マンガというよりも、「文体」がもはや文学の域です。
猫が、夜廻り中にいろんな場所で涙の匂いを嗅ぎ取り、その人物の話を聞く、というだけの1ページ完結マンガ。
しかし、深い。
各ページは8コマに分割されてて、導入を除けば実質6コマで一話を構成するわけですが、その人生の凝縮感がすごい。
登場人物はそれぞれに苦悩や難しい境遇、社会的理不尽を抱えてて、それを問わず語りに語らせ、猫はただそれを聞くのみ。
なんのアドバイスも与えなければ、解決して話をまとめるわけでもありません。
なのに、話を聞き終える最後のコマには、問題の一切があるべき位置におさまってるので、読者は落ち着いた心でページを閉じられます。
その臨場感、そして説得力たるや・・・
このリアリティは、洞察からくるものなのか、あるいはある種の現場で培ったものなのかはわかりませんが、作者の特異な能力にはうならされます。
絵も、語られる内容も、ナチュラルな描写が心掛けられてるため、たちまち感情移入させられ、登場人物たちの置かれた立場が胸にきます。
その人物らの絶望感が、話し終えるとすべて前向きに昇華されてるのだから不思議。
そんなやり取り(というか、悩み者の一方的な語り口と、ただただそれをうなずいて聞くだけの猫)をぼんやりと眺めてるこちら側では、1ページを読み終えるごとに胸を熱くし、いつの間にか目が潤んでる、という不覚を取ることしばしば。
落涙するまでには至らないけど、じんわりと、とにかく胸がいっぱいになってしまい、はあ、と息をつかないことには次話に進めないのです。
んで、みんなぜったい優しくなれちゃう!
なんと罪つくりな良書であることでしょう。
二巻は、現代社会の悩みネタが尽きたのか、一巻とはまるで別物の「猫が主体的に行動するマンガ」になってます。
とは言え、こちらも猫社会のリアルが辛辣かつ愛を持って描き込まれてて、まったく作者の洞察力(あるいは創造性?)に感心させられるばかり。
手塚治虫文化賞の受賞も納得の一冊です。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園


有名大学の講義収録ものによくある、対談形式のにわかづくりものか、初心者向けの寄せ集め概論ものかと思ったら、とんでもなかったよ。
知りたかったことが全部おさまってて、びっくりした。
ここんとこ、「場の量子論」の本ばかりを読み込んでんだけど、テーマを散らかした状態で手に取るんで、一点一点は深く理解できても、全部を総合的につなげて理解できた、って実感がなかった。
逆に、総合的に書かれてるものを手に取ると、各論をざっくりと箇条書きに説明されるんで物足りなかったり。
だけどこの本は、要点を簡潔にまとめながら、全体を完全に一体化させてて、実にわかりやすかった。
シンプルなのに濃密。
噛み砕いてるのに高度。
要するに、クリアなんだ、ごまかしがない。
この手の本って、難しい内容を難解な専門用語で説明したり、理論を極度にモデル化(数学寄りの文体で)したりしてくれるんで、読む側があらかじめある程度の知識を持ってないとわかりづらかった。
易しいものもあるけど、例えば「素粒子は粒子であると同時に波として振る舞う」とか「世界は11次元でできててそこからヒモが生えてる」なんて言われても、キョトンとさせられるばかりだ。
だけど、とにかくそういうふうに考えれば世界の構造が矛盾なく説明できるよ、って机上で抽象化された考え方を示されるわけだ。
素粒子の世界では、通常世界の常識が通用しないんで、絵づらがイメージできないんだな。
そんな「自分的に曖昧だった点」に、この本はきちんと答えてくれてる。
つまり、かしこいひとが頭の悪いひとに向けて、ついに易しい言葉でそれを説明してくれた、ってわけ。
それをできる人物こそが賢人でしょ。
もやもやにとどめを刺してくれた感じだよ。
難解な本を何冊も読んで、わけのわからない「量子」ってオバケの世界をさまよってきたけど、それらの各理論をまとめると、実はこんなにもシンプルなものだったんだ。
なるほど、これだとこの世のすべての現象に説明がつく。
いや、この世の存在ってもの自体に説明が。
本当に蒙を啓かれたような気分だ。
世界の構造がわかっちゃったんだよ、オレ。
なるほど、こいつはものすごい講義だ。

