■「内定への一言」バックナンバー編


「量をこなせば、質も変わる」





「毎日同じ仕事ばかりで、嫌になってきた」、そんな動機から転職する友人・知人を何人も見てきました。そして彼らは、何度も同じセリフを言っては、転職を繰り返します。現実は決して変わりません。なぜでしょうか。


それは、「同じ仕事など、一つもない」から。



毎日同じ仕事、生活、日常など、基本的にありえない話です。もしそうだと言うなら、考えていることが進歩していないのです。同じ仕事を同じにやらないのが個性であり、才能です。


単純作業でも、工夫をすれば単純ではなくなり、自分を成長させてくれる要素が無限に見つかってくるもの。そして人は、最初から複雑なことをすることはできず、成長は常に単純作業の中にあります。



エントリーシート、面接、グループディスカッション…。短期間に何度も経験すれば、ついつい「また同じか」と気を抜いてしまう時もあるでしょう。リフレッシュは確かに必要ですが、企業にとっては、あなたは初めての人間であることを忘れてはいけません。


他の人は惰性とマニュアルで場当たり的に乗り越えようとするところを、あなたはあえて「私は人と同じことでも、人と同じようにはしない人間です」と、経験とビジョンの裏付けによって語りましょう。


毎回の皆さんの面接の質的向上は目覚ましく、今後さらに練習を積み重ねれば、仕事の現場でも生きる高いコミュニケーション能力が得られるのは間違いありません。


シンプルな継続に小さな成長を付加して、大きな自信を手に入れ、みんなで圧倒的に成功しましょう!

■「内定への一言」バックナンバー編


「金がない人に金を与えるのは、拷問に等しい」



最近NHKで放送されたという「ワーキング・プア」の番組について、教育問題や雇用問題に敏感なFUNの学生さん数人から、「どう思いますか?」と聞かれました。僕は見ていませんが、番組のあらましを聞いて、「それは氷山の一角だ」と感じました。


見ていないので、立ち入ったコメントは避け、雇用問題に関して、現場で関わってきた者としての意見を述べるに留めます。

ワーキング・プア」というのは、働いても働いても生活水準が向上せず、次の段階に移行する準備すらままならない人々のようです。要するに、フリーターの数年後の姿です。


本題に入る前に、いつも思うんですが、日本のマスコミは、なぜ深い問題提起を含んだ現象を、こうしていつも英語にしてしまうんでしょうか。「富むことなき貧者」とでも言えば、問題の性質も分かりやすくなるのに。

ワーキングホリデー」も、「ワーホリ」と略されているようですが、こんなのも「働く休日」と言えばいいんです。根本的に矛盾した言葉の組み合わせで、要するに「フリーターat海外」です。


日本でまともに働けない人間に限って、海外に行くなど「場所を変える」ことで、何かチャンスがあるのではと希望を託す若者は、昔から大勢います。でも、そんなのは夢のまた夢。


日本で働けない人間が、海外で通用するわけがありません。僕は海外で働いている時、「とにかく海外」という思いで、サービス業の単純労働をしている日本人を何人も見ました。

言っちゃ悪いけど、「日本でも通用しなかったんだろうな」と感じざるをえない生活をしていました。英語はそこそこしゃべれますが、内容はビジネスとはかけ離れた接客用語に過ぎず、聞いていて発展性のないものでした。


おそらく「英語を身に付けたい」とか思ったんでしょうが、「英語で」とは考えなかったんでしょう。何を伝えるか、何をコミュニケートするかが一番大事なのに、そういう本題は全く考えなかったようでした。

こういうふうに、海外に行って日本のフリーターと変わらない単純労働をしつつ、異国で外国人と働いているだけで、さも価値ある体験をしているかのように錯覚する日本人は、後を絶ちません。
彼らは、英語を話すことには関心を持っても、英語でビジネスを作ることは全く考えません。


つまり、話題や生活が発展しない点では、恒常的に「言語障壁」に直面しているのと同じです。接客の用語は、基本的に中学生レベルの日本語で間に合います。接客が質が低い仕事と言うわけではありません。


ただ、同質の行動を反復し、給料の上がり方が最も遅く、低く、展開性の狭い職種であるのは事実です。対象者が多い仕事ほど給料が安いのは、需要と供給の原則です。


さて、「ワーキング・プア」とは、この言語障壁が母国語で発生することから起こる問題でしょう。「日本にいながら、日本語で働けない」ということです。今というか、数年前から、小学校の算数の点数が下がっているそうです。


