まさか自分が徹夜でフィギュアスケートなんてものを観るとは思わなかったし、さらに胸が熱くなって涙チョチョ切れさす(しかも夫婦で)なんてことは考えてもなかったよ。
だけど、不覚にも心動かされた。
スポーツを観て感動するって、こういうことなんだね。
真央ちゃんって存在は尊いなあ・・・
「勝つ=打ち克つ」って意味を知らされた気がするよ。
一方のヨナさんは、怖い、怖いと思ってたけど、けっこう薄っぺらだった(素直な印象ね、ごめん)。
優勝したロシア選手の演技からは圧倒的な熱が伝わってきて感動的だったし、真央ちゃんは壮絶な演技構成で自分自身に真っ向から挑戦して見事にやってのけたし、銅メダルのイタリア選手も美しくのびのびとしかもたのしそうにすべってて魅了された。
だけどこの韓国選手だけは「できることを並べてお茶をにごしとこう」って姿勢が見え見えで、流暢で高度に洗練されてはいたけど、前向きさがさっぱり伝わってこなかった。
他の選手と比べて、熱量があまりに足りなかった。
これじゃ金メダルには届かんわ、とはっきりと感じたし、このひとに金メダルを獲らせるのはよくないことだと思ったよ。
上手に得点は稼いだけど、誰が観たって、心を振るわせられたのは真央ちゃんの演技の方だ。
関係ないけど、むかしむかしにダウンタウン松本が大喜利で、「金、銀、銅。その他にメダルを設けるとしたら、なに色?」というお題に対して、「さくら色やな。金の上に」って答えてたのを思い出したよ。
そいつをあげたいよ、真央ちゃんに。
ふさわしい、うん。

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「内観」って言葉をはじめて知ったとき、ああ、酒を飲んだときの現象だ、とすぐに思ったよ。
自分の内側をのぞき見ちゃうんだね。
で、さまよっちゃう。
あまりに酩酊すると、深いところに触れすぎて、痛すぎて、思わずうめいちゃう。
「こういうことだったのか!」と、不意に合点がいっちゃうんだね。
自分の正直な部分と外づらとのギャップに気づいちゃう。
本性の部分は、自分でさえもそうすることでしか知れないんだなあ。
せっかく隠してたのにね、自身にさえ気づかせないように。
だけど、触れずにはいられなくて、ついまさぐっちゃうんだね。
そうして精神の痛覚に耐性をもたせてくんだろうなあ。
酒を飲まないひとは、こんな内側のドロドロした部分をどう処置してるのかな?
強いな、飲まないひと。
などと。

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数学界でいちばんの永い歳月を生き伸びた未解決問題「フェルマーの最終予想」を解決して「定理」とした数学者、アンドリュー・ワイルズを描いたドキュメンタリー。
時は安土桃山時代、関ヶ原の合戦があった年にフランスで生まれたフェルマーという人物が、ノートの片隅に残した落書きは、300年以上も数学界のヒトビトを悩ませてきました。
それが、↓これ。
「nを3以上とすると、xn(n乗) + yn = zn となる数 (x、y、z) の組は存在しない、ってことを発見したよ。証明はここには書かないけどね」
そのことをものの本で知ったアンドリュー少年は、それとちょっと似てるピタゴラスの定理=「直角三角形において、a2 (2乗)+ b2 = c2が成り立つ」ってところを取っ掛かりに、どんどん難問解決に近づいていきます。
ピタゴラスからはじまって、過去のキラ星のような数学者たちを紹介しつつ、彼らが編み出した技術、方法論を使って絡まった糸をほどいてくアンドリューは、天才というよりも、孤独に悩む数学マニア(本当にこっそりと内緒で、ひとりきりでこの難問を解いてくのだ!)みたいな描かれ方をしてて、それがまたわくわく感をそそり、感情を移入させてくれます。
がんばれアンドリュー、他の連中を出し抜いたれ、的な。
問題解決ヘの道には、論理的な積み上げがあり、この本ではそれがとてもわかりやすく解説されてて、数学を知らないひとでもたのしめます。
そして、最後に最終定理が解ける瞬間は、劇的かつ感動的。
ついに見つけた証明を、大観衆の前で発表し、「これで終わりにしたいと思います」というアンドリューの言葉は、数学界における300年間のイライラと、自身の7年に及ぶ戦いがついに終わったんだ、ってことをシリアスに物語ってて、最高のカタルシスです。
数学書じゃなくて、エンターテイメントとして素直に面白い「傑作小説」です。

