「社会福祉法人賛育会は、ワークの結果から支配層の松利権という裏の金儲けの仕組の拠点に成っていると見ています。賛育会病院は今年から赤ちゃんポストを始めました。赤ちゃんポストは、子どもの命の救済と母親の支援という慈善行為と思われますが、実は、支配層の松システムの一環だと捉えています。」
早稲田奉仕園から繋がった「社会福祉法人賛育会」の歴史を振返り、設立者や代表者の調査とワークを続けました。前回の記事で、賛育会の設立者・藤田逸男(第3代理事長)について光を降ろすと「松喰い」と伝えられました。自ら松を食す支配層の工作員の役割だったようです。次に、賛育会設立者で、賛育会病院の初代院長である「河田茂」に焦点を当てました。
河田茂のプロフィールは、賛育会の公式サイトに記載されています。『1890(明治23)年1月2日生まれ、埼玉県出身。熊本の第五高等学校に入学、在学中に千反畑教会(現材の錦ケ丘教会)にて受洗。その後、東京帝国大学医科大学医学科へ進学。東京帝国大学学生YMCAに入会し、多くの知己を得た。
1917(大正6)年、東京帝国大学学生YMCA「大学青年会医院」が開設され、近隣の人びとへの無料診療に医師として中心的な働きを成す。1918(大正7)年、その働きを拡大すべく木下正中・吉野作造らと共に同志的団体の「賛育会」を設立し、賛育会妊婦乳児相談所を開設。賛育会常務理事と相談所の医師として下町の母子の為に一身を捧げた。
翌年、土地の事情により本所区柳島梅森町(現、太平3丁目あたり)に「賛育会本所産院」として移転開設。1923(大正12)年、賛育会本所産院院長に就任した。同年9月1日に関東大震災にて罹災するも、宮内庁へ赴き交渉の結果、壱千円の救済金を下賜され、賛育会を復興の途につけた。
この賛育会の再生にあたり、その働きを善意に依存する従来の救貧慈善事業から、実費徴収方式の社会事業へと転換し、1926(大正15)年の財団法人化へと発展する。これは、患者を「施される立場」から、「自立への支えを必要とする立場」へと昇華させただけでなく、必要な運営費を自ら賄うことで賛育会運営を自立させる契機となった。
やがて1930(昭和5)年に本所産院は、鉄筋3階建ての賛育会病院と発展し、その初代院長に就任する。その後、1959(昭和34)年に天に召されるまで賛育会病院院長として、賛育会内外を問わず社会事業に情熱を注ぎ続けた。紫綬褒章(1944年)、勲五等瑞宝章(1960年)が授けられた』。賛育会の設立者で賛育会病院の初代院長の河田茂の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い」と伝えられました。
自分で松や松製品を嗜みながら松利権という裏金の恩恵を得ていた工作員の役割だったようです。支配層の松利権工作員は、最終的には天皇に対する寄与を成したことで、褒章などの栄誉を授与されます。河田茂にも紫綬褒章や勲五等瑞宝章などの勲章が授けられました。現実的には多くの人が勲章を受けることが栄誉で素晴らしいことと理解しています。
しかし、支配層の松利権や松システムを理解すると、勲章が密かに闇の仕事を成した工作員の証だと分かってくるのです。次に、賛育会の設立者で元理事長の「片山哲」に移りました。片山哲の経歴は《コトバンク》に掲載されています。『片山哲 かたやまてつ(1887-1978) 社会民主主義右派の政治家、クリスチャン。
明治20年7月28日和歌山県に生まれる。東京帝国大学独法科を卒業し、弁護士となる。1920年(大正9)法律の民衆化を唱えて星島二郎と中央法律相談所を開設、日本労働総同盟、日本農民組合などの法律顧問も務め、無産者の訴訟に尽力した。1926年社会民衆党(委員長安部磯雄(あべいそお))の創立とともに書記長に就任、1930年(昭和5)第2回普通選挙で神奈川県から衆議院議員に当選。
1932年社会大衆党結成に参加したが、1940年日中戦争批判の演説をした民政党斎藤隆夫(さいとうたかお)代議士の除名に反対し、社大党から除名された。第二次世界大戦後、日本社会党結成の中心となり書記長に就任(委員長は空席)、1947年(昭和22)社会党首班の三党連立片山内閣を組織し、新憲法下で民主化政策を推進した。