理由はなんと、「問題文が読めない」という国語の問題です。算数の問題を解く前に、それがどういう問題であるかを説明する日本語が読めない、というのです。なんとかわいそうなことでしょう。

これは、フリーターと全く一緒だと感じました。フリーターの国語能力は、中学レベルで止まっているケースがほとんどです。


昨今は、フリーターが多いとか言われますが、要するに「大学が多すぎる」だけ。特に、ここ2~3年でもったいぶって「国際」とか名称を変えた大学は、「中華」と変えるべきではないでしょうか。日本人の大学生が集まらない現実を、「国際」という言葉でごまかしているだけです。

「中国人がいないと大学が倒産します」というサインで、政府の補助金を当てにしている点では、「国債大学」という名称でもよいでしょう。


金儲け主義の大学が、誰もいない時期に純粋な高校生を招く「オープンキャンパス」という名のクローズキャンパスで夢を描いた若者もまた、かわいそうです。「全入時代」を来年に控えた今年は、私大の4割が「定員割れ」ということですが、バブルと一緒で別に「下がった」のではなく、「正常な状態に戻りつつある」だけ。不適格校は市場から追放されるだけのことです。

大学職員も教員も、これでようやく、受験生が味わってきた不安や苦労を、当事者意識を持って感じられるようになるでしょう。「競争の原理」(渡部昇一・堺屋太一/竹井出版)に詳しく書いてありますが、生徒にだけ競争させて、先生の側に競争がないのはいびつな状態です。


巨額のカネをもらっている大学の人間が、厳しい選別と淘汰にさらされるのは、酷でも何でもなく、むしろ当たり前のことといえるでしょう。「元教授のフリーター」が、数年後には夜のファミレスにいるかもしれませんね。

ここで一つ、「言語障壁」の事例をご紹介しましょう。数年前に、僕の会社の採用面接を受けに来た、40代後半のおじさんの例です。


このおじさんは面接に来るなり、「私には800万円の借金があり、子供が3人います」と切り出し、僕に質問をさせず、延々と身の上話を繰り出してきました。僕より20歳近くも年上だったため、丁重に聞いたのですが、「なんと事実が見えていない人なのか」と驚きを隠せませんでした。

おじさんが話の中で何度も繰り返したのは、「働く意欲は誰にも負けません!」という言葉でした。なるほど、顔や声は、そうとも感じられる様子でした。しかし、僕は結局、採用をお断りしました。「お願いします!」、「やる気はあります!」と頭を下げられても、申し訳ありませんが、採用する気にはなれませんでした。

それは「誠意」という種類の情熱なのかもしれませんが、経営者である僕には伝わらない誠意だし、採用する必要のない誠意だと感じたからです。「働く意欲」と、おじさんは言いました。ものすごく真剣な表情でした。だからこそ、僕は採用しなかったのです。

考えてもみて下さい。「意欲」とは、そもそも自発的に働く動機のことです。誰から命令されなくても、一人の時でも保てる気持ちを「意欲」とか「やる気」と呼ぶのが、常識的な判断です。サラリーマンが会社の仕事を頑張っているとか、学生が大学の勉強を頑張っているというのは、意欲ではありません。


それは、組織の構成員として、外的な動機付けで作業をこなしているだけです。もし、仕事以外や大学以外で知的好奇心を形に変えたり、自発的な動機に基づいて行動を重ねていたりすれば、そこで初めて「意欲」と呼べます。

だから、意欲があるかどうかを判定するのは簡単です。同世代の平均値と比べて、収入、貯蓄、知識、能力のいずれかが、飛び抜けて優れていればいいわけです。人と同じことをしても、まず目立った差は付きません。みんなで下流生活に突入していくだけでしょう。


そこから這い上がるため、あるいは将来の価値ある目標を達成するには、組織が「年齢や責任にふさわしい」と判断して割り当てた作業以上の「+α」をこなさないと、頭一つ抜け出すのは不可能です。それを可能にするのが、意欲ではないでしょうか。


つまり、本当の意欲がある人間なら、失業したり借金で苦しんだりすることは、ありえないということです。このおじさんだけではありませんが、就職面接において、「やる気」という不可解で抽象的な資質を表情と声で演出し、自分の意欲は誰にも負けないと言う人ほど、意欲がない人です。


