心にモヤモヤがあると、ものごとがうまくいかない。
過ごす日常全部がつまんなくなってくる。
人生全体がバカバカしいものに思えてくる。
・・・わかる、わかるよ。
ひとは失敗もする、ケンカもする、うそもつきたくなる、ジェラシーも感じてしまう。
そんなときは、一個一個をしらみつぶしにしていこうではないの。
失敗はつらい、なにしろ捲土重来の機会(次の成功)まで待つ時間が果てしないし、それで相殺はできても帳消しとはならない。
なのでいっそ、失敗は笑い話にするに限る。
「こんなにもひとに迷惑をかけたことがあるんすよオレ」と武勇伝にしてしまえ。
物語の導入から緻密に構成して、クライマックスではちょっと盛って、落とすところでは思いきった白状をして、自分と同時に周囲をもスッキリさせる。
話が面白く達者に熟成されていくに従って、その傷は徐々にぬり込められていくであろう。
・・・そこまでが長いんだけどね、でもまあネタは増える。
ケンカ?謝っちゃえよう。
謝れない相手なんて、しょせんは友だちでいる価値のなかった相手なんだ、そんなのはスッパリと切り捨ててしまえばいい。
だけど友だちでいる価値のある相手なら、謝っちゃえ。
つまんない突っ張りで、かけがえのないものをなくすべきじゃないわ。
オレなんてインフレってくらいに謝ってるよ、謝りまくってるよ、安いもんだ、そういうのが人生だ(ありがとうとごめんなさいが言えない人間は第一級の精神障害者なんで治療すべき)。
でも、バカとクズにはぜったいに謝らないけどね、なにしろそんなやつとの関係なんてどうでもいい。
うそをついちゃった?そりゃだめだ、こればかりはしんどい、心がよどむぜ。
うそは本当につらい、自分の芯までさいなまれる、なにしろ自爆だからね、その痛みには手の施しようがない。
一刻も早く白状しちゃえよ、時間をかけないことだ、白状は直後くらいがいい、でなきゃ深手になる一方だ。
ひとはなんで偶像(神さま仏さま)を拝みたくなるのかというと、自分と向き合えるから。
その拝む相手のナントカさまは、鏡(自分自身)に他ならない。
そこではうそは許されない、なにしろ「ナムナム」とは自分の心をのぞき込む作業なんだから。
自分は、自分の目に見つめられてるのだ。
うそという美しい取りつくろいは自分の内側を汚す行為なんであり、それは明白な自傷行為なんで、心の内と語らうことができる健全な人類においては事実上、うそをつくことは不可能なんだ(つまりそのひどい行動が自分にバレバレなために心は痛むのだ)。
さっさと本当のことを吐いて自分をスッキリさせることだな。
最後にジェラシーだけど、これはまったく意味も価値もない直情で、なんで神さまが人間にこれをさせるのか理解に苦しむ。
ひとは自分を苦しませるためにどんなバカバカしい考えも試してみるものだ、という典型例と言える。
自分と関係のないところで起きてるひとのうらやましい部分なんて、どうでもいいじゃない。
へえ、と思ってトイレに流しちゃいな。
だけどひとは、どうしようもなく許せないほどにひとの成功体験を強くうらやむものなんだなあ。
それを克服するには、強い心というよりも、脱力が必要だな。
悟りの境地とは、かくも遠きにあり。

