今月の23日に誕生日でした。
そのときのよめはんの対応が素晴らしかったので、ここに開陳しますね。
その前夜(22日)の、日が変わる寸前のこと。
ふたりでテレビを観てたのですよ。
画面の左下に時刻が出るんで、「ああ、あと15分で誕生日かー」などとつぶやいてしまったのです。
そしたらよめはん、ああーっ、と背後で悲鳴を上げてる。
「それ今言ったら、サプライズじゃなくなっちゃうじゃん~」と。
そりゃ悪かった、うっかりしてた、と猛省。
なにが起こるんだろ、せめてあと15分間、じっとしてよ、と気配を消したわけ。
その間、ふたりはバラエティかなんかを観て、ゲラゲラと笑い合った。
そうこうしてるうちに、日が変わるまであと5分、って時間になり、よめはん、席を立つ。
そして、いそいそと部屋を出てく。
なにか準備をしにいったな、と素っ気なく待つことにする。
そこから日が変わるまで、そわそわ。
なにが起こんのかな、うまく嬉しがってあげられるかな、と脳裏で想定問答までしてみる。
ところが、そのまま0:00を迎えてしまったの。
誕生日がきちゃった。
よめはんは戻ってこない。
はて、と疑問に感じながらも、なおも待つ。
5分経過。
こない・・・
準備、長いな。
そして20分ほどが経過する。
ようやく、ドアががちゃり、と開いた。
よめはんの手は、空っぽ。
なっ、なに、なに?なにが起こるの?とドキドキするじゃん。
よめはんは、オレの隣に座り、ニコニコしてる。
「どうした?」と訊くと、「えへへ」と笑顔が返ってくる。
「ピーピーなって、たくさん出た」と。
・・・
あ、便秘が解消した、ってか、オレのさっきの料理が原因?
で、まあそれは置いといて、あの、オレ、誕生日なんですが。
よめはんここで、はたっ、「あ、そうだった」。
すでにぬるくなってるワイングラスを掲げてくるんで、乾杯をする。
んで、ほっぺにチューをしてもらった。
・・・やっぱそうか。
忘れてたらしいのだった。
一年間忘れてるのもすごいが、15分前のことまで忘れるとは、あんたニワトリ?
でも、こういう夫婦の距離感、なかなかいいぞ。
めんどくさくない。

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光を観測するのが「目をこらす」って作業なら、重力波の観測は「耳をすます」と例えられるんだ。
これによって、見えないものの実像がくっきりと立ち上がってくるんだね。
重力波が最初にとらえたのがブラックホールだったってのは、示唆的だ。
ブラックホールは、光まで閉じ込めちゃう不思議天体だから、光による観測はできないんだ。
ブラックホールは、すごい重力を持ってる。
すごい重力ってのは、つまり「体重が重くなる」ってことだよ。
地球の三倍の重力を持つ天体にきみが立ってるとすると、きみの体重は三倍になる。
ものすごく体が重くなるんだ。
ジャンプしてみると、地球上の3分の1の高さにしか飛び上がれない(精密に計算したらそうじゃないかもしれないけど)。
その天体で、地球上と同じだけ飛び上がるには、きみは「三倍のスピードでジャンプする」ことが必要だ。
もっと重力が強い天体にいったら、もっと速いスピードで飛びあがらなきゃいけない。
もっともっとものすごく重力が強い天体で飛び上ろうとしたら、もっともっとものすごく速いスピードが必要だ。
じゃ、光のスピード(つまり、この世界の最高速だ)を使わないと飛び上がることができないような天体があるとしたら?
そして、光のスピードをもってしても飛び上がれないような天体が。
そこでは、光も脱出できない、ってことになる。
光まで飲み込み、閉じ込めてしまう天体・・・それがブラックホールだよ。
そいつは決して光を出さないんで、どんな光観測装置を用いても、見ることができないんだ。
そこで、重力波観測装置の出番、となったわけね。
この観測装置は、前の章でも書いたように、最終的にはビッグバンの姿を明らかにしたいんだ。
ところが、ビッグバンの光ってのは、すでに観測されてるんだよ。
「宇宙マイクロ波背景放射」ってんだけど、要するに、ビッグバンのときにばらまかれた凄まじい光が、137億年たった今、どうなってますか?って話。
その頃の宇宙はとても小さくて(ただの点だった)、まったく均一に光はばらまかれたわけだから、宇宙が大きく引き伸ばされた今日でも、光は薄まってまんべんなく宇宙中に存在しつづけてるはずだ。
光は薄まると、電波になるんだって。
そんなビッグバンの名残の電波が、本当にこの現代の宇宙を満たしてたんだ。
「宇宙」の「背景」に「放射」されてるから、「宇宙背景放射」だよ。
そいつをついにレーダーで(たまたま)とらえた二人の人物は、ノーベル賞をもらったんだ。
この世界が生まれたときの光が、今もこの宇宙を満たしてるなんて、すごいよね。
この観測によって、ビッグバン理論は証明され、本当に世界が点から誕生したってことが裏づけられたんだ。
重力波でビッグバンをのぞいたら、どんな絵づらが立ち上がってくるのかね?
たのしみすぎ~。