聞いてみたいんですが、過去において、入試が終わった後の勉強や、仕事が終わった後の勉強や、責任を果たした後の成長などを、一度は成し遂げてみたことがあるんでしょうか。そのような「エクストラ」の努力を、自らの意欲で実行したことがあるのでしょうか。

おそらく、ないでしょう。「やった~!終わった~!」と喜んでいただけでしょう。このように、意欲ではない気持ちを、「意欲」という言葉に変装させて説明しても、そんな言葉のごまかしは通用しません。


こういうケースの人が「意欲」という場合は、9割以上が「支払いの恐怖」、「失業の不安」という言葉を「意欲」に置き換えているだけ、と見るのが妥当です。

つまり、日本語を日本語に翻訳してみれば、「意欲だけは誰にも負けません!」「支払いの恐怖だけは誰にも劣りません!」と言っているのと同じです。要するに、具体的な恐怖を示されないと努力に着手できない人間で、試験や仕事、支払いが終わると、すぐにまた「これくらい、いいか」と怠慢、浪費生活に逆戻りするというパターンを繰り返し、いつしかそれが骨髄までしみこんでしまったのです。

「試験前は必死」。なるほど。そういう末期症状は、企業会計では「特別利益」という性質の努力でしょう。本業で稼げず、財務状態も悪い会社が、損益計算書で利益を確保するためにやる小手先のごまかしと、何ら変わりません。資産処分で利益を確保した。


つまり、「土壇場の努力で支払った」という会社が健全な経営をしていると判断する株主は、いません。

人間も全く同じです。平素からの努力が伴っておらずに苦境に陥り、土壇場になって真剣なふりをする人間ほど、信用できません。たとえ「意欲」という立派な言葉を使おうと、顔が嘘をついています。無能な人間ほど、無茶やアクロバットに頼って「幸運」を期待するものです。貯金が少ない人間が宝くじの行列に並ぶのと同じですね。


僕は、こういう方々の自己欺瞞を矯正し、経済教育や職業教育を基本から提供する仕事をしています。だから、多大な情熱とともに、厳しい指摘を行うことも、あえて遠慮しません。

「働く意欲は負けません!」と言う若者もたくさんいます。なるほど、声はでかいです。 だったら、その意欲とやらが過去どういう形になったかを、具体的に証明みて下さいと聞くと「未来で勝負したいです」と逃げます。


勝負になるわけないんだって。なんという甘さでしょうか。あぁ単にカネがないんでしょう。どういう言葉を使おうが、心の中はスケスケです。言葉を飾る人ほど、本心が分かりやすいものです。

年齢を問わず、こういう人ほど「お金があれば、楽になる」と思い込んでいます。果たして、そうでしょうか。今までも、収入が高かったかは分かりませんが、一応のお金はあったはずです。


月に15万とか30万とか、それくらいの金額はもらった経験があるでしょう。して、そのお金はどうなったのでしょうか?

答えは「負債」になったのです。つまり、「お金があったから、余計苦しくなった」ということ。なのに、「収入が増えたら、楽になる」と思っているなんて、これも立派な言語障壁です。楽になんて、なるわけない。


今までだって、得たお金を散々、「今の楽しみ」のために浪費してきたのです。だから、人に勝る知識や能力が、履歴書のどこを探しても、一つとして見当たらないのです。

お金がない人を見ると、確かにかわいそうです。僕も創業で、資金繰りの苦しさを味わいました。ただ、極度の節約を継続し、将来の見通しに従って行動することだけは怠りませんでした。「こうすれば、こうなる」という会計的な見通しがついていれば、一時的にキャッシュフローが停滞しても、何とか乗り切れるものです。


だから、目先のカネは求めず、どんなに苦しくても「仕組み」や「信用」を最優先して耐えました。

でも、お金がなくなってから、「お金が欲しい」と考える人は最悪です。生まれついての「貧乏神の信者」と呼んでよいでしょう。こういう人にお金を与えると、すぐに使います。1ヵ月後には、何も残っていません。まさに、「拷問」と呼べる状態です。


