長ーいこと逃げてた平田信容疑者がついに捕まりましたが、ずっと関西方面に潜伏してたようで。
この報道、個人的に興味があって、ちょっと注視してます。
というのもですね、神戸のほうに、大学の同級生でオウム真理教にハマっちゃった女の子がいたのですよ。
当時、彼女は東京の阿佐ヶ谷道場で修行をしてまして、オレは両親に請われて(どういうわけか、いつもこういうときに頼りにされる)一度ならず道場に乗り込んでは説得したり、教団幹部に掛け合ったり、はたまた彼女の後を尾行して一日の行動データを集めたり、教祖の裁判があるときには霞ヶ関まで出張ったりしてたんですが、あまりに信仰が厚い(つまり洗脳されちゃってる)んで、功を奏しませんでした。
しょうがない、最後の手、ってんで、ご両親と若干名の仲間と企てて、夜中、彼女が道場から出てくるところにワゴンを乗り付けて、強引に拉致誘拐しました。(道場前に張り付いてた警視庁さん方には水面下で、不干渉、すなわち「見て見ぬ振り」の確約を取ってました)
二十歳すぎの女の子ったってね、すごい力で抵抗するもんですよ、男何人かで押さえつけても。
「乱暴だ」って言われても、相手は様々なやり方で30人以上を殺し、6000人以上に障害を負わせた殺人教団だからね、こっちも決死の気合いでやってます。
そのままワゴンに引っぱり込んで捕獲し、高速道を一路神戸まで走り、彼女の実家に監禁しました。
実家の家屋にも改造が施され、「牢獄」のようなつくりになってて、洗脳を解く専門家の施術もなされたんですが、すぐに逃げられちゃったらしいです。
平田ナニガシが「関西方面の元信者にかくまわれてた」というんで、まさか、と思いましたが、彼女ではありませんでした、ふー・・・
今は彼女、どこでどうしてんのかな?
ちょっぴり気になるア・イ・ツ、です。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
「自分」という人物には、二種類の解釈があるんだよ。
主観と客観という、ふたりの自分。
片方は、自分が「こう」と考えてる自分、すなわち、自覚に基づいた主体としての自分だよ。
もう一方は、主観から独立した客体、すなわち、ひとの目にどう映ってるか?という自分さ。
ずっとずっとむかしのひとはね、あ、ところで、宇宙の話、していい?
文明が生まれてちょとたって、文化が成熟しはじめたころの話。
空を見上げると、東からのぼった太陽が西へ沈んでく。
その通り道には「黄道」というレールが敷かれてて、太陽はそこを運ばれてく、と信じられてたんだ。
地上はどこまでも平らで、不動だ。
だけど時代が下るにつれてかしこくなって、実は地上は丸くて、俯瞰すると大きな球なんだ、とヒトビトが理解しはじめた。
丸い地球を、丸い天蓋、すなわち星ぼしの配された丸屋根が覆ってる、という構造モデルができたわけだ。
自分たちを小さく見たぶん、ジンルイは、世界をひと回り大きく見られるようになった。
なるほど、夜空のたくさんの星ぼしは、丸いドームの内側を、いっせいに、一様に、東から西に向かってる。
その点で天動説は、空の天体の動きをうまく説明できてる。
・・・ように見える。
が、よくよく観察すると、それと逆行するような動きをする、つまり集団から独立して行動する星が何個かある。
説明のつかない、やんちゃな「例外」が存在する。
金星などは極端で、一年かけて夜空をUターンしたり、ループしたりする。
そこで熟考してみる。
すると、「おいおい、あの星はひょっとして、太陽のまわりを周回してるぞ」っつ重大な事実が発見される。
考えてみれば、「暁の明星」「宵の明星」と呼ばれるその星は、太陽が地球の裏側にいく時間帯、つまり深夜には、決して姿を現さない。(太陽にお供して、地球の裏側にいっちゃうからね)
