電力が足りないんだってさ。
ちょうどいいじゃない。
永遠に足りない状態にしとこうよ、電力。
日本全国、一律に足りなくなるのがいい。
そうすれば、少しはマシな国に変われるんじゃないかな。
「便利すぎないとがまんできない」
「快適すぎることこそ進歩」
アホの思想だよ。
足るを知らなきゃ。
現代の日本人に本当に足りないのは、電力じゃなく、辛抱でしょ。
これを機会に、あさましい考え方は捨てるべきだよ。
さほど電力が減ったところで、果たして「不便!」と言えるほどの不便が生じるなんて思えないよ。
ちょうどいいかげん、ってラインを、今あるものでまかなおうよ。
それこそ、わびさびにつながるすばらしい思想じゃないの。(あったりまえの自然思想だけどね)
だけど、それによって活動を、活力を減退させちゃだめさ。
それでもなお、今まで通りに普通の生活をしてみせようよ。
克服ってのは、そういうことさ。
がまんしつつ、素知らぬふりでいつもの生活に戻るんだ。
そして、こんなときこそ、陶芸をしなきゃね。
「マインドの冷え込み」なんて抽象的で醜悪なものに飲み込まれちゃだめさ。

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Y新聞が、「一万五千円分の商品券をつけるから、半年でいいんで取ってくれ」とカクチョー(訪問契約)にきました。
ネット系メディアの勃興に加えてこの不景気で、新聞各社のパイ争奪も大変なことになってるようで。
あるいは、昨今の悪いニュースを知りたくない、というネガティブなマインドも影響して、読み手が減ってるのかも。
それにしても、諭吉さんを一枚半とは、大きく出てます。
だけど残念ながらわが家では、Y紙に対しては、「思想的に相容れないものがある」という断り方をしてます。
社主が醜悪で、どうしても愛せない、って理由もありますが。
それでも、各紙を読み比べたい気持ちはあります。
Yはもちろんコンサバティブで体制寄り(おっと、右系の野党勢力寄り、だっけ)だし、Aのほうはリベラルで、どこかの党のように言論に責任感が希薄。
並べて同じ事案の記事を読むと、視点が極端に違ってて面白いです。
率直な言い方をすれば、伝え方ってのは、書く人物の意図次第(つまり、世論をどう誘導したいか)なんだな、ってことが、読み比べると顕著にわかって、実に興味深いのです。
単純な例を挙げれば、イチロー押しのA紙が「イチロー、4打数2安打1盗塁の活躍」と書いた同じ試合の結果が、アンチのY紙では「イチロー、足で内野安打2つ稼ぐも、ふたつ盗塁を試みて一回憤死」という報道になる。
同様に、G球団を持つY紙が「松井、復調の本塁打」と書いても、A紙は「松井、ソロを放つも、チャンスで凡打。大敗」となる。
二紙を読み比べることによって、はじめてひとつの事象が立体的に見えるわけです。
同じ調子で、今回の原発事故を二紙がどう報道してるのかを比べ読んでみたいものです。
ちなみにAは、脱原発を鮮明にしてるんだけど、Yってどんな態度なんです?
J党の一部が早々に推進を打ち出してるし、追随するのかな?
どちらにしろ、なぜだか必ずY紙はぼくの信条の裏を張ってくれるので、その報道は逆説的に自分の行動指針のバロメーターになります。
だけど言いたいのはそんなことじゃなくて、「物事は多面的に見て(つまりいろんな意見を比べ読んで勘案して)、その末に主観としての意見を構築しようよ、ってことです。
一方からの意見だけを取り込むんじゃ、考え方が偏っちゃうもんね。
「誘導」という名のまじないにかかる危険もありますし。
やっぱし、複数の視点からの多様な意見は必要なのです。
そして、どんだけネットが発展しても、新聞は必要です。
いちばんじっくりと、深く、厚く考察できる媒体だと思うんですよ。