おしまい、たぶん。

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興が乗ってるんで、つづけて書いちゃうよ。
重力波の観測がなぜ重要か、って問題だった。
ぼくらの目は、「可視光」って光を感知して、脳で処理して、イメージにフィードバックしてる。
可視光ってのは、波だ。
この波を解析して、具体像に起こしてるわけね。
宇宙の可視光を集めると、おなじみの星空の写真になる。
だけど、可視光で見えないものも見たいじゃん。
例えばお医者さんにいって、お腹が痛い原因を突き止めてもらうのに、目で見てもらうだけでは心もとない。
レントゲン検査(X線で体内を見る)をしましょうか、となる。
こんな具合に、可視光とは別の波を見ることによって、イメージはより多面的、立体的となる。
宇宙に目を向けてみると、可視光だけではとらえきれない現象がたくさんある。
じゃ、こいつを、今度は赤外線で見てみましょうか、それとも紫外線で見てみましょうか、となる。
そうすることで、星の組成がわかったり、温度がわかったり、そこでどんな事件が起こったのかがわかったりする。
光を・・・いろんな波を解析するってのは、そういうことなんだ。
さて、そんないろんなレンズで、1億光年先を見てみる。
その光は、ご存知のように、1億年前に放たれたものが、光のスピードで地球に向かい、やっと届いた今この瞬間(1億年後)に観測されてるわけだ。
波が、発信源から1億年をかけてひろがりつづけ、やっとぼくらの目に入るまでにひろがりきったわけ。
この調子で、10億光年の彼方を見てみる。
それは、10億光年の距離を隔てた遠くの風景ではあるけど、10億年前の光景でもある。
100億光年先を見てみる。
それは、100億年前の映像だ。
だとしたら、137億光年先を見てみたら?
それは、ビッグバン、すなわち、世界が誕生したときの光景だ。
137億光年の彼方を見るということは、137億年前に起きた現象を観測するってことなんだ。
ところが、可視光で、この距離のものは見えないんだ。
133億光年くらいのとこまでは、今のとこハッブルって望遠鏡で見えてるらしいんだけど、そこから先が難しい。
そして、見ることが絶対不可能なラインが存在するんだ。
ビッグバンから時間がたつこと38万年、ってラインだ。
そこまでは、宇宙がビッグバンの余波で煮えたぎってたんで、光(光子という粒子=波)が他の粒子とこんがらかってたんだ。
つまり、もやもやしててクリアに晴れ上がってないわけ。
見るべき光がそこにないんだから、どれだけ観測したって、可視光は拾いようにない。
赤外線もダメ、電波もダメ、X線もダメ・・・どの波もダメ・・・じゃ、どうすりゃいいの?ってことになる。
そこで、「重力波を拾いましょう」となるわけなんだった。
ビッグバンは、その後に世界を創りだすあらゆる物質、すべての質量を爆発的に吐き出した現象なんで、重力もすごかろう。
そいつを解析して、世界が形づくられた描象を立ち上げてやろう、ってわけなんだった。
そんな科学的野心が、重力波の発見の裏にはあったんだね。

