いい陽気なので、駅前でチラシを配ってたのだ。
しはんは日柄がよいと、ひとり飲みをする前に準備運動がてらにこうして手足のストレッチをする。
軽やかにステップを踏んで、腕を伸び伸びと伸ばすと、陽光と相手の笑顔もあって非常に心地よろしい。
と、背後から呼び掛ける声がする。
振り向けば、こちらより先にこのエリアでチラシを配ってた「ワクチンは毒だ!」「だまされるな!」のひとびとであった。
「われわれが先にここでチラシを配りはじめたのだから、別の場所でやってくれ」「そもそも一言挨拶をするのが筋ではないか」というのだった。
ちなみにこの場所は、メーテルやラムちゃんや明日のジョーの銅像が点在する広々としたデッキで、もちろん公共空間だ。
「いやいや、ここは(チラシを配る)誰もが共有するパブリックスペースで、いつも居酒屋やヘアカットさん、政治家などとシェアしてやっている」とやり返すと、納得のいかない表情だ。
そもそも、こちとら20年もこの場所で配りたおしてるし、昨日今日の新参者にでかい顔をされたくない。
「なに言うとんねんボケ、100年はえーわ」「てめえらの方こそ広場の隅でのたくっとけ」という内容を、天使のようにチャーミングな笑顔と、知性と教養と経験をにじませるレトリックで伝えて差し上げた。
すると、いよいよやつらの本音が出る。
「ぶっちゃけ、マスクをしてるひと(わたくしのことだろうか)と仲間だと思われたくないんですよね」「やってもいいですけど、遠く離れてください」ですと、なるほどなるほどそういうことか。
こっちの方こそ、こんな連中と友だちだなんて思われたら迷惑だ。
さっきも道ゆくおっさんから「このデタラメな張り紙を剥がしてくれ!」と抗議を受け、釈明に追われたばかりだ。
ワクチンの副作用の件は、科学理論一本ならまだ説得力が残りそうなのだが(ワクチンは怖いからオレももう射たんし)、マスクを?するなとな?・・・こうした頭のネジが緩んだいちゃもんがごちゃ混ぜになってくるからタチが悪い。
こうした手合いがマスクなしで無防備にコロナにさらされた結果、どれほどの人数が無様に死んだのだろうか?
ぜひデータにして、デッキの「ワクチンで〇〇人死んだ!」の立て看板の横で比較発表してほしいものだ。
日々着々と罹患し、苦しみ、死んで数を減らしていくこうした人種を見ると、なんだかかわいそうになってくる。
もう正論の理屈を説くのはやめて、遠くでチラシを配るわたくしである。
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この目の前にひろがる世界は全部マボロシなんじゃないの?
夢が現実で、現実と思ってるものが夢なんじゃないの?
この世は裏返しのあべこべ世界・・・
確かに、夜空に浮かぶあの月に人間がいって地面を踏みしめて帰ってきたなんて、うそみたい。
地球上の大変な面積がコンクリートにコーティングされて高層ビルが空を埋め立ててるけど、そんな量のコンクリートが地上にあるわけない。
電気なんて得体の知れないものが金属のパーツを動かして難しい計算をして、しかもそれが現実そっくりの映像になって画面で動くなんておかしい。
こんなふうに不思議になって、これはすべてわたしをだまそうという陰謀なのだ・・・とたまに感じる。
こうして生きてること自体も不思議。
ほんとに生きてんのかな?オレって。
手足を動かして、かゆいところを引っ掻いて、おいしいものをほおばって、大好きなひとと笑い合って、すべって転んで痛がってるけど、ほんとなの?これ。
デカルトは「我思う、故に我あり」と言ったけど、「我動く、故に我あり」とは言わなかったところが優れてる。
装置として活動する肉体を自己と認めず、装置を動かす根源のみを本質的なものと見立てた。
この身に装備された手足や感覚器までもが外世界(自己の外側)に属するもので、内側にこもった「霊魂」のみが真実の証拠だ、と思い至ったわけだ。
だけど「我思う」や夢やマボロシまでが、脳という装置内におけるタンパク質間の電気と化学物質のやり取りによるものだと知ったら、いよいよ混乱するんじゃないかな(彼は夢想家じゃなく、近代幾何学を発明した数学者なのだ)。
生命の芯のところがいよいよわからなくなる。
結局、人類が月にいったのかどうかは「我」の霊魂にはわからない。
それは外世界で発現した表象であって、それを報道したり喧伝したりする媒体もまた外世界に発現する表象な上に、そんな情報を拾い上げる感覚器の働きも脳における解釈も自己の外に発現する表象なので、真実なるものには永遠にたどり着けない。
だとしたら、脳の活動の中に閉じ込められてるらしき霊的なものの正体はなんなのか?