しかし、炭鉱国家管理法案が与党民主党などの反対で骨抜きになり、平野力三農相罷免問題から社会党左派が党内野党化し、わずか8か月で総辞職した。1950年社会党委員長を辞任。1955年の左右社会党統一後は党最高顧問となったが、1960年民主社会党結成時に脱党し、民社党の最高顧問となった。
また1954年以来憲法擁護国民連合議長を務めていたが、1960年には民社党系の憲法擁護新国民会議を結成し、その議長に就任した。1963年11月の総選挙は民社党公認で立候補したが落選、1965年に民社党を離脱し、政界の一線から退いた。その後も護憲と日中友好に力を尽くしていた。昭和53年5月30日死去、90歳』。
片山哲は、中国派(八咫烏鶴派)の政治家として活動していたようです。中国派は朝鮮派と対峙する勢力で、支配層・八咫烏鶴派(欧州・中国・ロスチャイルド・創価学会)に属します。それに対して、朝鮮派は、八咫烏亀派(米国・朝鮮・ロックフェラー・統一教会)の勢力に属します。
中国派(八咫烏鶴派)と朝鮮派(八咫烏亀派)が対立・戦うことで深い闇の日本がつくられてきました。この鶴亀の2勢力を包括する同和派も存在しています。八咫烏鶴派と亀派の上層部が、鶴亀の2派を戦わせる、二枚舌を使う重たい汚い闇の同和派として暗躍してきました。賛育会の設立者で元理事長の片山哲の御魂が上がるよう意図して光を降ろしました。
「同和」と伝えられました。片山哲は、八咫烏鶴派に重きを置く同和派の工作員の役割だったようです。次に、賛育会の設立者で元理事の「星島二郎」を追跡していきました。星島二郎の経歴はwikiに記されています。『星島二郎(ほししまにろう・1887年-1980年)は、岡山県児島郡藤戸町(現・倉敷市藤戸町)出身の弁護士、政治家。衆議院議員。
元衆議院議長。従二位勲一等旭日桐花大綬章。[来歴・人物]岡山中学校、第六高等学校、東京帝国大学卒業。政界入りする前は弁護士であり、東京・日比谷に片山哲らと中央法律事務所を開設し、森戸事件等を担当した。戦前は普通選挙運動、婦人参政権、公娼廃止に熱心な自由主義的・進歩的な立場を貫き、 母性保護連盟の委員として母子保護法の成立(1937年)にも尽力した。
戦時中も議会政治擁護の立場を変えなかった。戦後は山崎首班工作に関与したこともあった。あと4年議員を続ければ名誉議員の資格である議員在職50年の表彰を受けることができる状況で、秘書の加藤六月を後継者に指名し、政界を引退。政界引退後は自民党顧問、共立女子大学理事を務めた』。
賛育会の設立者・元理事の星島二郎の御魂が上がるよう意図して光を降ろすと「松喰い」と伝えられました。やはり自らが松を食した支配層の工作員の役割だったようです。賛育会の設立者・元理事長・元理事などの歴代の要人の調査とワークを行った後は、現在の理事長などの幹部の調査とワークに移ります。
社会福祉法人 賛育会の理事長・理事・評議員の役員一覧は公式サイトに掲載されています。賛育会の役員の中からワーク対象の要人として、理事長・平野昭宏、常務理事・中村基信を選びました。賛育会の理事長・平野昭宏の経歴は、理事就任時に自らが記したプロフィールとして公式サイトに記されています。
『このほど理事を拝命しました、公認会計士・税理士の平野と申します。日頃は東大YMCAのOBとして理事長特別顧問を拝命しております。出身は長崎県五島列島の出身で、隠れキリシタンの末裔です。1800年頃長崎外海の迫害から逃れ移り、私で七代目になります。
この百年以上歴史のある東大の若者が作った賛育会の病院施設等の立て直し時期に呼ばれたのは、ご使命なのかと思います。先祖が清財を持ち寄って作った教会の立て直しと似たところがあります。少しでも皆様のお役に立てれば幸いです』。また、平野昭宏自らが所長を務めている平野公認会計士税理士事務所の公式サイトにも経歴が記述されています。
『名前:公認会計士・税理士 平野昭宏 出身地:長崎県 生年月日:昭和33年 趣味:囲碁 所有資格:昭和52年4月東京大学文科3類入学 昭和57年3月東京大学法学部卒業 公認会計士 経歴 ・昭和57年 ~平成2年 三井信託銀行にて、預金信託・外為事務・国内融資(三菱重工グループ担当)・新規開拓・スワップ付外債販売・外国株式デイーリングに従事。