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「あの企業が純利益を90%落とした」というニュースがあって、その劇的な凋落を騒ぎ立ててるけど、オレはどうもこのレトリックには報道のミスリードのにおいを感じてるのだ。
つまり、%の使い方が間違ってるのでは?と。
細かく内容を見ると、総売り上げが6兆円近くあって、そのうちの純利益が300億円だから、利益率は0、5%。
このオーダーからしてすでに作為がおいはじめるが、まだこの%の使い方は明解だ。
売上高を%で表す、いわゆる「前年比98%の売り上げでした」的な使い方もわかる。
純粋に積み上げた数字同士の比較だからね。
だけど利益の差を%で表すことには問題がある。
利益損益とは、それ自体が差を表す相対的なものなんで、差の中に出現する差を計算しようとすると、これはカオス理論の範疇になってきはしないか?
例えば上の件では、前年3000億だった数字が300億になって90%落ちた、としてるわけだが、来年に去年の数字を回復させたら「1000%の大増益!」となる。
落ち込んだ数字を元に戻しただけなのに、超好景気の印象を与えられる。
その翌年に純利益がゼロになったら、「100%の落ち込み!」となるが、ここまでは問題ない。
ところがここからだ。
ゼロの翌年に1円の儲けが出れば、「無限%アップ」ということになり、ここで数字は破綻する。
これがまた翌年に1円の赤字となれば、差は2円にもかかわらず、「無限大の落ち込み」となる上に、0のラインをまたぐことで、%テージ表現に虚数が登場する。
これは実数で表現できない、無限よりも大きな(この世ならぬ)数字だ。
このへんはいったいどう報道するんだろうか?
結局、すごいっぽい数字を根拠っぽく仕立てて、企業の凋落に説得力っぽさを持たせようという報道サイドの世論誘導っぽいやつだ。
地上波にもこういう謎の方法論がなかなかの存在感で行き渡ってて、なんでもかんでもを疑ってみたくなる今日この頃だわ。

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「なんかおかしいと思ったら、しはん、長袖ですか」
・・・って、おかしいことあるか、Tシャツしか持ってへんみたいに勘違いすな、秋やっちゅーねん。
「ってかしはん、クツはくことあるんすか」
・・・って、クツくらいはくわ、一年中ビーサンはいてるからってバカにすんなっちゅーねん。
「だけどくつした持ってんすか」
・・・って、持っとるわ、あなどるなっちゅーねん、めちゃかわいいの持ってるわ。
「あら、今日は服着てるの?」
って、着るっちゅーねん、コラよめ〜、そろそろ裸だと寒いっちゅーねん、バカにすな。

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「頭は悪いが力持ち」というのが、世界から見たアメリカ評の定番だった。
今や逆に(逆でもないが)「力持ちのバカ」と言わざるをえなくなりそうだ。
本当にそういう民度なんだなあ。
これまでもアメリカは、悪辣なロシアやずる賢い中国と同質の振る舞いをしてきても、その陣営にいる日本やヨーロッパは不本意ながらも支持するしかなかった。
本当にあいつとの関係はしぶしぶ(かつずぶずぶ)だった。
ソ連はかつての東欧の衛星国を奴隷として扱ってきたけど、アメリカもまた同様に日本をそう扱ってきた。
あまりにも不平等な安保条約、政治における恐喝的圧力、経済における内政干渉・・・衛星国以下の、植民地状態だ。
ただ日本人は、ハンバーガーとディズニーを大好きにさせられてるために、ひどい扱いから目を背けてたんだった(このへん、あの国は巧妙なんだよなあ)。
だけどいよいよあからさまな時代に突入する。
新大統領になるあのひとは建前なしに本音で・・・というか、欲望を隠そうともしないで実行するキャラなんで、こちらの反応など気にせず、好き放題にむしり取りはじめるだろう。
言ってることをコロコロ変える石破さんで (そして嬉々として隷属する自民党で)歯が立つのか、心配すぎる。
アメリカは、自国のためだけに動きはじめる。
いや、これまでも「世界のため!」と言いながら自国を儲けさせてきたんだが、もう世界のことなんて考えなくなる。
今回の大統領選挙では、外に開かれた西・東海岸線の州は民主主義を選び、内陸の州は内向きの国家主義を選んだ。
結局、この国は大きすぎて、逆に世界のことをぜんぜん知らない(ひとが多い)わけだ。
戦争の拡大や環境破壊なんて、興味の外。
ただ、イスラエルだけは自国の飛び地なんで、徹底的に介入する。
アメリカ、グレート、アゲイン、だってさ。
アメリカがグレートだった時代なんて、かつて一度もなかったぜえ。
栄えてたのはまさに腕力のおかげであって、周囲はその愚行を軽蔑の眼差しで眺めてたんだ。
頭が悪いやつがまたおっぱじめやがった、と。
それでもその圧倒的(力と大きさまかせ)な経済力は無視しようがない。
いったいどんな時代がはじまるのか・・・そして次世代にどんな世界が残されるのか・・・あの国の力強さには不安と絶望しか感じられない。