「我思う」自体が夢で、その夢が我思ってるわけで、オレの存在はいったいどこにあるんだろう・・・???
と、くるったふりをしてみたけど、不思議なことを面白く捉えてレトリックに起こして楽しんでくるだけなんで、みんな心配しないでね、びっくりした?
病んでなどおりませんので。
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政治の悪口ばっか言ってても生産的じゃないんで、鳥瞰して分析してみるけど、また悪口になったらごめん。
自民党があまりにも右に偏って、右翼と区別がつかなくなっちゃってる。
武装をし、天皇さまを崇め、靖国に奉じ、要するに戦国時代の「殿とお家のために命を捨つる覚悟の家臣」を真似て「お国と陛下のために自由を捨つる国民」を量産したい一部党勢力が・・・まあ安倍さんとそのエピゴーネンである高市さんなんだけど、そのひとを頂いて憲法まで変えたがってるわけだ。
そんな安倍さんを撃った人物は、ファインプレイと言ったら叱られるけど、実にタイミングよく苦々しい趨勢をちょん切ってくれた。
この事変のおかげで、醜悪な宗教問題も金がらみの腐敗もお天道さまの下で断罪することが可能になった。
安倍さんが生きてたら握り潰してただろう、あのひとはものの運び方がとても上手だった。
そして、古かった。
ナショナリズムは、世界のグローバル化という社会実験が大失敗に終わったカウンターによるワールドワイドな流れなんでしょうがないけど、日本だけはその右思想の内容にだいぶ勘違いが入って「昭和時代の古い文化こそが美徳!」「あの清貧と謙遜と真面目に立ち返れ!」「美しい国、日本」という謎の停滞願望・進歩拒否・・・すわなち独特な自民党的保守主義の形を取って、先進国の立場から二流、三流の地位に勇んで後退した。
その舵を取った安倍さんは、腕力が好きなひとでもあった。
そこで軍事増強と国土強靭化(土木公共事業)に熱を上げる一方、科学にも教育にも子育てにも金を回さなかった結果、この国は今や(というよりここ30年も)先進性も開発力も展開力も失った。
この国の政治は、民間のポテンシャルを奇跡的なまでに空転させる。
アジア諸国にまで経済的な置いてけぼりを食い、もはやどううまく没落していけるか?の道しか残されていそうにない。
人口といい経済規模といい、この国は確実に収縮に向かってるのだ。
前のブログで「日本はどん底」と書いたけど、森永チョイスの一片がどれだけダウンサイジングしてるか、その目で確認してみたらいい。
なのに政治家の口からは「発展を」とか「成長が」なんて根拠もなにもない、言えば美しくおいしそうな幻想が語られる。
どうやって?つか、なんで?ってのが、国民が生活の中で実感してる本当のところだろう。
そこで選挙だったわけだが、政権党があまりにも極右に偏向しはじめたんで、右系の野党がまともに見えてくるし、リベラルだった野党第一党はついに「中道の右め」なんてことを言い出した(そしてウケた)。
左サイドに取り残された共産党は、お友だちのロシア、中国、北朝鮮がやばすぎることもあり、もう見向きもされない。
時代は右向け右なのだなあ。
このまま国民が昭和の生活をつづけたいのなら古い古い自民党を政権に頂いてもいいけど、あるいはこの先は立憲民主党と、「勝者の側にいることが党是で政策は臨機応変」の公明党がくっついて国をハンドリングしていくのもいいんじゃないの?と夢想したくなる選挙結果と言える。
にわかに混乱と大変革の局面が近い予感がしてくるではないの。
・・・いやいやいや、期待はいかん。
この国の民は、昭和のひなびた暮らしぶりが大好きなんだってことを、またそれを外国人さんに褒めてもらうことを心からのよろこびにしてるってことを忘れてはならん(逆に、失われた昭和の文化とアニメ以外に褒めてもらえるものがないことを、むしろさびしく思わないんだろうか?)。
というわけで、まだまだ自民党の天下はつづきそうだ。
だとしたら、ひたすらうまい没落が進むことを祈りたい・・・ところだが、この党はそっちのプランを考えてないので、そここそが最大のリスクなんだよなあ・・・
この国の民度=投票率52%。
それだけは事実。
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選挙結果を見ても、なんだか虚しいのだよなあ・・・
