終戦記念日。
すべての戦没者さんに祈りましょ。
そして、世界中で寄ってたかってケンカして、殺し、殺されまくったあの巨大イベントの反省と、二度とやらかさない誓いを。
わが日本国は、いろんな小国で暴虐の限りを尽くした振る舞いを反省しなきゃいけない。
そんな日本国も、大きな国に蹂躙されまくった怒りを訴えなきゃいけない。
弱いものに対していじめっ子だった日本国は、最後にいちばん強いいじめっ子にぎゃふんと言わされたわけだ。
そんな俯瞰と同時に、内輪の総括も忘れちゃいけない。
太平洋戦争は、「軍部(大本営)」という卑怯極まる連中が国民をいじめ抜いた、理不尽極まる政治の帰結だった。
毎度書いてるけど、水木しげるさんによるとあの戦争は、「軍部にいじめられてた日本国民を、アメリカが助けてくれた」出来事となる。
卓見だ。
戦国時代の昔、侍は「殿」と「お家」のために命を捨てる美学を築いた。
それを軍部は悪用して、「天皇陛下」と「お国」のために国民は命を捨てよ、とすり替えたわけだ。
理屈に合ってるようで、まったく小賢しいお手盛りだ。
結局、軍部の連中は、ウソをつきまくって、欲望のために前線の兵隊の命を散らし、護身のために国民にあらゆる犠牲を強いた、見下げ果てていい存在といえる。
こっちだって人間なんだからいつでも死なされる手ゴマ扱いされちゃかなわないよ、だいたい何様なんだよお前ら・・・と国民の誰もが感じてたにちがいない。
兵隊は、英雄でも勇敢なひとびとでもない。
特攻行為は、美しくも清らかでもない。
まったく不合理に命を散らした惨めな彼らを、映画でかっこよく描くな!と言いたい。
そんな命を散らした現場よりも深刻視しなければならないのは、「しね」と命じた上の人間の愚劣さだろう。
こんなのだけがのうのうと生き伸びて終戦を迎えたんだから、終戦記念日は「怒りの日」とすべきだよ。
政治に対する怒りだ。
その怒りなしに、反省なんてできないし、ましてや不戦の誓いなんてできない。
安倍さんや稲田さん、それに自民党の先生方は、ここんとこを理解できてない。
「美しい日本」って、どこさしてゆーとんの?
戦争とは、醜さの境地なんである。

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人類は、うわさ話をするために言語能力を磨いたらしいよ。
いや、逆かな。
人類が最初に話した言葉はうわさ話だった、って順序のようだ。
それが、動物界で革命的な「会話」という行為になったんだ。
犬も猿も会話をしてるって?
いや、違うんだ。
ある猿は、「ライオンがきた!」という叫び声と、「ハゲワシがきた!」という叫び声を使い分けてるんだって。
その声によって、大集団が一斉に、木に登り、あるいは空を見上げる。
だけどそれは、目の前にある現象を声帯を介してサインにしてるだけであって、キャッチボールをしてるわけじゃない。
最初期の人類は、「あいつとあいつが寝てる」「やつはこっちの仲間に入った」なんてやり取りを覚えて、集団内を整頓する術を身につけたんだ。
さらに、「神」とか「国」なんてわけのわからない観念を言語化することによって、幻想を実体化させちゃったってわけ。
叫び声が具象画だとしたら、会話は抽象画なんだね。
それにしても、動物がうわさ話をした瞬間に人類になったとはね。
おばちゃんたちのうわさ好きは、サル時代の名残だったのか・・・