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ピアノの練習を(たま~に)してます。
楽譜が読めないんで、音を聴いてはコードを探し、さいあくユーチューブで映像を見て鍵盤の位置を探り、探り出しては特殊な方法で譜面に書き付け、実際に反復して、指に覚え込ませる方法をとってます。
で、↓今いちばん聴き込んでるやつ。
River man
このメドベージェフに似たおっさんの、ナルシズムと隣り合わせのリリシズム、っつの?これにハマってまして。
左手で正確にリズムとコードを刻みつつ、メロディラインをつむぐ右手のタメがハンパなくケレン味を出してます。
縦軸と横軸の綾ってのはこうして織り成されるものなのだ、ってのが端的かつ究極的に理解できます。
それにしても、右手と左手でオーケストラの楽感を構成するのがピアノって楽器の特色ですが、こんなにも別々のパートを、あるいはへだたった音づくりと言っていい作業を、同時にやってのける(しかもアドリブで)、その頭の中をのぞいてみたいです。
ああ、後世ではピアニストになりたい。
現世でも努力してみろ、って話ですが、ピアノを前に「いよいよ」ってむつかしい作業に入ると、頭が煮え立ってくるんだよね・・・
だから、おいしいとこだけ練習してます。
そこまでの人間よ。

気に入ってくれたひとは、↓こっちも聴いてみて。
The Falcon Will Fly Again
ああ、ピアノの音を聴いてるときがいちばんしあわせ。

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ウソをつきつづけると、いつかきっとバレるんだ。
バレれば、こっぴどい目に遭うことを覚悟しなきゃいけない。
それにしても、こんなにも劇的なバレ方をするウソって、空前にして絶後だよ。
この国のみんなが怒ってるのは、その点だと思うんだ。
政府の処置のつたなさでもなく、企業の誠意のなさでもなく、彼らが今までよってたかってウソをつきつづけてきたってことこそが、深刻に怒りを買ったんだ。
原発はやばいものだったんだ。
それがわかった、ってことだけは、今回の原発事故の収穫さ。
ところが。
またまだやばいのさ。
「安定してる」なんて、ウソなんだよ。
どれだけやばいことが今もなお進行しつつあって、日々悪化の一途をたどってるかってことが、どれだけの国民に理解されてるんだろう?
このウソがバレないことを祈りつつ。
そして、ついに最後までバレないで、事が収束してくれることを祈りつつ。

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昨日の続きかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。
ヤク中のジャン・コクトーは、人間とはなにか?という本質的な問いに、短い書き物でこういう答えを出してるよ。

「きみ、そんなにアヘンばかり吸ってて、あきれたもんだ。そんなふうに生きるくらいなら、窓から飛び降りたほうがマシなんじゃないか?」
「はは。そんなことをしたってしょうがないよ。ぼくは飛び降りても死なないからね」
「なにを言ってるんだ。窓からからだを投げたとたんに、きみは真下の道路にぺしゃんこになって死んでしまうよ」
「いや、からだはぺしゃんこになっても、ぼくはその後からゆっくりと降りていくから平気なのさ」

魂と肉体の在処を端的に説明してないかな?
してない?
あ、そう?

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「動的平衡」って本を読んでるんだけど、実にまったく面白い!(へんな日本語)
タイトルからしてむつかしい言葉だけど、これは要するに、「ゆく河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」ってやつを、真性物理学で表現した造語らしい。
ぼくの中のすべての細胞は、日々生まれ、日々滅形してく。
つまり、ひと月もすれば、ぼくはまったく新しく生まれ変わってるわけさ。
完全なサラになってるの。
よく考えると、ほんとに不思議なことだよ。
ぼくの体重は70キロ程度だけど、ぼくはひと月に70キロのダイエットをしつつ、70キロのリバウンドをしてるんだ。
ひと月前にぼくの中に存在した細胞は、今、ぼくの中にはいっこもない。
つまり「ぼく」とは、物質の塊であることはおろか、容器でさえなくて、ただ「情報を伝達する機能」があるきりなんだ。
もっと唯物的に言えば、この世の中にある物質の流れの、ぼくは一時のよどみに過ぎないんだ。
物質はぼくの中でしばし留まり、そして出てく。
ぼくという存在(魂、と言い換えてもいい)がこの世からいなくなると、物質はぼくの中に留まってられなくなり、つまり、肉体自体が崩壊する。
実にすとんと腑に落ちる解釈ではないの。
しかも、これを「遺伝子」って目線から見てみると、人類全体が、生物全体が、宇宙全体が、全体意思でもって一方向に動いてるってのがわかってくる。
受胎時に親から子へ受け継がれるのは、実は物質じゃなく、周囲から物質を集めて形とする能力なんだ。
情報だけが、子々孫々、連綿と伝達されてくんだ。
人間に、形はないわけ。
このへんはちょっとむつかしいから、も少し自分の頭の中で整頓してみたいんだけど、実にぼくは興奮してるのだ。
子供の頃からこんなことばかりを考えてきたんだけど、いよいよその画的なイメージっつか、パラダイムががおぼろげに見えてきた気がするんだな。
そして、けっこうみんなこんなことを考えてるんだねえ。