いぎたない自民党とあさましい公明党が議席を減らしたのは愉快だけど、野党がバカとニセ自民党ばっかときては、よろこびようにない。
ひとびとは投票にもいかないし、いっても選べる顔がないし、そりゃ大谷くんを観てる方がいい週末だわな。
・・・という、選挙期間を「メジャーリーグの世界一決定シリーズ!」に合わせてぶつけてきた政権党の策略にまんまとはまった国民の民度も大したものではある。
ぼくもまた、政治にはなんの期待もしてないひとりだ。
が、投票まで諦めてしまっては、政治に批判もできないよ。
投票しなかった人物には、その資格がない。
しかしまあそうした人物は、批判できるほど政治の中身を知らないのかもね。
政治は、そっとそっとわれわれの暮らしを改悪してるよ。
それを知ることなく「政治には興味がありませ〜ん」と言いきれる若者はしあわせだと思う。
政治は、その中身を知れば知るほど呪わしく思えるものだからね。
だけどそこから目を背けてるうちに、きみの足はそっとそっとどん底に落ちていく(つか落ちてた)わけだ。
日本はすでにどん底にいるんだよ、わからないのかな?
このへんまでわからないのなら、本当にしあわせなことだと思う。
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個人情報の保護に神経質にならなきゃなこの時代、「積極的な発言はしないほうがいい」「こういう媒体で本音を吐くな」って風潮になってますが、気にしません。
言いたいことは言わせてもらう。
データになったって平気。
おれはむしろ活動家でいたいので。
そもそも、いやしくもものをつくろうっ て人間が、発信を控えてどうすんの?
表現者でしょ?
体制に気を遣って迎合して、借りてきた猫みたいにおとなしく過ごして、「わたし、ものをつくってます」だって、ぷぷ・・・
黙ってろ。
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ぼくらが置かれてるひろがりを「時空間」と言います。
これはぼくらに感知できる四つの次元(上下と左右と奥行きと時間)がひとつながりになったものです。
これがですね、質量との相互関係でできてるのですね。
質量の周囲の時空間はゆがむ、と一般相対性理論は言うわけですが、結局、そのゆがみ自体が時空間なるものなのです。
ビッグバンの時に、いっせいに素粒子が放出されまして、その際の質量の発生によって根源的な何らかがゆがみ、時空感が生み出されました。
その素粒子ってのが、昨日書いた波動ってものでして、要するに「無のふるえ」です。
そいつは不存在で、エネルギーそのものなわけですが、いろんなふるえがお互いに相互作用し合って各種の現象を引き起こします(というよりも、素粒子自身が現象です)。
質量も素粒子の生むエネルギー現象のひとつなので、そいつがつくりだす時空間ってものもひとつながりの現象と言ってよく、よってぼくらが感知してるこのひろがりは(ぼくら自身をも含め)不存在です。
ビッグバンの最初期の特異点は、ひろがりなしの位置、つまり無体積の中にすべての素粒子を詰め込んでましたが、無限大のふるえと言えるこの怪物が時空間をゆがませ・・・いや、ゆがみそのものが時空間なのだからこの順序はメビウスの輪を構成しますが・・・とにかく宇宙ができたのです。
ぼくらは質量のつくるゆがみの中を加速しつづけてるし(重力現象)、ぼくという質量塊もまた時空間をゆがめ、そのマッチポンプ的なひろがりの中を生きてるわけですが、これが全部「無」の生む現象ってのが本当に不思議です。
光の速度に達すると質量が無限大になる(ゆえに質量を持つものは光速に達することができない)、とか、密度が無限大のブラックホールの中では時間が止まる(相対的に空間が極大化する)、とか、計算上では愉快なことがたくさん起きますが、それもまた実際なのでしょう。
時空間の発生ほどの驚くことでもなく、すべてはふるえの一形態に過ぎません。
ぼくらが関与できるこのせまいせまい感覚の範疇は、世界のほんの一部に過ぎないのだなあ、としみじみと感じます。
日頃の悩み?そんなのちっぽけなもんだよ、忘れちゃえ。
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ものとは、存在ではなく、現象なのだ。
・・・というのが、相対性理論〜量子力学の取る立場です。
