占いはあまり信じないけど、信じてるものは何個かある。
毎朝、パソコンで麻雀ゲームをやるんだけど、こいつの勝ち負けは重要だ。
トップを獲れば、その日は絶好調に過ごせるし、ハコを割ったら、要注意の一日となる。
朝の情報番組の占いを見せられると苦々しい気持ちになるわけだけど、わが麻雀システムは、運勢を実力で勝ち取るものなんで、直接に一日のテンションに影響してくる。
かくて、一位なら本当にいい一日になるし、最下位なら本当に凹んだ一日となる。
占いのメカニズムとは結局、こういうものなのだ。
もうひとつ、信じてる占いがある。
これは「丁半」の賭博に近いかもしれない。
意外とやってるひとは多いに違いない「ブラジャー占い」だ。
二人暮らしである我が家は、洗濯は数日置きに行われる。
その間に、よめはんのブラジャーがたまってく。
これらを洗濯し、干すのはわが任務なのだが、この干すときに、どっちをつまみ上げるか、なのだ。
つまり、ブラのホックの。
ブラジャーには、背中で接続するべき二端があり、それぞれに別形状のホックがついてる。
ホックにはオス型とメス型があり、つまり立体的に盛り上がった「ツメ」側と、扁平な「ウケ」側がある。
このホックを洗濯物干しのピンチにはさむには、ウケ側の平らな部分が必要だ。
すなわち、ブラをつまみ上げる際には、当たり外れが存在するのだ。
洗濯カゴに手を突っ込み、運よくピンチに据わりのいいウケ側をつまみ上げられればポイント獲得、ツメ側をつまんでしまった場合はマイナスポイントとなるわけだ。
その「何勝何敗」というアベレージが、その日一日の運気の量となる。
しかしここでなかなか厄介な問題が発生し、そのためにイレギュラーなルールを設定しなければならない。
洗濯カゴからは、よめはんいったい何枚持っとんねん、というほどのブラが姿を表すが、その中に「ホックなし」のブラ、すなわち、オスもメスもつなぎ目もない輪っか状の「頭からかぶり式」のものが一枚だけ存在するのだ。
こいつは最悪だ。
なにしろ、運気の判断がつかない。
そこでこいつは「ボーズ」として扱うことにする。
百人一首を用いたお馴染みのカードゲーム「坊主めくり」のボーズだ。
こいつを引くと、今までの勝敗数がノーカウントとなり、次の一枚から勝負のやり直し、となる。
負けが込んでるときには、ボーズはラッキーな徳政令となり、勝ちまくった末の最後にボーズをつかんだ日にゃ、思わずベランダでへたり込みたくなる。
こうした天の気まぐれにより、わたくしはその日一日の運気をコントロールされてるのだった。

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スガダイローは、フリージャズのピアノ侍。
その知り合い、という生徒さんに紹介してもらって聴きはじめたんだけど、どんズバにはまってしまい、例によって手に入る限りのものをコンプリート中。
「渋さ知らズ」ってラッパ系のバンドでも弾いたりしてるんだけど、騒々しい演奏は苦手なんで、ソロや小さな編成のものを専門に聴いてる。
このひともバークリー音楽院の卒で、上原ひろみと同期ってことらしい。
天才はこんなふうに響き合うのかなあ。
だけどこの侍は、彼女のようなチャレンジングな期間は終えたかの達観した空気というか、到達感を漂わせてる。
フリージャズといったら、ガチャガチャしてて、猥雑で、楽しさ命で、今この場さえ乗りきりゃ成功・・・とは言わないけど、とにかくなんでもありのムチャクチャな破滅的即興演奏、ってイメージでしょ?
このひとのは違うのだ。
フリーなのに、優雅と言っていいほどに濁りがない。
音のひとつひとつに意味を持たせて、きちんと聴かせるタイプ。
感性の炸裂じゃなく、理で音を選んで叩きつけるというか。
破壊的ではあるけど、文学的とでも言えばいいのかな。
破れかぶれモードになっても、流れを破綻させず、流暢につないでいける。
音のつまずきがないわけ。
どれだけ激しく暴れ狂っても、規律を重んじるために、響きが理知的なのだ。
「フリージャズとはズレと見つけたり」と言ってズラしてるわりには、高度に洗練されてて、なによりも丁寧。
なので結果、刹那的、表面的になることなく(ひらめきの即興は、びっくり箱ではないのだ!)、その音は深く、分厚い。
野武士を志向してるたたずまいだけど、ここはやはり、侍、と呼ぶのが正しい気がする。