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酔っ払った帰り道の午後9時。
マルエツに立ち寄って、いつものお買い物。
カゴいっぱいに、酒、アテ、そして半額シールものを詰め込み、レジへ。
するとカウンター越しに、「しはん」と呼びかけられる。
酒に淀んで虚ろな目を向けると、見上げるようなワカモノが立ってる。
マルエツの制服を着て、テキパキとレジ打ち(というのか?あのレーザー照射)をこなすその見習い店員は、なんと「タクP」ではないの。
小3の頃から数年間、工房に通ってくれてたバカ三人集のひとりだ。
身長は180センチを超え、まばゆいばかりの好男子になってる。
「酒のツマミばっかじゃないっすか」
余計なお世話だし。
それよりも、カゴの中身が半額シール祭りなのが恥ずい。
オレに好物はないが、強いて挙げれば、半額シールが大好物なのだ。
しかし、半額シールに、おつとめ品シール、3割引シール、1割、2割引シールが混じると、酔った頭脳に暗算がおぼつかなくなる。
ピ、ピ、ピ・・・チン。
「しはん、お代が足りませんよ」
オレは持ち金ギリギリまで買い物をするギャンブラーなのだ。
ひっさびさにやっちまった、代金不足!
ここでやらかすかね、教え子のガキの前で。
「このワインは没収します」
カゴから一本を引き抜かれた。
しかし、なかなか頼もしいやつだ。
生意気にも上智を狙ってるというが、落ちてもたくましく生きてはいけるだろう。
今どき、スーパーでレジ打ちの夜バイトとは、見直させるではないの。
ちょっとだけ重量感を失った買い物袋を下げて、足取り軽い帰り道。
だけど、もうあいつのレジに並ぶのはやめよう。

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ジャズトランペッターの日野皓正が、コンサート中に言うことを聞かない自分の教え子にビンタしたんだってさ。
相手は中学生だよ。
この「体罰は絶対禁止!」の時代にね、ほほー・・・
これだから軍隊式教育信奉のジジイは始末に負えない。
「それはダメなんだよ、おじいちゃん」と誰か言ってやれ。
このトランペッター氏の言によると、「あいつとは心でつながり合ってるからいいのだ」だってさ。
バカか。
断言するが、このふたりの間には信頼関係なんて一切ない。
一年間のつき合いで、4ヶ月間もひざ詰めで練習してたようだけど、その間ほんとに「心がつながってた」と感じられてたのかね、トランペッター氏は?
映像も観たけど、ビンタされた中学生の、トランペッター氏に対する軽んじ方は、「師匠とも思えない師匠をはなからバカにした態度」「反抗を超えたシカト」だ。
そんな中坊の髪をひっつかみ、スティックを取り上げ、往復ビンタする、自称「心を通い合わせる師匠」。
両者のお互いに対する振る舞いには、どこにも信頼性なんて感じられなかったよ。
しかも、細腕の中坊(テレビ映像では、本当に肩の細いただの子供だ)を、暴力を用いてしか言うことを聞かせられない指導者って、音楽教える資格あんの?
そういう未熟者は、人間を扱うのなんてやめて、演奏だけしてなよ。
トランペッター氏の粗暴さ、単純さ、知性のなさには呆れるしかない。
殴るのは、信頼関係の放棄であって、自分の至らなさの白状だ。
まったく、悲しくなってくる。
それよりも驚かされるのが、世間の見方だよ。
「日野さんは悪くない」「立派なミュージシャンだ」「このケースは仕方ない」のオンパレード。
偉いひとを前にして、ぽわ〜んとしてしまって、思考が止まっちゃうんだろうなあ、あわれ・・・
芸能人たちにも、トランペッター氏(自分たち側の人間だもんね)をほめそやして事件をうやむやにしようとするバカが目立つけど、そのスタンス、一生貫けんの?
例えば、この映像のビンタする人物が、実は田舎中学の音楽教師でした、としたらどうなる?
同様にほめそやす?いや、しないね。
むちゃくちゃな袋叩きにするんだろ、いつものように、報道は。
まったく気持ち悪い。
トランペッター氏擁護の論調は、「教え子へのビンタは世界的なミュージシャンなら許される」と言ってるに過ぎない。
こういう、権力に媚びて本質をゆがませられる便利な頭の人間って、大嫌い。
日野皓正よりも、日野皓正を許そうって人間が、オレにはヘドが出そう。
そういう人間はいっそ「体罰賛成」と言ってくれれば、オレには納得できる。
最後に、考えてみたらいい。
ウイントン・マルサリス、って名トランペッターがいる。
知的で、教え方にも長けてて、バークリー音楽院でも教鞭をとってる世界最高のミュージシャン。
このひとが、まったく同様のケースで、教え子のローティーンを殴ったら、と考えてみる。
永遠に軽蔑されるだろうね。
いや、むしろ、永遠に演奏する場と、音楽を教える場を失うにちがいない。
このひとは、殴らない(たぶん)。
それをしないから、すべてのジャズファンから愛され、尊敬される。

