母ちゃんのネタを書くと、「マザコン」批判が飛んでくる。
が、マザコンではないよ。
批判者は、マザコンの定義・尺度を誤ってると言わざるをえない。
オレは、尊く思うべき相手に対して、当然の敬意を示してるだけ。
18のときに家を出て以来、母子は年に二度しか顔を合わせられない。
あと何度あるかわからない、貴重な機会。
そのときに、伝えるべき言葉を伝え、するべきふるまいをする。
それだけの話。
親父がある日だしぬけに死んだことで、学ばされた。
することだけはしとかないと後悔する、って話。



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夏休みになって、子供たちが工房にくるんだけど、みんな「子供も大変だよ、ふう」みたいな話しをしてく。
宿題に、塾通い、夏期講習、自由研究、そして習いごと・・・いろいろと忙しいらしい。
オレはまるっきりしなかったけどね、夏休みの宿題。
平然と、まっ白な「夏の友」を提出してたし、自由研究もやったことなかった。
本当に文字通りに、勉強にはいっさい手を付けなかった。
なのに、夏休みが明けてその事実が先生に知れても、たいして叱られなかったなあ。
少年時代のしはんは真面目な子だったし、先生も、まさか、って感じで、きっと何事か困難な事情があったんだろう、って勝手におもんぱかってくれたのかも。
だけど、セミやトンボを追っかけたり、水遊びをしたり、昼寝をしたり、野球をしたりして、遊び狂ってただけなの、ごめん。
勉強なんてバカがするもんだ、とタカをくくってたよなあ。
それでも、今かえりみれば、子供の頃に勉強はしとくべきだなあ、とつくづく思う。
それとは逆に、オトナにならないと勉強の面白味ってのはわかないなあ、ともつくづく思う。
今オレは恐ろしいほどの知識欲・学習欲に突き動かされてて、子供たちが言うところの「勉強」ばかりしてる。
読む本は、宇宙物理学、量子力学、遺伝子学、そして数学のものばかり。
世の中の構造がわかればわかるほど、もっとわかりたくなる。
そのへんの行動原理というか、意欲に訴えかける教え方を先生がしてくれればいいんだけど、それにはすごい技術が必要だし、そもそも子供に理解(勉強することのすばらしさを)させるのは難しい。
かくて、ものすごい吸収率を所持してるときにサボり倒し、衰えがはじまってからおびただしいものを吸収しようと苦労することとなる。
パラドクスだなあ。
要は、興味を持った時点で、必死にやることが大切だと思う。
さ、今日もピアノを弾こう。

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発泡酒なのか、第三のビールなのか?、って感じで、ある銘柄のものにおける酒税法でのなんやかんやがありましたが。
オレはにはどうでもいい話です。
というのは、はっきりとその二種類は「ニセモノ」と認識することにしてますから。
要するに、牛乳における脱脂粉乳みたいなものでしょ?
ブランド品のイミテーション(粗製のそっくり品)でしょ?
ビールじゃないんだからどっちでもえーわ、というのが本質的スタンス。
オレは、本物を飲む!、と心に決めてまして、すなわち、エビスを飲んでます。
言えば、ちゃんとつくられたものを、って意味です。
粗悪品には手をつけたくはありません。
発泡酒や第三のやつを飲んでるひとには、なんだかごめんなさいね。
だけど侍として、その部分は宣言させてもらいたいのですよ、いろんな差し入れを頂戴する立場でもあるわけですが。
そのニセモノ品は、こっそりと忍んで飲むものであって、仲間同士で胸を開いて乾杯するたぐいの品ではないですよ。
もう飲みたくない、と言いたい。
それというのもですね、かく言うオレにも爪に火を灯すような修業時代がありまして。
そのときに、発泡酒なる企業開発されたてのものをこそこそと人目をはばかって試してみたことがありまして。
ところがあるとき、それをツマに見とがめられてしまったのですね。
ツマは烈火のように怒り狂い、いわく「なに飲んどりなさる~!」、と。(いやあ、恐ろしかったのなんの・・・)
そして正座するオレを前に、「との、これはなりませぬ。本物のビールを飲んでくだされ」と、こんこんと説教をされたわけでして。
飲まれる金すがないのでしたらばそうとおっしゃりませ、わたくしが身に換えてでも本物を、ビールを、お飲みいただきまするゆえ、と。
そういういきさつがあり、オレは以降、シリアスな行程を経てつくられた本物をしか口にするまいと心に誓いを立てたのであります。
差し入れてくださる方々にはその心持ちには感謝はします、けれど、口はばったく言わせてもらえば、「それは差し入れるべき品ではない」。
そして、工房では本物のビールを口にしましょ、と言いたいんであります。

