「小料理屋 桜」を最初から読まれる方はこちらから
雄二に手を握られたまま壁にかかっている時計を見ると12時だった。
「雄二さん、もうお客様もいらっしゃらないと思うから店を閉めようと思うの。
だから…あの…。あなたのお宅に行く準備をするから待っててくれる?」
30代になっても男性のうちに自分から言うのはやはり恥ずかしく
雄二の顔を見ないで雄二の自宅に行く事を告げた。
雄二ホッとした表情で、
「うん、じゃぁここで待ってるから。」
桜子は雄二が使っていた食器等を洗い、店を店内から鍵をして自室の2階に上がって行った。
その後ろ姿を雄二はじっと見ていた。
いつもの様に着物を脱いでカジュアルな服装に着替えてから
着物の衿を取り換える作業をしていたら後ろでカタンと音がした。
振り向くと雄二が立っていた。
「雄二さん…。」
「ごめん、待っててくれって言われたんだけど…。」
そう言うと後ろから桜子を抱きしめた。
「ガキじゃないのに、待てなくて。」
「待って。衿を取り換えないと着物が皺になっちゃう。」
「待てない。」
少し抗う桜子を抱き上げると寝室の方へ向かった。
「雄二さん、着物…。」
その言葉をふさぐ様に雄二は桜子に口づけをした。
あとはもう雄二の流れるままになってしまった。
何年かぶりに雄二の腕の中で小さくため息をした桜子は、
「せっかちなのは変わらないのね。」
雄二の胸に頬を寄せながら少し笑った。
「…。ごめん。」
「雄二さん、さっきから謝ってばっかりね。」
「そう?」
「ね。」
「ん?」
桜子は広げたままになっている着物に視線を向けて、
「着物。本当に皺になっちゃうから片付けてもいい?」
「あぁ、そんな事言ってたな。いいよ。」
雄二に背を向けながら着替えた桜子は皺になりそうになっている着物を丁寧にたたんだ。
そして着物タンスに着物を入れると明日の着物に衿を縫い付けた。
その姿を見ていた雄二は、
「ねぇ、それって毎日してるの?」
雄二の言葉に振り向いて、
「美由紀叔母様に着物を譲ってもらった時に言われたの。
着物の衿は毎日取り換える様にって。
だからいつも綺麗なままの着物を着て店に出る事が出来てるわ。」
「大変なんだね、着物を毎日着るって。」
衿を抜い終えた桜子は壁に明日用の着物を掛けると、
「慣れちゃったわ。」
次にした事は小さいキッチンに向かいミネラルウォーターのペットボトルを2本出して、
1本を雄二に渡した。
そして少し躊躇して、
「ね、私達元に戻れるかしら。」
自分のペットボトルを手にしながらも開けずに雄二に尋ねた。
「戻れるさ。戻るんだよ。」
そう言って桜子を抱き寄せた。