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テレビで、昔のオリンピックで「選手団の制服を腰履き」に着崩して空港に現れ、ひんしゅくを買ったコクボって選手の話をやってたので、考えてみたのだ。
今はとても子煩悩なお父ちゃんになってるのだが、「あのときの振る舞いを悔いてはいない」と言うのだな。
ま、確かに「後悔してます」とは言いづらい。
で、考察。
高校の制服をあの感じに着崩す(というか、ただただだらしなく着る)と、先生に叱られるし、同級生からも眉をひそめられる。
それを直せない子は、「修学旅行には連れていけません」となるにちがいない。
着崩しが本人のアイデンティティだと言い張ろうが、制服をきちんと着るのは学校側のアイデンティティなんであり、あんな見る影もない格好にアレンジされては、学校としては社会的に恥をかかされるばかりでたまらない。
つまり、その着崩しは迷惑な行為なのだ。
「腰履きはスノボの文化なんで」と言うが、世間の目に見苦しく映ることは間違いない。
それを踏まえても、きちんと制服を着るのは自分のアイデンティティに反する、と言い張るのなら、国民代表としてオリンピックにいってはいけない。
その制服は国から与えられたもので、しかも飛行機代も宿代も出してもらって、すべてをひとからのお金でやらせてもらってるのに、そこだけ我を通したい、では筋が通らない。
アイデンティティを言うのなら、派遣を拒否する、すなわち、「オリンピックに出てあげない」という選択がいちばんかっこよかった。
そこに至れない部分で、彼の考え方は片手落ちで幼稚だったというわけだ。
そしてその後の記者会見で「ちっ、うるせーな」と言ってしまうわけだが、この意気はなかなかよろしい。
さらなるバッシングを誘導しよう、つまり「事を荒立ててやろう」という作戦だ。
そして想定通りにバッシングを受け、彼はほぼ日本の文化圏から追い立てられるわけだが、この部分は完全に「おめーらとはつき合わねーよ」対、報道側の「じゃ、きみを袋叩きにするよ」のフェアトレードと言っていい。
つまり、望むところ、ってわけだろう。
こうして彼は世界に飛び出したわけだ(追い出された、とは考えたくない)。
オレも、事が起きれば彼のような行動を取るタイプだと思う。
団体行動、無理・・・
だから、余計なつき合いは極力避ける。
ましてや、うっかりと集団に所属しちゃいけない。
ひとの金でなにかをさせてもらっちゃいけない。
ひとりきりで生きるすべを持ってなきゃいけない。
コクボくんの、ちょっと見苦しく、ちょっとかっこいい振る舞いを見て、そう思うのだった。

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友だちなんて、何人もいらない。
いちばんつき合いやすいのが数人いたらいい。
って考え方のしはんです。
大人になってからできた友だちは、ふたり。
最近、そのふたりともが引っ越しちゃったんで、連れ立って飲み歩く相手が皆無になった。
つき合ってくれるのは、よめはんくらい。
誰かつき合って!
・・・なんて言わないよ。
ひとりきりが気軽でいい。
友だちの選定には、相当な吟味が必要。
周囲を根こそぎにじゃんじゃん取り巻きを増やしてく人物が世の中にはいるけど、あれってめんどくさくならないのかなあ・・・不思議。
気分はいいんだろうけど。
でも、ま、いろんな考え方があるんだろうな。
つか、オレの考え方が異端なのかもね。
ひととつるむの、めんどくさい。
オレはどこにも所属してません〜。

