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北村は他の客がいる時は無口になる。
それと同様に雄二も大森がいる以外は口数が少なくなる。
無言と言う曲が1曲分流れた頃、初めて北村が雄二に話しかけた。
「おかみのうちに堺君の着替えがあるって事は結婚を考えてるの?」
北村に出したロールキャベツを雄二も突きながら、しばらく黙っていたが、
桜子が出した日本酒を一口、勢いよく飲むと、
「はい。大森さんもご存知です。ただ、いつ婚姻届を出すかは決めてません。
住む場所も決めてませんからね。桜子のご両親にもご挨拶はまだですから。」
小声でそう告げた雄二に向かって北村は微笑んだ。
「そっか。前から仲がいいなって思ってたけど、結婚話まで出てたんだね。
二人共幸せになるんだよ。」
そう言って持っていた盃を掲げた。
その言葉に自然と桜子は頭が下がった。
康之の時の結婚は半数程が反対しての結婚だった。
この様に客を始め叔母である美由紀までも祝福される事は幸せな事だとしみじみ思った。
父親にもまだ結婚の話をしていない。父親はどう思うだろう。
母親は喜んでくれるだろうが、父親の反応はどうなるのか分からなかった。
その思った矢先に雄二と結婚する事に康之はどう思うのだろうか…。
祝福してくれるのだろうか。してくれない様な気がしてきた。
自分勝手に何人もの女性と浮気をしときながら、未だに桜子に未練を持っている康之。
結婚の知らせをした時どんな対応をするのだろう。
しばらくその事を考えていて桜子は拭いていた食器を落としてしまった。
パリンと音を立てて割れた食器を拾うと食器の欠片で指を切ってしまった。
「大丈夫?おかみがぼんやりしてるなんて珍しい。」
「ちょっとぼんやりしちゃって…。でも大丈夫です。」
雄二は桜子の指から流れている血を見逃す事なく、
「欠片で指を切ってるじゃないか。救急箱は?」
「平気。もう止まってるから。」
割れてしまった欠片を片付けながら、もしかしたら雄二との結婚にひびが入った様な錯覚を覚えた。
パリに行く事も桜子に告げているし、本当に雄二にパリに行く事を許してしまっていいのだろうか。
女の勘と言ってしまったらそれまでだが、パリに雄二が行く事に不安を覚えてしまった。