2001年、東京移転と同時に使用されることになった「東京ヴェルディ1969」のチーム呼称ですが、この名前自体はその前年の2000年8月15日に発表されています。
この名前は唐突に発表されたものでなく、事前にサポーターにアンケートを取り、了承を取ってから正式発表と言う形を取りました。当時のフロントはそれだけクラブにとって、チーム呼称変更が大切で意味のあることと考えていたのでしょう。
この「東京ヴェルディ1969」と言うチーム呼称を考え付いたのは、当時のヴェルディ社長、坂田信久さんでした(現国士舘大学教授、Jリーグマッチコミッショナー)。
坂田さんは日本テレビ在籍時代、高校サッカー、トヨタカップ、そして箱根駅伝の中継を手がけた「伝説のスポーツプロデューサー」と呼ばれた方です。そしてヴェルディを解散の危機から救ってくれた社長。
坂田さんの経歴・功績についてはこちら もご参照ください。
坂田さんは1969年読売サッカークラブ誕生時にも関わり、そして読売クラブ第一期生の選手としても活躍されました。そのためクラブの誕生した年、1969年には特に思い入れが強かったのでしょう。
ヴェルディ川崎の呼称変更ならヴェルディ東京か東京ヴェルディが妥当と思われる中、この坂田さんだからこそクラブの歴史を刻む「東京ヴェルディ1969」と言う名前が考え出されたものと思われます。
実は東京移転時、「ヴェルディ」と言う名前と「緑のチームカラー」自体変えてしまおうと言う意見があったのも事実です。私は実際そう言うアンケートも受けました。もちろん反対多数で否決。
今にして思えば、そう言う意見を封じ込むため、坂田さんはあえてこう言うアンケートを実施したのではないでしょうか?
初めて「東京ヴェルディ1969」と言う名前を聞かされた時、ビビっと来るものが感じられました。
他のすべてのチームが「愛称+地域名(もしくはその逆)」の中、愛称のないFC東京の誕生は発表当時(1997年)かなりインパクトがあったと記憶しています。しかし数字の入るこの東京ヴェルディ1969はそれをはるかに上回る衝撃があったと思います。1860ミュンヘンやシャルケ04を彷彿させる素晴らしい名前…。
都並さんがユースのコーチに就任した直後(2001年)のインタビューでも、「自分達が築いてきたクラブの歴史を刻むチーム名になったことは本当に嬉しい」と語っていました。
他の実業団チームは、プロ化時点でそれまでの歴史はすべてリセットされたと考えているようですが、読売クラブ=ヴェルディは、JSL時代から読売ランドを本拠とする緑のクラブと言うことは何も変わっていない。それを刻むのが1969と言う数字なのでしょう。
もうクラブを去った人だから、現経営陣はもう関係ないと考えた、とは思いたくないが…。
海江田哲朗さんが現在「東京ヴェルディ1969の初心」と言うテーマで記事を執筆中。その際坂田さんに取材する機会があり、ご自身がつけた「1969」が外されたことにがっかりしてるかと思いきや、意外にさっぱりしていたとか(詳細 )。しかし心の底はいかばかりだったのでしょうか…?
せっかくクラブの先人が遺してくれたもの、もっと大切にしてもらいたいものです。