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梅原猛さんが、今回の震災を、自然災でも人災でもなく「文明災」としてるけど、達見だと思う。
なるほどなあ。
取っ掛かりは大きなプレートがずれたことによる自然災害だとしても、その後に起きたことは、もっと想定されてしかるべきだったんじゃないかな。
何年かに一度、津波がくることはわかってたわけなんだけど、今じゃない、とたかをくくってた点は否めないし、悔やまれる。
さらにそれにつづく原発事故に至っては、何をか言わんや。
それに関して、新聞にもうひとつ、得心のいく論点を見つけた。
それは、「想定してなかったなんてウソ」というものだ。
すなわち、原発を誘致して受け入れる地域側は、国からとてつもないお金を受け取ってたわけなんだけど、それってリスクの対価、すなわち、この事態を見越しての迷惑料だったわけ。
言えば、「いちかばちか」それを請け合ってでもふところを潤したいという損得勘定が働き、建設は着工された。
国側としても、なぜ人口の密集する都心でなく、遠大な送電設備というコストをかけてまで田んぼのひろがる過疎地に原発を建てるかといえば、それが恐ろしくやばいシロモノだということを自覚してるからに他ならない。
本当に安全と信じきるなら、よく言われるように、原発は東京湾岸につくられるべきなのだ。
そうしないのは、この事態が予測され、最大の被害リスクを避けるためだった。
全部を知っててあえてそれを押し進めたとすれば、こんなにも深い罪ってあるだろうか?
「文明災」ってのは、的を射た表現だと思う。