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駅前で飲んだ帰り道。
家にたどり着くまでに、長い長い坂がある。
この心臓破りで、結構な脚力を使わねばならんのだ。
「ダンシング(立ち漕ぎ)」をして、坂に挑みかかった、そのときだ。
隣で20代前半と思われる若者が並走してきたのだ。
レーサーに乗っている。
やつも尻を浮かして、本気モード。
そこから結構な距離を、どっちが前にいくでもなく、並走している。
うざい。
そこで「このやろ〜、ようし、競争だっ」と叫んでやった。
するとあっちも乗ったのか、目の色を変えてきた。
坂はだんだんと勾配を急にしていく。
えっちらおっちらと、ゆっくりゆっくりの並走から、徐々にあっちが前に出はじめる。
最後は大まくりで逃げられた。
「くっそ〜、今日のところはお前の勝ちだあ」と背後から叫んでやった。
「あはは〜」とライバルは去っていった。
昨夜の勝負の話。

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シャープに東芝、三菱自動車にタカタ・・・
今や日本企業は、世界で「アホのお手本」になってるカンジ。
ダイソンはえらい。
「ものすごく吸う掃除機」をつくった。
日本の製品は、「そこそこ吸う」「だけど強くしたり弱くしたり内蔵されたコンピュータが勝手に考えて調整してくれたり小さなものに特別な反応をしてくれたり外からスマホで動かせたりカメラがついててわずかなゴミを決して見落とさなかったり排気が環境に優しかったり高性能な消音装置のおかげで赤ちゃんが寝てても大丈夫だったり他にもたくさんたくさん機能があります」が、誰が買うねんそんなもん。
吸えばいいの、掃除機は、ダイソンを使えば一発でそれがわかるし、感動すらさせられる。
技術がない、ってんならまだ救いがあるけど、技術があってアホ、だから始末に負えない。
そうしてるうちに、つぶれて、技術がライバル国に流れて、あちらは繁栄し、こちらは没落の一途、となる。
技術がある、とは言ったけど、それは先端技術ではあっても、最先端技術じゃない。
未来的な技術となると、すでに日本のものは相当に見劣りがする。
原子力?
いつの時代の発電装置なの、それ。
ハイブリッド?
そんな古い技術は捨てて、次にいかんかい次に。
これは政治のせいでもある。
今の政権党は、過去に固着しすぎ、未来を描くことができない。
一切の政策が、未来を蝕んでると断言できる。
かわいそうにね、子供たち、きみらはこんな国に生まれてしまったのだなあ。
その保守的な政治を選んでるのは「自分かわいがり」の親の世代なんで、結局日本は国民全員の意思でもって、緩慢に没落の道を進んでいく。
そんな没落の道に慣れてない、ってのもまずい。
縮小なんて悪いことじゃないのに、拡大にこだわった挙句に、ごまかしたり、だましたり、って卑怯なことをしちゃう。
それが日本企業の姿。
「外国人にほめてもらう番組」が花盛り。
はずいわ。
どんだけのコンプレックスの裏返し?
ほめてもらってますがね、中身、こんなですわ、日本。
アニメやマンガがクールジャパン?
幼児愛を合法的に露出できる機会が歓迎されてるだけなんじゃねーの?
むしろ、外国人にけなしてもらいなよ。
でなきゃ、目が覚めないでしょ。
真面目にやれ、と言いたい。

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日曜の朝、東の空が白みかけた頃によめはんが、隣で寝てるオレの肩をトントンと叩く。
「わたしの目、どうなってる?」
寝ぼけまなこをこすってよめはんの顔を見る。
飛び上がりそうになった。
両まぶたが腫れ上がって、しかもその両目から血を流してるのだ!
「呪怨〜!?」
あまりにもシリアスな光景に、思わずおしっこをちびりそうになったが、大人なのでそこは我慢して一滴もこぼさず、震え上がりながらもう一度よめはんの顔を見る。
この顔を、かつて見たことがある。
亀田大毅と壮絶な試合をやった後の、内藤大助だ。
「目えや、目に入れろ!」とセコンドの興毅が叫んでたあの試合ね。
あの腫れ上がった目なのだ。
どうやら、どこかで強烈なパンチをもらってきたらしい。
布団から顔を突き出してくる隣の内藤さんに、「こりゃ結膜炎だな」と診断を下してやった。
日が昇り、日曜でもやってる眼科に駆けつけると、受付の看護師嬢はよめはんの顔を見た途端に「どうぞこちらに」とVIPルームに・・・すなわち特別室に隔離してくれる。
ものすごい感染力を持つ「流行り目」らしいという診断で、二週間の自宅待機を命じられる。
仕事人間のよめはんにとっては、二週間という大連休は初めての経験だ。
目が開かないので、自宅仕事もままならない。
二日目にはもう退屈してきて、出歩きたい、という。
目も開いてきたんで、ウロウロすることくらいはできる。
だったらついでにチラシのポスティングをしてもらおうと、工房の新チラシを渡・・・そうとしたが、これはやばい。
チラシを手にした者が、みんな目をやられてしまう。
まことにわかりやすい、わが工房を発生源とするパンデミックが学園町を壊滅させることになる。
あきらめたよめはんは仕方なしにまた布団にくるまってるが、病気とは不自由なもんだなあ・・・
健康って大切。