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いい陽気なので、駅前でチラシを配ってたのだ。
しはんは日柄がよいと、ひとり飲みをする前に準備運動がてらにこうして手足のストレッチをする。
軽やかにステップを踏んで、腕を伸び伸びと伸ばすと、陽光と相手の笑顔もあって非常に心地よろしい。
と、背後から呼び掛ける声がする。
振り向けば、こちらより先にこのエリアでチラシを配ってた「ワクチンは毒だ!」「だまされるな!」のひとびとであった。
「われわれが先にここでチラシを配りはじめたのだから、別の場所でやってくれ」「そもそも一言挨拶をするのが筋ではないか」というのだった。
ちなみにこの場所は、メーテルやラムちゃんや明日のジョーの銅像が点在する広々としたデッキで、もちろん公共空間だ。
「いやいや、ここは(チラシを配る)誰もが共有するパブリックスペースで、いつも居酒屋やヘアカットさん、政治家などとシェアしてやっている」とやり返すと、納得のいかない表情だ。
そもそも、こちとら20年もこの場所で配りたおしてるし、昨日今日の新参者にでかい顔をされたくない。
「なに言うとんねんボケ、100年はえーわ」「てめえらの方こそ広場の隅でのたくっとけ」という内容を、天使のようにチャーミングな笑顔と、知性と教養と経験をにじませるレトリックで伝えて差し上げた。
すると、いよいよやつらの本音が出る。
「ぶっちゃけ、マスクをしてるひと(わたくしのことだろうか)と仲間だと思われたくないんですよね」「やってもいいですけど、遠く離れてください」ですと、なるほどなるほどそういうことか。
こっちの方こそ、こんな連中と友だちだなんて思われたら迷惑だ。
さっきも道ゆくおっさんから「このデタラメな張り紙を剥がしてくれ!」と抗議を受け、釈明に追われたばかりだ。
ワクチンの副作用の件は、科学理論一本ならまだ説得力が残りそうなのだが(ワクチンは怖いからオレももう射たんし)、マスクを?するなとな?・・・こうした頭のネジが緩んだいちゃもんがごちゃ混ぜになってくるからタチが悪い。
こうした手合いがマスクなしで無防備にコロナにさらされた結果、どれほどの人数が無様に死んだのだろうか?
ぜひデータにして、デッキの「ワクチンで〇〇人死んだ!」の立て看板の横で比較発表してほしいものだ。
日々着々と罹患し、苦しみ、死んで数を減らしていくこうした人種を見ると、なんだかかわいそうになってくる。
もう正論の理屈を説くのはやめて、遠くでチラシを配るわたくしである。

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この目の前にひろがる世界は全部マボロシなんじゃないの?
夢が現実で、現実と思ってるものが夢なんじゃないの?
この世は裏返しのあべこべ世界・・・
確かに、夜空に浮かぶあの月に人間がいって地面を踏みしめて帰ってきたなんて、うそみたい。
地球上の大変な面積がコンクリートにコーティングされて高層ビルが空を埋め立ててるけど、そんな量のコンクリートが地上にあるわけない。
電気なんて得体の知れないものが金属のパーツを動かして難しい計算をして、しかもそれが現実そっくりの映像になって画面で動くなんておかしい。
こんなふうに不思議になって、これはすべてわたしをだまそうという陰謀なのだ・・・とたまに感じる。
こうして生きてること自体も不思議。
ほんとに生きてんのかな?オレって。
手足を動かして、かゆいところを引っ掻いて、おいしいものをほおばって、大好きなひとと笑い合って、すべって転んで痛がってるけど、ほんとなの?これ。
デカルトは「我思う、故に我あり」と言ったけど、「我動く、故に我あり」とは言わなかったところが優れてる。
装置として活動する肉体を自己と認めず、装置を動かす根源のみを本質的なものと見立てた。
この身に装備された手足や感覚器までもが外世界(自己の外側)に属するもので、内側にこもった「霊魂」のみが真実の証拠だ、と思い至ったわけだ。
だけど「我思う」や夢やマボロシまでが、脳という装置内におけるタンパク質間の電気と化学物質のやり取りによるものだと知ったら、いよいよ混乱するんじゃないかな(彼は夢想家じゃなく、近代幾何学を発明した数学者なのだ)。
生命の芯のところがいよいよわからなくなる。
結局、人類が月にいったのかどうかは「我」の霊魂にはわからない。
それは外世界で発現した表象であって、それを報道したり喧伝したりする媒体もまた外世界に発現する表象な上に、そんな情報を拾い上げる感覚器の働きも脳における解釈も自己の外に発現する表象なので、真実なるものには永遠にたどり着けない。
だとしたら、脳の活動の中に閉じ込められてるらしき霊的なものの正体はなんなのか?
「我思う」自体が夢で、その夢が我思ってるわけで、オレの存在はいったいどこにあるんだろう・・・???

