「暑い」とみんな言うけれど。
ほんとにそうか?と。
ま、暑いは暑いとは感じるけれど。
「エアコンがんがんかけっぱなしで寝る」というひとがおり。
まさか、なんで?この時期に?ひと晩中?と、ギョッとする。
わが家では、窓を開け放って眠り、家の空間に夜風を通し、扇風機はさすがに回してはいるが、朝方にはむしろ寒くなってスイッチを切る。
布団の上に横たわって大地と同一化した肌を、動く大気はやさしく撫でて冷ます。
汗なんて、たちまち揮発する。
クーラーの冷気に寄り添って眠ってる諸兄には、そよぐ朝風の心地よさを知ってみてはどうか?と言いたい。
そのヒトビトが悩まされてるのは、「暑さ」そのものでなく、「暑さの亡霊」なのでは?。
賞味期限を見てきちんと食品を捨てるバカがいるが、ちょっと待て、それを一度でも味見してみたか?と言いたい。
味見しないで捨てるのはまったくバカげた行為であり、当人は「腐ってるかも亡霊」にまんまとバカされ・・・いや、化かされるほど素直な性格の持ち主であるとはいえ、その態度はとても尊敬できるものではない。
もう少し自分の感覚を信頼してはどうか、と言いたい。
「ひとが食うなと言ったものを食わん」人間は、結局、「ひとが食えと言ったものを食う」たぐいの人間でしかない。
自分を信頼できない者が、涼やかな夜を人工的な冷気でわざわざ冷やし、健全な食べ物をなんの価値ある消化を経ることもなく廃棄するわけだ。
そうして世界の経済を盛大に回してるわけだ。
そうしておめでたい世界ができあがってるのだった。
ただ、それが永遠に続くかどうかは、オレは知らん。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
カマキリのメスは、交尾中にオスの頭を食べてしまうんだ。
・・・ってことは、知ってるよね。
なんでか知ってる?
カマキリの頭には、「抑制中枢神経」がおさまってるんだ。
やつらは脊椎の反応だけで日常を営んでるような連中だから、頭がなくなったところで、平気で生きてられるんだ。
さらに言えば、頭がなくなることによって、オスは抑制がきかなくなるわけ。
つまりメスは、より活発な性行為を求めて、オスの頭を食らっちまうわけさ。
人間とおんなしだね。

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練馬区・35度・・・
一刻もはやく、西日の入りまくるあのリビングに、すだれかカーテンをつけなければ。
さもなくば、近いうちに人死にが出そうだ。
なのに、今日はその部屋で、半日間の昼寝を試みたよ。
自分との戦いだった・・・
が、オレは勝った!
お風呂に入ろっと。
さて、すだれの件は置いといて、今年の夏は実に快適に過ごせそうだ。
なんたって、生活空間である二階の各部屋に、冷房機を完備したからね。
クーラー?そんなもん、うちにはないよ。(※工房にはございます。夏も快適にお過ごしくだされ)
扇風機を各部屋に投入したのさ。
パソコン部屋には古いのが鎮座してるし、灼熱のリビングには新しいのを入れた。
寝室には、リビングのを目いっぱい引っぱってくれば届く。
おまけに、お風呂の脱衣所にも小さなのを設置した。
どの部屋に行っても風がそよいでる、って理想の環境が実現したのさ。
これで去年みたいに、部屋を移動するたびに一台きりしかない扇風機を運んで歩く、ってわずらわしさから、完全に解放された。
ああ、すばらしいな、扇風機って。
人間はなんて便利なものを発明したんだろう。
こいつの発明者は、ちゃんとノーベル賞とかもらったのかな?
それにしても、空気が動く、ってだけで、こんなにも涼しいのはなぜなんだろう?
いいよ風は。
夜は窓を開けっぱで十分だし、「節電!」「温度管理!」と暑苦しい鼻息で日本中がヒートアップしてる意味がわかんないよ。