さらなる観察によって、その説は確定的となり、かくて太陽の裏側に大きな空間がひろがってるとわかったわけ。
すると、空の天体配置のモデル構造に修正を加える必要にせまられる。
ここで思考の跳躍が起こる。
つまり、「いっそ、この地球もまたあの空に浮かぶ星ぼし(主に太陽と月)とおんなじじゃねーの?」、さらに「まま、まてよ、まさか、この地球も太陽のまわりを回ってるのでは?」
この大地がそっくりそのまま、あの太陽を中心に周回してると仮定すれば、これまでのモデルで問題となってた矛盾点すべてに説明がつく。
こうなってくると、ヒトビトが空を見上げてそこにある光景が一変する。
解釈を更新するだけで、今まで見てたものとはまるでちがったものをそこに見ることができるようになるんだ。
このコペルニクス的転換によって、ジンルイは、外からの視線で「真の」自分たちを見ることができるようになるわけ。
世界における大空間の中の自分たちの立ち位置。
多くの天体の中の、いっこ。
たくさんある中の、たまたまぼくらがすんでるこの星。
ちっぽけなちっぽけなそこに自分を置くことで、ジンルイは巨大な視野を手に入れたんだ。
自分が中心じゃねーんだよ。
あっちからどう見えてるか、っつー話なんだよ。
大きな大きな動きの中の、小さな小さな自分なんだよ。
ということをね、考えてます。
とりとめなく、まとまりなく。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
ウランからなんかへんなものが放射されて紙を感光させることに気づいたのがベクレルさんで、それを「放射能・放射線」と名付けたのがキュリー夫人なんだって。
数学や素粒子の本を読んでると、昨今の話題にのぼってくるいろんな言葉が出てくるよ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
たいして面白みのない、創作性絶無のシンプルな「体験者さんと一緒につくる説明見本としての器」や「土と釉薬のサンプル制作の器」、あるいは「訓練、修練、経験値獲得の産物としての器」を大量に抱えてました。
その在庫があまりに膨大で、つまり置き場もないくらいの「過去作品」に囚われてたんだけど、それもやっとはけましたわ。
コツコツと野天で売るうちに、ついに。
いーやいーやの値で売り倒しちゃったわけだけど、その売り上げで被災地も少しだけ潤ったはずだし、今はとてもすっきりした気分。
来年はいよいよ、オレは創作をするのさ。
作家仕事を。
ちょっと燃えてきてるんで、この意欲を大切にしたいです。
工房は、今日でおしまい。
来年もがんばろう。
新たな気持ち。
持続。
心に秘め。
閉。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
「ポイ捨てするやつ、しね」
と言い放つ女子が友だちでいますが、まったく同感します。
まあ、死んじゃいかんけど。
ポイ捨てオトコとは、ゆうべも街角でやり合いました。
ビールのロング缶を、なんと駅前のいちばんにぎわうあの四つ角で捨てたバカがいたので(厳密にはビールでなく、銘柄は「オールフリー」。ヤツはしらふなのだった)、ひろって追いかけ、「おい、落としもんだよ」と言ったのです。
ここまではいつものこと。
ところが、そのブサイクなオタク系30オトコは、こちらに缶をぶつけてくる。
もう一度拾い、再び「ほら、落としもん」と突き出したが、もう一度ぶつけてくる。
もみ合いになりました。
やつが言うには、「おまえに迷惑かけたかよ」。
さ、ささ、さもしい!
このオトコの心根は腐ってる!
ああ、迷惑かけてるよ、おまえのたぐいの人間がポイ捨てしたタバコ、空き缶、ゴミのたぐいを、オレは工房前でひろって集めてるのだ。
激高せず、相手をあわれんで、懇々と諭すべきだったか?