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OPECを「オペック」というのだから、TPPも「ティーピーピー」ではなく、そんな具合に略称で呼べないものか?とよめはんと話し合ったことがある。
そうして、わが家ではTPPのことを「とぅーぷっぷ」と呼んでいる。
・・・ぜんぜん略されてはないが。
「GPSってなんの略?」という話題になったので、さっそく激論が戦わされる。
TOEIC630点を自慢とするよめはんは「グローバル・ポジショニング・システム」ではないか?と言うのだが、さらに賢いことを自慢とするオレは、いやいやそんな単純なものであるはずがない、「グラウンド・パスファインディング・スペースシップ」なのではないか?とゆずらない。
どっちが合ってるかはまだ未確認だが、オレのやつの方がかっこいいことは一目瞭然だ。
ネット検索したらすぐに解答がわかるんだけど、我々は頭脳のめぐりを競い合ってるので、そんな無粋は働かないのだった。
「燃えないゴミのことを、英語でなんというのか?」という話題になったことがある。
文法通りにあてはめれば、「ドント・バーニング・ミーゴ」ではないか?とオレが言うと、よめはんがゲラゲラと笑う。
が、今やわが家ではその呼称が定番となり、「おい、燃えないゴミを出してくれ」と相手にお願いするときなどは、毎度、「ドント・バーニング・ミーゴ、ゲラウ(get out)、ゲラウ・ヒア、プリーズ」「イエス・サー」などという珍妙な英会話が交わされてるんであった。

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そっちの筋のひとが読んでたらゴメンだけど、月に一度かな?、「奉仕活動で参りました」という女性二人組がピンポンを押してくる。
休日のその時間帯は一心にピアノの練習をしてるんで、「まったくもう」と思うわけだが(そしてそのすばらしい音色は彼女たちの耳にも入ってるにちがいないのだが)、とにかくエホバさんが問答無用に押しかけてくるんだった。
例の「ものみの塔」というやつを読んでほしい、というわけだ。
仕方なく、インターホン越しに話す(居留守も使えないのだ、ピアノを弾いてるから)。
オレは宗教は信じないどころか、生粋のダーウィニストなんだけど、聖書のたぐいは、文化比較としてというか、物理学や生物学と整合させようと昔のひとが苦心して描いた物語として、興味深く読んでる。
「ものみの塔」も、そんなスタンスだと、なかなか面白く読める部分もあるんだった。
が、「ポストに入れといて」ですまそうとしても、相手はどうしても話がしたいらしい。
非常に熱心に、聖書のすばらしさを語ってくれるのだな。
ダーウィニストなどとこっちが名乗ったものだからか、語り口の熱のこもりようが尋常じゃない。
問答無用という言葉を先に使ったが、なるほど、それは問答のような形をした、慇懃な押し売りなんだった。
実際、それは非営利の営業活動なんだから仕方がないが。
相手の気がおさまるまで話しをしてさしあげると、ひと仕事を終えた彼女たちはすっきりした顔で帰ってくれる。
そんなときオレは、「奉仕活動をさせられてるのはこっちなんだがな」という、まるで腑に落ちない気持ちにさせられる。
そして再びテンションをビルドアップして、ピアノに向かうんだった。
エホバさんの教義の部分を悪く言うつもりはさらさらないけど、あの「奉仕」の名を借りた押し売り活動をよろしく感じるひとはいまい。
百歩ゆずっても、押しかけるなら、せめてピアノの音がやんでからだろ。
「相手の作業を中断させて、自分たちの話につき合わさせてる」という考え方が、彼女たちには抜け落ちてる。
その奉仕活動なるものによって彼女たちは功徳を得るわけであって、すなわちそれはあらゆる意味で「自分都合」なんだった。

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「集団的自衛権を行使すると、他国の戦争に巻き込まれる」なんて心配してるひとがいるけど、ちょっと解釈を間違えてるかも。
集団的自衛権の行使、ってのは、「わざわざひとの戦争に足を突っ込みにいく」ってことだよ。
のこのこと手を出して、まるきり自国とは関係のない戦争に参加させていただくの。
巻き込まれる、ってのとは根本的にトーンがちがう。
自国と関係のある戦争参加なら、それは個別的自衛権の範疇なんだから。
そしてそれは、専守防衛で処置すればいいんだよ。
ディフェンス戦略。
だけど安倍さんは、戦争がしたくてしょうがないんだね。
攻めにいきたいの、かっこいいもんな、そのほうが。
アメリカのおっちょこちょいな戦争のために命を捧げられれば、ご主人さまにいい子いい子してもらえる、わんわん。
そもそも集団的自衛権は、「自国民の命を守るために戦う」ってことじゃなく、「他国民を守るために自国民の命を差し出す」ってこと。
そのへんのシンプルさをわが国民は理解してるのかな?
オレ、そもそも自民党はキライだけど、今の安倍さんの自民党は知性・理性のなさにおいて歴代で抜きん出てる。
粗雑にして卑怯なその方法論は、さげすむに値する。
党議員の間からまったく異論が出てこないとこも気持ち悪い。
その政権を、わが国民の半分は支持してるんだなあ。
経済さえよろしければ、憲法とか戦争参加とかささいなことには目をつぶれるのかな、国民の半分。
それともこのヒトビトは、我が子を平気で戦争に送ることができるタイプなんだろうか。
たいした腹の据わり方と言える。
だけど「戦わない」と決めたら、限界までその理念を守りきってみようよ、そっちの方が勇気だよ。
やがて世界がその知性に気づいてくれる日がくるってば。
アインシュタインは、「第三次世界大戦ではどんな武器が使用されるか」と質問されて、こう答えたそうだよ。
「それはわかんないけど、第四次世界大戦では、きっと石ころ以上の武器は使わないだろうね」って。
一度こっぴどい目に遭ったら、間違いは二度くり返さないもんだろ。
日本はその経験を経て、達観の境地にたどり着いたんだ。
それをケンカっぱやい世界の国々に教えてあげなきゃ。
このままだと、安倍さんに向けたのと同質の軽蔑が、世界から日本に浴びせられることになる。

