「肉腫のお話」セミナーで思ったこと | なえニャンの笑顔で♡子宮がん肉腫 トービョー日記

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子宮がん肉腫、脊髄梗塞となり、現在経過観察中です。
これからも、人生何があるかわかりませんが、
この身に起こることはすべて受け止める!
最後はきっとHappyと信じています♡
ちょっぴりスピリチュアル。
言葉に想いをこめて・・・。
どうぞ、よろしくお願いします♪

 

 

この記事は、

8月19日(土)

国際医療福祉大学三田病院で

第 65回 健康セミナーとして開かれた

高橋克仁先生のセミナーのレポート1~9の

序文として書いたものです。

 

後日、私のとてもお恥ずかしい理由で(『お詫び と 戒め』

レポート本文とも、非公開としましたが、

これだけは残しておきたいと思い、

タイトルを変更して、復活させました。

申し訳ありませんでした。

(2017年11月24日)

 

 

 

8月19日(土)

国際医療福祉大学三田病院

第 65回 健康セミナー
『知っているようで知らない肉腫のお話

 -見えてきた治療への手がかり- 』

 

「セミナーのお知らせ」の内容から

 

 肉腫は、古くは「愛と死を見つめて」(マコとミコの往復書簡、大和書房、河野 實著、1963年)や「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」(祥伝社、井村和清著、1980年)の主人公の病気として、多くの涙を誘いました。現代の医学でも診療体制すら確立していないため、難治がんの「代名詞」と呼ばれています。
 癌(肺がん、乳がん、大腸がん、胃がん、肝臓がんなど)が外部環境と接する細胞(上皮細胞)から発生するのに対して、筋肉や脂肪、血管、神経、骨組織などの体の内部にある細胞が悪性化したもので、患者数が癌の2%と少なく「希がん」とも呼ばれています。
 本セミナーでは、医療者と患者様・ご家族が一体となって進めきた肉腫センター設立までの歩みから、症状など病気の一般的な知識、専門医による診断と治療、解析が進む最先端のゲノム医療まで、肉腫を「まるごと」お話します。

 

演者 高橋 克仁 (たかはし かつひと)  医師
 肉腫センター長
 国際医療福祉大学病院教授
愛媛大学卒、医学博士
日本内科学会認定内科医
日本肉腫学会理事長 
厚生労働省「第4回希少がん医療・支援のあり方に

関する検討会」参考人

 

場所:国際医療福祉大学三田病院 11階 三田ホール

 

 

 

ここまでの高橋先生、他

協力くださった先生方のご尽力、

患者の方々、ご家族の方々の願いが形となった

日本初の「独立した診療科としての肉腫センター」

 

同病の先輩方、先に旅立たれた方々、ご家族の想い・・・

とても及ぶものではありませんが、

私もこの「肉腫センター」設立の、同じ時を共有出来ましたことに

感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

私は2年前、肉腫とわかった時、情報を探しましたが、

「Cure Sarucoma」に辿り着くだけでも大変時間がかかりました。

 

 

高橋先生の存在を知ったのは、ある方のブログからです。

 

げんこさんのブログ 『父ちゃんが肉腫だよ』

 

2013年1月、最初に地元の病院を受診した時

ご主人の腫瘍は、もう大きくなっていました。

後でわかるのですが、脂肪肉腫でした。

当時、2人のお子さんは、2才と、まだ6ヶ月。

関西圏にお住まいです。

 

病院の対応のひどさ・・・

やっと、大学病院の紹介状をもらえるまで、1ヵ月経っていて、

その間、急激に容態が悪くなったご主人は、

救急で搬送された病院に入院することになります。

そこで初めて、恐らく99%肉腫である、と告げられ、

そして、どこの病院でも手術は出来ないと思われる、

と、緩和ケアを勧められます。

 

また、この時、

大阪に肉腫の専門の先生がいる、と、

当時高橋先生がいらした、大阪府立成人病センターの

セカンドオピニオンを勧められ、受けますが、

その担当医は、高橋先生に知らせることなく

「手術は出来ない」と、言い放ったことが後になってわかります。

 

手術も出来ず、なんの処置もなされぬまま

緩和ケアを勧められても納得できる訳がありません。

げんこさんは、治療法はないものかと模索します。

 

ご友人の力添えで、

治療してくれる東京の病院がみつかりました。

しかし、入院している病院は連携してくれません。

東京の病院から紹介され、大阪の病院に転院します。

それも、げんこさんの挫けぬ想いがなければ

叶わなかったものでした。

 

1回目の治療は、

東京の病院の院長先生が大阪まで来てくださり、

ご主人の容態も改善され、

2回目の治療で大きな効果が出るといわれていました。

しかし、治療に前向きだった院長先生と、

大阪の病院の先生の対応はまったく違いました。

腫瘍自体は小さくなっていない、改善の見込みはないと

再び緩和ケアを勧められます。

2回目の治療では、治療薬がない、

東京の病院から取り寄せることも出来ない、

個人輸入して欲しい、とまで言われてしまいます。

 