と、くるったふりをしてみたけど、不思議なことを面白く捉えてレトリックに起こして楽しんでくるだけなんで、みんな心配しないでね、びっくりした?
病んでなどおりませんので。

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政治の悪口ばっか言ってても生産的じゃないんで、鳥瞰して分析してみるけど、また悪口になったらごめん。
自民党があまりにも右に偏って、右翼と区別がつかなくなっちゃってる。
武装をし、天皇さまを崇め、靖国に奉じ、要するに戦国時代の「殿とお家のために命を捨つる覚悟の家臣」を真似て「お国と陛下のために自由を捨つる国民」を量産したい一部党勢力が・・・まあ安倍さんとそのエピゴーネンである高市さんなんだけど、そのひとを頂いて憲法まで変えたがってるわけだ。
そんな安倍さんを撃った人物は、ファインプレイと言ったら叱られるけど、実にタイミングよく苦々しい趨勢をちょん切ってくれた。
この事変のおかげで、醜悪な宗教問題も金がらみの腐敗もお天道さまの下で断罪することが可能になった。
安倍さんが生きてたら握り潰してただろう、あのひとはものの運び方がとても上手だった。
そして、古かった。
ナショナリズムは、世界のグローバル化という社会実験が大失敗に終わったカウンターによるワールドワイドな流れなんでしょうがないけど、日本だけはその右思想の内容にだいぶ勘違いが入って「昭和時代の古い文化こそが美徳!」「あの清貧と謙遜と真面目に立ち返れ!」「美しい国、日本」という謎の停滞願望・進歩拒否・・・すわなち独特な自民党的保守主義の形を取って、先進国の立場から二流、三流の地位に勇んで後退した。
その舵を取った安倍さんは、腕力が好きなひとでもあった。
そこで軍事増強と国土強靭化(土木公共事業)に熱を上げる一方、科学にも教育にも子育てにも金を回さなかった結果、この国は今や(というよりここ30年も)先進性も開発力も展開力も失った。
この国の政治は、民間のポテンシャルを奇跡的なまでに空転させる。
アジア諸国にまで経済的な置いてけぼりを食い、もはやどううまく没落していけるか?の道しか残されていそうにない。
人口といい経済規模といい、この国は確実に収縮に向かってるのだ。
前のブログで「日本はどん底」と書いたけど、森永チョイスの一片がどれだけダウンサイジングしてるか、その目で確認してみたらいい。
なのに政治家の口からは「発展を」とか「成長が」なんて根拠もなにもない、言えば美しくおいしそうな幻想が語られる。
どうやって?つか、なんで?ってのが、国民が生活の中で実感してる本当のところだろう。
そこで選挙だったわけだが、政権党があまりにも極右に偏向しはじめたんで、右系の野党がまともに見えてくるし、リベラルだった野党第一党はついに「中道の右め」なんてことを言い出した(そしてウケた)。
左サイドに取り残された共産党は、お友だちのロシア、中国、北朝鮮がやばすぎることもあり、もう見向きもされない。
時代は右向け右なのだなあ。
このまま国民が昭和の生活をつづけたいのなら古い古い自民党を政権に頂いてもいいけど、あるいはこの先は立憲民主党と、「勝者の側にいることが党是で政策は臨機応変」の公明党がくっついて国をハンドリングしていくのもいいんじゃないの?と夢想したくなる選挙結果と言える。
にわかに混乱と大変革の局面が近い予感がしてくるではないの。
・・・いやいやいや、期待はいかん。
この国の民は、昭和のひなびた暮らしぶりが大好きなんだってことを、またそれを外国人さんに褒めてもらうことを心からのよろこびにしてるってことを忘れてはならん(逆に、失われた昭和の文化とアニメ以外に褒めてもらえるものがないことを、むしろさびしく思わないんだろうか?)。
というわけで、まだまだ自民党の天下はつづきそうだ。
だとしたら、ひたすらうまい没落が進むことを祈りたい・・・ところだが、この党はそっちのプランを考えてないので、そここそが最大のリスクなんだよなあ・・・
この国の民度=投票率52%。
それだけは事実。