あるいはまたつづくかも、でもつづかないかも。

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「重力波」なるものがよくわかんないから説明してくれ、というお便りが多いから(うそ)、ここで解説。
まず、重力というものについて知っておかないといけない。
質量を持つものの周囲の時空は、ゆがんでるんだ。
例えば、天体なんて大きな物体の周りでは、空間(と時間)が著しくゆがんでる。
そのギャップ間を・・・つまり、あるべき正常な位置からゆがみの底への最短距離を加速しつづける現象が、重力の正体というわけ。
これが一般相対性理論の「重力理論」だよ。
ニュートンさんは万有引力の理論の中で、「質量を持つもの同士は引き合う」と現象をデッサンしたけど、アインシュタインさんはさらに精密に、「どうして、どのように引き合うのか」という現象の構造を解体して見せたわけだ。
さて、ブラックホールってものが宇宙のそこここに存在する。
ブラックホールってのは、重すぎる天体が、内部からの核融合による膨張と、縮まらん(中心部に向かって落っこちん)とする大質量とのバランスを失って、重力崩壊した・・・つまり、自分の重さで潰れてしまった超巨大天体の成れの果てだ。
天体の全質量が、芯の一点にギュギュッと凝縮して、結晶化しちゃった状態ね。
無限に小さな一点に、恐るべき質量が集中してるんで、そこではものすごい重力が働いてるわけ。
なんでも吸い込んでしまう・・・というよりは、ぼくら人類の感覚からいくと、なんでもそこに向かって落っこちてしまう、って感じ。
つまり、えげつない大質量が、周囲の時空をおぞましいまでにゆがめてる状態だ。
そんなブラックホールが二つ合体した(お互いに「落ち合った」わけだ)事件が、宇宙の彼方で起こった。
そうしてひとつのブラックホールにまとまるわけだけど、当然こんな場所では、とてつもない時空のゆがみが発生する。
質量による時空のゆがみは、実はその周辺だけじゃなく、どこまでもいつまでもひろがりつづける。
これが重力波だよ。
何億光年も先で起こったブラックホール同士の衝突の際の重力の揺らぎ・・・つまり平たく言えば、時空のゆがみの余波が、地球上の時空をもゆがめてたわけだ。
そいつを観測した、ってニュースが、新聞の一面を飾ったんだった。
宇宙空間をじわじわと伝わってきた(光の速さでだが)時空のわずかなズレを、地上で感知した、ってことなんだ。
この精度たるや、すごいよねえ。
重力波は、アインシュタインさんが相対性理論の中で100年も前に予言してたやつで、最近の科学界では、「そろそろ技術的に観測できそうだ」ってんで、最も関係者の興味を集めてたトピックだった。
それがついに実現したんだよ。
じゃ、なぜその重力波を観測することがそれほど重要なのか?
それはまた次回、気が向いたときに解説しようかな。

つづくかも。

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東証平均株価がえらいことになってて、ちょっと愉快。
年金さえあきらめきる心意気があれば(安倍政権は、年金基金の運用を株にめちゃめちゃ突っ込んでて、国家予算と同オーダーという途方もない差損を膨らまし中)、この株価の動きは、おおむね日本経済の本当の姿を映してると言えそう。
テレビでは、日本の素晴らしいところを外国人にほめたたえさせる番組がおびただしいわけだけど、本当にするべきは、日本の産業、文化、政治・経済のひどい劣化をこそ伝えるべき。
原発にはじまり、ソニー、シャープ、東芝の電機産業界、食料品取り扱いに、建設業界からインフラ系まで、ひどいありさま。
これは、ただ技術力が衰えたとかじゃなく(衰えてることおびただしいんだけど)、人間性が失われた帰結なんで、その害たるや甚大。
いつまでも昭和時代の成功物語をいとおしんでなんかいないで、前に進もう、新しい文化を育もう、ってところに、つまりスタートにつかないと、本当に滅びるよ。
自民党は卑怯だし、民主党はバカだし、公明党は卑怯でバカだし、他のは箸にも棒にもかからないし、政治がひどく劣化してるわけだけど、その政策を支持しよう、って国民がいちばん劣化してる。
過去と今だけを見て安心して、未来という地獄を見ようとしないんだな。
異次元の金融緩和、ありがとうございますー、というひとは、引き締めのタイミングで異次元の地獄を見るってことがわかんないのかな?
財政出動、ありがとうございますー、というひとは、それを返す子供世代の地獄が見えないのかな?(世代交代前に地獄はやってくると思うけど)
成長戦略、ありがとうございますー、というひとは、贅沢がどれだけの構造的無理を生んで未来をひずませるのか、理解できないのかな。
すべてが「今だけかっこつけとこう」の空回り。
未来を使い捨て。
こどもたち、かわいそう。ま、がんばって、わしらは逃げ切る、の構図。
ただひとつ、すべてがうまくいく方法がある。
構造改革だけ。
まず、借金を減らさない?
未来を楽にしない?
借金が減りはじめてこそ、人々はお金を貯蓄に回さなくてすみ、安心が経済を回しはじめ、異常な金融いじりという辻褄合わせをしなくてすみ、無駄な作業に費やしてたコスト、ストレスから解放される。
地獄の入り口から抜け出すには、「もったいない」の徹底しかないんじゃないか、と思ってるとこ。
欲を捨てようよ。
どうせ経済が破綻すれば、「もったいない」「もったいない」と言って拾い食いをするしかなくなるんだから。
「今の快適」に、どれだけの未来が犠牲になってるか考える。
それが知性ってもんなんじゃないの?