お金持ちが「必要なもの」を買うなら、貧乏人とは「欲しいもの」を買う人たちです。「欲しい」とは、今の所得や貯蓄を基にして程度が変わる感情ですから、持っている「限度額」に見合ったモノが欲しくなるのです。

つまり、「貧乏指定席」を自ら先物予約し、確実に買い付けているわけです。よって、欲しいものを買う人間は、例外なく貧乏になります。欲しいものがあるからこそ、今を「必要なもの」で耐える人だけが、余裕を作って資金を蓄えることができます。


余分な知識や経験も、さらに高等な教育も、その貯蓄から可能になるわけです。こういう人がお金を手に入れると、減りません。お金とは、たくさん得たって豊かにはなれないもの。使い方の方が、稼ぎ方より何倍も大事です。貧乏人とは、「お金とは、使ったら減るものだ」と思っている人と呼んでいいでしょう。減るから、もっと収入を作りたくなる。この気持ちこそ、「ラットレース」の立派な始まりです。

よって、20代に

必要なものより、欲しいものを買う。

お金とは、使ったら減るものだと思っている。
収入が増えれば、今の生活も楽になると思っている。
意欲が客観的な成果になっていないのに、意欲を当てにしている。
期限が迫らないと、必要な努力に着手しない。

という人は、将来のフリーターやワーキング・プアの条件、つまり「貧乏哲学」を、立派に兼ね備えているといえます。あとは、卒業して時間がたてば、自動的に下流に流れていくでしょう。僕が見てきた「限界ギリギリの貧乏人」は、大卒であろうが、皆この5つを備えていました。

「ワーキング・プア」の人たちは、テレビではかなり悲劇的だったそうです。テレビだから、分かりやすく感情移入しやすい事例を集めたのは当然でしょうが、おそらく、収入の低さが問題ではないでしょう。


僕は人にお金を投資する時は、「少ない金額をどう使うか」を見て判断します。収入が少ない時の方が、貯金しやすいもの。多いと誘惑も増えるし、少ない時に貯金の辛さに耐えられる人は、収入が増えると成功します。

「ワーキング・プア」の人たちも、フリーターも、その生活をよくよく観察すれば、月に5,000円とか1万円くらいは貯金できるはず。というより、本当にその生活から抜け出したいと思っているなら、それくらいの努力はできて当たり前です。


でも、貯めません。ちょっと稼ぐと「自分へのご褒美」とか言って、すぐに使ってしまいます。その「ご褒美」が自分を破滅させていることに、本人だけが気付きません。そういう人間を、誰が応援するというのでしょうか。かわいそうですが、自分でやることをやってからじゃないと、誰も応援できませんと言うほかありません。

僕も随分多くの「夢があります」と言う人を見てきました。夢の下積みのために、フリーターとして頑張っている人もいました。彼ら、彼女らの収入や貯金は、確かに高いとは言えないものでした。でも、その先は全く違っていました。

伸びる人は、お金を得たら、真っ先に貯金します。反面、ダメな奴は、バイト代が入ると外食に行ったり、行く喫茶店が豪華になったりします。自分の収入が月に「15万円(日給5,000円、時給625円)」にも満たないのに、しかも「夢がある」とか言って人前ではそれなりに振舞っているのに、お金が入ると傲慢になって、最初に自分にご褒美をあげるのです。


僕はそういう人を見ると、たとえば一緒に何らかの仕事をやっていて、それまでどれだけ親しかったとしても、一日にして「こいつはダメだ」と見切りを付けます。

過去、損切りをしてきたのは、親が病気だったり、弟や妹が就学中だったりするのに、給料日になると日頃はベローチェだったのが、スタバに変わったりするような人間です。たかが200円の差です。僕に御礼をしろとは言いませんが、苦労をかけている親や兄弟のために、たとえ一日200円でも積み立てるのが、あるべき姿じゃないかと思ったからです。


そういう人間からは、支援も協力も引き揚げます。「経済制裁」めいてますが、自分のお金を大事にしない人間に、常識的に仕事やお金は任せられないでしょう。

僕は過去、社員の給料が払えなかった間は、一本もジュースを買いませんでした。そして、オフィスの水道水を飲んでいました。真冬でもエアコンを付けませんでした。携帯は解約して安いものに変更しました。生命保険も解約し、毎日もやしばかり食べました。


