「小料理屋 桜」を最初から読まれる方はこちらから
雨の降る音が激しくなってきた頃、北村が腰を上げた。
「雨も酷くなってきたし、もうそろそろ帰るよ。」
「タクシーを呼びましょうか?このままだとご自宅に帰るまでまたびしょ濡れになってしまいますから。」
北村は店の引き戸を一度開け、外を見てから、
「そうだね。頼もうかな。」
桜子はいつも酔い潰れて自分の足で帰れなくなく客が使うタクシー会社に電話をした。
「あっ、もしもし。小料理屋の桜ですが、タクシーを1台お願い出来ますか?
はい、はい。分かりました。よろしくお願いします。」
店の電話を切ると、北村に向かって、
「3分程でいらっしゃるそうです。すぐですから。」
「じゃぁ、会計をお願い出来る?」
「はい。」
北村が会計を済ませるとほどなくタクシー運転手が店の中に入ってきた。
「電話を頂いた者です。」
「雨の中すみません。北村さん、またいらっしゃって下さいね。」
「うん。今度はゆっくり来るよ。」
残されたのは雄二だけだった。
雄二は黙々と飲んでいたが、ポツリと、
「今日、泊まっていってもいい?」
北村が使っていた食器を下げていた桜子の手が止まる。
そして雄二の顔を見た。
しばらく黙って雄二を見ていたが、食器をカウンターにしまうと、
「ごめんなさい。今日は父と話す約束をしてるの。」
「そっか。じゃぁ俺も帰るよ。」
「タクシー、呼ぶ?」
「いいよ。駅まで近いし。じゃぁな。」
雄二は1万円札を置いて店を出て行った。その後ろ姿は泊まる事を断れたからか、沈んだ様だった。
桜子は店の外まで雄二を見送るとそのままのれんを降ろし、今日の営業を終えた。
店には10個も作ってしまったロールキャベツが6個も残ってしまった。
少し考えて、梓の店に持っていこうと思った。
携帯電話で梓に直接電話をする。
店が忙しいのか梓はなかなか電話に出なかった。留守電話に切り替わる直前で梓は電話に出た。
「もしもし。桜子です。今、いいですか?」
「構わないわ。この天気でお客様もまばらだし。どうしたの?」
「ロールキャベツを作り過ぎちゃって、おすそ分けにと思って。今から行ってもいいかしら。
お話したい事もあるし。」
桜子が話したい事とは以前、梓に美穂を桜子の店で預かって欲しいと言っていた件だった。
あの話を聞いてから随分、日にちが経っている。
早めに答えを言っていた方がいいとロールキャベツを持っていくという口実で梓に伝えなくては。
店に置いてあるタッパーにロールキャベツを5個入れて、桜子は再びタクシーを呼んだ。
歩いていけない距離ではないが、この雨では足袋が濡れてしまう。
梓の店に行く準備をしていたら、タクシーはやってきた。
店の外から鍵をかけて桜子は美穂の件をどうやって断ろうかと考えながらタクシーに乗り込んだ。