いわゆる「在る」という概念を捨てましょう、という。
この世界は波でできてる、とこのブログは口すっぱく書き立ててます。
間違っちゃいけないのが、海面に立つ波や地震波や音波など、宇宙に存在する波は媒質でできてまして、ブログが言うところの波は、そんな媒質そのものまでを構成してます。
さざ波は水を伝わり、地震の揺れは地球を伝わり、声は空気を伝わりますが、最後の波(いわゆる波動)には、媒質がないのです。
波動は根源的なもので、「無の震え」と言い換えてもよく、実体のない不存在なのですが、我々の感覚器に理解できるように計測して数値化すると波みたいに振る舞うので、量子は波、ってことになってます・・・つか、してます。
その世界像は、完全に数学的なのです。
そんな空疎な関数同士が相互作用することで、いわゆる「もの」「粒」という現象になります。
エネルギーが質量化するわけです(E=mc2)。
したがって、「ものとは現象である」「ものとは存在ではなく相互作用の結果である」「相互作用の結果とは我々の感覚器に捉えることが可能な様式の解釈である」となります。
世界の実相は、究極的には無である、と量子力学は結論づけてるのです。
科学は煎じ詰めると哲学になりますが、果ては禅になっていきそうですね。
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ノーベル平和賞を、原爆被爆者さんたちのチームが受賞。
あまりにも政治的になっちゃったこの賞ですが、財団も世界をいい方向に持っていこうと知恵を絞ってるようです。
それにしても、ひとの命が安くなりましたね、わずかここ三年ばかりの間で。
過去のどの時代よりも、核爆弾のトリガーが軽くなってます。
今日か、明日か・・・あっちでか、それともこっちでか・・・あいつがいよいよか、はたまたこいつがついにか・・・?
もはやシリアスに、いつどこでぶっ放されるのか予断を許さなくなってます。
起きそうなことは必ず起きるんで、それが飛ぶのは時間の問題なんでしょう。
世界初(ではないが)ってのは、ひとたび結果を経験すると感覚が麻痺し、ハードルが段違いに低くなるんで、やがてはじゃんじゃんと飛び交う事態になるはずです。
冷戦時代のパラダイムに「一発撃たれたら千発やり返す」ってものがありますが、とにかくこの手のケンカは勝者なしの両成敗、双方が破滅するまでそれは撃ちつづけられます。
とにかく一発目を撃たないようにさせなきゃいけませんね。
ところで自民党のウルトラなレトリックで、「相手が撃ちそうな際にはこちらが先手を打って相手装置を破壊してもいい」という専守防衛のすごい解釈が発明されました。
未来予測に対応するわけですね、さすがAI時代の防衛。
するともうAIが人類を破滅に向かわせるトリガーを握ってるようなものです。
ゆだねます?どうすんの?人類。
今年はノーベル物理学賞までAIの工学系が獲っちゃいましたが、いったいどんな世界を望んだんでしょうね、アルフレッドは。
つくるひと〜 売るひと買うひと 使うひと〜 ありてぞ武器に ころさるるひと〜・・・
「ひと」がAIに置き換わらないように、最新の注意を払って見守っとかないと。
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ぼくは、トランプさんには合衆国大統領になってほしくないな〜、と考えるタイプの人間ですが、日本にも横暴容認派のひとが半分くらいはいるんですかね、びっくりさせられました。
それはさておき、日本国の総理大臣が決まったんでした。
むっつりとした、いい言い方をすれば「無骨」、悪い言い方だと「おもんない」、軍事オタクのひとになりましたね。
それでも、いや〜ギリギリ回避したな〜、ってのがぼくの感想です。
もう一方の超右翼思想のおばちゃんがこの国のトップになってたらどうなることか・・・
今回の自民党総裁選は、バイデンさん対トランプさんみたいな、言えば「どっちもいやだあ」的な究極の選択だったと思います。
それでも軍事オタク氏が勝利したのは、国会議員票が「超右翼カルトのおばちゃんにだけはこの国の行く末を委ねることはできない」と嫌悪を表明するに臆することがなかったためだと評価したいところです。
ひるがえって、おばちゃんを一位に押し上げた地方の自民党員の民度ってのは、いやはや・・・それってちゃんとわかってのことなの?