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地震速報で「福島浜通り、震度ナントカ」とか出ると、心臓が張り裂けそうになるよ。
その場所で汗流してるひとのこと思うと。
つか、なんてひっきりなしなの。
恐ろしい。
つか、そこで作業するひとたちの、なんて尊い意志なの。
戦後現代社会で、こんなにも過酷な目に遭ったひとっている?
壊れた原発で、いつ何事が起こるかわからん地盤上で、いつ崩壊するかわからん建て屋で、いつ破裂するかわからん容器を相手に、放射能まみれになって世の人々のために働いてるひとたち。(そして特筆すべきは、彼らもまた被災者だってこと!)
この遠い地で、得体の知れないものに意味もわからずおびえて毎日を縮こまって過ごし、被害者意識にひたって、バカな指導者をバカ呼ばわりして溜飲をさげてる自分が嫌になるよ。
それにしても、と思う。
自然は容赦ないし、文明に対して本気で挑みかかってきた。
それに比して、人間はなんて自然をなめてきたの?
甘すぎる。
お金がなによりいちばん好きだった社会が、そのために自然を侮ってきた社会が、今こんな目に遭って、なんの不思議もない。
「原子力」なんて、もう使うべきじゃない。
これはね、人間には絶対にコントロールできない技術なんだ。
「いや、ちがう」というひとは、工房で議論しよう。
ただそれは、ちゃんとしっかり原子力のことを勉強してからにしてほしい。
アホみたいなのんきさんを相手に、本物の論拠を出して叩きつぶすのはバカバカしいから。
プルトニウム1グラムで何十億人を殺すことができるのか、とか、それを日本は何十トン(ほとんど必要ないのに、うっかり契約しちゃった分)所有してるのか、とか、高速増殖でそれがどんな具合に増幅してくのか、とか、使用後のそれをいったい何万年管理しつづければあっぱれ半減期を迎えられるのか、とか、それがどれだけやばいことで、どれだけの国が怖じ気づいて使用を断念したのか、とか、そもそも原子力発電所ってのは神戸大震災の何分の一の強度しか持ってないのか、とか、ちゃんとデータを突き合わせよう。
その上で、「それでも原子力でいくべきだ」というひととだけ、ぼくは議論しようと思う。
ぼくらは例の「自分も原子力の恩恵を受けてるくせに」の奇妙な論理のもとに言論を封殺されてきたわけだけど、逆にそのひとたちにはこう言いたいよ。
「この事故のリスクをもう一度負ってでもつづけたいか?」と。
これは特殊なケースであって、もう二度とこんな事態は起きない、というのは、愚かな論法だよ。
ミサイルが数発あれば、この事態は簡単に再現できるんだ。
テロリストの間では、この最も効率的に相手国を破壊できる方法論は、古典的でさえあるんだ。
断言するが、可能性があるかぎり、必ずそれは起きる。
起こすことができるのだから、それは起こされるにちがいないのだ。
こたびの原発事故の処理がひと区切りつくまでは、この議論は表に出ないはずだった。
反原発派が、被災者に配慮して、本物の「リアルな」「シリアスな」怖い話しをしないからね。
だけど、言わずにいられなかったから、言っちゃったよ。
もう原発はやめよう。
無理だって。
「じゃ、足りない電力はどうするんだ?」というやつが必ず出てくるが、アホですわ。
足るを知れ、と言いたい。
原子力を補って余りあるものが、原始の力だ。

