小料理屋 桜 14話 | Vicissitudes de richesse ~七転八起~

Vicissitudes de richesse ~七転八起~

人生、転んでも立ち上あがれば勝つんですよねぇ
だから、転んでも立ち上がるんです
立ち上がって、立ち上がり続けるんです

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だが、桜子はこれ以上大学時代の事に触れたくなかった。

康之との事にもいずれは触れてしまうかもしれないから。

「村木さん、昔の話なんてもういいじゃないですか。」

村木も大人だったのでそれ以上は聞いてこなかったが、

気になってる事に間違いはない。

いずれ康之の事を話す日が来るのだろうか。

それだけは避けたかった。

「じゃぁ…。桜子、俺今日は帰るから。」

「あ、うん。」

雄二が帰るのは多分、これ以上康之の事を聞かれるのを避ける為だっただろうが、

『もう帰ってしまうのか』

という未練の気持ちと、

『やっと帰るのか』

という安堵の気持ちの両方があった。

会計をして小さな声で、

「また来るから。」

と店を出る間際に言って雄二は店を後にした。

桜子は雄二が角を曲がるまで見送っていた。

その背中は丸みをおびて、桜子の知らない年数をそれなりに過ぎてきたのだろうと

思わせた。そう言えば大学3年の秋。最後に会った日もあんな背中をしていた気がする。

そう思うと先程『また来る』と言われても本当にまた来るのだろうかと思った。

思わず駆け寄ってもう一度顔を見たい衝動に駆られたが

桜子は黙って最後まで見送った。

店に戻ると村木がニヤニヤ笑いながら桜子を待っていた。

「どうしたんですか?そんなに笑って。」

雄二の使った食器を下げながら、なるべく村木の顔を見ないで桜子は尋ねた。

尋ねながらも言われる事はわかっていた。

「いや…。おかみがね、恋人と別れるみたいに見送ってるからね。」

村木は意地の悪い笑みを浮かべてそれ以上言わなかった。

「また、そんな事言って。」

桜子は笑って答えたが、大学の時はどんなにショックだった事か。

雄二がパリに行った前日は本当に普段と同じ様に二人で過ごしていたのだから。

「冗談が過ぎますよ、村木さん。」

「いやいや。これは冗談じゃなくておかみには好きな人とかいないの?」

村木に新しいつまみ、昨晩から漬けていた白菜の浅漬けを渡しながら

聞き返してしまった。

「好きな人…。ですか?」

「そう。おかみだってまだまだ若いんだから。」

カウンターを拭く手を止めて、雄二は好きな人に入るのだろうかと考えた。

大学時代は二人でいればそれで良かった。

でも今はそうも言ってられない。そんな事を思ってられるのは若いうちだけかもしれない。

「今はいませんよ。」

そう言いながらも思い浮かべたのは雄二と康弘の顔だった。

今さら、康弘とやり直すつもりはさらさらなかったが

一度は夫婦になった仲だ。何人もの女性と浮気をされても本当に嫌いになる事は出来なかった。