「つぼみの咲く頃」1話から読む方はこちらから
歩美と別れた後、私と矢島君は君津を離れた。景色が移りゆくにつれ、故郷から都会へ向かっているのだということを認識させるかのように、ビルや洋風の民家が姿を見せ始めた。電車に乗り込む前に歩美に送った『間に合うでしょ』のメッセージは、彼女にどう伝わっただろうか。
木更津駅に到着した後、内房線で千葉駅まで向かった。約30分ほど電車に揺られた後、そこから総武線に乗り換え、東京駅で中央線に……という流れになるのだが、私は前日からの疲れが溜まっていたせいか、千葉駅で総武線の車両に座った瞬間に意識が飛んでしまったようだ。
「柴田? 眠いか?」
「うん……。」
隣に座る矢島君が優しく声をかけてくるが、私は目を開けることすら精一杯の状態だった。
「柴田、着いたら起こすから。寝てていいぞ。」
すると、矢島君は私の頭を自分の右肩にそっと置いた。布越しに伝わる体温が、やけに心地よく感じる。矢島君の肩に頭を預けているとガタンと大きな音がして電車が急ブレーキがかかった。私はその音ですっかり目が覚めてしまい、不安から矢島君の袖を握りしめて矢島君を見た。
矢島君も緊張した顔をしている。…何があったんだろう。
「どうしたんだろう。」
いっそう矢島君の袖を掴まる手をさっきより強く握りしめて矢島君に聞いてみたけど、矢島君が答えを知ってる訳じゃない。
「車内の電気も消えてるし、脱線事故かな。」
矢島君に言われるまで停電してるのに気がつかなかった。冷静に分析しながら矢島君が答えた後に車内アナウンスが流れた。
『え~、中野駅で人身事故がありましたので一旦、電車を停止させて頂きます。車内の停電はすぐに開通しますのでご安心下さい。』
「人身事故……。」
私も通学中に人身事故で電車が止まり、講義に遅れることがある。君津から引っ越して来た当初は、東京での人身事故の多さに驚いていたが、時間が経つにつれ、「またか……」という思いのみが込み上げるようになってしまった。
「東京って、人身事故が多いよね……。」
つい、ポツリと込み上げた本音に、矢島君は表情を変えないまま、こう呟いた。
「……生きにくい街、ということなのかも知れないよ。」
『生きにくい街』
そ
の言葉に私の脳裏には1人の女友達だった子の事を思い出した。あれは大学に入学したばかりだったと思う。数少ない女友達同士でいわゆる女子会をした。その
時仲良くなったのが、飯島 若葉だった。大人し目の子で純粋な子だった。その若葉に彼氏が出来たと聞かされた時はびっくりした。あまりにも大人しかったか
ら男子との接点が見当たらなかったからだ。
だが数ヶ月も経たないうちに若葉と若葉の彼氏は別れてしまった。若葉はその彼氏にぞっこんで「私は捨てられたんだ」と何度も言っては涙していた。
私は彼女に「男なんて沢山いるんだから、これからまた新しい彼氏を見つければいいよ。」ってなぐさめていた。そのうち若葉も元気になり講義に出る機会も増えていった。私も一安心した時に若葉から夜中に電話があった。
「秋穂?今までありがとうね。もう大丈夫だから。」
「うん。」
そう答えながらも私は彼女の言葉に違和感を覚えた。彼女は『今までありがとうね』と過去形で言ったのだ。いちまつの不安を抱きながらそのまま眠ってしまったのだが翌朝、大学に行った時に聞かされた若葉の事に驚いた。
――若葉は通勤電車に飛び込んで自殺をしたのだ。
若葉の自殺を聞いて、なんで昨日の電話の違和感を伝えなかったのだろうかと、どれだけ後悔したことか。どれだけ若葉が元彼の事を好きだったのかを分かってあげなかったのか、本当に後悔した。
若葉の葬儀に参列した時に初めて会った、若葉の両親と兄妹の疲れ切った表情が今でも瞼に焼き付いて離れない。真新しい制服に身を包んだ妹は、「何でお姉ちゃんが死ななきゃいけないの……」と悔しそうに呟き、泣き腫らした表情の兄はただ、唇を噛み締めていた。
葬儀の参列者の中に、元彼の姿は無かった。都内有名私大に通っていた元彼は、若葉の他にも彼女が何人かいたらしい。そして、葬儀の日に他の女とデートしていた……と共通の友人から耳にした時に怒りが込み上げたのを覚えている。
「若葉ね……妊娠してたんだよ。それを彼氏に伝えたら……音信不通になったの……。」
若葉の四十九日が終わった後、大学のテラスで友人から衝撃的な事実を聞かされた。その時、苦しみながら何度も呟いたであろう若葉の言葉が、鼓膜で何度も再生される。
『捨てられた……』
若葉は大きな苦しみを抱えたまま、お腹の子供と共に命を絶ったのだ。
私は、若葉に何が出来ただろうか――――
その後、元彼は詐欺事件を起こし、逃げるように大学を辞め、行方不明になった。と、聞いた記憶がある。