この人物は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」の三本柱を憲法から永遠に葬り去ろうと汗を流したあべ思想の追随者です。
これは悪口じゃなく、本人たちも誇りを持って進めてる大事業で、実際に自民党の改正憲法草案にはこのことが明示してあり、党のスポークスマンも「この基本原則三つはいらないんです!国民は自由を犠牲にして国の大方針に従うべき!」と叫んでるくらいなんでなんの秘密でもないんですが、自民党員って心底からそれを支持してんですね、やっと腑に落ちました、本当にそうしたいわけだ。
すごい、本当にすごいと思います、その意味をちゃんと理解してるのならね。
こいつらがバカだったら(つまり無知無学ゆえのおばちゃん応援なら)まだ日本(自民党か)にも救いがあると思うんですが、きちんと理解しての「国家(天皇?)主権、軍国主義、人権よりも国策優先」をやりたいのなら、なかなかの担力だと思いますよ、なにしろ彼らは真っ先に特攻隊員として飛び立ってくれるらしい(あるいは息子をそこに差し出すらしい)。
ぼくは、それはいやだなあ、と思うので、憲法改正については考える余地があっても、自民党主導のやつには絶対に反対です。
が、自民党員ははっきりと賛成なわけです。
というわけで、考えましょう。
そんな極右思想のおばちゃんが総理大臣にならなくてよかったと「ぼくは」感じてるのですが、みなさんもひとを選ぶときは、人物周辺のことを少しは調べてからにしてね。
あなたの判断は、本当にひどいことになる紙一重のやつかもしれないのですよ。
選挙がはやばやとありそうですが、きちんと澄んだ目を持ちましょ。
うっかりトランプさんに入れてみた、というひとが合衆国にいますが、その結果はそのひとの思い描くものだったんでしょうか?
ましてや、投票券をゴミ箱に捨てちゃうようなひとは、いったいどんなひどい世界を望んでるんでしょうね?
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ここ数週間で短い小説を何本か書いたんだけど、なんかうまくまとまらなくなったやつの出だし。
もったいないんで掲載します。
ある細胞の独白
きみはママの中にいた頃のことを覚えている?その前にパパの中にいた頃のことは?あの頃、きみはきみだった?きみはいつからきみになった?・・・へんな質問でごめん。だけど、生命はどの時点で親のものから自分のものになるんだろう?そもそもぼくって、本当にぼくなの?この体は親のものじゃなく、自分のものって言いきれる?
今ぼくは記憶の底を探り、パパから放出されたときのことを思い出していたんだ。そのときのぼくは、はっきりとパパだった。パパの体でつくられ、「パパの一部」として分離されたんだから当然だ。そこから狭い道を通ってたどり着いた球体に飛び込むと、今度はママの情報が雪崩れ込んできた。ぼくはママになった。いや、パパとママが半々に入り混じった何者かになった。だけどそこに「ぼく」はいなかった。だってパパとママがくっついた細胞なんだから。ひとがひととしてつくられていく順序を知った今では、その細胞が実質のぼくだということは理屈でわかる。だけど納得はできない。それはぼくなんかじゃなかった。ママに器官でつながれ、ママの体と同化して、ママのパーツとしての自覚があり、その中にはパパとママの世界が詰まっていたんだから。だったら、ぼくはいつからぼくになったんだろう?
