです。

 

【輝く地球・光の講座について】
輝く地球・光の講座は、自分が光輝いて、地球を輝かせて行こうという思いを持つ方のための講座です。目に見える現実世界は、目に見えないエネルギーの世界の中に包含されています。現実世界を変えていくためには、エネエルギーの世界を変えていくことが大事です。純粋な祈りによって分離された闇のエネルギーを光のエネルギーに統合していくことです。

魂を持つ人が純粋な祈りで光を降ろすことは凄い力を発揮します。今までの常識ではあり得ないことが可能となります。純粋な祈りは、源の光である自分の魂の光を降ろすことです。多くの転生を繰り返して深い闇を経験してきた魂を持つ人たちが光を放つ時が到来しています。自分が変わることで、周りが変わります。日本を本来の光に変える人たちが必要になります。

※輝く地球・光の講座の詳細はこちら⇒☆輝く地球・光の講座の詳細

「輝く地球・光の講座(フォローアップ:スカイプ)」の募集要領

1. 「輝く地球・光の講座」の目的
自分が輝く本来の姿となり、その光を周りに広げて行くことを目的としています。地球を暗闇の星から光輝く星に移行するために、自分を変えることで、周りを変えてより良い世界をつくっていくことを目指します。

2. 「輝く地球・光の講座(フォローアップ)」の対象者
輝く地球・光の講座(レベル3)を終了した方で、本来の自分に目覚めて、光を広げる役割を果たして行こうという意志を持っている方が対象となります。

3. 講師
ヒプノセラピスト&スピリチュアルライター 岩本 義明

4. 日時
2025年3月31日(月) 13:00-16:30

5. 料金
5,000円  

6. 募集人数
4名 

7. 会場
スカイプを利用しますので、参加者の方の家などの居住空間となります。(できるだけ静寂な環境をお勧めします)

8. カリキュラムの概要
(1)統合のためのヒプノヒーリングセッション
簡易ヒプノセラピーと光のヒーリングを組合わせたヒプノヒーリングをお一人ずつ行います。闇の解除・統合を目的とした祈りを通じた光を降ろすエネルギーワークです。簡易ヒプノセラピーによって受講者の方の統合すべき闇を探求し、闇を光に統合するために祈りを通して光を降ろすヒーリングを行います。

(2)ワークや気づき
光の講座を修了してからの参加者の皆さまの変化や光のワークの活動についての近況などについてお話して頂きます。

(3)講義
エネルギーワークやヒプノセラピーから得た以下のテーマについてお話します。
①北海道十勝の開拓の闇の源流となる静岡県松崎の地
②岩手県大船渡市の大規模山火事が意味するもの

9. お申込み
ご希望の方は、件名を「3/31輝く地球・光の講座(フォローアップ)」とし、下記の内容を添えてメールにてお申込み先までお送りください。
(1)お名前とフリガナ
(2)ご連絡先(携帯番号)
(3)スカイプ名

10. お申込み&お問合せ先
メールアドレス:yoiwamo@yahoo.co.jp
スピリチュアルライフ 岩本義明宛
携帯番号:080-5065-0126

11. お支払方法
お申込み時にお伝えします指定の銀行口座への事前振込みとなります。料金のお振込みをもって正式なご予約とさせていただきます。

12. キャンセルについて
開催日の3日前までにご予約の取消のご連絡を頂いた場合、料金をお返しいたします。それ以降の場合は、原則としてご返金できかねますが、振替も可能ですので、よろしくお願いいたします。

【お知らせ】
☆「3/26お話会(スカイプ)」開催のご案内New!

☆純粋さを大切にした自由でシンプルな「祈りについて」のrumble動画のご案内⇒☆「祈りについて」のrumble動画のご案内
☆自分を知るための過去世の探求⇒☆セルフアウェアネス・セッションのご案内
☆覚醒と統合をテーマにした少人数制の講座⇒☆スピリチュアルライフ各種講座のご案内
☆魂の統合のためのヒプノセラピーとエネルギーヒーリング⇒☆統合ヒプノヒーリングセッションのご案内

「忘れていた自分を思い出す」についてのお話会(スカイプ)の参加者募集のお知らせ

2025年3月26日(水)13時から「お話会(スカイプ)」を開催します。今回のお話会のテーマは「忘れていた自分を思い出す」です。人は、新鮮な経験をするために、過去世の記憶を消して生まれてきています。しかし、自分を忘れたままではなく、思い出すことが大切です。では、どのようにしたら、本来の自分を思い出すことができるのでしょうか。過去のヒプノセラピーやエネルギーワークの知見をまじえて、お話いたします。

 

【3/26お話会(スカイプ)募集要項】

1.イベント名 
お話会(スカイプ)

2.講師 
ヒプノセラピスト&スピリチュアルライター 岩本 義明

3.日時 
2025年3月26日(水)13:00~15:30

4.会場 
スカイプを利用しますので、参加者の方の家などの居住空間となります。(できるだけ静寂な環境をお勧めします)

※「スカイプ(Skype)について」の詳細のページはこちら⇒スカイプ(Skype)について
      
5.定員 
4名 

6.参加費 
3,000円

7.内容
(1)お話「忘れていた自分を思い出す」

私たちは、深い闇を経験するために、敢えて過去世の記憶を消して生まれて来ています。それは、新鮮な経験をするためでもあります。過去の記憶があると今世の経験の邪魔になるのです。では、記憶を失くしたままでいいのでしょうか?それは違うと思います。自分を知ることが重要です。過去のヒプノセラピーでは、「失った自分を取戻す」と伝えられたことがあります。

今世、自分は何のために生まれてきたのか、自分は何をするのか、を思い出すことです。それは、自分が生まれる前に計画してきたことです。どうしたら、自分の本質を思い出して取り戻せるのか、です。私たちは、自分を知るために、ヒントが与えられています。自分の苗字や名前、生まれた土地や家、通った学校、勤務した会社や団体など、その1つ1つが自分を知るためのヒントになります。特に、出生地と居住地は大事なヒントです。

自分が気になる対象を調べて追及するのです。自分の思考と感覚の両方を使って自分を探求するのです。自分が気になる対象を調べて、自分を知ることが覚醒に繋がります。何もせずに覚醒することはあり得ません。自分を知るための追究を実践していくのです。「忘れていた自分を思い出す」ために、具体的にどうしたらよいのか、について、自分の経験やヒプノセラピー、エネルギーワークの情報を含めて、お話させていただきます。

(2)対話の時間

時事問題やニュース、出来事、疑問に思っていることなど、様々なジャンルについて、参加者の皆さまから自由に質問していただき、私が回答する時間となります。

8.お申込み方法
参加を希望する方は、件名を「3/26お話会(スカイプ)」とし、下記の内容を添えてメールにてお申込み先までお送りください。
(1)お名前とフリガナ
(2)ご連絡先(携帯番号)
(3)スカイプ名

9.お申込み&お問合せ先
メール:yoiwamo@yahoo.co.jp
スピリチュアルライフ 岩本義明宛
携帯番号:080-5065-0126

10.お支払方法
お申込み時にお伝えします指定の銀行口座への事前振込みとなります。料金のお振込みをもって正式なご予約とさせていただきます。尚、お振込み手数料はお申込みの方のご負担とさせていただきます。

11.キャンセルについて
開催日の3日前までにご予約の取消のご連絡を頂いた場合、料金をお返しいたします。それ以降の場合は、原則としてご返金できかねますので、よろしくお願いいたします。

【お知らせ】
☆魂の統合のためのヒプノセラピーとエネルギーヒーリング⇒☆統合ヒプノヒーリングセッションのご案内
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