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ひどいセンスだなあ、と思う。
韓国のことだよ。
友だちとして言いたいことがある。
きもちわりーんだよ。
ケンカ売ってんなら買ってやるよ、お望みなんだろ。
仲直りしたはずだろー?
昔々(ひどい昔だ)、うちのジジイたちがいじめたことは悪かったよ。
でも、お互いが完全に納得し合って、握手までしたじゃん。
「永遠に、絶対に蒸し返さない」とまで約束したよね。
なのに、こうまでネチネチ、ネチネチ、ネチネチ・・・
ただ「ヤ〜っなことしたい」だけじゃん。
バカじゃねーの?
正直ね、もう友だちでいるのは無理、とまで感じるよ。
以前は「申し訳ない」なんて思ってたけど、それももうあんまり思えないや。
それはね、あんたたちの態度がただひたすらこっちをおとしめるためのイヤミでしかないからだよ。
見くびんじゃないよ。
あんたら自身、被害者のことなんてなーんにも考えてないじゃん。
こっちが苦しんだら気分が晴れる、ってだけじゃん。
相手が手を出せないことを逆手にとって、遠目からいたぶってるだけじゃん。
ちゃれーんだよ。
ケンカを最後までやり抜く度胸もないくせによ。
自分の行為を客観的に見たことないの?
世界中を探したって、こんな陰険なやり口、見たこともないよ。
吐き気がするほどの嫌悪を感じるよ。
目を覚ましなよ。
・・・もうおそいけどね。
今やもう韓国にはひとつの美質も見出せない。
悲しいけど、好きなところが一切なくなった。
いや、焼肉とキムチがあるか・・・
だけど、もうこの手の書き込みもやめようと思う。
あきらめたよ。
あんなやり方されたって、反省なんかしないよ。
ただただ、韓国を嫌いになるだけだ(今まで韓国が好きだった連中がね!)。

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終戦記念日。
すべての戦没者さんに祈りましょ。
そして、世界中で寄ってたかってケンカして、殺し、殺されまくったあの巨大イベントの反省と、二度とやらかさない誓いを。
わが日本国は、いろんな小国で暴虐の限りを尽くした振る舞いを反省しなきゃいけない。
そんな日本国も、大きな国に蹂躙されまくった怒りを訴えなきゃいけない。
弱いものに対していじめっ子だった日本国は、最後にいちばん強いいじめっ子にぎゃふんと言わされたわけだ。
そんな俯瞰と同時に、内輪の総括も忘れちゃいけない。
太平洋戦争は、「軍部(大本営)」という卑怯極まる連中が国民をいじめ抜いた、理不尽極まる政治の帰結だった。
毎度書いてるけど、水木しげるさんによるとあの戦争は、「軍部にいじめられてた日本国民を、アメリカが助けてくれた」出来事となる。
卓見だ。
戦国時代の昔、侍は「殿」と「お家」のために命を捨てる美学を築いた。
それを軍部は悪用して、「天皇陛下」と「お国」のために国民は命を捨てよ、とすり替えたわけだ。
理屈に合ってるようで、まったく小賢しいお手盛りだ。
結局、軍部の連中は、ウソをつきまくって、欲望のために前線の兵隊の命を散らし、護身のために国民にあらゆる犠牲を強いた、見下げ果てていい存在といえる。
こっちだって人間なんだからいつでも死なされる手ゴマ扱いされちゃかなわないよ、だいたい何様なんだよお前ら・・・と国民の誰もが感じてたにちがいない。
兵隊は、英雄でも勇敢なひとびとでもない。
特攻行為は、美しくも清らかでもない。
まったく不合理に命を散らした惨めな彼らを、映画でかっこよく描くな!と言いたい。
そんな命を散らした現場よりも深刻視しなければならないのは、「しね」と命じた上の人間の愚劣さだろう。
こんなのだけがのうのうと生き伸びて終戦を迎えたんだから、終戦記念日は「怒りの日」とすべきだよ。
政治に対する怒りだ。
その怒りなしに、反省なんてできないし、ましてや不戦の誓いなんてできない。
安倍さんや稲田さん、それに自民党の先生方は、ここんとこを理解できてない。
「美しい日本」って、どこさしてゆーとんの?
戦争とは、醜さの境地なんである。