それを見て、助けてくれる人がいました。かわいそうだから、じゃないんです。「本気で節約してるな」と認めてくれたからです。

僕は、創業の時期にそうして助けてくれた人たちには、将来にわたって恩返しをしていきたいと考えています。不義理を働いた人もいますが、それは行動をもって償いたいと、努力の源泉になっています。

皆さんも、「学生だからお金がない」と見られたり、自分でも思ったりするかもしれません。しかし、金額の問題ではありません。ギリギリまで切り詰めて、将来の自分を信じてコツコツ積み立てていく姿こそ、無限の信頼を招くものです。そういう人は、たとえ苦難に陥っても、「力にならせてくれ!」と仲間が集まってきます。だから決して、フリーターやワーキング・プアになりません。

雇用と教育の問題は、簡単には片付けられないことが多いですが、その分チャンスが潜んでいます。だからこそ、僕はこの分野で事業をしているわけです。本メルマガの読者には、そういう話題に興味がある方も多いと思うので、今後も折を見て扱っていきたいと考えています。内定なんて、始まりの始まり、ゼロに過ぎません。内定してからが大事です。仕事とお金の知識、ぜひ磨いておきたいものですね。

■「内定への一言」バックナンバー編


「一番仕事が遅い人は、忙しい時に自分の作業を優先する人だ」



昨日のFUNゼミの雰囲気の明るかったこと。人数は、試験前とあってかやや少なめでしたが、どこでどういう組み合わせで開催しても、学生の魅力が溢れる時間が生まれ、良い循環が生まれそうで楽しみです。


HPやブログの開設・更新もどんどん進んでいるし、これから、どういう広がりが生まれるんでしょうね。

中でも僕が常々「すごいなあ」と感心するのは、去年の冬の「就活コース」からFUNに参加し、今では先輩として活動を支える新4年生の活躍ぶりです。


西南4年のM地君や、久留米大4年のM利さんは、毎月友達を見学に連れてきて、友達の間にどんどんチャンスを広げています。2、3年生にも友達思いの学生さんがいっぱいいて、本当に立派な姿勢だと感じます。

さて、そんなM地君からFUNゼミの始まる前に、「自分の作業には、どうやって優先順位を付けたらいいんですか?良い時間の使い方があったら、ぜひ教えて下さい」という質問を頂きました。


学業、アルバイト、就活でも忙しかったのに、内定先の会社の熱いフォローで毎月のように新卒向けイベントに参加し、さらに勢い余ってブックオフで本を買いすぎたため、これからは今月末のブックオフツアーに向け、「在庫処分」に努力するM地君。


M地君の質問は、いつも簡潔かつ本質的で、今日はこの「作業のこなし方、時間の使い方」を話題に取り上げてみようと思います。

説明に先立ち、まず皆さんに「フィードバック・ループ」について解説します。これは、FUNの必読書「人生を変える8020の法則」(リチャード・コッチ/TBSブリタニカ)を読んだ方は、もうご存知ですよね。

「最初の小さな差が、時間の経過に従って決定的な格差につながる」という原理です。言い換えれば、「最初はどうでもいいや、と見過ごしていた些細なインプットの差が、後になると到底追いつけないほどの結果の差につながる」ということでもあります。


つまり、ビジネスや勉強の世界に根付く「先手必勝」という、古今東西不変の掟を解明したルールです。著者は本書の中で、2つの事例を挙げています。一つ目は「マイク」、二つ目は「金魚」です。

まず「マイク」について。

学校の体育館や視聴覚室などでマイクに電源を入れると、「キィーン」と尻上がりに耳を突くような機械音が鳴り響き、びっくりしたという経験は、誰もが何度も経験したことでしょう。


マイクという機械は、インプットを担当する「マイクロフォン」と、アウトプットを担当する「アンプリファー(アンプ)」で構成されています。小さな音を、会場の規模に合わせて増幅させる。


つまり、少ない投入(インプット)でも、より適切な産出(アウトプット)を生み出す「文明の利器」です。

マイクに電源を入れる(インプット機能をonにする)と、マイクはその周囲にある微細な音を吸収します。その微細な音はアンプによって増幅され、拡散用の端末である「スピーカー」から、数倍の音になって放出されます。


