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「あれ?お客さん?」
「えぇ。村木さんが美穂ちゃんを送って下さってる間にいらっしゃったの。」
村木が帰ってきたので村木の為に新しい酒とつまみに、かぶが器になっている
海老のすり身を蒸したものを出した。
村木に冷酒を注ぎながら、
「美穂ちゃん、ありがとうございました。」
とお礼を再度言った。
「梓ママから1杯だけでも飲んで行ってくれって言われたんだけど
あっちにも顔を出して、こっちにも顔を出すなんて事出来ないだろ?
貸しにしといたよ。」
桜子は笑いながら、
「貸しですか?なんだか怖いかもしれませんね、梓ママにとっては。」
「それにしてもおかみさんの持ってるグラス。すごい量の酒が入ってるね。
まさかじゃないけどそれは水じゃないよね。」
桜子は着物の袖を自分の口元に持ってきながら、
「たまにはね。いいでしょ?」
「あのお客さんから?」
そう言われて何故か雄二の方が頭を下げた。
「あちらのお客様、私の大学時代の同級生なんですよ。ね、堺さん。」
客である村木に紹介するのであえて苗字の方で雄二の事を呼んだ。
「へぇ、おかみさんの。でも歳が離れてる感じがするね。」
「僕は2浪してから大学に入りましたから。
それに3年の時に休学してパりに留学していたので桜…。おかみとは
少し歳が離れているんです。」
雄二は危うく桜子の事をいつもの様に『桜子』と言いそうになったが
『おかみ』と言い直して自分と桜子の歳が離れている事を説明した。
それより村木の方が『桜子』と言いかけた事に過剰反応した。
「何々、やっぱり大学時代からの友達だと『桜子』って呼ばれるの?」
桜子は少し躊躇したが、
「同じ大学時代の友人ですからね。その時の感覚が抜けないのかもしれませんね。」
「おかみって大学時代どんな子だったの?」
村木は雄二の隣に席を移して、桜子の大学時代に興味を示した。
雄二は少し困惑した様だったが、一瞬だけ遠い目をしてあの頃の桜子を思い出していた。
いつも授業は一緒に出ていたし、大学が休みの日も何かしら理由を付けて
一緒にいた様な気がする。
それは二人が付き合っていたからであって、村木に言う事ではなかった。
「そうですね…。男子学生の注目の的でしたよ。
桜子を見に講義室に来る連中もいましたしね。」
「雄二さん、またそんな事言って。」
事実、付き合っていた頃よくひがみで同級生の男子学生にからかわれた事も多かった。
思わず雄二の事を苗字ではなく名前で呼んだのは
そんな事を言われるとは思っていなかったからだ。
だが村木は一人何故かうなずきながら、
「おかみは若い頃も人気だったって訳だ。いや~会ってみたかったな。
大学生時代のおかみって。」
「大学生の頃にすでにここでバイトをしてた事はあったんですよ。
美由紀さんが店を開いてた頃。私はここを引き継いだだけです。」
村木は手酌をしながら、桜子の言う事を聞いてたが、
「いや、美由紀さんからここを引き継いだのは知ってるけどさ、
実際に大学生のおかみには僕は会ってないだろ?
堺君…。だっけ?」
「そうです。」
「やっぱり堺君が羨ましいよ。そうゆう同級生がいるっていうのはね。
僕は同窓会でもしないと会うか会わないかだからね。」
桜子は実際にはこうやって雄二と店で客とおかみという関係で会う事になろうとは
去年まで考えてもいなかった。
じゃぁこの先は?
このまま客とおかみと言う関係のままなのだろうか…。
それとも…。
それを考えると複雑な気持ちだった。
自分はいったい雄二に何を求めているのだろう。