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よめはんが数ヶ月ぶりに、料理をつくってさしあげますわ、と言う。
しかも、冷蔵庫内の残り物のみを用いてつくってごらんにいれる、と。
ほほう、それは楽しみ、と待ってみる。
冷蔵庫の中には、オレがこっそりとひとり飲み用に秘匿して忘却の彼方と成り果てた、4〜5日前のヒラメとカンパチの刺身(サク)があった。
厨房とは、誠に命を懸けた実験場でもある。
腐っているかもしれないが、いちかばちか切って出してみよう、とよめはんは思い立つ。
ヒラメの方は色も大丈夫そうなのでお造りにするが、カンパチの方がやや変色し、手触りにもぬるぬる感があるので、こちらは焼いてやれ、と(捨てないで、調理を)決意。
バジル塩を振って、グリルしはじめる。
結論から言えば、カンパチは熟成が進んだものか、金目鯛のような風味が醸されており、なかなか美味であった。
ヒラメの刺身も、アミノ酸の分解が長時間進み、旨味を増して上々。
言えば、ギリギリセーフ・・・(ギリギリアウトのような気もするが)
よめはんは、どうやらギャンブル(ダンナの命を懸けた)に勝ったらしい。
さて一方、メイン料理なのかよくわからない位置付けだが、厨房のよめはんはオカズをもう一菜、手に掛けている。
ツンとものすごい匂いが漂ってくるが、ここまできたらなにも言うまい、とただ待ちわびる。
できましたよー、と食卓に供されたこの一品。
新鮮シャキシャキなサニーレタスがどういうわけか黒酢にあえられ、その上にハムと卵と新玉ねぎをジュウジュウと炒めたらしきものが載っている。
口に入れてみると、これが・・・得も言われぬ風味がする。
冷たいものと熱いものが一体化して生ぬるく、謎の猛烈なすっぱ味が立ちのぼって鼻腔の奥に淀み、豊潤濃厚な風味が口内にいつまでも循環して立ち消えてくれない。
ただひとつ、これに似た味を知ってるのだが、「腐った味」とは口が裂けても言えない(言ったけど)。
現代社会においては、久しく「まずい」というシロモノに出会っていないわけだが、なんだか遠い日の感覚を思い出す。
日にちの経過した刺身が腐っていなかったにもかかわらず、新鮮そのものの野菜その他を用いた料理で、図らずも「腐り味」を再現してしまったこのよめはんは、やはり天才なのかもしれない。
ふと目に入った黒酢を、直感で振り掛けてしまうセンスはなかなかのものだが、この黒酢もまた、数年前のものなのであった。

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送りたい荷物があるんで、郵便局に集荷の電話をかけたの。
オレは窓口まで直接持ってく派なんだけど、重くて自転車のカゴにおさまらないものは、あっちから取りにきてもらうしかないのだ。
んで、指定のフリーダイアルにかけてみる。
つながると、まず「米印と1を押してください」とくる。
実際には「コメジルシ、ト、イチ、ヲ、オシテクダサイ」と相手は言ってるのだが、ここでムカつくのは早すぎる。
で、押す。
すると、「集荷場所(オレの住所)の郵便番号を」プッシュボタンで打ち込んでくれ、とくる。
わが大泉学園町は、178−0061なので、こいつを押す。
すると、大泉学園町、つまり同じ町内にある担当局にやっとつながるわけだ。
「集荷受付です」と、人間の声。
やれやれ、と思い、荷を回収にきてほしい旨を伝えると、相手は「そちらの電話番号を」教えてくれ、とくる。
ところが、「ええと、3925・・・」と言いかけると、そこでさえぎって、「03からお願いします」とまさかのダメ出しをされるではないの。
ええーっ?
こっちはさっき住所を打ち込んだんやから、お前と同じ大泉学園からかけてることくらいわかるやろ。
毎度のおばはんだ。
いつもここで引っかかるのだ。
つか、「03からお願いします」って、なに?
知ってるやん!
百歩譲って「局番からお願いします」ならまだわからんでもないが、まじで、なに言うとんのお前?
わけわからん・・・
今度集荷の電話をかけるとき、このおばはんが出たら、いちばん効果的でいちばん面白い返しをしてやろう、と策を練ってるとこ。
だけどこれも思い返せば、毎度引っかかって、毎度対抗策を練って、だけど毎度忘れて、毎度同じ電話をして同じ「03から・・・」と返されてるんで、また次回も同じことを繰り返すんだろうなあ。
しかし、よくこれでやっていけてるな、郵便局。