ぶっ飛ばしてやったらよかったんだけど、オレのパンチだと、歯の一本や二本じゃすまないからな・・・
あごをカチ割るとなると、医療費や法廷闘争なんかでめんどくさくなるし・・・
このへんのサジ加減がむずかしいです。
無表情で相手を見つめ、あんたの人生、かわいそうだ・・・と言ったら、引き下がっていきました。
なんだかうやむやに終わっちゃって、気持ち悪い。
ああ、件の女子の勇気があったら、言い放ってやれるのにな。
「ポイ捨てするやつ、しね!」

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
あっちゃんをまるで見くびってて、「なんでこんな昭和時代の田舎っぺみたいな子がいいんだろ?」と思ってたのだけれど、はじめてライブを観たら(おそい?)、とんでもなく舞台映えのするひとですね。
天性の才覚、翡翠です。
気持ち悪がらないで聞いてほしいのだけれど、いやー、いいですよ、あっちゃん。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
この歳になって、ピアノをはじめました。
その前に、なんででしょう?ここんとこ、数学と物理学に非常(異常)に興味を覚えてまして。
そいつを学んでると、なんとなくこの世の中の構造がおぼろに見えてきて、その根幹まで見通してみたい、という欲求が芽生えてくるのです。
そのことはさておき、感覚的にですが、ずっとピアノだけは学習しておきたかったのです、なぜだか。
ところが最近ですね、ものの本を読んで、はてそのふたつはひとつではないのか、とピンときまして。
つまりものの本の言うところによると、音楽は数学のいちカテゴリーである、というのですよ。
つまり、空間を分割するのが数学(幾何学)であり、時間を分割するのが音楽である、と。
それで、わー、自分はやはり空間認識のために音符の解読を求めてたのだ、と完全な理解が起こったわけです。
そうしてまあ、今、ピアノの美人先生の傍らで「ああではないわよ」「こうよ」という具合にいいこいいこされてるわけなのでした。
たのしすぎますね、ピアノ!
ぼくは今、新たな言語を獲得しようとしてます。
それはすなわち、新たな空間のひろがり(もうひとつの次元)を手に入れよう、ということですよ。
まったくの新境地への挑戦です。
展開に創造性を費やすのはたのしいけれど、基礎の獲得に骨惜しみをしないという根源の悦びを、ぼくは今感じてるのです。
陶芸をはじめて経験するひとってのは、こんな気分なのかな。
とても、とても新鮮な気分です。
いやー、楽譜の奥のその奥行きの深さ、広さときたら!
ぼくはピアニストになるかもしれません。
マンガと小説がかけ、陶芸の上手なピアニストに。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
年金、雇用、福祉・・・
高齢者に非常に手厚いシステムが確立されようとしてます。
いやむしろ、ワカモノの未来に非常に残酷なシステムが敷かれはじめてるといってよろしい。
このあたりは相対的なもので、お年寄りが優遇される分、どんどん若い世代にしわ寄せがくるのはやむを得ないわけですが、ちょっと考えてちょうだい。
「なんで?」という部分です。
お年寄りはちゃんと選挙にいく、ワカモノはいかない。
あの鈍感な政治家たちも、その点に関してはひどく敏感です。
なんたって、国政を司るひととはイコール、票が欲しくてたまらないひとたち。
まじめに彼らに票を入れるお年寄りが手厚くもてなされ、新聞もろくに読まずに選挙にもいかないワカモノが邪険にされるのは、仕方のないこと。
ひるがえって、票、つまり選挙権の行使とはすなわち、最もリアルな自己実現なのでした。
票を入れた者は願いを叶えられ、棄権した者にはなにも与えられない。
それは当たり前のこと。
そんなバカな、と反感する「選挙にいかなかったワカモノ」よ、おまえこそちょっと待て。
おまえ、政治家の判断に白紙委任したはずやろが、口出すなや、バカが。
どれだけ冷遇されようが、それはおまえの望んだ道やろが。
口だしたかったら、選挙いけや。
いかないなら、ちゃんと決定に従っとけや。
そう言いたいんであります。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
ひとに頼るのがいや。
頼られるのもいや。
たのまれるのはいやだし、たのむのはもっといや。
甘えてほしくないし、とりわけ、甘えたくない。
貸しもいやだけど、借りをつくるのは心の底から忌避したい。
「自由」に本気でこだわってる。
対外的な関係は「フェア」が理想だけど、心持ちこっちがソンする程度がいい。
社会に組み込まれてると自覚しつつも、すこしだけ距離を置いて、ひとりきりで泳げるスペースをつくっておくべき。
貸し借りって、頼り合いって、目に見えないアミみたいなもん。
依存のし合いはらくちんだけど、それは甘いワナってもんだよ。
らくちんのために自由を犠牲にするなんて、考えられない。
頼っちゃだめだよ。
主体的に生きられなくなるよ。
からめとられないようにしなきゃ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園