マイクはさらに、スピーカーから響く音(アウトプット)を吸収し、再度増幅された音がまたもやスピーカーから響くそして、誰かが電源を切るかマイクをふさぐ。


このプロセスがわずか数秒の間に反復されると、あの「キィーン!ボツッ」という、初対面の集団でも同意が成り立つ「お約束の寸劇」に変わるというわけです。

「最初の小さな差が、時間の経過に従って拡大していく」。なるほど。


次は「金魚」。

金魚鉢の中に、体型も大きさも同じサイズの二匹の金魚を入れます。そこにエサを入れると、片方が食べます。食事は「栄養を吸収する」というインプット行為ですから、食べた金魚はその分だけ、少し成長(アウトプット)します。


さらにエサを入れてみると、またもや同じ金魚が食べてしまいました。この金魚、元々「欲張り」だったのでしょうか。

実は、「譲ってあげなさい」と飼い主が思ってみたところで、その金魚は同じ力を投じただけに過ぎなかったのです。でも、体格が成長したので「泳ぐ力」と「口の大きさ」も向上し、さらにエサが食べやすくなっていたわけです。


つまり、「同じことをやっても、やればやるほど、やりやすくなる」という原理が働くようになっていたのです。ということで、最初は全く大きさが変わらなかった二匹の金魚も、数ヶ月育てると、大きい方はますます大きく、小さい方は相変わらず最初のサイズのままだったという結果になります。


水槽の金魚や熱帯魚が、同種の魚でもあんなに大きさが違うのは、こういう仕組みがあったからなんですね。なるほど。

これが「フィードバック・ループ」と呼ばれる自然界の原理です。適者生存の法則も、食物連鎖も進化論も、これでますます理解しやすくなりそうですよね。


経済にも「お金持ちはますます豊かに」という原理があるし、スポーツでも「強いチームはますます強くなる」という原理があるし、ビジネスでも「No.1は半永久的にNo.1」という原理があります。


例えば、ここに二人の「月収20万円」の新入社員がいるとしましょう。A君は「節約・勤勉型」で、B君は「浪費・享楽型」だったとします。同じ20万という「インプット」でも、目に見える生活ぶりという「アウトプット」では、B君の方が豊かに見えるでしょう。


しかし、A君は我慢して貯金し、会計士の勉強をしています。だから、今の楽しみのために時間とお金を使うわけにはいかないのです。

「余剰資源であるお金と時間を、未来への投資に振り向ける」という努力は、数年で実りました。いや、実る前から、小さな成果で差が付き始めていました。


ある会計知識があったことから、A君は取引先から褒められ、ある社長さんと知り合いました。勤勉なA君はその社長さんにお礼状を書き、さらに価値ある話を知りました。その話は財務関連の案件だったので、A君は目下勉強中の会計の知識を総動員し、全力で結果を出して、その仕事ぶりから取引先の経理部に引き抜かれました。


経理部では会社の財務戦略や金融機関との交渉、取引先の財務分析などと日常的に関われたため、A君の知識と実務能力は加速度的に向上し、めでたく会計士の試験にも合格したというわけでした。

一方のB君は、A君が会計士になった頃、自動車ローンやクレジットカードの支払いに追われ、「知識なし、お金なし、時間なし」のトリプル安を実現して、「貧乏三冠王」を達成していました。


もとはと言えば、「500円を浪費に投じるか、それとも貯金に回すか」の違いだったのです。あるいは「期待を受けることを重荷に感じるか、喜びと受け取るか」の違いでもありました。それが、数年後には先ほどの「金魚」のように、決定的な差となってしまったのです。


もはや、B君がA君に追い付くには、睡眠時間4時間で1年頑張ったくらいではムリでしょう。A君はB君と同じことをやろうとしても、半分か4分の1の努力・時間・資金で済みます。知識、経験、信用、人脈、実績があるからです。

A君が「高性能のマイク」なら、B君は「壊れたマイク」。何が投入されようが、全く成果は上がりません。そのうち「インプット」が嫌になって、何もアウトプットされなくなり、借金が膨らんで最後は肉体労働者になるのは、明らかなことです。


これが、皆さんが卒業した後に待っている社会の現実です。格差は既に、大学にいる間に開いています。同等の学力で同じ大学に入学しても、卒業する頃に一方は「超有能」になり、片方は「救い難い怠け者」になったのを見れば、「大学という金魚鉢」でも同様の原理が働いていることは、読者の皆さんもよく実感できることでしょう。