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よくがんばった、お疲れさま、残念。
ぶっちゃけ、サッカーの日本代表にはついぞときめかせてもらった経験がないんで、あまりシンパシーを感じることができないんだけど、とりあえず4年に一度だし応援しとこう、という市井のほとんどのヒトビトと同じ感覚でW杯を観てるとこ。
それにしても、優勝、を公言してたこのチームの真の実力たるや・・・
いくらなんでも「優勝できる!」なんてファンタジーを本気で信じてたのは、サッカーを知らないロマンチストか、おまじないとしてそのセンテンスを気に入ってるひとだけのはず。
日本代表の中心人物もこのおまじないを日々口にし、報道もそれを拡散しまくったおかげで、日本全体がぽわわ~んと夢心地になっちゃった、ってのがW杯前の雰囲気だった。
「実力を出しきれば」というエクスキューズ付きだとしても、日本には「大舞台で実力を出せない」という逆ポテンシャルを計算に入れる必要がある。
そもそも、その実力なるものが、世界に近づいてそうで近づけてないんだった。
ゴール付近でフリーにボールを持ったらやすやすと決める連中がゴロゴロと存在するのがW杯レベルだが、わが日本国でそんな人物は、歴史上においても絶無。
とにかく、優勝なんて口にするのはまだまだおこがましいレベルだった、とあたりまえの事実を終戦後にはたと思い出させられたわけだ。
さて、「優勝」と口にしたいのなら、結果で責任を取る必要がある。
そして結果、このひどい有り様となったのだから、件の人物は帰国後にフルボッコにされてもしょうがない。
逆説すれば、そんな人物たちを「残念だったね」「よくがんばった」で空港で迎えるつもりなら、報道側は今後二度と「優勝」なんて口にしちゃいけない。
さらに逆説すれば、「残念だったね」「よくがんばった」を口にできるひとは、日本代表の本当の実力をよく理解できてると言える。

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なんとなれば。
・・・って、下からのつづきでだけど。
考えるに、市井のひとびとも、「ようございましたなあ」「いやはや、哀しゅうございます」などという会話をするために、強迫観念で観てる可能性があるね。
報道が前宣伝であおりたおすし、「盛り上がってまいりましたねえ」って呪文で空気をつくってくんで、お茶の間も「みねば、のりおくれる」って具合に気圧が高くなってくる。
恐怖心からの学習義務。
かくてキラーコンテンツは育てられるんであった。

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サッカーのワールドカップがはじまったみたい。
だけどなんだか茫洋としてて、心の中で盛り上がってこないんだよね。
画面をながめてるうちに、だんだん燃えてくるのかな?
だけどどうでもいいんだ。
「どうでもいい」ってのはサッカーファシストから叱られそうなセンテンスだけど、誤解しないで。
週刊誌でマンガを描いてるときはさ、興味のないようなことでも無理やりに「勉強」と考えて観てたんだよね。
サッカーも、野球も、F1もゴルフも陸上も剣道もなんでもかんでも。
一切が義務感による「ネタ収集」「情報集積」だった。
そうしなきゃいけない環境だったし、強迫観念で興味を奮い立たせてたなあ。
だけどもうそんな必要はないのさ。
オレはやりたいことだけをし、観たいものだけを観るのさ。
W杯に興味がわけばチャンネルを合わせるし、そうでなきゃ土をこねるか、ピアノを弾いて過ごすだけの話。
それが「たのしむ」ってことなんだな。

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陶芸教室を主宰してると、「へえ、陶芸教室ってもうかるんですか?」なんて訊かれることがある。
実にちょくちょくとある。
こういうことを訊くひとは、きっと訊かれた相手から「こいつ、ゲスだな」と思われてるから、気をつけた方がいいね。
まったくバカ極まる質問だ。
陶芸教室と耳にしてその点より他に言葉が見つからなかったとしたなら、相当にシンプルな脳構造だと言える。
あるいはこの人物は、サラリーマンに会えば「へえ、サラリーマンってもうかるんですか?」、教師に会えば「へえ、教師ってもうかるんですか?」、殺人課の刑事に会えば「へえ、殺人課の刑事ってもうかるんですか?」、と訊いて回ってるのかもしれないが。
だとしたら、まだ救いはある。
育ちの問題というわけだ。
怒りよりも脱力感よりも、哀愁を感じてさしあげればいいわけか。
それにしても・・・なんという問い掛けであることか。

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