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エスカレーターを歩くな、と言うひとがいるけど、まったく理解できない。
この手の人々が言い立てるイチャモンの数々は、不合理極まる。
彼らがまず踏ん反り返って最初に言うのは、「障害者が困る」というものだろう。
左手が不自由なひとは左側の手すりをつかめない、ゆえに右半分を空ける作法は困る、的なやつ。
でもさ、そういうひとは右側に立ちなよ。
ものの数分でしょ、待つよ、待ちますよ。
それでいいじゃん、一件落着。
日本人の几帳面は「バカ」のレベルにまで高められてるんでこういう柔軟な発想は考えもつかないわけだけど、とにかく左手が不自由なひとはそういう乗り方をしてもらって構わないし、そもそもこの論は「エスカレーターを歩くな」の問題とはまったく関係ない。
次にやつらが突きつけてくるイチャモンは、「すれ違うときにぶつかって危険だ」というのもの。
バカか?
ぶつからずに歩けばいいだろ。
ひとにぶつからずにすれ違う、なんて基本的な身ごなしは、エスカレーター上だけの作法でもなんでもない。
普通の人間の普通の歩き方なら、すれ違うときにぶつかるなんてことはありえないし、ぶつかる人間がいるとしたら、それは常識的でない人間なんで、こうした種族は歩道を歩いてるときでさえ隣の人間とぶつかって歩いてる。
逆に言えば、「エスカレーター上ですれ違うときはぶつかる危険があるので、歩いてはならない」と言うのなら、「歩道上ですれ違うときはぶつかる危険があるので、歩いてはならない」と言いかえることもできる。
絶対矛盾だ。
回りくどくなったが、ぶつからなきゃいいわけでしょ?すれ違う際に。
ぶつからないから、気をつけるから、歩いてもいい?
それでいい?
あと、ほんとに取ってつけたようなイチャモンで、「エスカレーターは歩く用の強度になってないので危険」ってのもあるけど、日本国内のすべてのエスカレーターはすでにさんざんに歩かれて強度の確認はできてるんで、この点も顧みる必要はない。
それでもエスカレーターでは歩くなっての?なんで?一切のイチャモンに合理的に答えてご覧に入れるから、それをクリアしたら歩かせて。
誰か困ってる?誰が?
そもそも、駅を使う人間全員がエスカレーターを歩かなくなったら、ラッシュ時のホームには動けなくほどの人間がひしめくことになる。
新宿や池袋の混み方とか、知ってる?
・・・まあオレは知らないけどさ、都会にはいかないから、特にラッシュ時には。
だけど、とにかくエスカレーターは歩かせてくれよ。
上岡龍太郎がよく言ってたけど、「エスカレーターを歩かないやつは、機械に操られてる」のだ。

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占いはあまり信じないけど、信じてるものは何個かある。
毎朝、パソコンで麻雀ゲームをやるんだけど、こいつの勝ち負けは重要だ。
トップを獲れば、その日は絶好調に過ごせるし、ハコを割ったら、要注意の一日となる。
朝の情報番組の占いを見せられると苦々しい気持ちになるわけだけど、わが麻雀システムは、運勢を実力で勝ち取るものなんで、直接に一日のテンションに影響してくる。
かくて、一位なら本当にいい一日になるし、最下位なら本当に凹んだ一日となる。
占いのメカニズムとは結局、こういうものなのだ。
もうひとつ、信じてる占いがある。
これは「丁半」の賭博に近いかもしれない。
意外とやってるひとは多いに違いない「ブラジャー占い」だ。
二人暮らしである我が家は、洗濯は数日置きに行われる。
その間に、よめはんのブラジャーがたまってく。
これらを洗濯し、干すのはわが任務なのだが、この干すときに、どっちをつまみ上げるか、なのだ。
つまり、ブラのホックの。
ブラジャーには、背中で接続するべき二端があり、それぞれに別形状のホックがついてる。
ホックにはオス型とメス型があり、つまり立体的に盛り上がった「ツメ」側と、扁平な「ウケ」側がある。
このホックを洗濯物干しのピンチにはさむには、ウケ側の平らな部分が必要だ。
すなわち、ブラをつまみ上げる際には、当たり外れが存在するのだ。
洗濯カゴに手を突っ込み、運よくピンチに据わりのいいウケ側をつまみ上げられればポイント獲得、ツメ側をつまんでしまった場合はマイナスポイントとなるわけだ。
その「何勝何敗」というアベレージが、その日一日の運気の量となる。
しかしここでなかなか厄介な問題が発生し、そのためにイレギュラーなルールを設定しなければならない。
洗濯カゴからは、よめはんいったい何枚持っとんねん、というほどのブラが姿を表すが、その中に「ホックなし」のブラ、すなわち、オスもメスもつなぎ目もない輪っか状の「頭からかぶり式」のものが一枚だけ存在するのだ。
こいつは最悪だ。
なにしろ、運気の判断がつかない。
そこでこいつは「ボーズ」として扱うことにする。
百人一首を用いたお馴染みのカードゲーム「坊主めくり」のボーズだ。
こいつを引くと、今までの勝敗数がノーカウントとなり、次の一枚から勝負のやり直し、となる。
負けが込んでるときには、ボーズはラッキーな徳政令となり、勝ちまくった末の最後にボーズをつかんだ日にゃ、思わずベランダでへたり込みたくなる。
こうした天の気まぐれにより、わたくしはその日一日の運気をコントロールされてるのだった。

