ここでは、我がクラブの正式チーム名「FCニッポン」について語ります。

Jリーグ33クラブ中、唯一親会社名を名乗り、かつほとんどのヴェルディサポにその存在を認知すらされていない、そして他サポの嘲笑の的になる、この珍妙な名前ついて。


この名前が付いた経緯を述べる前に、まず読売クラブ→ヴェルディの名前の変遷について説明します。

1969年に誕生した読売サッカークラブ、通称読売クラブ

日本サッカーリーグ時代は読売ウィングスと言う愛称もありましたが、正直それほど馴染みのあった名前ではなかったと記憶しております。


Jリーグ開幕に合わせ1991年10月、読売クラブはそれまでの任意団体から株式会社化されます。

読売新聞社49%、日本テレビ放送網49%、よみうりランド2%と言う資本構成で。

会社名は日本テレビの日本も加え「株式会社読売日本サッカークラブ」となります。

同時にチーム名も読売サッカークラブから「読売日本サッカークラブ」(英文表記「YOMIURI NIPPON FC」)と変更になりました。

そして翌1992年、愛称を「ヴェルディ」と名付けます。親会社的には「読売ヴェルディ」と呼ばせたかったのですが、川淵チェアマンはそれを認めず「ヴェルディ川崎」と表記するよう各メディアに通達を出します。その時ナベツネとカワブチが深く対立したのは有名な話。


Jリーグでは、J入会時の1991年から5年後には親会社名を外すよう、各クラブに通達を出していました。そしてその5年経った1996年、それを実行するよう各クラブに求めます。この時前回のエントリーで紹介したように、浦和、市原、横浜M、G大阪、柏はそれに従い親会社名を外しますが、読売と全日空は反発、結局通常使う名前を「呼称」として制度化し、「読売」はチーム名に残ることになります。

(「チーム名」が「読売日本サッカークラブ」、「呼称」が「ヴェルディ川崎」となります)


ただ、「読売」に関しては、親会社の意向だけでなく、古くからのサポは親会社名でなく固有のクラブ名として「読売」と言う名前に愛着があったことも事実です。

ラモスの「『読売を愛している」と言う発言は、もちろん親会社の読売新聞や、読売グループを指すのでなく、日本初の本格的クラブチーム「読売クラブ」を指しているのは明白でしょう。


そしてその読売新聞が資本撤退が発表されたのが1998年10月。翌1999年2月から、会社名は「株式会社日本テレビフットボールクラブ」と変更になります。

この時、チーム名も「ヴェルディ川崎」になると思いきや、親会社はナベツネの意向を汲んで意地でも企業名を外しませんでした。読売日本FCから読売が消えれば、(日本テレビの)日本FCかFC日本だ、と言い出します。しかしそれではまるで日本代表だ、と言う事でJリーグは却下、カタカナ表記の「FCニッポン」となりました。

FCニッポンと言う珍妙な名前はこうして生まれたのです。


はっきり言ってしまえば、「FCニッポン」はナベツネの亡霊とも言える存在です。こんなものを正式チーム名に残して、さらに「東京」も「ヴェルディ」も正式名にしない、どう考えても異常なことであり、Jリーグの理念に反することです。


FCニッポンを放置しておくと言うことは、ある日突然「チーム名を日テレヴェルディに変えますんで」とクラブ幹部に言わせてしまう余地を残すことになりかねません。

事実、萩原会長は2007年4月発売の「経済界」と言う雑誌で「中日ドラゴンズだって親会社名を名乗っても名古屋に密着している。日テレヴェルディで何が悪い」と言う旨の発言をしているのですから。


本当に地域に根ざしたクラブつくりを目指すなら、この「FCニッポン」を一刻も早く廃し、チーム名を「東京ヴェルディ1969」とを変えるべきではないでしょうか?

呼称を簡単に「東京ヴェルディ」に変更するのに、チーム名の「FCニッポン」は変えられない、それでチームの再出発とは理にかなったこととはとても言えないと思います。