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人類は、うわさ話をするために言語能力を磨いたらしいよ。
いや、逆かな。
人類が最初に話した言葉はうわさ話だった、って順序のようだ。
それが、動物界で革命的な「会話」という行為になったんだ。
犬も猿も会話をしてるって?
いや、違うんだ。
ある猿は、「ライオンがきた!」という叫び声と、「ハゲワシがきた!」という叫び声を使い分けてるんだって。
その声によって、大集団が一斉に、木に登り、あるいは空を見上げる。
だけどそれは、目の前にある現象を声帯を介してサインにしてるだけであって、キャッチボールをしてるわけじゃない。
最初期の人類は、「あいつとあいつが寝てる」「やつはこっちの仲間に入った」なんてやり取りを覚えて、集団内を整頓する術を身につけたんだ。
さらに、「神」とか「国」なんてわけのわからない観念を言語化することによって、幻想を実体化させちゃったってわけ。
叫び声が具象画だとしたら、会話は抽象画なんだね。
それにしても、動物がうわさ話をした瞬間に人類になったとはね。
おばちゃんたちのうわさ好きは、サル時代の名残だったのか・・・

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エスカレーターを歩くな、と言うひとがいるけど、まったく理解できない。
この手の人々が言い立てるイチャモンの数々は、不合理極まる。
彼らがまず踏ん反り返って最初に言うのは、「障害者が困る」というものだろう。
左手が不自由なひとは左側の手すりをつかめない、ゆえに右半分を空ける作法は困る、的なやつ。
でもさ、そういうひとは右側に立ちなよ。
ものの数分でしょ、待つよ、待ちますよ。
それでいいじゃん、一件落着。
日本人の几帳面は「バカ」のレベルにまで高められてるんでこういう柔軟な発想は考えもつかないわけだけど、とにかく左手が不自由なひとはそういう乗り方をしてもらって構わないし、そもそもこの論は「エスカレーターを歩くな」の問題とはまったく関係ない。
次にやつらが突きつけてくるイチャモンは、「すれ違うときにぶつかって危険だ」というのもの。
バカか?
ぶつからずに歩けばいいだろ。
ひとにぶつからずにすれ違う、なんて基本的な身ごなしは、エスカレーター上だけの作法でもなんでもない。
普通の人間の普通の歩き方なら、すれ違うときにぶつかるなんてことはありえないし、ぶつかる人間がいるとしたら、それは常識的でない人間なんで、こうした種族は歩道を歩いてるときでさえ隣の人間とぶつかって歩いてる。
逆に言えば、「エスカレーター上ですれ違うときはぶつかる危険があるので、歩いてはならない」と言うのなら、「歩道上ですれ違うときはぶつかる危険があるので、歩いてはならない」と言いかえることもできる。
絶対矛盾だ。
回りくどくなったが、ぶつからなきゃいいわけでしょ?すれ違う際に。
ぶつからないから、気をつけるから、歩いてもいい?
それでいい?
あと、ほんとに取ってつけたようなイチャモンで、「エスカレーターは歩く用の強度になってないので危険」ってのもあるけど、日本国内のすべてのエスカレーターはすでにさんざんに歩かれて強度の確認はできてるんで、この点も顧みる必要はない。
それでもエスカレーターでは歩くなっての?なんで?一切のイチャモンに合理的に答えてご覧に入れるから、それをクリアしたら歩かせて。
誰か困ってる?誰が?
そもそも、駅を使う人間全員がエスカレーターを歩かなくなったら、ラッシュ時のホームには動けなくほどの人間がひしめくことになる。
新宿や池袋の混み方とか、知ってる?
・・・まあオレは知らないけどさ、都会にはいかないから、特にラッシュ時には。
だけど、とにかくエスカレーターは歩かせてくれよ。
上岡龍太郎がよく言ってたけど、「エスカレーターを歩かないやつは、機械に操られてる」のだ。

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