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さて、4月1日には毎年ブログでウソをついてるわけだけど、今年もみなさんに脱力してもらおうかな。
これからのたまうことは、全部ウソだと思ってほしい。
本気に受け取ってもらっては困るので、そこんところをよろしくお願いしたい。
うちのよめはんは、ほんとにいいひとなんだ。
オレがこの現世で引けたいちばんの当たりクジと言える。
かれこれ20年もつき合ってるけど、飽きがくるということがない。
いついてもたのしいし、どれだけ話しつづけても話題が尽きるということがない。
よめはんは無口に見えるけど(見えないか)、とてつもなくよくしゃべるひとだ。
「なんか面白い話しして」とムチャを振っても、ネタを無尽蔵に持ってるので、すぐさま用意して、そして「やめてよし」というまで話しつづけてくれる。
話法の天才だと思う。
内容はたわいのないものだけど、毒気がなく、トーンが丸いので、うっとりと聴き入らされる。
そんな彼女は、終電まで働きづめに働いて、へとへとのからだで毎夜、午前1時半近くに帰ってくる。
ところが帰り着くと、「ごめんね、おそくなって」などと殊勝なことを言う。
ひとのことばかりを考えてる。
粗末なメシを与えても、つねに「ありがとう」「おいしい」と言ってくれる。
よめはんは小食で、たちまち食事をすませてしまうのだが、オレは酒を飲みながらだらだらと長々と食べつづける。
その間、それが作法だとでも思ってるのか、読みたい本も新聞も開かず、横で「今日の出来事」を聞かせてくれる。
で、オレがついに食べ終わると、後片付けをし、新聞を読みはじめる。
そうして読みつつ、ことりと眠りこけてしまう。
あぐらをかいて座ったままの姿で。
いつも限界まで疲れ果て、いつもゴリゴリに凝り固まった肩を背負ってる。
このひとの眠りは、気絶に近い。
気を失ったときだけが、気の張りから解かれた状態になるのかもしれない。
ポカポカカーペットに横にしてやると「しあわせだ」などと口ごもって言う。
なのに頭の中は仕事のことでいっぱいになってるので、寝言で「かいぎ、うちあわせ・・・」とか「昨対比120・・・」とか「カップ&ソーサ-1600円で・・・」などとつぶやいてる。
たまに、どういうわけか「特約マックスつけてください・・・」などとも言う。
どんな夢を見てるのか。
オレは根っからのエピキュリアンなのだが、よめはんは禁欲的哲学によって自分の人生を導こうとする。
それでも両者にまったく対立という事態が起きないのは、すべてよめはんの聡明さのなせるワザだと思う。
ダンナが、マンガを描く、と言いだそうが、陶芸家になる、と言いだそうが、小説家になる、と言いだそうが、「そうですか」と相づちを打ち、一切を吸収してしまう。
「宇宙飛行士になりたい」と言いだしても、同じ反応をするにちがいない。
相手のことを信じきってる。
驚くべき自然体。
ひとの悪口は決して言わないが、社会の理不尽に対しては堅固な意志を持ち、信ずるところに忠実に行動する。
葬式に遅刻してきた坊さんを親戚一同の前で一喝するし、集団で痴漢行為をはたらく卑劣漢を見つければ、相手が何人であろうと食ってかかっていく。
電車内でエロ画像を見てるオヤジの携帯を叩き落としもするし、寿司屋でタバコの煙が漂ってくれば、メニューをあおいで煙を押し返しもする。
自分の倫理観に照らした「悪」を絶対に許さない。
なのに万人に対して寛容で、自己犠牲のもとに博愛を振りまき、惜しむことを知らない。
野心のない純粋な情熱をみなぎらせつつ、水に花を流すように気負いなく振る舞う姿には、つくづくと感心させられる。
顔の造作は特別に整ってるとは思えないが、その豊かな表情はしみじみと味わい深い。
風呂にはふたり一緒に入るわけだが、鶏ガラのような肢体についたおっぱいの形の美しいことこの上ない。
今年40になったが、肉体も精神もまったく老いることを知らないのは、みずみずしい感性のおかげにちがいない。
素直さは才人の第一の要素だが、それが生まれつきに備わってる。
こんなにも無垢に笑うひとを見たことがない。
それが清潔な心の現れであることは疑いがない。
この世の中で、最も美しいひとだと思う。
小さくてか細いのに、しなやかで、強い。
よくこんな拾い物を見つけたものだと、ほとほと自分の眼力に恐れ入る。
よめはん、万歳。
さて、思いつくままにウソをついてみたが、こんなところか。
4月1日だからと思って、調子にのって長々と書き連ねてしまった。
ウソをつきすぎだろうか?
ま、一年に一度のことだから、これくらいやってもバチはあたるまい。
とにかく、ここに書き出したすべてがウソなので、うっかりと本気に取らないように。
4月1日の、なんと便利な日であることか。

画面左がよめはんです(ウソ)。

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むかしむかしの話です。
エピメテウスとプロメテウスって兄弟の神様がいたのです。
エピメテウスはいろんな動物を創出し、ヘビには鋭い牙、とか、クマには強い爪、とか、鹿には速い脚、とか、一種につき一個の利点を与えました。
で、最後に人間をつくったわけですが、もう与えるべきものがなにも残ってない。
んじゃ、ってんで、兄弟のプロメテウスが天にのぼって、火を盗み出してきました。
それをうっかりと人間に与えた結果、ま、現状、こんな具合になってるわけですが。
使い方、ですかね。
ちなみに人間に火を与えたプロメテウスは、ゼウスの怒りを買って、ハゲタカの丘に縛られ、肝臓をついばまれるハメになりました。
プロメテウスの肝臓ってのはひどく丈夫にできてて、食われても食われても再生するんで、おかげでいつまでも苦しまなければならないんですと。
・・・つ話を、湯川博士が本に書かれてます。
ついでに言いますなら、このノーベル賞物理学者さんは、話の示唆するところをこう解説してくれてます。
すなわち、「人間が火を使うという行為の中にはすでに、罰せられるべき要素が含まれているのだ」と。
なめたらあかん、というひと言でしょう。
自然への畏れがない者に、それを使う資格はないのだよ、と、「大きな火」の発生に加担してしまった博士は、戒めを込めて、そうおっしゃりたかったんではなかろうかと思います。
このたびの仕儀を教訓に、みんなで、これから火をどう扱えばいいのか、考える時期にきてるんじゃないでしょうか?

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