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引っ越してきて以来ずっと、駅前まで出かけて(つまり、人里まで下りて)、その周辺の酒場をさまよってたんだけど、ここんとこ最近は、家の近所の酒場探険をしてます。
結構、路地裏なんかに感じのいい店を見つけたりして、しまった、盲点だった、と権威主義に陥ってた自分の浅はかさを恥じ入ったりして。
民家のすき間みたいなところで丹精を込めたものを出す店や、店構えで粗野に見せかけといて実はプロフェッショナルな技量を見せる店なんかに出会ったりすると、舌を巻かされます。
こういう店は、対応も必ず優れて人間的で、なるほどちゃんとしてるひとだからこうなのだ、と得心がいきます。
一方で、駅前の横丁を埋めるチェーン店たちの甘さ、一様さ、味気なさ。
ああ、自分は今までままごとにつき合わされてたのだ、などと感じたり。
自分の働く店を愛せない、好きではじめたはずなのに半端仕事で満足しちゃう、足を運んでくれたお客さんに感謝できない・・・そんな「尊敬できない店」を見てると、なんだかかわいそうになります。
彼らは、なぜその仕事をしてるんだろう?
そして、かえりみてみたりして。
きちんとした仕事をしよう、と。
そして、きてくれたひとに、敬意と尊重を。

今日の一曲。
ストーンズのブルース。
love in vain
みんな還暦。
年輪がかもす味わいがにじみ出ますな。

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酒屋の店頭に、モルツがない。
オレのフェイバリット・ビールが。
どこに消えたんだろ?
しかたなく、エビスを飲んでる今日この頃(しかたなく飲むものでもないが)。
それにしても、たまに店で飲むスーパードライの味気なさときたら。
あれはひょっとして、モルツの栓を抜いて一晩置き、すっとぼけた味にした上でもう一度栓をし、ラベルを張り替えたものなんじゃないだろうか?
それなら、モルツが市場に出回らない理由として納得がいく。
なぜスーパードライがこんなに売れるのかを考えてみたのだが、ひとつ思い当たることがある。
あれは、発泡酒が出たてだった頃の味わいにそっくりなのだ。
その味わいをなつかしむヒトビトが今、そこそこに昇進して給料も獲れるようになったので、ノスタルジーとして飲んでるのにちがいない。
昨今では、発泡酒も第三種飲料も、おいしくなりすぎてしまったものね。
かつての熟れてない味を求めたくなる気持ちはよくわかる。
発泡酒がおいしくなりすぎたとはいえ、わが家ではヨメが「男なら、鼻血が出てでも本物のビールを飲め」と口を酸っぱくする。
発泡酒を飲んでるのが見つかったとき、こっぴどく叱られたもんなあ。
そのため、爪に火をともすような生活をしつつも、がんばってエビスを飲んでるのだった。
しょうがない、今日も真っ昼間からエビスでいくか。
それにしても、なんて苦くて、ザラザラで、のど越しに苦労するビールなんだろう、エビス。
しみじみと、つくづくと、うまいよなあ。
この奥行き、子供にゃわかんねえよなあ。

ひさびさ、今日の一曲。
世界でいちばんオモロいドラムス、テッポ・マキネン。
クールなフロントマンの後ろで、こんなにも様々な音楽的実験が行われてるのです。
後半、飽きちゃった感が出てきた頃からの遊びっぷり、走りっぷりがすごいです。