・平成3年 ~平成5年 森田義男税務会計事務所にて、相続税・譲渡所得税を中心とする資産税業務に従事。・平成5年10月公認会計士2次試験合格・平成6年 ~平成9年 太陽監査法人にて、監査業務(4社)・法人税務(8社)・資産税・コンサルティング業務(延べ4社)に従事。山梨学院大学商学部非常勤講師兼務。
・平成10年~現在 平成9年公認会計士3次試験合格し、平野公認会計士事務所開設、税務・コンサルティングの他、太陽監査法人非常勤勤務、他多数法人の監事等兼務。平成22年7月1日より、新所長に就任』。賛育会の理事長・平野昭宏は、元々は公認会計士・税理士であり、賛育会のトップになったことは金の闇が色濃くなっていることを暗示します。
社会福祉法人 賛育会の理事長・平野昭宏、常務理事・中村基信、本部所在地(東京都墨田区太平3丁目17-8)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「統一。半島」「半島」「いいです」と伝えられました。やはり賛育会のバックには、統一教会の闇が潜んでいるようです。《日本の光を封印する朝鮮半島・韓国の松果体収穫の闇の仕組》にありますが、統一教会は、支配層・八咫烏亀派の胴元工作組織です。
統一教会と対抗する宗教団体が八咫烏鶴派の胴元工作組織の創価学会です。統一教会は、支配層の松利権という裏金の金儲けとなるアドレノクロムなどの松製品の製造販売を担っていると推測しています。それ故に、アドレノクロムなどの松製品の原料となる子どもの松果体を定常的に入手しているのです。その拠点の1つが賛育会や賛育会病院だと見ています。
賛育会は支配層の松システムの重要拠点の1つになっていると推察します。次に、社会福祉法人 賛育会が運営する「賛育会病院」に焦点を当てました。賛育会病院の情報はwikiに記されています。『社会福祉法人賛育会 賛育会病院は、東京都墨田区太平三丁目にある医療機関。社会福祉法人賛育会が運営するキリスト教系病院である。
もともと産院として発足したが、のちに他の診療科も発展して総合病院の承認を受けている。東京都の地域周産期母子医療センター(NICU6床)の機能を有するほか、1998年6月には区東部保健医療圏(墨田区・江東区・江戸川区)の先駆となる緩和ケア病床(22床)を設置している。病院の理念は、「キリスト教の「隣人愛」の精神に基づいた医療・保健活動を行い地域社会に貢献します。」
設置母体である賛育会(墨田区太平三丁目17番8号)は、東京都のほか、長野県、静岡県で病院事業、訪問看護事業、高齢者福祉事業を手がけるほか、指定管理者として墨田区や中央区の特別養護老人ホームの運営を行っている』。賛育会病院については、「いのちのバスケット」という赤ちゃんポストを始めたことで話題になっています。
2025年4月1日の日本テレビの記事《「赤ちゃんポスト」都内に初設置、全国で2か所目 遺棄や虐待防ぐため…課題も》で賛育会病院の赤ちゃんポストについて詳細を伝えています。『親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる「赤ちゃんポスト」が、東京都内の病院で始まりました。緑のランプのついたドアの先。
中にあるのは、大きなかご。様々な理由から親が育てられない赤ちゃんを、病院に匿名で託すための場所です。3月31日、東京・錦糸町駅の近くにある病院が発表したのは、いわゆる“赤ちゃんポスト”と、一部の病院職員にのみ身元を明かして出産する「内密出産」の開始。賛育会病院 賀藤均院長「昨今の予期せぬ妊娠や、孤立出産の悩みを抱える女性の増加や、虐待死などの痛ましい事件が後を絶ちません。
赤ちゃんの遺棄や虐待を回避するための、緊急かつ最終的な手段であると認識しております」匿名性を守りつつ、預けた人が最後に病院職員に相談できる機会を持てるように、病院の中に専用の部屋を用意。医療機関運営の“赤ちゃんポスト”は、全国で2か所目です。国内で初めて設置されたのは、熊本にある慈恵病院。