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スガダイローは、フリージャズのピアノ侍。
その知り合い、という生徒さんに紹介してもらって聴きはじめたんだけど、どんズバにはまってしまい、例によって手に入る限りのものをコンプリート中。
「渋さ知らズ」ってラッパ系のバンドでも弾いたりしてるんだけど、騒々しい演奏は苦手なんで、ソロや小さな編成のものを専門に聴いてる。
このひともバークリー音楽院の卒で、上原ひろみと同期ってことらしい。
天才はこんなふうに響き合うのかなあ。
だけどこの侍は、彼女のようなチャレンジングな期間は終えたかの達観した空気というか、到達感を漂わせてる。
フリージャズといったら、ガチャガチャしてて、猥雑で、楽しさ命で、今この場さえ乗りきりゃ成功・・・とは言わないけど、とにかくなんでもありのムチャクチャな破滅的即興演奏、ってイメージでしょ?
このひとのは違うのだ。
フリーなのに、優雅と言っていいほどに濁りがない。
音のひとつひとつに意味を持たせて、きちんと聴かせるタイプ。
感性の炸裂じゃなく、理で音を選んで叩きつけるというか。
破壊的ではあるけど、文学的とでも言えばいいのかな。
破れかぶれモードになっても、流れを破綻させず、流暢につないでいける。
音のつまずきがないわけ。
どれだけ激しく暴れ狂っても、規律を重んじるために、響きが理知的なのだ。
「フリージャズとはズレと見つけたり」と言ってズラしてるわりには、高度に洗練されてて、なによりも丁寧。
なので結果、刹那的、表面的になることなく(ひらめきの即興は、びっくり箱ではないのだ!)、その音は深く、分厚い。
野武士を志向してるたたずまいだけど、ここはやはり、侍、と呼ぶのが正しい気がする。

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駅前で飲んだ帰り道。
家にたどり着くまでに、長い長い坂がある。
この心臓破りで、結構な脚力を使わねばならんのだ。
「ダンシング(立ち漕ぎ)」をして、坂に挑みかかった、そのときだ。
隣で20代前半と思われる若者が並走してきたのだ。
レーサーに乗っている。
やつも尻を浮かして、本気モード。
そこから結構な距離を、どっちが前にいくでもなく、並走している。
うざい。
そこで「このやろ〜、ようし、競争だっ」と叫んでやった。
するとあっちも乗ったのか、目の色を変えてきた。
坂はだんだんと勾配を急にしていく。
えっちらおっちらと、ゆっくりゆっくりの並走から、徐々にあっちが前に出はじめる。
最後は大まくりで逃げられた。
「くっそ〜、今日のところはお前の勝ちだあ」と背後から叫んでやった。
「あはは〜」とライバルは去っていった。
昨夜の勝負の話。