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いちばん大切なものをかなぐり捨てて、すでに原発屋と成り果ててる東芝は、さっさとつぶれていい。
経産省は、東芝と日立と三菱とで「日の丸原発会社」なんてのをつくろうとしてるけど、こりゃ、日立も三菱もつぶれるぞ。
つぶさなきゃいけないのは、経産省だよなあ・・・
なんで日本「政府」は、こんなにも原発にこだわるんだろ?
世界じゃ、すでに原発に見切りをつけて、自然エネルギーに大挙してシフト中。
その方がはるかに安全で手っ取り早くて、しかも技術革新の伸び代に限りがない。
いったん取り付けさえすれば、燃料費もゼロなんで、誰が考えたって、そこに行き着くのは自然の理。
結局、原子力で国土の大きな部分を失った日本だけが、原子力の世界に固執し、取り残されてるわけだ。
東芝も、最近のニュースでは日立もそうなんだけど、いったい原発のためにどれだけの無駄金を捨ててんのよ。
福島の事故でも、国庫は20兆円をすでに散らしたけど、ここで問題にする天文学的なコストは、事故後のやつじゃない。
昨今では、原発一基を建てよう、と決めても、コストが際限なく、「何割増し」どころじゃなく、「何倍」「何十倍」にも跳ね上がり、どこまでいっても工事を終わらすことができないんで、誰も手を出せないでいる。
そいつを日の丸原発会社は、一手に引き受けましょう、と輸出に前のめりになってんだから、カミカゼだよなあ。
関係会社は絶対つぶれるよ、お年玉を全部賭けてもいい。
原発推進は、被害者になりながら加害者になるってこと。
いいことなし。
品位も節操もない。
最も大切な美意識もない。
福島のデブリは、水の底で今も生きて呼吸をしてる。
あいつは、永遠に超高熱を出しつづける。
数百万年の間に、片時でも冷却できなくなったら、アウト。
いっそ、もう一度目を覚まして、首都圏をこっぴどい目に遭わせてくれないかな、とも思う。
そうでもしないと、推進したい連中には理解できないみたいだ。
それにしても、あの事故を起こしといて骨身に沁みないとは、たいしたキモだよなあ・・・
いやそれ以前に、このバカバカしいまでのコスト計算だけで、原発カードがババだと理解できないなんて、頭が悪すぎる。
日本の官庁、そして企業も、劣化が極まった感がある。
フクシマのやらかしで、世界中がもう懲りたってのに、ついに日本だけは懲りませんでした、という不思議なお話。