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言わなくてもいいことまで言っては、相手のひんしゅくを買い、言ったこっちまでヘコむ。
これのくり返し。
なんとかならないものか。
こないだも、ピアノの先生に新曲をもらい、「この曲はどう弾けばいいかというとね、えーと・・・」と先生が考え込んでる場面。
そこですかさず、助け舟を!とでも本能がつつかれるのか、言わなくていいことまで口を突いて出てしまう。
「ブルージーに、ですか?」「メロウに?」「リリック?」←こ、こざかしい・・・
先生は、「んーとね、やさしく、ゆっくりと」と言いたかったらしいのだが、もうなにも言えなくなってる。
ごめん、先生。
こうしてこっちもヘコみ、その後のピアノレッスンはむちゃくちゃなことになるんだった。
バカバカ、オレのバカ。

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独立したよ、家庭内で。
一切の私物を一部屋に集めて、オレ専用の閉じた空間を確保。
憧れの「書斎」ってやつさ~(実際は「ピアノ部屋」だけど)。
あとは、書棚の整理だけ。
読み終えた本を捨てまくって、よめはんのものは他の部屋に追い出して、すばらしいコレクションは陸前高田の図書館にじゃんじゃん贈って、スッカスカにするつもり。
完読した開高健全集も、「20世紀の記録」全100冊も、ジョジョ全50巻も、全部寄贈して、本当に重要なもの(数学書、物理学書、図鑑)だけを残して、書棚も捨てるんだ。
その奥には、広大なスペースがひらけて見えるよ。
ああ、すばらしいなー、断捨離。
心がハレバレとのびのびと自由になるよ。

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土を練るとき、その土が柔らかすぎると、しはんは「ゆりいか!」と叫ぶのをご存知だろうか?
つまり、ゆるいか、の江戸なまりね。
しかし、これがギリシャの哲学者のモノマネだとは、誰も気づいてないようだ。
王様から、冠が本物の金かどうか調べるように仰せつかったアルキメデスは、「はたっ、重力のもとで静止した流体中 に置かれた物体はそのおしのけた流体の重さに等しい浮力を受けて軽くなんじゃね?」と気づいて、「ユリイカ!(めっけ!)」と叫んだそうだよ。
いざや、みなも叫ぼうぞ。
「ゆりいか!」

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原発はさ、稼動させればいいと思うんだよ、稼動させたきゃ。
そのかわりに、事故が起きたときは、死んでほしい、稼動させたやつはね。
そりゃ死ななきゃ、勘定が合わないよ。
それだけのことはしでかすわけだもん。
その覚悟がなかったら、動かしちゃだめでしょ。
そういう責任論が出ないから、動かすな、っつ話なんだよ。
「原発で事故を起こしたら、死刑」って法律をつくればいい。
そうしなきゃ、稼動させても事故は起こるし、逆に言えば、その覚悟を持ってなおも稼動させる人間は、決して事故は起こさないと思う。
「ま、事故なんて起きないだろ」「ここは活断層じゃないってことにしとこう」「津波の想定はこの程度ってことにしとこう」「311の地震でも(壊れたんだけど)壊れなかったってことにしとこう」「放射能が漏れつづけてるってことは内緒にしとこう」「今でも破滅的な事態が進行してんだけど、この話は漏らさないようにしよう(別のものは漏らしつづけてんのに)」「で、そっと稼動させよう、どうせ国民はアホやし」「それに、事故が起きても、オレたちが責任問われるわけじゃないし、うっしっし」。
今の法律だとこんな感じでしょ、どうせ。
だけど、世界で最も深い罪に問われるべき連中が、それをしでかしといてのうのうと生きてちゃだめだわ。
だからさ、ま、稼動させるとしよう。
そのかわり、次回、事故が起きたら、稼動させたやつは全員死んでくれ、放射能の中で。
東海村の核施設で15年前、はじめて高濃度の放射線被爆で亡くなった人物を知ってる?
その人物は「超人的な精神力と、医師の献身的努力によって」何十日間か生き伸びたんだけど、要するにこのレトリックは、「何十日間かかけてゼリーになってく人間を、無理やりに生かしつづけた」と読み解くべきだろうね。
原子力をもてあそぶ者は、原子力でもって罪をあがなわれるべきだよ(それはまさに、人類、なんだけど)。
事故は起きない、そう言いきる者は、死ぬか、動かすか、の覚悟で事に取り組んでくれ。
リアルに命を懸けられるか、どうか。
それだけの重大事だと思うんだよ。

