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桜子は康之と雄二の事を思い出しながら、
「私は康之さんと離婚してしまいましたけど、最初は彼を恨みました。
あれだけの女性とお付き合いしてたのだから。
でも今思うと雄二さんがいなくなって落ち込んでいる私をなぐさめてくれてた
彼に甘えていたのかもしれません。だから他の女性と付き合っていたのを
責める事は出来ないかもしれませんね。」
桜子の言葉に首を振った大森は、
「それは違うよ。確かに堺君がパリに行ってしまった時の桜ちゃんの落ち込みようは
見ていてかわいそうだなって思ったけど藤堂君と結婚したからには
夫である男性は妻を裏切ってはいけない。」
『藤堂』とは別れた康之の苗字だった。桜子は結婚してから過去を振り向きたくなくて
苗字を結婚前に変えてしまっていた。
雄二がパリに行ってしまった時桜子を支え、なぐさめ、雄二の所在も一緒になって探してくれた。
2年経っても帰ってこなかった雄二を振り切る様にいつもそばにいてくれてた
康之を選んだに過ぎない。
桜子に何か言おうとした時、引き戸の鈴が鳴って客が入って来た事を告げた。
それは今、話していた康之だった。
康之が来た以上今まで話していた事は話す事は出来ない。
康之は遠慮がちに、入ってきて
「今、いいかな?」
店に入る許可を求めてきた。
「どうぞ。いらっしゃい。」
大森は康之が来たので、
「じゃぁ、僕は帰るよ。」
康弘に好意を持っていないので帰ろうとした。
「待って下さい。あの…。二人っきりになると何を話したらいいのかわからないから
どうかいて下さいますか。」
大森に頼る形になってしまったが、桜子の言う事も分かるので大森は上げかけた腰を
再び降ろし、カウンター席に座った。
康弘は左端の席に座ろうとしたが、
「ごめんなさい。そこは指定席なの。他の席に座ってくれる?」
雄二の指定席になっているところに康之には座って欲しくなかった。
それは雄二に気持ちが傾いているという事だろうか…。
康之は左から2番目の席に移動し、
「今日は飲んでもいいのかな。」
「今日はね。」
先程、大森に康之の事は責められないと言った桜子だったがどうしても
突っぱねた口調になってしまう。
「日本酒を。それとつまみも桜子に任せるよ。」
桜子は黙って越乃寒梅を升酒に入れ康弘に渡した。
つまみには今日、個展を観に行った帰りに買った山菜でおひたしを作った。
大森は黙って飲んでいたが、口を開いたのは康之だった。
「こないだ雄二のとこの個展に行ってきたよ。あいつがパリで勉強しただけあって
いい個展だった。」
「そう。あなたも行ったの。」
大学時代、桜子をめぐって争っていたかと思えば、朝まで飲んでいた二人でもあったが、
桜子には雄二が康之に個展の案内状を出したのが意外に思えた。
女にとって男性同士の友情は難しいものだった。
康之は右の頬を触りながら、
「何年かぶりに飲んだんだけど、1発殴られたよ。」
「一緒に飲んだの?」
それこそ意外な事だった。
雄二は桜子と康之が離婚をしているのを知っているはずだった。
大学の時にお互いに桜子に好意を持っていた同士で結婚をしたにも関わらす
離婚をした康之を雄二が許すはずがないはずだと思っていた。
康之はカウンターに飾ってある内山の絵を見ると、
「桜子、絵を買ったんだ。」
「えぇ。これから伸びる方だと思うし、何よりこの絵を描いた方の人となりが
いい人だったから。」
「桜子は先遣の目があるからな。まぁ俺と結婚したのは失敗だったけど。」
その言葉に初めて大森が口を開いた。
「僕は君達がどんな結婚生活をしていたかはそれほど知らない。
だけど君は色々な女性と付き合って桜ちゃんを泣かせたじゃいか。
それを桜ちゃんの男を見る目がなかったなんて言う資格はないはずだ。
今も付き合っていた女性と別れたと言ってこうやって桜ちゃんの元に
戻ろうとしている。それはあまりにも勝手じゃばいかな。」
口調は静かだったが康之にとっては厳しい言葉だった。
その間、桜子は黙っていた。