さて、ここからが今日のメルマガの本題です。このような学生や社会人の格差は、どうして生まれたのでしょうか。もしその差に普遍性があり、景気や教育などの客観条件の制約を受けないなら、ぜひ知っておきたいところです。


では、その「皆さんに関係大アリのフィードバック・ループ」を解明します。

ある人は、いつもいつも「忙しい」と言っています。別に在学中であろうが、社会に出ようが、忙しい人は常に自分を試験、バイト、レポート、残業、付き合い、勉強でがんじがらめにするものです。


そんな人が何かの期限に迫られて、ある作業に忙殺されている時に、友達から「ちょっとお願いがあるんだけど、話を聞いてもらえないかな?」と頼まれたとしましょう。


分かりやすく言えば、試験前の学生、月末の営業マンなら、大抵の人が「忙しい」と断るでしょう。「すまないけど、今は試験勉強(営業)で忙しいから、時間が空いた時にしてくれ」と言って。

ほとんどの人は、こうして多忙な時に「自分の作業」を優先することで、予定を守り、必要な時間を確保して、さらに作業が進めやすくなった、と思い込みます。


しかし、いつも直前で忙しく、終えても何ら努力に見合った成果が得られないのは、実にこの「誤った考え方」に原因があるのです。つまり、「忙しい時に自分を優先する人は、最も能率が悪くなる」というわけです。

この逆説めいた原理を解明すると、以下のようになります。「忙しい時」というのは、主観的には「他のことを考えられない時」、客観的には「時間的に余裕がない時」だと言えます。


そういう時に「頼み事」、つまり「想定外の案件」が来ると、多くの人が「自分の作業」と比較して重要度を判断し、断ります。

この「自分にとって、どれくらい重要か」という考え方こそが、人生に失敗と貧乏、報われない努力と時間の垂れ流しをもたらす「ガン細胞」に他なりません。


こういう人は「それをやってあげて、自分に何かメリットがあるか」と狭い視野で考えるからこそ、このように誤った判断を下してしまい、自分を永遠に忙しくするわけです。断られた人は、落胆するでしょう。


同時に、過小評価され、後回しにされた自分の惨めさを思って、断った友達への期待を今までより「格下げ」し、その人の優先順位を下げるでしょう。

なぜ、その頼み事を「相手にとって、どれくらい重要か」と考えてあげないのでしょうか。自分が忙しくても、相手の立場に立つわずかな心の余裕さえあれば



「友達はもっと大変で、この作業の成否が将来に大きな影響があるようだ。それに比べて自分は試験勉強だから、睡眠時間を削ればできる。よし、助けよう!」と、健全な判断ができるはずです。


そして、自分が忙しくても「友達の作業」を優先して協力する寛大さ、忍耐力を持った人こそ、自分の人生により多くの人々の努力と知恵を結集し、「巨大な金魚」に成長していくわけです。


考えてもみて下さい。その人が忙しいのは、傍から見ていても分かります。それでも大変だからお願いしたら、「よし、分かった。何をしたらいい?」と時間を空けてくれたのです。


友として、「友達の心の中で重要な地位を占めている」と実感できる、これほど嬉しい瞬間が他にあるでしょうか。

「本当にすまない。今度何かあった時は真っ先に協力する。おまえのためならすぐに駆けつけるから、絶対に恩返しさせてくれ」と思う人が一人、また一人と増えてくれば、その数は加速度的に増加し、自己増殖する「人脈」となって、あなたを永遠に助け続けるでしょう。


だから、一人では到底叶えられないような大きな作業、巨大な事業が、そういう人にだけは可能になるわけです。「すまないけど忙しい」と自分を優先した人は、実は、「周囲から最下位にランク付けされるような言動」を、自ら進んで積み重ねているとも言えます。

そういう考え方の人は、社会ではいつも忙しそうですが、収入や人脈は超・低空飛行です。忙しさにも、質やランクがあるんですね。


だから、どんなに忙しい時でも、決して価値ある協力はもたらされず、その人は永遠に「貧乏ヒマなし」の人生を送ることになります。自分を優先する者に、勝利や成功などありえません。勝つのはいつも、「自分が特別」ではなく、「相手を特別」にできる人だけです。スピーチ塾でも説明した「コミュニケーションの鉄則」で、これこそまさに、フィードバック・ループです。

