なんかみんな盛り上がっているので釣られて見てみました。

うう、オープニングアクトの、HMOとか中の人。(PAw Lab.)の「君に、胸キュン。-浮気なヴァカンス-』見たかった・・・

お目当ては、堀江由衣さんでしたが、水樹奈々さんの声にびっくりしました。
声の通った、んで声量もある良い歌声でしたねー。
実は、最初から最後までちゃんと曲聞いたの初めてだったので。
さすがだなぁ、と思いました。

あとは、これが妖精帝國かぁ、とか、中島愛かわいいなぁ、とか、JAM Projectやっぱり熱いなぁ、とか。


それはそうと、Twitterが2chの実況版に見えた(笑)


でわ。


あ、今日は旧正月ですね。

みなさん、今年もよろしくお願いします~!
先日劇場版 涼宮ハルヒの消失の感想記事を書きましたが、その後原作消失を読み直してみたらちょっと感想が変わったので新規に投稿。


$Forlyの徒然日記-消失サントラ


劇場版アニメを見たときは、本当に素直に原作を、余すところ無く描いているなぁ、と思いましたが、原作を読み直すと、やっぱりアニメにはアニメ独自の演出が加えられていますね。

多分、原作を直前に読み直してから、映画を見に行ったらまた違った感想になっていたでしょう。


何かと言えば、長門の描き方。

まあ、映画を見ているときも「いやあ、京アニ萌え殺す気満々だなぁ」と思ってニヤニヤしながら見てたのですが、やっぱり、後から思うとかなり過剰なアレンジですよね、あれ。


喋っている台詞なんかがそんなに違うわけでは無いのですが、原作とアニメでは受ける印象がずいぶん違います。

原作では、もっと、内気な普通の女の子、として書かれています。クラスに一人はいそうな、ね。
普通、である事が重要な感じで、徹底してます。

一方、アニメの方では、もう過剰に萌えキャラクター、言い方を変えれば主人公に片思いしている大人しい方のヒロイン、として記号化されている、と思います。
記号化されている、という言い方は、あの長門と京アニに対して失礼だと思いますが。


では、なぜそんな長門を、劇場版消失を見て、「見たかった消失を見たかった形でアニメ化してくれた!」と感動したのでしょうか?

それは多分、やはりそう感じるように仕組まれていたのだと思います。


今回の劇場版、果たしてまっさらの新規作品として鑑賞した人はどれくらいいるでしょうか?

恐らく、ほとんどの方が、原作小説を読み、TVアニメシリーズを見て、涼宮ハルヒの憂鬱が好きになって、そして原作小説を読んでいた人間なら、消失のアニメ化に大きな期待を抱いていた、そんな感じだと思います。

そんな中で、「消失」という作品に、特にその中心人物であり、作品のキーを握る、長門とキョン、そしてその二人の関係というものに対する思い入れが醸成されていったのだと思います。


「消失の長門はこうに違いない」
「消失の長門はこうであって欲しい」


醸成されていったそんな期待、想い。
それは「思い出を美化する」ような方向へと、働いていったのではないでしょうか。


その、なんというか、謂わばフィルターのかかった消失長門像と、今回の映画の消失長門像が一致していたからこそ、あれだけ「萌えるように」演出された長門が、ファンにとっても好意的に受け入れられたのではないでしょうか。

そう思うと、この劇場版涼宮ハルヒの消失の制作陣は、本当に凄い。

原作を丁寧になぞりながら、あくまでそのままにキャラクターを起こしたのではなく、原作×アニメ効果+信者の思い=という数式を解いて、あの長門のキャラクターを演出したわけですから。


だから、その数式に当てはまらないファン、例えば熱心な原作ファンや、それほど長門に思い入れはない、ってファンは、劇場版アニメ消失に違和感を感じているかも知れません。