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よめはんが散らかしまくる空間を尻拭いのように片付けさせられるのは耐えがたいストレスなんで、「絶対不可侵領域」の一室をつくることにした。
工房二階のピアノ部屋(半年前までよめはんの物置きだった。)に手を入れて、ものをこっそりと捨てまくり、書斎として改造中。
よめはんの私物はよその部屋(寝室とリビング。こちらもよめはんの持ち物で過積載気味)にいってもらい、あとは好きにしてくれ方式。
これなら、どれだけ他の部屋を散らかしてくれても、自室にこもればわが世界がひらけてくれる。
さらに、ものを捨てられない女であるよめはんも、生活空間が日に日に自身の持ち込む物量におびやかされるとなれば、心も入れ替えようて。
とにかく、オレは私物のすべてをこの部屋に持ち込み、この部屋以外の空間はよめはんに与え、その領域は金輪際片付けないことにしたんだった。
家庭内別居と言えよう(仲はいいから安心してね)。
寝室にあるタンスを明け渡し、数枚のTシャツと作務衣をこの部屋に移せば、独立宣言が発せられる、という算段だ。
それにしても、オレ自身の持ち物のなんと少ないこと。
足の踏み場もなかったこの部屋が、今やスッカスカ。
それでも書棚の本の半分はよめはんのだし(彼女はこの他にも二つの書棚を各部屋に持ってるのだ)、クローゼットも戸袋もよめはんの衣類で満杯。
これらは仕方ないんで、居候させてやろう。
ちなみに、キッチンの食器棚だけはオレのもので満杯、と思いきや、半分はよめはんの食器で埋まってるのだった。
頓着を捨てることからはじめなきゃいけないね、人間は。

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どう言を弄しても、靖国神社は「軍国主義の拠点」だからなあ。
対外的な理解なんて得られっこないよ。
なにも勉強してないわが平和な国民だけが、のんきに「参拝、いいね!」をやらかしてるわけだ。
そりゃ、特攻で死んだひとたちも祀られてるよ。
戦争で失われた尊い命が眠ってる場所、って側面もある。
だけど逆に、「靖国の名のもとに死んでこい」と命令されて、失われなくていいおびただしい命が散ってった意味ね。
そしてその、侵略戦争を主導した全体主義思想の根源、国民に塗炭の苦しみをなめさせた大本営の総本山に、一国の首相が頭を下げにいくって意味ね。
そしてシリアスな面では、また経済が凍りつき、外交が遮断され、世界中から「右傾化」「軍国化」とひんしゅくを買う意味ね。
ちょっと前までは、大陸や半島に向けて謝ってばっかのイデオロギーを「自虐派」と称してたけど、本当の自虐派は、この安倍総理みたいな行動をとるひとなんじゃないかしらん。
日本にとって、ひとつもいいことが起きない行為だものね、靖国神社参拝。
ちなみに、主要四紙はすべてこの首相の行為に反対中。

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