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シャープに東芝、三菱自動車にタカタ・・・
今や日本企業は、世界で「アホのお手本」になってるカンジ。
ダイソンはえらい。
「ものすごく吸う掃除機」をつくった。
日本の製品は、「そこそこ吸う」「だけど強くしたり弱くしたり内蔵されたコンピュータが勝手に考えて調整してくれたり小さなものに特別な反応をしてくれたり外からスマホで動かせたりカメラがついててわずかなゴミを決して見落とさなかったり排気が環境に優しかったり高性能な消音装置のおかげで赤ちゃんが寝てても大丈夫だったり他にもたくさんたくさん機能があります」が、誰が買うねんそんなもん。
吸えばいいの、掃除機は、ダイソンを使えば一発でそれがわかるし、感動すらさせられる。
技術がない、ってんならまだ救いがあるけど、技術があってアホ、だから始末に負えない。
そうしてるうちに、つぶれて、技術がライバル国に流れて、あちらは繁栄し、こちらは没落の一途、となる。
技術がある、とは言ったけど、それは先端技術ではあっても、最先端技術じゃない。
未来的な技術となると、すでに日本のものは相当に見劣りがする。
原子力?
いつの時代の発電装置なの、それ。
ハイブリッド?
そんな古い技術は捨てて、次にいかんかい次に。
これは政治のせいでもある。
今の政権党は、過去に固着しすぎ、未来を描くことができない。
一切の政策が、未来を蝕んでると断言できる。
かわいそうにね、子供たち、きみらはこんな国に生まれてしまったのだなあ。
その保守的な政治を選んでるのは「自分かわいがり」の親の世代なんで、結局日本は国民全員の意思でもって、緩慢に没落の道を進んでいく。
そんな没落の道に慣れてない、ってのもまずい。
縮小なんて悪いことじゃないのに、拡大にこだわった挙句に、ごまかしたり、だましたり、って卑怯なことをしちゃう。
それが日本企業の姿。
「外国人にほめてもらう番組」が花盛り。
はずいわ。
どんだけのコンプレックスの裏返し?
ほめてもらってますがね、中身、こんなですわ、日本。
アニメやマンガがクールジャパン?
幼児愛を合法的に露出できる機会が歓迎されてるだけなんじゃねーの?
むしろ、外国人にけなしてもらいなよ。
でなきゃ、目が覚めないでしょ。
真面目にやれ、と言いたい。

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日曜の朝、東の空が白みかけた頃によめはんが、隣で寝てるオレの肩をトントンと叩く。
「わたしの目、どうなってる?」
寝ぼけまなこをこすってよめはんの顔を見る。
飛び上がりそうになった。
両まぶたが腫れ上がって、しかもその両目から血を流してるのだ!
「呪怨〜!?」
あまりにもシリアスな光景に、思わずおしっこをちびりそうになったが、大人なのでそこは我慢して一滴もこぼさず、震え上がりながらもう一度よめはんの顔を見る。
この顔を、かつて見たことがある。
亀田大毅と壮絶な試合をやった後の、内藤大助だ。
「目えや、目に入れろ!」とセコンドの興毅が叫んでたあの試合ね。
あの腫れ上がった目なのだ。
どうやら、どこかで強烈なパンチをもらってきたらしい。
布団から顔を突き出してくる隣の内藤さんに、「こりゃ結膜炎だな」と診断を下してやった。
日が昇り、日曜でもやってる眼科に駆けつけると、受付の看護師嬢はよめはんの顔を見た途端に「どうぞこちらに」とVIPルームに・・・すなわち特別室に隔離してくれる。
ものすごい感染力を持つ「流行り目」らしいという診断で、二週間の自宅待機を命じられる。
仕事人間のよめはんにとっては、二週間という大連休は初めての経験だ。
目が開かないので、自宅仕事もままならない。
二日目にはもう退屈してきて、出歩きたい、という。
目も開いてきたんで、ウロウロすることくらいはできる。
だったらついでにチラシのポスティングをしてもらおうと、工房の新チラシを渡・・・そうとしたが、これはやばい。
チラシを手にした者が、みんな目をやられてしまう。
まことにわかりやすい、わが工房を発生源とするパンデミックが学園町を壊滅させることになる。
あきらめたよめはんは仕方なしにまた布団にくるまってるが、病気とは不自由なもんだなあ・・・
健康って大切。