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大好きなジャズピアニスト、ブラッド・メルドーは、いろんな相方を見つけてきては、新しい音楽を模索してるのだった。
エレクトリックなものから、ソプラノサックスとのデュオや、クラシック歌手とのオペラチックなものまで、変幻自在。
リズムセクションを入れようとしないのは、ピッチが正確に刻まれてると、音が枠にはめ込まれたように硬くなって、飛翔できないと感じてるんだろう。
タイコやベース音にわずらわされずに、音に没入したい、ってのもあるのかもしれない。
完全に入り込んで、フリーに走りだしたときの凄みといったら、「命を削ってる」って言葉がぴったりするほどだもんね。
それが嵩じたのか、最近の作では、ノイローゼ気味に前衛の方向(いわゆるフリージャズじゃなく、超絶技巧の方)にいっちゃって、聴者置いてけぼり感があった。
そのカウンターバランスと言いたくなる本作では、非常に軽やかなアイリッシュ仕立て。
ブルーグラス畑のマンドリン&ヴォーカルというクリス某は、ちゃかちゃかと小刻みな弦音を爪弾きつつ、伸びのあるというよりはむしろ稚拙に張り上げる声で曲をリードしていくんだけど、これにブラッド兄さんは自由自在なピアノをのっけてまして。
これが実に、かつて兄さんの曲では聴いたこともなかったような愉快な雰囲気。
二本の手、十本しかない指を迷惑なほどに器用に操るブラッド兄さんは、三つ四つの旋律を同時に繰りひろげるという離れ業(ジャグリングに似たピアノ奏法だ)を極める作業にしばらく夢中だったんだけど、今作では一転、心をほどいて遊んでる。
神経まで蝕まれそうな艱難辛苦の作業で脳に汗をかいてたこのひとにとって、トラディショナルなストライドピアノなんて、お茶の子さいさい。
しかしそこもまた、ただの速弾きで終わらせないのが職人魂ってもの。
寄せては返すリズムの反復の中に、同じ音がひとつとしてない。
ど、み、低そ、み・ど、み、低そ、み・・・の繰り返しが極論すればストライド奏法なんだけど、このコードの作法だけは崩すことなく、手を変え品を変えて、どんどん別の音に展開していく。
そのボキャブラリーの広さときたら。
そうして曲が単調になることから逃れ、奥行きをほじくり、世界を複雑玄妙に構築していく様は、まさしく吟遊詩人の真骨頂。
田舎風なのに新しいなあ、とうならされる。
このデュオも、若い子を育ててあげよう、って気まぐれからはじめた気配があるものの、プレイ自体はまったく相手に対してフェアで、戯れとは言えども、実力全開、能力余すところなく開陳。
いや、むしろ、新進気鋭から刺激を頂戴して自分の血肉にしてやろうとする意欲がすごい。
こうなってくると、相方の若者ヴォーカルも恐縮・・・なんて微塵も感じさせないノリノリ。
ははあんなるほどここまで遊んでいいわけね、という以心伝心による相乗効果と言っていい。
あまりにたのしい遊びの時間は、夕暮れが近づくにつれて切なさに胸苦しくなってしまうものだけど、この明るい曲調と当意即妙の掛け合いはまさしくあれだ。
ふたりの子供がゲラゲラと絡み合いながら芝生の上を転げ、固く結んで離れたがらないような光景がなぜか思い浮かぶ。
双方ともに神がかった演奏で、息もぴったし。
たのしすぎて、うれしすぎて、めまいまでしてくる。
それにしても、こうまでイチャイチャされると、やっぱ、と思うのは、そっち方面のひとなのかなあブラッド兄さん・・・ってことなんだった。

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タバコの規制が進むのか進まないのか・・・
飲食店内でタバコを吸うなんて、テロと同じ行為だと思うんだけど、日本人は鷹揚だ。
以前にTEDってアメリカのプレゼン番組を観てたら、銃規制について興味深いことを言ってた。
アメリカでは銃を持つのがあたりまえのことだと思ってるけど、タバコのことを考えてみて、とプレゼンターは言うのだ。
「以前は、誰もが飲食店でタバコを吸ってたものだけど、今は誰も吸わない。吸わないことがあたりまえで、そこで吸いはじめるようなひとがいたらギョッとするでしょ」と。
そんな具合いに、銃を持たないことがあたりまえの世界にしたい、と。
タバコを飲食店から完全に追い払ったように、銃を追い出せばいいのだ、と。
日本も逆の発想をすればいいのだ。
日本国内に、銃がないのはあたりまえ。
そんなふうに、持ってることが不自然に思えるくらいに、タバコもなくせるはず。
日本だって、かつては所かまわずタバコをふかしてた時代があった。
植木等の映画で、入院中の主人公が病院のベッド上でタバコを吸いはじめたときは、さすがにのけぞったよ。
それが今や、タバコは限られた場所でしか吸わないのがマナーになって、浸透してる。
そうして、あたりまえを積み上げていけばいいのだ。
「タバコを吸えなくしたら、飲食店の客が減る」なんて規制慎重派は言うけど、あり得ないよ。
タバコを吸う客は、確かに禁煙店にはいかなくなるかもしれない。
だけど実は、タバコを吸わない客もまた、煙をもうもうと立ててる店を忌避してるのだ。
今や、喫煙者人口は全体のわずか20%弱。
喫煙店は、残り80%の客を逃してると言える。
禁煙にしたら、客は増える計算だ。
やってみたらいいんだよ。
意外と簡単なことだから。

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