2018年7月7日(土)のことが

今朝、目が覚めた時に

頭をめぐっていた。



父母会(クラスの全体会)のあと


まだクラスに残っていた

他の父兄の視線を気にすることなく


自分の子どもの席に座ったままの

例の保護者は


机の前にしゃがみ、話しかける弟に対して

そっぽを向きながら

次第に高圧的な態度を取っていった。


夏休みを前に、

担任である弟と話をしたくて待っていた

複数の父兄も

長引きそうなその様子に諦めて帰られた。



例の保護者との話を

弟がひとりで対応した。


緊迫感漂うその現場を前に

ペアを組んでいた外国籍の教員は

なぜ、何も介入してくれなかったのだろう。



言語の壁を理由に

自分には何も出来ることはない、

そう思っていたとしたら妥当とは言えない。



何かできることがある余地は

充分にあったと思うから。



込み入った話の場合は

第三者の目と耳がある会議室で

話をすることになっているのであれば


たとえ、その保護者が

「ここ(教室)でいいです」と言っても

その会議室で行うのが鉄則。


状況的にそれが出来なかった弟に対して

その外国籍の副担任に出来ることは

本当に何もなかったのだろうか。



弟が行方不明になって間もない頃

その外国籍の教員と

部長室で初めて面会した。


英語の方が話しやすいから、と

その教員は教育部長と学年主任を前に

英語で当時の様子を話してくれた。



教育部長と学年主任との面談後、

弟は教室の自分のデスクに戻り

涙を浮かべながら、

そして時折机に頭を伏せながら

所見を書いていたという。



17年間、

母校で教員をしていた弟にとって

それが最後に書く所見となってしまった。



どんな思いで、

生徒ひとりひとりの所見を書いていたのだろう。





例の保護者に言われたこと

教育部長・学年主任に言われたこと



その時点で死を決意していた弟は


その言葉を心の中で何度も何度も反芻しながら涙を浮かべていたのかもしれない。


教員という学生時代からの夢を絶たれたくやし涙だったのかもしれない。


短い1学期という中で精一杯向き合ってきた生徒たちひとりひとりを思い浮かべながら書いた、最期の所見。



本当なら、

この先もずっと母校で教員を続けながら

たまに訪れてくれる教え子の成長した姿に

教師としての喜びを感じ、励みや糧にしながらの教員生活が待っていたはず。



様々な思いが込められていた

最期の所見。




4年経過した今も

こうした記録を残し、声をあげている理由は


生徒の安全や健康に配慮することと同じように、教員の命や心身の健康も大切してもらい、労働環境・業務量の見直し、安全配慮を徹底してもらいたい、そしてひとりの教師の死と真剣に向き合ってほしいと本気で考えているからです。