この、大阪の病院での入院生活が2ヶ月間。

初診から、何度も、

希望が見えたと思えば、絶望に引き落とされ、

そこからまた、何度も、げんこさんが奮起できたのは

ご主人の、諦めたくない、という強い気持ちがあったからでした。

 

 

そのあと、高橋先生と出会えたのは、

私には、本当に奇跡のように思えました。

 

げんこさんの必死の想いが、

もう一度、高橋先生に連絡を取る決意をさせ、

今度は病院にではなく、

キュアサルコーマのサイトからメールを送りました。

 

すぐに、高橋先生からの返信があり、

その時、セカンドオピニオンの時の事情を知ります。

すぐにデータ、標本を送り、診察までは日にちが要しましたが、

その間も、げんこさんは奔走し、

苦汁の日々も、成人病センターでの治療に希望を抱いていました。

 

診察の前日に、ご主人の状態を確認する

高橋先生からの電話があった時、

私は、「こんな先生がいるんだ!」と、感激しましたが、

診察の日を前にした、げんこさんの、

「早くこの日が来て欲しかったけど、怖くもある。」

という言葉は、とても重いものでした。

 

そして、やっと高橋先生にお会い出来て、

初めてのPETCTを撮り、病状を知り、

手術してもらえる病院を手配してもらえた時、

すでに初診から、5ヶ月も経っていました。

 

この時点でのご主人の病状で、手術できるのは、

東京の2つの病院しかない、ということで、

この時、高橋先生が連携体制をとっておられた、

「サルコーマボード」にある、新山手病院かと思いますが、

ご友人の力を借り、なんとか転院します。

 

その5ヵ月後の10月15日・・・、

ご主人とげんこさんの、

自宅での生活を取り戻したい!という願いは、

叶うことなく、入院生活の終わりを迎えます。

 

 

私は、自宅にお子さんたちを残したまま、

とても辛い闘病をなさったご主人から、

そして、遠い病院でご主人を支えたげんこさんが、

ブログを書き続け、残してくださったことで、

多くのことを学び、救われました。

 

 

そして、高橋先生という、

肉腫専門のお医者さまがいらっしゃるのだ、ということ。

 

先がまったく見えなかった時から、もちろん今でも、

高橋先生の存在は、希望の光です。

 

また同時に、

病院には治療のための横のつながりがないのだ

と、いう想いが強く残ったのでした。

 

 

この「セミナーのお知らせ」にある、「愛と死をみつめて」は、

吉永小百合、浜田光夫主演の映画で有名ですが、

私は、昔の「懐かしのメロディー」のような番組で、

『まこ・・・

甘えてばかりでごめんネ

みこはとっても倖せなの』

という歌詞の歌で知っていただけで、

その病気が肉腫だとは知りませんでした。

 

セミナーで、高橋先生がこの映画を取り上げたのは、

往復書簡を書かれた、「みこ」こと、大島みち子さんが、

16才で発病した55年前から、現在まで、

肉腫の基本的な状況が、何も変わっていない、

ということを、強く感じていらしたからでした。

 

 

高橋先生は、2009年に、「サルコーマセンター」を立ち上げ

全国に連携病院を広げていくことに力を尽くされていましたが、

げんこさんのご主人のように、2013年の時点でも、

一般の病院での情報共有はされておらず、

そして、現在でも、患者から求めない限り、

高橋先生の診断を仰ぐことは出来ません。

 

 

55年、それよりもずっと前から・・・

 

現在のデータでは、

毎年、5000人もの方が発症しているそうです。

 

これはデータに上がって来たものだけで、

それ以外にも、もっと患者さんがいらっしゃる、

と、仰った高橋先生の言葉が、胸を突きました。

 

セミナーに参加して、一番強く感じたのは、

高橋先生の、

げんこさんやげんこさんのご主人のような

今まで関わってきた患者さんやご家族、

関わることの叶わなかった患者さんやご家族への想いです。

 

 

この肉腫センターの設立は、決してゴールではなく、

これからの未来へと続くものだと感じています。

 

本当に多くの方々の想いが実を結び、

これからの新しい医療・診療体制の構築の

幕開けとなりますことを、願い、

心から、高橋先生へ、感謝申し上げたいと思います。

 

高橋先生、本当にありがとうございますキラキラドキドキ

 

 

そして、

高橋先生だけでなく、協力いただいた多くの先生方、

キュアサルコーマの前身の患者会設立メンバーの方々、

すべての患者さん、ご家族の皆さん、

本当にありがとうございますキラキラドキドキ

 

 

 

 

 

 

ブログ内容の掲載を許してくれたげんこさん、父ちゃん、

本当に、ありがとうキラキラニコニコドキドキ

今、この時を迎えることが出来たのは、

父ちゃんや、

多くの旅立たれた方々の後押しがあったからだと信じていますキラキラ

 

 

 

 

『国際医療福祉大学三田病院 肉腫センター』

『国際医療福祉大学三田病院 肉腫専門ゲノム外来』

『Cure Sarcoma これまでの歩み』

『サルコーマセンター 設立の経緯』

『キュアサルコーマボード』

 


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