深くさぐるうちに思い出してきた。ぼくはそのとき、無の空間を漂っていた。その闇が、ぼくがつくり上げた最初の世界だ。やがて時が満ち、裂け目を割ると、光が開いた。そのときの経験は鮮明なものだ。突如としてひろがったまばゆさの正体は、おびただしい素粒子の海だった。そのひとつひとつがまるでパズルのように合わさり、感覚器の働きで新たな世界が組み立てられていく。ある波長を持った素粒子を、視覚が青として受け止めた。また別の波長のものは赤として、また別のものは白として感じられた。これはぼくには新鮮だけど、パパとママが感じていたと同じものだ。ふたりはこうしてそれぞれの世界を自分の中につくっていたんだ。ぼくもまたここから・・・初期化された無から、自分なりの世界をつくっていくわけだ。
不思議なことにぼくは「外に出た」とは感じなかった。「自分の内側に入った」という感動ばかりが沸き起こった。ぼく独自の多色多彩な世界が、ぼくの中に立ち上がっていく。目の前のひろがりが、奥行きが、さまざまな物体の運動が、感覚器に殺到してくる。ぼくはその情報を大急ぎで計算しまくり、素粒子たちの目まぐるしいぶつかり合いを風景として経験に落とし込んだ。そうして今いる病院の一室が、ぼくの印象世界として形づくられた。だけど・・・だけど、だ。それをしているのは、またしてもパパとママからの借りものの肉体なんだった。ぼくが相変わらずパパとママそのもの・・・控えめに言っても、ふたりの分身であるという事実は否めない。それでも彼と彼女の導くところによって、ぼくのオリジナル世界は詳細に、入念につくり込まれていった。
両親からの借りものの肉体を通じて、ぼくは感じているようだった。最初の空気を吸い込むと、さまざまな素粒子の組み合わせが浸透してきて、すみずみにまで巡った。その反動で、内側からの炸裂が起きた。「おぎゃー!」・・・そのエネルギーの振幅は聴覚で音声に変換され、肉体の裏側にあるぼくの世界を揺さぶった。そうするうちに、後にママ本体と知ることになる人物に抱かれた。彼女を構成する素粒子の激しい振動が、触覚に温度として感じられた。素粒子同士は電磁力でお互いに反発し合っているようで、それが感覚器には弾力として伝わり、そこにはまるで物質があるかのような幻想を抱かせた。つまるところパパとママ混在のこの肉体は、波として飛び交う素粒子の相互作用を実体もどきとして捉え、ぼくの内的世界に像を立ち上げてくるようだった。
抱かれたふくらみの先にあるぽっちをふくまされると、甘みと慈しみとに満たされた。素粒子が複雑に絡み合って化学的な反応を起こし、内部に染み渡っていく。力がみなぎる。そうしてエネルギーを得た肉体は、不意に能動的な動きを開始した。そのときの奇妙な、そして劇的な感動をどう表現したらいいものか。世界を動かせたんだ。自分の左右前方に配されたユニットが、ぼくの意思で操作できたんだ。五指のついたそのツールは・・・それは今思えば「手」だったが、ぼくがこう念ずるとこう動き、ああ意図すればああ動く・・・といった要領で操縦が利くことに気づいたんだ。
ぼくはこの借りものの肉体の操作マニュアルを理解しはじめた。こいつ、動くぞ・・・と。そのとき、はたと思い至った。ぼくの中で世界を構築しているものの存在に。今まさにぼく自身をつくり上げているものの正体に。なんということだろう。ぼくは「ぼく」を見つけたんだ。パパとママから与えられた借りもののような肉体を観察しているものこそ、ぼくの自我だった。この瞬間、ぼくはぼくになった。
・・・頭が煮え立ってて、小難しくしちゃったな。
またいつか引っ張り出して、最後の秘密のオチまで描ききろうっと。
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