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ヤマ電(ヤマダ電機)にて。
プリンターのインクを買いにいったのですよ。
6色タイプのプリンターなんだけど、「シアン」だけ在庫があるから、残りの5色を買い求め。
そしたら、6色入りパックが5700円なり、5色を別々に買うと、5500円(1色=1100円)なり。
パックで買ったほうがお得だが、シアンは必要ない。
どっちを買おうか、悩む・・・
そこへ、副店長なる人物が現れ、「どうされました?」。
これこれこうで迷ってるのだ、と窮状を訴えると、「おまかせください」とばかりに、やおら電卓を取り出し、ひどく難しそうな計算をしはじめた。
たっぷりと、延々と時間を使い、すごい高度な計算をしている。
そしてついに、ピッ、と答えが出たようだ。
「個別5色、5500円のところを、5000円でいかがでしょうか」
なんの計算だったのかは理解できかねるが、わーい、てなもんで、ふたりでレジにいった。
それとは別に買い求めた小物との合計で、5637円なり。
そこで、財布からチャリ銭を出してみると、636円が入っている。
1円だけ足りない・・・
頭上のスピーカーからは、「お値段のことならお気軽にご相談ください」の連呼。
思い切って、「1円まけてもらえませんか?」と切り出してみた。
すると、驚愕の返答。
「できません」。
うそやろーっ!!
なんでーっ!?
「どうしても?」
「ええ、どうしても」
「まからない?」
「まかりません」
意味わからへん。
長々とやり合ったが(面白くなっちゃって)、最終的に、ポイントカードから1ポイントだけ支払うことになった。
よくわからんなあ、ヤマ電の値段交渉・・・

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ひさびさに夫婦ゲンカらしいやつをやらかしましたわ。
友だちの結婚式だってんで、黒スーツを引っ張り出したわけですよ。
アオキの吊るしの安もんですが。
それを着て、さあ夫婦で気分よく出かけましょ、ってとこですよ。
ちょっと待て、とこう言うんですわ、よめはんが。
その靴下はなんや、と。
ぼくがはいてたのは、先だって、よめはんが買ってきてくれた、まあカジュアルなあったかソックス、色的には落ち着いてるけどね、みたいなやつでして。
これなら別に構わんだろ、だいたい、ひとの目に触れるもんでもない。
しかし、よめはんには許せないらしい。
これからフォーマルな席にいくんだから、ちゃんとしきたり通りに黒靴下をはけ、というわけです。
ぼくはハナっから結婚式自体をバカにしてる男なんで、そんな必要はない、と完全かつ最終的な態度で拒否するわけです。
そもそもよめはんの装いが、まるで専門学校生が渋谷に出かけるかのようなかるーいイラスト柄のワンピース、宝石の一つもなし。
お前のその格好で、その物言いができるものなのか、とこちらとしてはまったくの理解不能。
相当に言い争った挙句に、そのまま出かけたわけです。
そしたらよめはん、まだ黒靴下に執着してたらしく、コンビニで買う、と言いだすわけです。
ほう、そこまで険悪な雰囲気にしたいのなら受けて立とう、と、こっちとしても面白くなってくるじゃないですか。
ひとに「これをはけ」と命じられたら、死んでもはかないサムライなんで、ぼく。
結局、コンビニに靴下がなかったらしく、一件落着しましたが。
これで買ってきてたら、間違いなく結婚式にも行かんかったと思いますわ。
そういう事の荒立て方だったぞ、反省しろ、よめ。
そして、サンキュー、ローソン。
なんでもあるものと思ってたら、それだけを置いとかないとは、なかなか気が利いてたぜ。
それにしても、女が女友だちと会うときのあの気の使いようって、一体なんなんだろうなあ・・・
気持ち悪いよう。