学生がどんな状態で訪れようと、社会が放っておかない人材に育て上げることこそ、FUNの使命です。受かり方など、僕も知りません。しかし、どういう人間が通用し、成長するかなら、ちょっと先に社会に出て、見てきました。

FUN
部員の皆さん、および賢明な学生の皆さん!人生に「たった一人で達成できること」など、貯金かダイエットくらいしかありません。それも大切かもしれませんが、達成しても一人でしか喜べないことなんて、どれほどのやりがいがあるでしょうか。


忙しい時ほど、寝る間も惜しんで、友達やお世話になった人を手伝いましょう。基準はいつも、「その人にとってどれだけ大切か」を冷静に、かつ温かく見つめる「思いやり」です。

FUN
を作った安田君は、僕が創業で苦難に直面していた時期は、就職活動や試験で忙殺されていました。資本金を使い果たした僕の会社には、一学生にすら、満足に提供できる見返りもありませんでした。


でも安田君は、そんなことには一言も不平を言わず、「僕でできることがあったら、何でも言って下さい!」といつも笑顔で出社(?)してくれました。僕は心から「なんと立派な若者だろうか」と感動し、「この男のためには、何でもやってやる」という気持ちになりました。

後日、経営が軌道に乗り、安田君が就職に悩む友人を連れてきました。彼らの就職活動やエントリーシート、面接で話すことは、合理的に解釈すれば、僕にとってはどうでもいいことで、協力しても一円にもならないことばかりでした。


しかし、僕は自分との約束を守り、一人一人にお客さんと変わらない時間、熱意を注ぎ、できる限りの努力をしました。安田君はそれを見て、さらに多くの学生を連れてきて、そのフィードバック・ループが今のFUNを生み出しました。

このような循環は、4年目を迎えた今も全く変わりません。冬から春にかけて、僕はトマトジュースなしには生きられないほど多忙で、時間の感覚もないほど大変です。そんな中でも、就職相談にかける時間、熱意で学生を差別したりはしません。


しかし、その後の態度では、はっきりと差別します。「差別」と聞くとヒステリーを起こすバカ者がいますが、人生や社会には、差別が必要な時があります。僕はそういう差は、強調せずとも必要だと考えます。そうしないと、頑張った人間が泣きを見るからです。

ある学生は心から感謝し、自分の得た感動や達成をさらに拡大して後輩に伝えようと、就活以上の熱意を持って学生生活に取り組みます。反面ある学生は、忙しい時だけはペコペコしていても、内定をもらうと「忙しい」とか言って、僕や後輩、友達を裏切ります。


こういう学生は無言で消えていきますが、いずれ社会が潰すでしょう。潰されるような性格だから、潰れるに決まっています。潰れるためには、ただ「今の自分」であり続けさえすれば、大丈夫です。

「発育不全の金魚」として生きる卒業後の人生を思うと、別に恨みもありませんが、「器が小さくてかわいそうに」とは、毎年感じることです。卒業と同時に成長が止まってしまう「精神の奇形児」


人の世は冷たいものです。こんな当たり前のことすら、似通った考えと同じような世代の人間が集まる「大学」という場にいると気付かなくなるんですから、群集心理とは恐ろしいものです。自分の頭で考えないようになってしまうのが、悲劇の始まりです。

ということで、皆さんが何のために忙しいか、忙しさをどう乗り越えるかこそ、自分が作ってきた人間関係や、自分の人生観の「アウトプット」です。忙しくても助けられず、乗り越えても達成感がなく、いずれは立ち向かう気力も萎えてしまう人は、やはり、誰にも価値ある協力をしてこなかったのです。こんな人生は、寂しいですよね。

だからこそ、繰り返して強調します。忙しい時、落ち込んだ時、困難な時ほど、友達を応援し、友達に協力しましょう。地道なその態度の継続が、あなたを周囲にとって「特別な人間」にします。


4年目のFUNも、「友達を応援することで成長するサークル」、「企業の問題に共感することで学力、知力、精神力を高める学び」を継続していきましょう。「大きく、強く、優しい金魚」として成長したいと思っている学生さんは、ぜひ見学に来るといいですよ。


顧問の僕が言うのもなんですが、今年のFUNは「見る側」より「作る側」になった方が、絶対にお得です。だって、そうしたいと願う学生が続々増えているからです。M地君、有意義な質問をどうもありがとうございました。