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よめはんが数ヶ月ぶりに、料理をつくってさしあげますわ、と言う。
しかも、冷蔵庫内の残り物のみを用いてつくってごらんにいれる、と。
ほほう、それは楽しみ、と待ってみる。
冷蔵庫の中には、オレがこっそりとひとり飲み用に秘匿して忘却の彼方と成り果てた、4〜5日前のヒラメとカンパチの刺身(サク)があった。
厨房とは、誠に命を懸けた実験場でもある。
腐っているかもしれないが、いちかばちか切って出してみよう、とよめはんは思い立つ。
ヒラメの方は色も大丈夫そうなのでお造りにするが、カンパチの方がやや変色し、手触りにもぬるぬる感があるので、こちらは焼いてやれ、と(捨てないで、調理を)決意。
バジル塩を振って、グリルしはじめる。
結論から言えば、カンパチは熟成が進んだものか、金目鯛のような風味が醸されており、なかなか美味であった。
ヒラメの刺身も、アミノ酸の分解が長時間進み、旨味を増して上々。
言えば、ギリギリセーフ・・・(ギリギリアウトのような気もするが)
よめはんは、どうやらギャンブル(ダンナの命を懸けた)に勝ったらしい。
さて一方、メイン料理なのかよくわからない位置付けだが、厨房のよめはんはオカズをもう一菜、手に掛けている。
ツンとものすごい匂いが漂ってくるが、ここまできたらなにも言うまい、とただ待ちわびる。
できましたよー、と食卓に供されたこの一品。
新鮮シャキシャキなサニーレタスがどういうわけか黒酢にあえられ、その上にハムと卵と新玉ねぎをジュウジュウと炒めたらしきものが載っている。
口に入れてみると、これが・・・得も言われぬ風味がする。
冷たいものと熱いものが一体化して生ぬるく、謎の猛烈なすっぱ味が立ちのぼって鼻腔の奥に淀み、豊潤濃厚な風味が口内にいつまでも循環して立ち消えてくれない。
ただひとつ、これに似た味を知ってるのだが、「腐った味」とは口が裂けても言えない(言ったけど)。
現代社会においては、久しく「まずい」というシロモノに出会っていないわけだが、なんだか遠い日の感覚を思い出す。
日にちの経過した刺身が腐っていなかったにもかかわらず、新鮮そのものの野菜その他を用いた料理で、図らずも「腐り味」を再現してしまったこのよめはんは、やはり天才なのかもしれない。
ふと目に入った黒酢を、直感で振り掛けてしまうセンスはなかなかのものだが、この黒酢もまた、数年前のものなのであった。

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送りたい荷物があるんで、郵便局に集荷の電話をかけたの。
オレは窓口まで直接持ってく派なんだけど、重くて自転車のカゴにおさまらないものは、あっちから取りにきてもらうしかないのだ。
んで、指定のフリーダイアルにかけてみる。
つながると、まず「米印と1を押してください」とくる。
実際には「コメジルシ、ト、イチ、ヲ、オシテクダサイ」と相手は言ってるのだが、ここでムカつくのは早すぎる。
で、押す。
すると、「集荷場所(オレの住所)の郵便番号を」プッシュボタンで打ち込んでくれ、とくる。
わが大泉学園町は、178−0061なので、こいつを押す。
すると、大泉学園町、つまり同じ町内にある担当局にやっとつながるわけだ。
「集荷受付です」と、人間の声。
やれやれ、と思い、荷を回収にきてほしい旨を伝えると、相手は「そちらの電話番号を」教えてくれ、とくる。
ところが、「ええと、3925・・・」と言いかけると、そこでさえぎって、「03からお願いします」とまさかのダメ出しをされるではないの。
ええーっ?
こっちはさっき住所を打ち込んだんやから、お前と同じ大泉学園からかけてることくらいわかるやろ。
毎度のおばはんだ。
いつもここで引っかかるのだ。
つか、「03からお願いします」って、なに?
知ってるやん!
百歩譲って「局番からお願いします」ならまだわからんでもないが、まじで、なに言うとんのお前?
わけわからん・・・
今度集荷の電話をかけるとき、このおばはんが出たら、いちばん効果的でいちばん面白い返しをしてやろう、と策を練ってるとこ。
だけどこれも思い返せば、毎度引っかかって、毎度対抗策を練って、だけど毎度忘れて、毎度同じ電話をして同じ「03から・・・」と返されてるんで、また次回も同じことを繰り返すんだろうなあ。
しかし、よくこれでやっていけてるな、郵便局。

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