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恥かきついでに、原子力発電のことをレクチャーさせてもらうよ。
ホラー映画の内容をばらすようなことになるけど、怖がらないで聞いてちょうだい。
「プルトニウム」っていう物質があるのは知ってるよね。
1グラムのプルトニウムは、成人換算で18人分の致死毒を含んでるのさ。
あ、ごめん、間違えた、「18億人分」だった。
プルトニウムが一円玉いっこ分あれば、世界人口の四分の一を滅ぼすことができる計算だね。
日本人なら、14回ほど滅亡させることができるわけ。
石油が出ない日本は、そのプルトニウムをせっせと精製して、45グラムも持ってるんだ。
あ、ごめん、また間違えた、「45トン」だった。
そしてさらに、原子力発電をすればするほど、プルトニウムは増えてしまうんだ。
だけどそんなにあってもしょうがないから(「どうしようもないから」と言いかえてもいい)「使わなきゃ」って話になるんだけど、もともと原子力の燃料にはウランを使ってるんで、そんなヤバいシロモノは必要ないんだ。
だけど「あるものは使え」ってんで、無理やりに使い方を考えたの。
つまり、使用済み核燃料とプルトニウムを交ぜ合わせて「モックス燃料」ってものにして、そいつを発熱させて発電したろ、ってわけ(これを「プルサーマル計画」というんである。かっこいいね)。
使用済み核燃料ってのは、永遠に熱を発しつづけ、永遠に放射能を出しつづけるんで、一万年も厳重に密閉して保管しつづけなきゃならなかった。
この厄介な廃棄物と、持っててもしょうがないプルトニウムを交ぜて燃料にすれば、一件落着のリサイクル「に見える」ってわけさ。
だけど、ついに燃料として「核爆弾の材料・プルトニウム」を燃やすことになったんだ、絶対に失敗は許されないよね。
ところが、ご存知のように地震が起きました。
福島では、四つの原子炉が壊れ、うち三つの容器から核燃料がスルーしちゃってます。
そしてそして、その三番めの原子炉(三号機)が・・・残念!プルサーマル型でした!
容器からメルトスルーしたプルトニウムは、異常な熱を発しつつ、「あと格納容器の壁一枚を抜けたら剥き出し」ってところまできてて、今もなおまったくの手つかずの状態(人類が近づけないのだ!)にあるよ。
こいつを水から出したら、あとは核分裂の永遠の連続、臨界、放射性物質のおびただしい拡散・・・が起きるかもしれないね。
起きないかもしれないけど、それは誰にもわからない(先生や博士みたいなひと全員を含む)。
だけど、どこにあるんだかわかんないようなすき間から漏れたわずかな放射性物質で、国土の驚くべき面積が汚染されてるわけなんだから、それそのものが剥き出しになったときにどうなるかは、素人頭でも考えればわかりそう。
特に今回は、グレープフルーツいっこぶんの核燃料がはじけたチェルノブイリと違って、4メートルもある核燃料棒(今はとろけてひとかたまり)が一万本分も発熱してる状態。
ヤバすぎたね、原子力発電。
そういうことをね、ぼくらはしてきました。
そして、今まさに、ヤバい事態が止められない状況です。
なぜ今安定してるのか?なぜ燃料が再臨界を迎えてないのか?なぜ壁一枚を残してスルーが止まってくれたのか?ってのは、どの学者さんも説明できないのです。
たまたま、奇跡のように、安定してくれたの。
だけど今、厳密に言えば核燃料は「安定状態」なんかになくて、「安定的に、緩慢に、ふつふつと爆発(核分裂)をしつづけてる」状態なの、ひとの手の届かないところで。
それは知ってなきゃだめですよ。
さて、プルトニウムですが、まだ先があります。
「使わなきゃ」の強迫観念に駆られた日本国政府は、プルサーマルよりももっと効率的にプルトニウムを使う方法を考えたのさ。
それは「高速増殖」ってやつ。
なんと、プルトニウムを使えば使うほど、プルトニウムが倍々に増えていく、って夢のような技術なの。
まるでドラえもんの「バイバイン」みたいな。
のび太くんがバイバインを大福もちにかけると、1分で2こに、2分で4個になりました。
ところが10分で1024個になり、あとは天文学的に増えちゃうんで、しょうがないから宇宙の果てに捨てました、って話です。
そんなわけなんで、プルトニウムの高速増殖はあまりにもヤバすぎてどの国も(あの「仏」の国でさえも)絶対に手を出さない技術なんだけど、わが日本国だけは、なぜか取り憑かれたようにこだわってるのさ。
その「高速増殖炉・もんじゅ」ってやつは、さいわいなことにトラブル続きで動いてないけど、次世代でも政策が「原子力推進」となったら、発電界のエース級になるだろうね。
地震がないといいね、もんじゅの下で。
祈るばかりだよ。
その前に、福島の完全な収束を祈るのが先だけど。
さて、長々と書いてきたけど、結論を言うね。
それはね、「原子力を推進しようというひとは、バカだ」ってことさ。
真実をなにも知らないで、という意味で、言葉どおりのバカなの。
それを助ける少しばかりの勉強にこの文章がなったらうれしいのだけれど。
おしまい。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
政治的なお話です。
嫌いなひとは読まないで。
それでも読む、ってひとは、ドン引き禁止。

さてわが輩、新宿アルタ前の反原発デモに参加してきました。
その翌日の報道が面白かったんで、紹介しますね。
震災発生三ヶ月めのこの日は、日本国内140ヶ所、そして世界中の主要都市でも同時に、大掛かりなデモが行われたのですよ。
そこで朝日新聞の報道。
「渋谷で1500人、国立で700人が集まった」
読売新聞はこう。
「東電前で、200人がデモをした」
なんでや~?
新宿の2万人は~?
報道してくれや、オレのがんばったデモ~。
ほんとになかったことにするんだな、マスコミって・・・

