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結局、雄二が帰ったのは始発が出始めた朝の4時過ぎだった。
それまで二人は結婚は婚姻届を出すだけにする事を決め、
どこに住居を置くかを話し合った。
結論として出たのが、桜子の店と雄二のギャラリーの中間地点を中心に探そうと言う事になった。
「じゃ、今日の夜にまた来るから。」
そう言って雄二は帰って行った。
その後ろ姿は桜子との関係に一歩進んだだからだろうか、前とは違って未来に満ちている感じがした。
桜子は朝まで雄二と話していたので仮眠を取る事にした。
少し乱れたベットシーツを見ると昨晩の事を思い出して赤面する思いだったが、
桜子に後悔はなかった。
Tシャツとスパッツに着替え、昼過ぎまで寝て、起きると下の店に降りて
今日の仕込みをした。
5年間、店を続けてきた勘で今日は客は少ない様な気がした。
だが、大森は来るだろう。きっと昨日の桜子の雄二と結婚する宣言の事を聞きに来るに違いない。
だから、大森の好きなつまみの筍の土佐煮を作った。
大森にはどう報告したらいいだろう…。
まさか昨日、雄二が泊まった事までは言わなくてもいいだろうが、
いつ婚姻届だけで済ませる事を決めたのかなどはどう説明したらいいのだろうか。
客との雑談は出来る様になっていても、いざ自分の事を話すとなると
どこからどう説明したらいいのかわからなくなる。
だが、店を開けない訳にはいかない。
3時を過ぎると昨日、衿を付けた着物に着替えて店を開ける準備を始めた。
外をほうきで掃除をし、狭い店を清掃した。
5時を少し過ぎた頃、やはり大森は来た。
その表情は少しニヤけていた。
「やぁ。」
「いらっしゃいませ。どうぞ。」
大森はカウンター席に座るとすぐに前のめりになって、
「で?堺君との結婚話は進んだ?」
恥ずかしさのあまり大森の顔を見ないで先程用意したた筍の土佐煮を小皿に入れて差し出した。
「どこまでって…。少しですよ。昨日、結婚する事が決まっただけですから。」
「嘘だね。桜ちゃんの顔を見たらわかる。披露宴とか派手な事はしないんだろ?
それは昨日、美由紀さんと一緒に帰りながら話してはいたんだけど、
住む場所とかもう決めちゃったんじゃないの?」
後ろを向いて今日、大森に出す日本酒を選びながら、桜子は苦笑してしまった。
それ程、大森にとって桜子の結婚は嬉しい事なのだろうか。
「お互い、仕事が昼と夜でバラバラですからね。住む場所はまだ決めてません。
ただ、大森さんのおっしゃる通り披露宴はしないで婚姻届を出すだけは決めました。
それだけですよ。お客様にご報告するかは悩んでますけど。」
「そりゃした方がいいよ。みんな喜んでくれるに間違いない。
全員にする事はないけど顧客にはしたら喜ぶよ。
まだ結婚してないのに、僕はこんなに嬉しいんだから。
今度は絶対幸せになってね。まぁ堺君だったら大丈夫だろうけど。」
大森に酒を注ぎながら、
「ありがとうございます。前の結婚の時はご心配をおかけしましたから。」
その言葉に何故か大森は眉間に皺を寄せた。
「あの時は桜ちゃんが悪いんじゃない。相性が悪かったんだ。しょうがないよ。」
そこまで言うと、さっきの表情とは裏腹に、満面の笑みで、
「でも今回は大丈夫だよ。僕が保障する。幸せにね。」
結婚前にこれほど祝福されて桜子は幸せだと思った。