それでも、やはり、

「ああ、『長門は俺の嫁』ってバカな信者が多いから、消失っていう長門メインのコンテンツを使って、長門萌キャラにして映画にしたら、めちゃくちゃ売れんじゃね?」

的に作られた作品では無いと思うのです。

そう言い切るには、作品としての完成度が、高い。

私は別に京アニ信者ではないのですが、そう思ってしまいます。(どう完成度が高いのかは、前の記事に書いたので割愛)

観客の求めるもののうち、最大数の願望を満たしてくれた、娯楽作品としてはやはりかなりレベルの高いものなのだな、というのが、映画を見て、原作を読み直して、ちょっといろいろ考えた上での結論です。


あれ、原作読み直したら、手放しで褒めちぎった前回の記事が、ちょっと違うな、と思って、無条件の賞賛を撤回するつもりで今日の記事を書いていたのに、結局劇場版消失絶賛してるような。ふしぎ!

本当は公開初日に行く予定だったんですが、諸事情で土曜日は行けず、今日改めて見に行きました。

表題の通り、「劇場版 涼宮ハルヒの消失」です。

※因みに今回の記事はとてもネタバレ成分を多く含みます。
 見たくない方は画像から下は見ない方が吉です。
 だから結論から先に言うと、「ハルヒシリーズ好きな人は絶対見るべし!」です。


$Forlyの徒然日記-涼宮ハルヒの消失


さて、「涼宮ハルヒの消失」。
原作の中では、多くの人間がシリーズ最高傑作との呼び声が高いエピソードです。
TVシリーズ一期が終わった後すぐに二期を是非!との声が多かったのも、その内訳は圧倒的に「消失が見たい!」というものだったはず。

TVシリーズ二期では、「笹の葉ラプソディ」をやったので「絶対消失はあるはず!」と期待していたら、あの賛否両論の巻き起こった「エンドレスエイト」。

「なぜ消失をやらない?」との多くの声が巻き起こりました。
その声に対する回答が、「劇場版」です。

映画化には、もちろん大人の事情・思惑も多く絡んでいると思いますが、やはり「涼宮ハルヒの憂鬱」制作に関わった多くの人たちが、「中途半端な『消失』はやりたくない、やるなら最高のものを作りたい」という思いを共有してたのだと思います。

今回公開された、「劇場版 涼宮ハルヒの消失」を見たら、そう確信しました。


感想を一言で述べるとすると、

『見たかったものが、見たかった形で、それも最上の形で、そこにはあった。』


これだ、これを見たかったらから「消失アニメで見たい!」って思ったんだよ!
そんな感じ。


上映時間2時間50分。
1日で4回転しかしません。

でも、「涼宮ハルヒの消失」を余すところ無く、映像化するにはこれくらいの時間が必要、と判断したのでしょう。

原作のストーリーを欠けることなく忠実に、そして時間をかけて演出しなければならないところは、十分に時間を取って。

涼宮ハルヒの消失が、ハルヒシリーズの中でなぜ重要かという話をすれば、それは消失の長門が超絶萌えるから・・・ではなく、キョンが、これまで自身が振り回されるだけであったはずの、このハルヒを中心にまわるフシギな世界を、このエピソードを境に肯定側に、むしろ積極的に守る側に回ることを決意するからです。
まだシリーズは完結していませんが、この消失のエピソードが、本作の一代転換点なのだと思っています。


キョンの、決意。


スタッフは、この作品がそこが重要なのだという事をきちんと分かっていて、本当に、入念に演出しています。

変わってしまった、SOS団の存在しない世界に対するキョンの戸惑い、元の世界への繋がりを求める必死さ、手掛かりを得たときの安堵、と、表情一つ一つ、微に入り細に入り、本当にキョンに素晴らしい演技をさせてます。