2007年に始まり、179人が預けられました。1人で悩みを抱えた様々な母親が“赤ちゃんポスト”を頼ってきました。「妊娠し同棲(どうせい)しようとした矢先に、婚約者が行方不明となった。1人では経済的に育てられない」「同級生との間で妊娠したが、交際の支障になると考え妊娠を告げていない。1人で自宅出産」そして、熊本にあるにもかかわらず、15パーセント以上が関東から来た人でした。
東京に“赤ちゃんポスト”ができることは、救える命が増える一方で、“想定以上”の預け入れが生じるおそれも。専門家は…。千葉経済大学短期大学部 柏木恭典教授「需要は大都市にある。これは1病院で抱えきれる規模のものなのかという心配」賛育会病院は、“赤ちゃんポスト”のほかに、内密出産も受け入れますが、その費用50万円ほどは“原則”自己負担に。
これについて、すでに内密出産の取り組みを病院で行っている熊本の慈恵病院は…。慈恵病院 蓮田健理事長「内密出産を求める女性は、ほとんどお金がなくてきます。あまりにもこれは非現実的です」課題も山積みですが…。賛育会病院 中村基信常務理事「様々な課題やリスクを伴うことではありますが、将来このような取り組みが必要のない社会になることを願って」
赤ちゃんポストや内密出産は、あくまでも“最後のとりで”。そこに向かわずに済むように、賛育会病院は妊娠をめぐる相談窓口を設けています』。赤ちゃんポストの闇については、過去に調査とワークを実施ています。《熊本の慈恵病院や世界各地に置かれている赤ちゃんポストの闇》に詳細を記述しています。
赤ちゃんポストは、支配層の松システムの1つだと捉えています。赤ちゃんの命を救い、お母さんを助けるという善意を前面にして、実は裏で支配層の松利権の仕組となっていると見ています。弱者を前面に出して裏で利益を得る"同和の工作"を成しているのです。光に見せかけた汚い闇です。こうした裏工作が成され人々を騙すトラップやトリックが世の中には沢山あります。
一人ひとりが、経験と感覚から嘘に騙されないで、真実を見抜いていくことが大事になります。社会福祉法人賛育会賛育会病院の病院長・賀藤均の経歴は《ホスピタルズ・ファイル》に記されています。『1981年新潟大学医学部卒業後、東京大学医学部小児科学教室入局。トロント大学医科学研究所留学 、東京大学医学部小児科講師などを経て、2008年国立成育医療研究センターに赴任。
2014年から2021年度まで院長を務めた。定年退職後、2022年より賛育会病院副院長を務め、2024年院長に就任。専門は小児循環器病学で世界水準の医療の推進に努めてきた』。社会福祉法人賛育会賛育会病院の病院長・賀藤均、所在地(東京都墨田区太平3丁目20-2)に闇の解除・統合を意図して光を降ろすと「松喰い」「いいです」と伝えられました。
やはり自らが松を食す支配層の工作員の役割のようです。最近、東京都墨田区で赤ちゃんのバラバラの遺体が冷蔵庫から見つかったという事件のニュースが流れました。これは賛育会や賛育会病院の隠された闇が浮上したと感じます。2025/12/18の毎日新聞の記事《風俗店の乳児遺体 母親で従業員の22歳、死体損壊・遺棄容疑で逮捕》で詳細が伝えられています。
『東京・錦糸町の派遣型風俗店で冷蔵庫から切断された乳児の遺体が見つかった事件で、警視庁捜査1課は18日、母親でこの店の従業員、小原麗容疑者(22)=住所不定=を死体損壊と死体遺棄容疑で逮捕した。「出産した時に泣きも動きもしなかった。隠さなきゃと思ってバラバラにした」と供述しているという。
逮捕容疑は、3月上旬に東京都内で、生後間もない女児の遺体を切断。その後、発見された12月6日までの間に遺体の頭と両手足をポリ袋やプラスチック容器に入れて、墨田区内の店事務所にある冷蔵庫の冷凍室に隠したとしている。警視庁によると、遺体が入っていたポリ袋から検出された指紋が小原容疑者のものと一致した。
またDNA型鑑定でも、乳児と親子で矛盾がないとの結果が出たという。事務所は女性従業員の待機場所としても使われており、小原容疑者は調べに「待機所で産んだ」と説明。出産後にしばらく気を失い、「目が覚めたら赤ちゃんは変色していた」とも供述している』。乳児や子どもの命を犠牲にして支配層の松利権という裏の金儲けの仕組が終わりに成ることを願っています。
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