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選挙結果を見ても、なんだか虚しいのだよなあ・・・
いぎたない自民党とあさましい公明党が議席を減らしたのは愉快だけど、野党がバカとニセ自民党ばっかときては、よろこびようにない。
ひとびとは投票にもいかないし、いっても選べる顔がないし、そりゃ大谷くんを観てる方がいい週末だわな。
・・・という、選挙期間を「メジャーリーグの世界一決定シリーズ!」に合わせてぶつけてきた政権党の策略にまんまとはまった国民の民度も大したものではある。
ぼくもまた、政治にはなんの期待もしてないひとりだ。
が、投票まで諦めてしまっては、政治に批判もできないよ。
投票しなかった人物には、その資格がない。
しかしまあそうした人物は、批判できるほど政治の中身を知らないのかもね。
政治は、そっとそっとわれわれの暮らしを改悪してるよ。
それを知ることなく「政治には興味がありませ〜ん」と言いきれる若者はしあわせだと思う。
政治は、その中身を知れば知るほど呪わしく思えるものだからね。
だけどそこから目を背けてるうちに、きみの足はそっとそっとどん底に落ちていく(つか落ちてた)わけだ。
日本はすでにどん底にいるんだよ、わからないのかな?
このへんまでわからないのなら、本当にしあわせなことだと思う。

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個人情報の保護に神経質にならなきゃなこの時代、「積極的な発言はしないほうがいい」「こういう媒体で本音を吐くな」って風潮になってますが、気にしません。
言いたいことは言わせてもらう。
データになったって平気。
おれはむしろ活動家でいたいので。
そもそも、いやしくもものをつくろうって人間が、発信を控えてどうすんの?
表現者でしょ?
体制に気を遣って迎合して、借りてきた猫みたいにおとなしく過ごして、「わたし、ものをつくってます」だって、ぷぷ・・・
黙ってろ。

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ぼくらが置かれてるひろがりを「時空間」と言います。
これはぼくらに感知できる四つの次元(上下と左右と奥行きと時間)がひとつながりになったものです。
これがですね、質量との相互関係でできてるのですね。
質量の周囲の時空間はゆがむ、と一般相対性理論は言うわけですが、結局、そのゆがみ自体が時空間なるものなのです。
ビッグバンの時に、いっせいに素粒子が放出されまして、その際の質量の発生によって根源的な何らかがゆがみ、時空感が生み出されました。
その素粒子ってのが、昨日書いた波動ってものでして、要するに「無のふるえ」です。
そいつは不存在で、エネルギーそのものなわけですが、いろんなふるえがお互いに相互作用し合って各種の現象を引き起こします(というよりも、素粒子自身が現象です)。
質量も素粒子の生むエネルギー現象のひとつなので、そいつがつくりだす時空間ってものもひとつながりの現象と言ってよく、よってぼくらが感知してるこのひろがりは(ぼくら自身をも含め)不存在です。
ビッグバンの最初期の特異点は、ひろがりなしの位置、つまり無体積の中にすべての素粒子を詰め込んでましたが、無限大のふるえと言えるこの怪物が時空間をゆがませ・・・いや、ゆがみそのものが時空間なのだからこの順序はメビウスの輪を構成しますが・・・とにかく宇宙ができたのです。
ぼくらは質量のつくるゆがみの中を加速しつづけてるし(重力現象)、ぼくという質量塊もまた時空間をゆがめ、そのマッチポンプ的なひろがりの中を生きてるわけですが、これが全部「無」の生む現象ってのが本当に不思議です。
光の速度に達すると質量が無限大になる(ゆえに質量を持つものは光速に達することができない)、とか、密度が無限大のブラックホールの中では時間が止まる(相対的に空間が極大化する)、とか、計算上では愉快なことがたくさん起きますが、それもまた実際なのでしょう。
時空間の発生ほどの驚くことでもなく、すべてはふるえの一形態に過ぎません。
ぼくらが関与できるこのせまいせまい感覚の範疇は、世界のほんの一部に過ぎないのだなあ、としみじみと感じます。
日頃の悩み?そんなのちっぽけなもんだよ、忘れちゃえ。

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