そして、「入部届」と「しおり」を、キョンが選択する世界の選択肢として、象徴的に描き出す事、それに成功しています。

ほんと、欲しいところに欲しい演出を加えてくれています。

なにより、キョンが自身に、本心はどうなのか?と選択を迫るシーン。
原作では普通のモノローグなのですが、劇場版アニメでは、ちょっとしつこいぐらいに独特の描き方をされていて、ああ、重要だって分かっているんだな、って感じ。
独特、ってのは、原作では、もうあそこでは答えが出ていて「分かっているんだろう?」みたいな確認のシーンだと読み取っていたのですが、劇場版では「分かってたけれど、その答えに行着くのをどこか否定してた自分に、本当の本心とは何か、と自分自身が、自分に前を向かせるために問い詰める」演出になっていたという違いがあると感じ。
ここが、劇場版最大のアレンジって感じですね。


この劇場版 涼宮ハルヒの消失は、キョンが主人公の作品です。

まあ、キョンが主人公でない涼宮ハルヒの憂鬱は無いとは思うのですが、とにかく、徹底的に「主人公としてのキョン」を描いた作品となっています。

いやー、最高ですね。
たまりません。
キョン格好いい!



もちろん、だからと言って、他のところが霞んで見えるかというと、全く持って全然そんな事は無く、期待通りの、期待以上のクオリティで、消失長門は超絶可愛いです。

もう、全国6,200万人の長門ファンは、軒並み気絶するんじゃないかというぐらい、かなり気合い入って描かれています。
一挙手一投足が、もう全て、我々の見たかった消失長門です。

もう、長門の耳も真っ赤に染まってますが、それを見ている我々の耳も真っ赤に染まる感じ。

最近は私も30歳を過ぎて、世間の「萌え」に着いて行けないなーって感じだったんですが、アレです、涼宮ハルヒシリーズ見た事のある奴で、この劇場版消失長門に萌えないと言う奴は、ちょっと自分の感性を疑った方がいいです。
・・・ぐらいに言い切りたくなるほど、もう徹底的に、観客全てが長門に萌えるように作られています。
久しぶりに京アニの本気を見ました。
すげえ。


本当にお腹いっぱいになる事に、ここで評価は終わりません。

ハルヒがこれまた、可愛いのです。

冒頭のクリスマスパーティを企画しようと張り切るハルヒは、もうハルヒらしく最高にウザイ感じでステキです(笑)し、中盤の消失世界でのハルヒは、久しぶりにツンツンしたハルヒが、とても綺麗な感じをだしてました(このハルヒに会えたときのキョンの演技がまた素晴らしい)し、そんなハルヒが、「面白い事」を見つけた瞬間の表情の変わりよう、輝き方もまた魅力的でした。

やっぱり、それでも一番可愛かったのは、病院で意識不明の状態だったキョンが、目を覚ましたときのハルヒ。
ここはもう、ハルヒの可愛さを最大限に引き出して上げられていたのではないかと思います。


上記の通り、キャラクターはみくる、古泉から鶴屋さん、そしてなにより朝倉に至るまで、本当に魅力的に描かれています。
もう、谷口も、国木田だってステキな感じ。


あと、凝った、というか狙った演出だなー、って思ったのは、日付が変わる部分のシーン。
毎日同じ入り方で、「あ、これエンドレスエイト思い出させるの狙ってるよね?」って感じ。
うがちすぎなのかも知れませんが、観客の多くは絶対そう思ったはず。


ここまで書いても、まだ劇場版 涼宮ハルヒの消失の良さは語りきれません。

本当に、久しぶりに映画を見てお腹いっぱいになりました。

なんというか、不満が全くなくて・・・

求めていたものが求めていたとおりに提示される、って凄いですよね。
顧客要求を完全に把握しているって事ですから。


とにかく、涼宮ハルヒの憂鬱が好きな人は、絶対見るべし!
多分、見て後悔する人は一人もいないと断言できます。

ハルヒシリーズの切り札的存在だった「消失」
ほんと、何度も言いますが、これ以上ない形で提供して貰えました。

関わったスタッフの方々、特に長大な台詞を、完璧にこなした杉田さんと、二人の長門の違い、ニュアンスを演じきった茅原さん、本当にありがとうございました。

感謝、この上ない感じです。


では最後に一言。

「長門は俺の・・・いや、キョンの嫁」