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現世の出自は百姓だけど、前世はサムライだったにちがいない。
殿様だったのかも、とも思う。
誇り高すぎる。
自尊心こそ、命を懸けても守るべきもの、と固く信じてる。
この美意識だけは、特別な場所に置いて当然のものと思ってる。
重んじてもらおうとは思わないが、軽んじられるのは最大の屈辱だし、屈辱こそ最大に忌避すべき価値だと思う。
軽んじられないために、それにふさわしい生き方をするのだ、と決めてる。
ところで。
「えらそうに振る舞わせてくれるひと」が好き。
えらそうに振る舞わせておいて「ハイハイ、しょうがないな、このひと」な感じの関係がいい。
だけど、ことさらにえらそうに振る舞おうとも思わない。
振る舞いは必ず、相手に対する敬意をそこなわないものでなければならない。
この距離感こそ大切、なんである。
なんて。

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菅さんはこの上なく無能だし、世界に対してあまりに恥ずかしい人物なんでやめてもらいたいんだが、小沢さんと鳩山さんはさらにその上をゆく醜悪な人物なんで、事をまかせられない。
かといって、あのデタラメ極まる自民党に政権を戻すのは死んでもイヤ。
四面楚歌。
平常時なら面白すぎる状況なんだが、時代はまったなしの非常時。
どうすりゃいいの?
もちろん、答えは出てます。
全員仲よく、力を合わせて、国難にあたること。
アホとクソと畜生がそろったところで、今よりマシなことができるとも思えないけど、それしかないんだからちゃんとやってよ。
「ケンカしてる時間があったら、ほんの少しでも仕事をせいや!」と言いたいよ。
軽蔑されるのが国会議員の仕事、とはわかってたけど、ここまでさげすまれたいのか?とちょっと衝撃。

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528に、吉祥寺で反原発デモ。
611には、日本中で100万人デモ。
工房を休んで、参加しようかな。
よくこの国のみんなは平静でいられるもんだなあ、と感じる。
「だって事は落ち着いたから」なんて思ってるひとは、おっちょこちょいだよ。
事態は日々刻々悪化してて、世界が破滅する危機は日々刻々、可能性を増してるんだ。
最も最悪な情報がもたらされるよりも最悪なことがあって、それは「情報がない」ということなんだ。
今がまさにその状態。
世界を滅ぼすことができる物質が、崩壊して手つかずのまま、荒れた容器の底でどうなってるかわからない。
これほどの危機を、人類は体験したことがないんだ。
自分たちでコントロールできない悪魔みたいなものを、人類はつくってしまった。
大げさでなく、今なお、「地球に生物が住めなくなるかもしれない」ほどの事態が進行中なんだ。
そこをしっかり理解しとかないと。
だけど逆に言えば、そのことが白日の元に知らしめられたってだけで、今回の出来事は本当に僥倖(すばらしい機会)だった。
今まで人類は、ロシアンルーレットに挑んでたんだ。
そして今、実際、悲しむべきことに、弾はこめかみに打ち込まれた。
なのに、「科学的に理解できない偶然が重なってるらしき幸運」が働いて、不思議とまだ生きていられる。
そう、まだ、かろうじて。
だけど、シリンダーの中には何発の銃弾が込められてるかわかんなくて、引き金は日々、引かれてるんだ。
ぼくらのこめかみに向けて。
その銃口は、今またこの瞬間に火を噴くかもしれないのさ。
そのキチガイ沙汰の恐怖に耐えられるひとだけが、これ以後も原発政策に賛成し、ギャンブルをつづければいい。
ただし、それをつづける責任として、再び原発が破裂したときには「自分が乗り込んで、命をかけて直します」と一筆書け。
数億人単位の人類の命を天秤にかけるんだからあたりまえだろ。
それができないやつは、原発推進とか言うな。
ああ、なんて世界をつくってしまったんだろ。
だけど、「311は、世界が変わる節目」と言われてもいるよ。
いい世界をつくらなきゃ。
そのために、やれることをやらなきゃ。
やらずにいられないことを。

528吉祥寺/反原発デモ