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マルエツにいくと、「桃太郎」の歌がかかってるんだけど、耳につくのが2番ね。

あげましょう、あげましょう、これから鬼の征伐に、ついてくるならあげましょう

このくだり。
参議院選挙の自民党戦略が思い浮かんでならないんだけど。
「お金ならじゃんじゃんあげまーす(なんたって、選挙前ですから)」「そのかわり、鬼の成敗についてきてくださいね」。
ちゃうん?
お金の欲しいひと、鬼の征伐にいってくださーい。

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言わなくていいことまで言っちゃうのが、このブログなわけですが。
やっぱり、韓国の慰安婦少女像の件ですね。
この場所にこれをか・・・ってのがまず問題です。
これを見た世界中の誰もかれもが、ドン引きしてるに違いありません。
慰安婦さんたちを応援しよう、ってひとでさえも見たくなかった、粗忽な振る舞いでしょう。
この像で、日本人を反省させようったって、ぜったい無理とわかりそうなものなのに。
ひるがえってこの振る舞いは、大使館に足を運ぶ日本人をうんざりさせてやろう、って効果のみを狙ったものと見て間違いありません。
この少女には申し訳ないけど、見苦しい、としか言いようがない。
少女自身がかわいそうに思えてきます。
問題がクリアになった以上、一刻も早く撤去するべきでしょう。
でないと、見識ってものが疑われてますよ。
韓国のひとも、ナントカ協会に教えてあげたらいいのに。
みっともないですよ、と。
ただただ有利な立場から、手出しできまい、と目線を下にしてケンカを売ってる、の図です。
ぼくは、慰安婦さんたちには心からの謝罪を、と願う日本人ですが、この手の振る舞いの見苦しさには耐えられません。
アピールするならするで、もう少し美しい方法論を用いないと、世論への浸透は逆効果となりますよ。

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よく酒場なんかでさ、生ビールをサーバーから注ぐときに、わざと泡をこぼすやり方をする店員がいるじゃん。
名店、と言われる店ほど、そんなやり方をしてる印象。
あれはなんなの?
あれでおいしくなるのかな?
率直に言って、あれ、ビールがまずそうだよね。
文化を持つ人類の感性は、まずそう、と直感した瞬間に舌がまずさを感知するわけだから、結果としてぼくらは、まずいビールを飲まされてることになる。
そういう「高度な」技術なのかもしれないけど、受け入れがたい。
だいたい、グラスがベタベタになる。
それを拭いて出してるわけでしょ?
粗相とどこが違うん?
意味わかんないよ。
美意識というものが感じられない。
だいいち、ビールに対する愛がない、と一喝したい。
ビールに愛を感じてる策士ほど策に溺れて、こういうやり方をうっかり取り入れちゃうのかもしれない。
だけど、おいそりゃ間違った愛だぞ、うすっぺらいぞ、と教えてさしあげたい。
美しさのないところに愛があろうはずがない。
あさはかな技術に逃げないで、もっとおいしく、しかも美しく注ぐ方法を探求しなければ。
中国の煎茶道でも、じゃんじゃんこぼして注ぐ作法があるけど、おいしそうには見えないし、不潔そうであまりいただきたいとは思えない。
科学的においしいのかもしれないけど、それはサービスの過剰、慇懃無礼というもの。
最もおいしい状態のビールを、最も効果的な方法で、しかもピタリと美しくお出しする。
それが職人の腕ってもんだし、愛ってもんだろ。
文化の意味をもう少し掘り下げて考えるべきだ。

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